光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

違う場所に、違う花がある

2010-10-03 18:50:42 | 植物・花(秋)
  このところ、体は一つだが、三つくらいあると楽だなと思うことがある。やること
は同じで、一つひとつのことをやるのに時間がかかる。同じ時間だと、空疎なものが感
じられて、時間をかけると、それは焦げた魚のようになって、これはおいしいかどうか。
体というか分身あと二つあれば、とか思う。

  花に個性ありで、同じようなところで違うものが出てくる。



  タネは明かさなくても時間的にも、この一つ前の続き、白いシソ。オオ
  バ。はあまり興味ないというか。




  赤いシソは、これはわかりやすいのは、梅干しに必要というもの。これ
  など、例えば油が取れる。タネからというのがあるのか。これはなさそ
  う。色の美しさで需要があるのか。あるいは観賞用か。




  用水沿い。ときどきこちらの方向へと歩く。まー静かな時間である。




  上の花はヒャクニチソウで間違いなさそうだが、これはなんだかちょっ
  と違う。




  柿の木。この木もよく出る。これは昔からあるようで、この歩いている
  道も昔からある。ものすごく昔というと、遊びに来ていた子供のときで、
  道の幅は同じ。まわりの風景はまったく変わった。




  その道から少し離れて、刈り取りの終わった田んぼを眺めていた。その
  横にキバナコスモス。




  シジミチョウもこのところファイルにならない。いることはいるし、た
  くさんいるといっていい。ピタっと止まってくれるヤマトシジミは何日
  ぶりか。




  同じチョウを左から右から。




  このヤマトシジミに大小があって、小さいものはやけに小さい。地面に
  対してカメさんを反対にして、撮るのが近寄る方法としては楽。
  忘れてはいけない、美しいまだまだ咲くマツバギク。




  ケイトウのある道でもあってここのケイトウはさらに赤かった。それか
  らこれは、ダリアか菊かどっちかわからないが、同じようにまだ咲いて
  いる。



  今日は午前中は、お天気としてはそれこそ建物、いえの中にいる限り、さほどガタ
ガタするようなことはなく過ごしやすいというしかない。私のいるところのようにもの
が落ちるとかいうのはかなり個人的な問題で、そうでないところは過ごしやすさにおい
て変わりはない。それで、
  注文していた、母が寒いとか言い出すし、それから他の問題もあった、電気ひざ掛け
器がようやく届いた。待ちに待った形になったが、遅れたのは他の電気ヒータの入荷が
遅れたからで、電気ひざ掛け器そのものはすぐに入っていた。これが来たので、早速
こうゆうものを購入したからといって、

  開封して、ひざ掛け器を実際に使ってみることに。で、どうなったかというとその
ものが出て来たときは、なんだろうかという気持ちであったのだろう。で、右に左に
折りたたんで広げていろいろやってみたが、最後に今日は暖かいからいいわ、というこ
とになり、なおかつ箱の中に戻すことになった。

  多少はこうゆうことになるという気があったか。
  母は認知症である。でも、高齢だしこうなるのはごく当然。こうというのは物忘
れ。それから今まで出来たことが出来なくなる。例えば、物には賞味期限というものが
あって、それゆえ古いものから食べる。そうゆうものがなくても、昔から大体古いもの
から食べてということをしていた。そうゆうことがわからなくなる。しょうがないこ
とである。

  しばらくすると、またいつものように「急に寒くなってきたね」とかいう。さっき
まで暑い暑いと思っていたのに、今日はやけに足元がスースーするし、太ももの辺りが
冷たいよ。急に秋になったのだね。だから何か羽織るものが欲しい。それにしても昔の
人はよくいったものだよ。寒さ暑さも彼岸までとは。よくいったものだね。今日はそれ
にしても涼しいね、寒いくらいだよ。

  これに対して当然さっき電気ひざ掛けというのを出して、下に置いてあるけど、と言
う。でも、それに対してはほとんど無関心である。これがなんとなく歯痒くて。さら
に今日はなんども書くようだが比較的暖かい。
  暖簾に腕押しでもないが。

  きのうのあるとき、姉が子供のときに使っていた「お人形」のようなものを押入
れの奥に見つけた。そういえば、これは前にも見た。何十年前のお人形か。母も姉も
忘れてお人形は眠っている。



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