ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

原発の再稼働に反対する、関西電力本社前での抗議活動に参加してきたわけです。

2012-06-01 00:33:50 | 日記
と,普通の文章みたいなタイトルにしたのは,相応しいタイトルを考える事が出来ない儂の低い日本語能力のなせる技です♪

まぁ何というか、今回、何が言いたいかというと,
この抗議活動に行ってきたのだけど、なんとも虚しさを感じてきた,という話なのです。

いやいや最初に言っておかなくちゃいけないな。
その抗議が無駄だといっている訳ぢゃないのよ、むしろ十分に意義があるものだし、儂らはもっと声を上げていくべきだと思う、やり方に(まぁ、それがベストかどうかは分からないけれど)問題があるわけでもない、その事は間違いない。そして、儂自身、時間が許す範囲でまた参加するし、別の形でも声を出し続けますよ。

良いでしょうか。誤解なきようお願い申し上げ候>各位

まぁ、言ってみればちょいとした弱音です。
#なーんじゃ?それは?

この日。
実は別の用件を考えていたのだけど,大飯原発の再開が、どうやら現実になりそうなここ2、3日の動きを見て、いややっぱこれ関電に抗議しとかなアカンやろ!と思い立ち、急遽渡辺橋を目指した訳です。

6時過ぎくらい,現地到着。
どうだろ,この時にもう200人くらいいたのかな。

正面の方ではスピーカーを使ってのスピーチが行われていて、裏口?の方では既に絶え間ないシュプレヒコールが行われていました。
抗議に来ておきながら,ここ数日喉の調子が良くない儂はがんばって声を上げている人たちに多少申し訳なさを感じながら正面側のスピーカーでの呼びかけを聞いていたのですね。

表口でも裏口でも(そして,正面、道をはさんだ歩道では「右から考える脱原発」の方々も)声を上げる人たちの語気は強く熱を帯びたものです。
それに対して、関電の建物から出てくる人たちのシラーッとした顔と後ろで腕を組み無表情に構える警備員さんのさめた感じ。
その様子を見ていたら、とても気分が悪くなってきた。

ここで働く、関西電力(若しくはその関連の企業)の人々はいったいどう思っているのだろうか?
どう思っているも何も無い。そんな問いかけをするスピーカーさんもいたけれど、本当のところ、原発の実際・原発の是非については個人的な意見を持っている社員さんがいる事は容易に想像がつくけれど,そんな事を言ってみてもここでは全く意味がないのである。(別のところでは意味がある)
実際問題として関電の社員にしてみれば,こんな抗議活動はあらためて原発の事を考えるきっかけ以前に迷惑以外の何者でもない。営業妨害って言われたってしかたない。
#まぁ、ここで実質的な売り買いの商売をしているわけじゃないし、ここに営業にくる取引先各社にとっちゃ折り込みずみだろうか実害はないだろうけど

別に儂らだって、ここで、シュプレヒコールと冷たい視線に耐えながら退社する社員さんを責めたい訳ではないのだ。
何が儂らの虚しさかと言えば、実質的に声を聞いて欲しい人、声を届けたい人(ぶっちゃけ、関電のオエライサンの事です)がそこにはいない、いや、正確に言うと、そこに彼等の存在が感じられないことなのだ。

そりゃあ、建物の中にはいるにかもしれない(イナイカモシレナイ)。が、顔が見えない以上儂らはあの冷徹などでかいビルと無表情な警備員&一介の社員さんに向けてシュプレヒコールを続けるしかない。

これは「祝の島」の感想に書いた事と全く同じだ。

儂らは声を大にして訴えたいのです。
訴えたいのに、その声を届けたい相手に辿り着くのは至難の業なのです。どうにもこうにも。

仕方がない。
儂らに今出来る精一杯は、この無愛想な関電関係者と、怒りの対象のシンボルであるどでけービルに向かってあらん限りの声を振り絞る事だけだ。

なんだろう、この虚しさは。
根本的にどっかおかしい。

おそらくそれは強固なシステムに素手で抗おうとする儂らの無力感なのではないかしらん。

それでも儂らはめげてはいけない。

今までなら、この無力感に打ちひしがれて、「そんなん、やったって無駄無駄~♪」なんてシニカルに構えたふうで、逃げている自分を正当化していたかもしれない。

でも、さすがにそういう訳にはいかなくなってきた。
この国の(いろーんなもんが)流石に崖っぷちだ、という危機感がね、いや冗談じゃなくありますよ、もうホント。

まずは声を上げる事から。
大丈夫。現に輪は広がりつつある。
考え方を深めていく動きだって確実に起こりつつある。

少しずつでも、この国があらまほしき方向に向かってくれるよう、儂らはあきらめちゃならんのよね。



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