何が夏休みだか、わからない季節の時間があって、外に出るのもままならないときは、読書がある。とか、いえる人をうらやましく思う。読書と聞くと、寒気はしないが、総毛立つ感じもあって、精神衛生上これくらい好ましくないものはない。読書で、きょうは楽しい時間と過ごしました、読書三昧、読書の密かな楽しみ、読書週間、こうゆう本を読んでいます。皆さん、そうゆうことを書く方は、ちゃんと筋の通ったことを書かれていて、なるほど、説得力がある、そうゆうところは見習わないといけない。特に、まだ学校とかに行っている方は、今からでも遅くはない、君にだけはそれは言われたくはない、という気持ちはよくわかるが、本を読める人はたくさん読むのに越したことはないし。
問題は、本と聞くと、総毛立つ、人で、鳥肌になる人で、それでも週刊誌は読むという人は、まだいいと思う。週刊誌の広告を見て満足すると、これは先行きが思い遣られる。全く、自分のことで、それでも、もう少し本だけ読んでいれば、どうにかなったか、ということは、これもない。親は同じで、姉は読書家で、世界子供文学全集とかはまだ、物置に、お化けと、それから、もしかしたら、蛇とか、それからネズミとか、と一緒にそこにあるしいる。あるはずで、開かずの物置で、何がどうなっているか、開ける気もなく、ただ時間がたっている。
本を読まないといけないという気はしないが、本を読むと何かがあるという気はする。でも大概は最初の2、3ページで終わる。何度か読み直したものもあるが、記憶の時間が遅れているのか、もう何も出で来ないので、何かを引っ張り出すときも気の効いたことなど書けない。自分の言葉で、幼稚であっても、上等でなくっても、しゃれていなくても、偉い人の言葉の引用でなくてもいい。それでいいとかおっしゃられる人がおられるが、もっともなことで、でもそれをそうですかと鵜呑みには出来ない。ッ修行の結果がそこにあるので、並大抵でそれは言えないし、またそれが当てはまる例はない。
夏というと、夏休みの絵日記なども今も思い出しても、半分は楽しい。でも、半分は、お母さんに手伝ってもらってというのがこれは正直なところである。まー誰でもそうなので、これは特に隠すこともなく恒例で、実に楽しい親子の会話だが、これにも年齢もあるし、今は時代が時代だから、これ、通用しない。
読書感想文も苦い思い出のあるもので、まずは本選びがある。何とかの図鑑ではいけない。何とか文学全集にあるような、そうゆうところから引っ張ってこないといけない。情けない一言。もともと感想文というのも妙なもので、読んでもわからない、というのもある。これは書いているその人もそうかも知れないし、また何か書かないといけない、そうゆうときがあるが、そのときに書いていることの情けないことを知る。全く読書感想文は本嫌いを助長する以外に役に立たなかった。それは自分のことだけど。
本というと、昔は、ホシ一つ50円というのが相場のときがあって、さらに新書も150円だった。本というのは高いか安いかわからない時代があって、50円の本も読めないと、意味がなかった。そうゆうものを大切に持っていると、今ごろ高価な値が付く。しかし今、そうゆうことはない。なんでか知らないが本は高値である。昔から、本は安すぎるという言葉もあった。もっともなようだ。
今はどうか、本屋さんはここの近くにない。街の本屋さんも経営の方法が時代に通用せずか消えてゆくものもある。あったというべきか。本はこの辺では自家用車で買いに行くものとなってずいぶん時間がたった。だから最近はPR誌を購入して読んでいて、それも最近はさほど熱が入らない。本か、この先ずっと本は消えないが、やっぱり高値ということになりそうで、
悪夢の、読書感想文から、なんだか妙な方向にいってしまった。最近、珍しく一冊だけ形としては最後まで読んだ本が、薄いがある。値段は安いとはいえない。この後がある。それは「上」であって、「下」があるのである。全く何ということだろう。なぜ、上だけあって、下がないのか、買うときも不思議な気がしたが、読み終える気もなかった。今頃、「下」の本が気になるが、そっちの方がやけにむつかしそうで、上だけでよかった、かとも思う。
ま、読書感想文に関しては、そのようなことを書けば十分な気がするが、これでは通用しないか。
ぽろぽろと落ちてゆく、そうゆう花のファイル、それと
この夏は元気ない、ムクゲの今頃の様子。
カエデの色も、様々と教えてくれる、あるカエデ。
紫か、もも色か、これがアサガオならと思う。アサガオの咲いているのを
見ないのは、朝ではないからか。
お昼のヒルガオは、2回目で、この花は結構元気がある。
以下は、白のムクゲ。
今頃になって、花が出てきたし、また蕾の数も増した、白のムクゲ。
