春になると、いつもイライラする、とか思っていて、これは本当だった。一つは、何ごと
もそうだけど、自分の思う通りにいかないというのがある。それが自分が原因で、というのが、
ある年齢を重ねると現われたようなで、一種の自己矛盾、自己中毒みたいなものかも知れな
い。昔はそうでなかったが、最近やけにイライラする。どうもホルモンの問題ではないだろう。
そうゆうものもあるかも知れないが、やけに世間の風も冷たいし、もっとも閉じ篭っていると
いう方法もあるが、いずれにしろ昔、むかしのリラックスできるそうゆう時間、そうゆう自分が
なくなってゆく。よくあること、これを生き物のシステムだけに、原因を求めるとおかしくも
なるので、大体性格とかもあるが、これは、人それぞれみな違う。それでもみな人なので
ある。
イライラは上品で、優雅かも知れない。イライラすること、というと、これは書いて
おられる方の多くは、正確には判断はむつかしいが、女性のようだ。男の場合はどうか、男は
女性の半端ものみたいなところがある。どうにも勝てない。それで、男がイライラは上品すぎて
使いづらい。するとというか、イライラが、ムカムカになり、単刀直入に「むかつくぜ」とか
になるようで、たしかに、ムカツクはおじさんの言葉で、おやじの言葉だななど思う。こうゆう
言葉を、「おやじ」あるいは、「おっさん」、「でくの坊」、あるいは、濡れ落ち葉、以外、の
人が使うと、なんだかおかしいのである。それゆえ、女性はイライラするという言葉で、表現し
て、実際のイライラ度というのは、かなりひどいらしい、という感じがする。その点、おやじ
とか、おっさんとかどこの誰だかわからない、そうゆう人間がこの言葉を使うとなんだか
現実味もないし、「いらつく」とか、ムカツクとか、それよりももう少し進展するとどうなる
か、そうゆう言葉もなかなか出てこない。
まー優雅な言葉の方が、実際は受け入れやすく、現実の問題としては、より複雑なものが、
生き物としてのシステムがあるようで、どう考えても男の方が、特におやじだの、おっさんと
呼ばれると、単純でその程度も知れていて、それは自分でもよくわかるけど、まったく子供の
ままで、そうでない人はもちろんおられるが、ここは、つまりは春に近くなると、結構イライラし
て、ムカムカして、なんだか無性に腹立たしくもなって、という自分の現象をどうゆう言葉で
表現するのがいいか、ちょっと考えたのだが、ムカツク、というより、ムカムカする、というのが
いいのかも。と思う。それで、イライラと言う言葉は消えた。で、ムカムカというと、これは
胃がムカムカするという言葉もあるくらいで、身体的なもの、生き物としてのどうしようも
なく現われるものとも、取れるので、これが一番いいようなで、これからは春はムカムカする
と、表現したいと思う。この辺りが一番落ち着いて、いいような感じだ。
やけに長いそうゆう冬というものを経験している。それで、例えばそれよりも以前、もっ
と厳しい冬があったのは事実だが、同じ条件でない、という問題は常にあり得る。人は若いとき
は生長もあるのだろうが、どう考えても老化と言われる時間、が長い気がする。すると、まだ
まだ若い気でいられるが、ついには、厄年などが近くなると、はて厄年って一体いつのこと、
ということになる。そんなこと気にするのは、この列島の住人くらいだよ、など言っていられる
のもある期間までで、この私もいろいろ辞書を引き、また辞書を引いた。ネットとかは関係が
なかった時代であったからだ。そのため、広辞苑を引き、また大辞林を引いた。それから、
数えがどうのこうのというのも何度となく調べて、またそれを調べなおした。しかし、お祓いと
かは自分でやることにして、つまりはなるべくおとなしく過ごしていたのだが、しかし今と
なっては、厄年って何のことなど思うので、ずいぶんと大人になったと思うが、早い話しが
老化したのである。これは、厄年と関係なく生きている限り、老化は進むもので、またそれを
止めることはできないものであろう。
気象のある条件というのを体験するというのは、ある意味で二度と同じことはない、といって
もいいくらいで、例えばこれくらいの北陸の雪で、あーだのこーだのいう若い人はまずは
いないと思う。そうゆう時間をわずかながら過ごした私は、それをいう資格もないのだが、多少
の雪で、寒さで閉口することはなかったのだ。で、それでも今生きている人も、若い人もお年
を召した人も、50年たてばみなそれだけ歳をとる。赤ん坊だって、50歳になってしまう。そう
ゆうときを今も未来も共有できるかというと、それはねー、出来ないだろうとか思うわけで
ある。
ムカムカの原因は、春が遅いというのと、老化というのがある。それが自論でしかし、これ
だけはどうしようもないものなので、また今年もムカムカしている。もう少し前だと、書いた
