ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

天気の子 @ T・ジョイ京都

2019-09-15 11:55:43 | 映画感想


言わずと知れた新海誠監督の最新作。

RADWIMPS好きの知人の情報では「君の名は。」よりもわかりやすいと。

いやいや、わかりやすいとかわかりにくいとかの問題ですか?

ええ、分かり易かったです、はい。

(まぁ、「君の名は。」の場合、どうしても時間軸のズレとかあるし、現実離れした設定を受け入れる必要とかあるしねー)

んー、映画自体は悪くはなかった、と思うのだけれど、分かり易いというのは引っかかりにくい、と言うことでもある。
前に見た作品と比べてしまう愚は分かっているが、やはり期待してしまうでな。
「君の名は。」で感じた疾走感や雄大な設定やトリッキーな展開でのワクワク感、「言の葉の庭」で感じた雄弁で賑やかな静謐であったり。他のアニメ作品とは違う印象があったのだけれど、ちょっと物足りなかったかな。

あえて挙げるとすると東京の猥雑な街角の様子と水の描写かな。美しいとか綺麗とかではなく、なんとも言えない生々しさは印象的。雨は「言の葉の庭」でもずーっと降っていたわけだけど、「天気の子」のあの質感(勿論空と繋がるという設定で龍や魚といった象徴の為でもあると思うのだけれど)は一歩間違えたらちょっとクドくなりすぎレベルだと思う。
(おお、関係ないけれど書いてたら秦基博の「Rain」思い出した。大江千里好きの儂だが、あのRainは秦さんに軍配があがる)

でも映画自身について、儂がストーリーの最初の方から感じていたのはなんとも言えない危うさである。

帆高くんは家出高校生で、新宿の雑踏の中であまりに頼りない。陽菜もまた、親を亡くし未成年の姉弟だけで暮らすという、現実世界で考えれば社会的に放ってはおけない設定である。
陽菜が晴れ女の仕事を始めると今度は、夏美の取材でその危うさが指摘されるのを待たずとも、自然の摂理に反するその行為への大きな代償が予感されて苦しくなってくる。

そして、それが人柱という現実となる。
一方で帆高くん、凪くん、須賀さんは同時に警察に追われるというリアル世界での容赦ない閉塞が襲いかかる。

ストーリーは一直線で結構しんどい。

とはいうもののハッピーエンドのファンタジーなので最終的には救われるのだけれど。

あとね、あとね、野暮を承知で言うのだけれど、
それとは別に(映画の評価と別に)気になるのは気象の話だったりする。

今年も異常気象でしょう? 特に豪雨の被害は年々激しくなってきている感がある。
あれだけの豪雨が東京の街に降ったのならそれこそ甚大な被害がある筈で、でもその様子は映画ではほとんど感じることはできない。いやいやいやいやいや、別に災害パニック映画じゃないんだから当たり前だけれど。

ラストの展開も、「もともと狂ってたんだ」という救いは提示されているが、所詮は気休めでしかない。狂っているのを鎮めるのが巫女や持衰による人柱の役目で、昔からそれが機能していたのだとすれば、それに反した事になる。勿論、帆高くんは分かっていてそれを選択したわけで、それは数百万の人々に犠牲を強いた事には変わりないんだ。だって、最後のおばあちゃんが言うように、関東平野に住んでいた多くの人たちは住み慣れた故郷(それが田舎ではなく都会だったとしても)を追われているのだ。それまでの生活を奪われるというのは大規模災害で繰り返される儂らの犠牲ではないか。もっとも、それは映画の冒頭で語られるように、僕と彼女(とその周囲の数人)だけが知っている世界の秘密、なわけで、みんな知らないんだからいいんじゃない?と開き直ってしまってもいいの、って事なのだろうけれど。

さて、どうだろう。
昨今の異常気象にもやはり人柱が必要なのだろうか?
いや、それはファンタジーの中だけの話だと、そう思ったらいいのだろうか?
むしろ現実は1人の人柱では到底すまないレベルなのではないだろうか?