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光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

遠いむかしの思い出、いまの夕景。

2016-11-29 14:20:48 | 散策
  小学校6年生になったというとき、私は、堺市の百舌鳥という地域にいた。百舌鳥に、小学校はもちろん

  あった。私は、昭和29年の3月生まれ。

  その前に、父が勤めていた会社のたぶん「部長」といわれる、おえらいさんが来られた。

  上司というところ。苗字も覚えている。このときの話というとなぜか覚えている。関西弁だったか。

  内容、簡単に左遷。そのKさんという人は、たぶん「鳳」というところに住んでいて、・・・。

  帰るというとき、父と私は、車を捕まえるため、タクシーでもハイヤーでもいいが、探してそれは出来て

  住んでいた「うち」までは、その車で2分くらい。でそのあと、Kさんは帰ったはず。車で。


  その後、がある。父は何かの責任を取らされたというように覚えているが、しかし、これも本人以外

  誰も知らないだろう、と思う。母もである。姉ももちろんわからないと思う。

  近畿日本鉄道に、大阪線というのがある。阪和線からだと、少し面倒だが、たしか鶴橋という駅で、乗り換えた。

  約2時間で、紀伊半島を西からと東へと移動することになるが、これは格別苦痛ではなかった。

  紀伊半島は、なかなかいい。なかなかいいが、私は三重県の津というところに、越したことになって、

  そこのある小学校に転校。

  大阪から、三重。


  大阪という場所も、広い。鉄道網が発達しているからである。いろいろなところに、けっこう手軽にいける

  感じで、お隣の奈良県も同じ感じはする。ただ、和歌山、はちょっと大変で、高野山くらいしか

  いってない。

  奈良・京都は、三重県からだと、学校の旅行としてはいい。すでにいったことがある、そうゆう場所に、津の小学校、

  津の中学校、津の高校から、遠足で出かけた。


  大阪の南部、それから、和歌山、奈良、三重というところ。紀伊半島があって、紀伊山脈があって、何度地図を

  見ても、山深いところはわからない。だから、国鉄なり(当時)、近鉄なり、南海電車(鉄道)は頼もしかった。

  ただ、下手すると、帰って来られなくなるくらいで、これまた勘がいる。


  小さい列島の地図を大きくすると、どうなるか。これはわからないが、紀勢本線という鉄道はあって、

  私は乗ったことはないが、伊勢線というのも工事中だった。

  紀勢本線は、どこからどこまでか、いまは思い出せないが、関東圏もむかし話になるが、鉄道網は十分くらい

  あって、しかしどのくらいの路線を乗ったか。距離でも、会社でも、多くはないと思う。


  で、紀伊半島の鉄道というと、もっと乗ったところは少ないことになる。7年しか、津という街にいな

  かった。
 
  近鉄の、伊勢中川から、難波まで急行でおよそ100分くらいか。名古屋線と大阪線は、特急専用の路線以外

  つながっていない。

  もともと、三重の津という街にいて、さらに南、奈良県境、和歌山県境までいこうという意思はどう

  ゆうわけかなかった。


  大学で和歌山の田辺から来たという、1学年下の人と知り合いになった。

  潮岬、そうゆうところの話は、どうゆうわけか、したことはなかった。

  遠州、遠江の国とは、海つながりだと、さほど離れていない。


  11月24日。少し古い画像だが、違うカメラにあった。

  夕日、さそり(サソリ)の心臓のようにも思える。



  その一。




  その二。




  その三。




  その四。




  その五。




  その六。


  11月29日。今ごろ日が出て来て、少しまぶしい。



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