ように春が近くなると、どうしても「イライラ」しますね、など人と話しをしていた。それで
よかったようだ。これが、もっと昔だと、そうゆうものはなかったと思う。
今日は、朝から晴れて、部屋の中は、ある時間から急に温度は上がった。で、最高気温、
部屋の中は18℃くらいだろうか。そうなると、ときどき寒気がする。これもおかしなことで、
で外の気温は、というと5℃とか6℃で、多分間違いないと思うが、きのうより最高気温はたし
か午後3時までだと、今日の方が低いのである。6℃台であったと思う。時間だ、とか思って、
晴れ晴れとした外に出て、わかってはいるが、まずは少し震える。それくらいに寒さは明るさ
とは違って残っていて、空気はどうしたわけか暖かくはない。でも風は弱めである。歩くとこ
ろを変えても、季節はもう早春で、春ははっきりと見えていて、でもまだ雪が多いのである。
これが消えない、というのももうわかっているけれど、残念でもあって、一旦凍ったものが
よみがえるに時間と暖かさ、それと日の光が必要で、これが積算されないといけない。一体に
春らしさ、は明るさをのぞくと、それから日の出の時間、日の入りの時間も除いて、いつ
ごろになると現われるか。
それまで、もう少しイライラではなかった、ムカムカとタタカワナイといけなく、なんと
も面白みの欠ける最後となった。
なるべく、雪以外のものを並べてみました。
これは枝垂れ梅ですね。蕾は固いですが。あー明るい。
次は、ドウダンツツジ。これももう少し色があって、そろそろ花の蕾
が、という時間があっていいようですが。それがない。
杉ですね。色を見ていると、葉っぱの枯れ具合以外に、花粉のそれも
ありそうなで、今年もグシュグシュとなる時間が近いかも知れません。
これは雪原。といっても大平原の田んぼの雪は消えています。
スイセンの畑。久しぶりですが、いってみました。予想以上に
スイセンは弱っていて、回復が可能か危ぶまれます。
垣によく使われる、植物。ちょうど光が反対からやって来て、透過光に
なって明るさと赤い色の元気な感じ。ただ向こうに屋根があって、その
上は雪という複雑さ。
梅を三つ。
なかなか出ませんが、ちゃんと花が咲き、大きな実もなります。
南向きで、日当たり良好です。
エッジ出しを、少し弱くしていて、ぼんやり感があるかも。これも
春らしさか、と思って。
もそうだけど、自分の思う通りにいかないというのがある。それが自分が原因で、というのが、
ある年齢を重ねると現われたようなで、一種の自己矛盾、自己中毒みたいなものかも知れな
い。昔はそうでなかったが、最近やけにイライラする。どうもホルモンの問題ではないだろう。
そうゆうものもあるかも知れないが、やけに世間の風も冷たいし、もっとも閉じ篭っていると
いう方法もあるが、いずれにしろ昔、むかしのリラックスできるそうゆう時間、そうゆう自分が
なくなってゆく。よくあること、これを生き物のシステムだけに、原因を求めるとおかしくも
なるので、大体性格とかもあるが、これは、人それぞれみな違う。それでもみな人なので
ある。
イライラは上品で、優雅かも知れない。イライラすること、というと、これは書いて
おられる方の多くは、正確には判断はむつかしいが、女性のようだ。男の場合はどうか、男は
女性の半端ものみたいなところがある。どうにも勝てない。それで、男がイライラは上品すぎて
使いづらい。するとというか、イライラが、ムカムカになり、単刀直入に「むかつくぜ」とか
になるようで、たしかに、ムカツクはおじさんの言葉で、おやじの言葉だななど思う。こうゆう
言葉を、「おやじ」あるいは、「おっさん」、「でくの坊」、あるいは、濡れ落ち葉、以外、の
人が使うと、なんだかおかしいのである。それゆえ、女性はイライラするという言葉で、表現し
て、実際のイライラ度というのは、かなりひどいらしい、という感じがする。その点、おやじ
とか、おっさんとかどこの誰だかわからない、そうゆう人間がこの言葉を使うとなんだか
現実味もないし、「いらつく」とか、ムカツクとか、それよりももう少し進展するとどうなる
か、そうゆう言葉もなかなか出てこない。
まー優雅な言葉の方が、実際は受け入れやすく、現実の問題としては、より複雑なものが、
生き物としてのシステムがあるようで、どう考えても男の方が、特におやじだの、おっさんと
呼ばれると、単純でその程度も知れていて、それは自分でもよくわかるけど、まったく子供の
ままで、そうでない人はもちろんおられるが、ここは、つまりは春に近くなると、結構イライラし
て、ムカムカして、なんだか無性に腹立たしくもなって、という自分の現象をどうゆう言葉で
表現するのがいいか、ちょっと考えたのだが、ムカツク、というより、ムカムカする、というのが