最近、きのうか一昨日、ようやく日の当たる、しかもキラキラとする、
そうゆうこの白のムクゲを見て、まずは普通に近い状態のファイル。
十分明るいので、露光補正はプラス。
白いものを白くする。ムクゲのムクゲらしさ。
眺める。
ただ、眺める。
白い。
問題は、本と聞くと、総毛立つ、人で、鳥肌になる人で、それでも週刊誌は読むという人は、まだいいと思う。週刊誌の広告を見て満足すると、これは先行きが思い遣られる。全く、自分のことで、それでも、もう少し本だけ読んでいれば、どうにかなったか、ということは、これもない。親は同じで、姉は読書家で、世界子供文学全集とかはまだ、物置に、お化けと、それから、もしかしたら、蛇とか、それからネズミとか、と一緒にそこにあるしいる。あるはずで、開かずの物置で、何がどうなっているか、開ける気もなく、ただ時間がたっている。
本を読まないといけないという気はしないが、本を読むと何かがあるという気はする。でも大概は最初の2、3ページで終わる。何度か読み直したものもあるが、記憶の時間が遅れているのか、もう何も出で来ないので、何かを引っ張り出すときも気の効いたことなど書けない。自分の言葉で、幼稚であっても、上等でなくっても、しゃれていなくても、偉い人の言葉の引用でなくてもいい。それでいいとかおっしゃられる人がおられるが、もっともなことで、でもそれをそうですかと鵜呑みには出来ない。ッ修行の結果がそこにあるので、並大抵でそれは言えないし、またそれが当てはまる例はない。
夏というと、夏休みの絵日記なども今も思い出しても、半分は楽しい。でも、半分は、お母さんに手伝ってもらってというのがこれは正直なところである。まー誰でもそうなので、これは特に隠すこともなく恒例で、実に楽しい親子の会話だが、これにも年齢もあるし、今は時代が時代だから、これ、通用しない。
読書感想文も苦い思い出のあるもので、まずは本選びがある。何とかの図鑑ではいけない。何とか文学全集にあるような、そうゆうところから引っ張ってこないといけない。情けない一言。もともと感想文というのも妙なもので、読んでもわからない、というのもある。これは書いているその人もそうかも知れないし、また何か書かないといけない、そうゆうときがあるが、そのときに書いていることの情けないことを知る。全く読書感想文は本嫌いを助長する以外に役に立たなかった。それは自分のことだけど。
本というと、昔は、ホシ一つ50円というのが相場のときがあって、さらに新書も150円だった。本というのは高いか安いかわからない時代があって、50円の本も読めないと、意味がなかった。そうゆうものを大切に持っていると、今ごろ高価な値が付く。しかし今、そうゆうことはない。なんでか知らないが本は高値である。昔から、本は安すぎるという言葉もあった。もっともなようだ。
今はどうか、本屋さんはここの近くにない。街の本屋さんも経営の方法が時代に通用せずか消えてゆくものもある。あったというべきか。本はこの辺では自家用車で買いに行くものとなってずいぶん時間がたった。だから最近はPR誌を購入して読んでいて、それも最近はさほど熱が入らない。本か、この先ずっと本は消えないが、やっぱり高値ということになりそうで、
悪夢の、読書感想文から、なんだか妙な方向にいってしまった。最近、珍しく一冊だけ形としては最後まで読んだ本が、薄いがある。値段は安いとはいえない。この後がある。それは「上」であって、「下」があるのである。全く何ということだろう。なぜ、上だけあって、下がないのか、買うときも不思議な気がしたが、読み終える気もなかった。今頃、「下」の本が気になるが、そっちの方がやけにむつかしそうで、上だけでよかった、かとも思う。
ま、読書感想文に関しては、そのようなことを書けば十分な気がするが、これでは通用しないか。
ぽろぽろと落ちてゆく、そうゆう花のファイル、それと
この夏は元気ない、ムクゲの今頃の様子。
カエデの色も、様々と教えてくれる、あるカエデ。
紫か、もも色か、これがアサガオならと思う。アサガオの咲いているのを
見ないのは、朝ではないからか。
お昼のヒルガオは、2回目で、この花は結構元気がある。
以下は、白のムクゲ。
今頃になって、花が出てきたし、また蕾の数も増した、白のムクゲ。
最近、きのうか一昨日、ようやく日の当たる、しかもキラキラとする、
そうゆうこの白のムクゲを見て、まずは普通に近い状態のファイル。
十分明るいので、露光補正はプラス。
白いものを白くする。ムクゲのムクゲらしさ。
眺める。
ただ、眺める。
白い。
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