光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

この水はどこから

2008-06-16 18:47:20 | 散策
  朝な夕な水のお世話になっている。どうもこれをまずは飲まないといけなくなっている。よくはわからないが、やはり水は飲まないといけないようだ。
  水だけ飲んでどのくらい生きられるそうゆう限界を考えるのは、あまり楽しくはない。でも、水だけ飲んでいればいい、というわけでもなく、他の何かがいる。

  どちらかというと、水は飲むほうでないか。今は気にすることもないが、どうも水を飲まなくて、体の調子がおかしいという状況になったことがあって、これはしかし年齢にはあまり関係はない。水をあまり飲まない人もいるし、やけに水にこだわる人もいる。わかりやすいのは熱中症での水の必要性で、これについては何度か同じことを書いている。それで、今の今も、やはり水は大切で、これをいつでも飲めるようにしている。コップにも汲んであるし、マイボトルも用意しているが、これはペットボトルで、2年以上同じものを使用している。
  水筒とかもある。これはさすがに、小学生のときのものではなく、ある程度時間がたって、わざわざ購入したものだが、これもどこかにいっている。山歩きのときに使った。結構ごつい。いくつかあるが、ふと今頃昔にペットボトルの如きものを携えて山を歩き、それを取り出してやけにゴクゴク飲んでいる、そうゆう人もおられたことを思い出した。しかしその中身は、不明である。

  河のそばに行くことはあまりないが、用水というとあちこちにあり、その、人工の水路を水がかなりの勢いで流れている。これに、特にエネルギは要らないようで、そのもとをたどると3000m級の山々の頂にいってしまうようである。そのくらいの高度の雪、あるいは氷は、半永久的に溶けないような気がする。特に沢筋の雪の溜まりやすい辺りでは万年雪では済まない、そうゆう昔に降った雪が残っているような気がするが、やはりそうゆうものはあるのであろう。
  でも、真夏、梅雨明けのしばらくに山はかなりいい機嫌となってその姿を見せてくれるが、その辺りはあまり雪はない。遠くから眺めても、山の上にもう白いものはない。でも、北側の斜面はどうだろうか。深く切れた谷筋では、まったくの未知の世界があって、その辺りに何万年ではきかない、そうゆう昔に降った雪がカチカチになって残っているのだろう。

  溶ける雪は水となって河を下るが、その中には地下にもぐるものもあって、これがなかなか不思議な現象ではある。いっそのこと多くの水は地下にしみ込んでくれて、平地辺りでこんこん湧き出てくれるといいが、そうもいかないようである。この地下水の起源というものもその年代に、シロウトはこれは恐らくは、4千年前くらいに降った、その雪のものが今になってここにあるなど、かなりに自由に想像することになる。これまた、スケールの大きい話しで、しかしそれは昔だ。
 
  今どきの用水を流れる水はやっぱりきのうの一昨日の雨だったりする。何千年前の雪かどうか、さらに去年の雪かどうか、さらには20世紀の雪かどうか、それを見極めるのはむつかしい。あまり意味のないことかも知れない。水がでて、すると、なぜか炭酸ガス、二酸化炭素も思い出されるが、今空気中に存在する炭酸ガスはどの辺りで発生したか、そうゆうことを考えることもある。近くで、物を燃やすと、やはり炭酸ガスは発生する。しかし、この辺りの風を考えると、遠く大陸からのものが起源であったりするのではないか、そうゆう風に思ったりもする。
  もっとも、これらは循環するし、これらの同じと考えられる原子だの分子を一々見分けることも、出来ないとかもいうらしい。これについて、どうのこうの考えるのは勝手だが、だからどうかなるというものではなさそうだ。





  水の流れ、用水のもの。なんだかきれいに見える、輝くものもある。あまりそのものの正体は追求しない方がよさそうだが。




  この変化の様子は、見ていてというか、ファイルになったものを後から見ると、楽しいものである。




  この茶色い色は多分、粘土質の土の色ではないか。わざわざ見ることもない、そうゆう風景である。

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