いいのかも。と思う。それで、イライラと言う言葉は消えた。で、ムカムカというと、これは
胃がムカムカするという言葉もあるくらいで、身体的なもの、生き物としてのどうしようも
なく現われるものとも、取れるので、これが一番いいようなで、これからは春はムカムカする
と、表現したいと思う。この辺りが一番落ち着いて、いいような感じだ。
やけに長いそうゆう冬というものを経験している。それで、例えばそれよりも以前、もっ
と厳しい冬があったのは事実だが、同じ条件でない、という問題は常にあり得る。人は若いとき
は生長もあるのだろうが、どう考えても老化と言われる時間、が長い気がする。すると、まだ
まだ若い気でいられるが、ついには、厄年などが近くなると、はて厄年って一体いつのこと、
ということになる。そんなこと気にするのは、この列島の住人くらいだよ、など言っていられる
のもある期間までで、この私もいろいろ辞書を引き、また辞書を引いた。ネットとかは関係が
なかった時代であったからだ。そのため、広辞苑を引き、また大辞林を引いた。それから、
数えがどうのこうのというのも何度となく調べて、またそれを調べなおした。しかし、お祓いと
かは自分でやることにして、つまりはなるべくおとなしく過ごしていたのだが、しかし今と
なっては、厄年って何のことなど思うので、ずいぶんと大人になったと思うが、早い話しが
老化したのである。これは、厄年と関係なく生きている限り、老化は進むもので、またそれを
止めることはできないものであろう。
気象のある条件というのを体験するというのは、ある意味で二度と同じことはない、といって
もいいくらいで、例えばこれくらいの北陸の雪で、あーだのこーだのいう若い人はまずは
いないと思う。そうゆう時間をわずかながら過ごした私は、それをいう資格もないのだが、多少
の雪で、寒さで閉口することはなかったのだ。で、それでも今生きている人も、若い人もお年
を召した人も、50年たてばみなそれだけ歳をとる。赤ん坊だって、50歳になってしまう。そう
ゆうときを今も未来も共有できるかというと、それはねー、出来ないだろうとか思うわけで
ある。
ムカムカの原因は、春が遅いというのと、老化というのがある。それが自論でしかし、これ
だけはどうしようもないものなので、また今年もムカムカしている。もう少し前だと、書いた
ように春が近くなると、どうしても「イライラ」しますね、など人と話しをしていた。それで
よかったようだ。これが、もっと昔だと、そうゆうものはなかったと思う。
今日は、朝から晴れて、部屋の中は、ある時間から急に温度は上がった。で、最高気温、
部屋の中は18℃くらいだろうか。そうなると、ときどき寒気がする。これもおかしなことで、
で外の気温は、というと5℃とか6℃で、多分間違いないと思うが、きのうより最高気温はたし
か午後3時までだと、今日の方が低いのである。6℃台であったと思う。時間だ、とか思って、
晴れ晴れとした外に出て、わかってはいるが、まずは少し震える。それくらいに寒さは明るさ
とは違って残っていて、空気はどうしたわけか暖かくはない。でも風は弱めである。歩くとこ
ろを変えても、季節はもう早春で、春ははっきりと見えていて、でもまだ雪が多いのである。
これが消えない、というのももうわかっているけれど、残念でもあって、一旦凍ったものが
よみがえるに時間と暖かさ、それと日の光が必要で、これが積算されないといけない。一体に
春らしさ、は明るさをのぞくと、それから日の出の時間、日の入りの時間も除いて、いつ
ごろになると現われるか。
それまで、もう少しイライラではなかった、ムカムカとタタカワナイといけなく、なんと
も面白みの欠ける最後となった。
なるべく、雪以外のものを並べてみました。
これは枝垂れ梅ですね。蕾は固いですが。あー明るい。
次は、ドウダンツツジ。これももう少し色があって、そろそろ花の蕾
が、という時間があっていいようですが。それがない。
杉ですね。色を見ていると、葉っぱの枯れ具合以外に、花粉のそれも
ありそうなで、今年もグシュグシュとなる時間が近いかも知れません。
これは雪原。といっても大平原の田んぼの雪は消えています。
スイセンの畑。久しぶりですが、いってみました。予想以上に
スイセンは弱っていて、回復が可能か危ぶまれます。
垣によく使われる、植物。ちょうど光が反対からやって来て、透過光に
なって明るさと赤い色の元気な感じ。ただ向こうに屋根があって、その
上は雪という複雑さ。
梅を三つ。
なかなか出ませんが、ちゃんと花が咲き、大きな実もなります。
南向きで、日当たり良好です。
エッジ出しを、少し弱くしていて、ぼんやり感があるかも。これも
春らしさか、と思って。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます