光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

モンシロチョウがいるのに、気が付かない瞬間

2010-04-05 18:53:17 | 散策
  例えば、チョウが撮りたいとかあるいは、あの花が出て来ていないか、そうゆうことも
考える。それで、花の場合は逃げないし、そこに行けば、だめならまた次の機会がある。それで、
時期を逃したというのはこれは自分のせいで、しょうがない。誰にも文句をいえない。
  カメさんで、人を撮るという人は多く、多分そうだ、記念写真で風景とか、それからものだ
けというのはつまらない。きっと子供のときも、写真機はあって、それが高価であって、効果的
でもあったようだ。なかなか昔はよかった。まだ、子供のときの写真というのは、残っている。
そのはずで、このところ、恐らく10年という単位で見ていない。もうないかも知れず、父は、どうゆ
うわけか、ヤシカの二眼レフを持っていて、それを壊したのは、私だ。その写真機で、撮ったもの
がどれかというのは、わからないもので、話しが遠い昔へいってしまった。

  今日は、今また晴れて、それで夕日が出ている。暖かさはあるが、内心は結構寒風が吹き
荒れる感じがある。それで、
  例えば、わずかな時間だか、それを利用して、近くで花を撮ったりもする。お天気が問題で、
撮り溜めしたりもするけど、何がどこにゆくかわからず、困るものでもあって、で、何かすっと
一本テーマが通れば、単純に進行する。例えばモンシロチョウを今年初めて撮ったとかいうのがあ
ると、それが、例えばアカタテハなら、さらにいいと思うけれど、そうゆうことはなく、でもそれ
は作業としては、楽でいやー今日はいい日だったとか思える。それでも、花々があればそれで
なんとか、ブログも出来るのでそれで十分だけど、どうしたらいいか悩むことも多い。何が何やら
わからん、そうゆう状態に花だけだとなってしまいがちで、うまくゆかない。

  そうゆう思いがありながら、今日は一瞬の時間でも、外の様子、花々の様子を撮ることが
出来てよかったけれど、無念というか、惜しいというか、目の前のきれいな花は逃げないが、それ
を見て、さて振り向きさっさと帰らないといけない、と早足になるときに、小さな青い花を付ける、
オオイヌノフグリにモンシロチョウが止まっていて、そこで蜜でも吸っていたのは間違いないだろ
うが、そうゆうものに気が付かない、鈍感さというのはいつも持ち合わせている。あーと声にならない
ものがでる。そこの場所はある方の畑でもあり、また草原でもあるが、持ち主の方は何か他の仕事を
されていて、そうゆう場合もちろん、挨拶をする。すいません、花撮らせてもらいます。で、持ち主の
方も、どうぞ好きなだけ撮っていってください、というありがたい、声を返してくれる。なんとも幸福
な瞬間であるけれど、それでも
  モンシロチョウが逃げてゆくとかはもちろん声に出来ない。しばらくそのチョウの行方を
追うが、ちょっと手の届かない方へいってしまった。

  これからは、そうゆう、春の雑草の生えている、その雑草がもう花を付ける場合が多い。だか
ら、そこのところに入ってゆく場合、かなり慎重に何かを狙う、生き物のように、ノソリのそりゆっく
りと、背をかがめて歩かないと、とも思うが、でもこの姿は少し怪しく、人がいないとどってこと
はない、とも言い切れない。こうゆうことをこれからやらないといけない、という思いを新たに
して、飛んでいった、そこに止まっていたはずのモンシロチョウを恨めしく眺めるのは、やはり
止めないといけないな。心配になって来るのは、もしかしたら、チョウの1羽も撮れないというか、
もう少しいうと、なんだか失敗することが多いのではないか、何かにつけて、とも思うこと。
これは、考え過ぎかも知れない。
  要は、気が付かない、そうゆうもののそばにいて、「取り逃がす」悔しさというものがある、
ということで、その失敗を繰り替えさないために、またまた怪しげなことをもしないといけない、
という問題も起こるということ。いろいろ、虫一つで、悩ましげなことがある。
 
  なんだか虫を取り逃がした、あるいは撮り逃がしたということの一行を書きたいだけで、これ
だけ長くなるのは、どうしてか。
  他ということで、ふとこれはどうしたと思うのは、皸(あかぎれ)、特に手の表側の皮膚が寒さと
か、水仕事で切れてしまう、という現象だが、それが今頃またやけに出てきて、それで記憶もないの
にまた新たに皮膚が薄っすら剥がれるということが起こるので、しみじみ自分の手の表側を見ると、
これはひどかった。カサカサである、ひび割れがひどく、それ以外に今にも切れそうな、さっと血が
出そうな状態の手の表側があって、少しというか、かなりびっくりとし、これだとタオルで手を
拭くだけで表皮が無くなるのも当然かと思う。ちょっと大仰かも知れないが、しかし皮膚はめくれ
てなくなっている。
  固いものにこすった記憶もないし。それで、慌ててオリーブ油、日本薬局方のちゃんとした医薬品
である、これを塗った。オーリブ油は浸透がゆっくりだけど、それでベタベタするが、でも薬だから
とか思う。なんだか気にしなくていいことも気にしないといけなく、やっぱりどっかしらおかしな
ところはあって、こうゆうことでビクビクしているという自分がいる。おかしさにも限度ありで、
それにしても、こうなるのは、手の洗いすぎしかない。それも
  ハンドソープとかも一つの原因だろう。


  いろいろあちこち、訪ね歩いて、PCのハードディスクの内部だけど
  結局、落ち着いたところ、は、平凡だったりもする。
  どうしてこうギクシャクするのか。




  しっとりとしたツバキ。




  ユキヤナギ、壮大さがある。どう見ても、空の星より花の数は多そうだ。
  これは今日も、また新しく撮った。この花の数は、それこそ無限に近い。




  青空に、まだ葉の芽が出ない、落葉広葉樹。この、新芽というのは、去
  年の冬にももう出来ていて、でまだ芽は出ないが、いよいよ出そうに
  なってきた。長かった。




  背の高い、ボケの花。これは、ベニコブシの下側にあるもの。




  青空に、カエデの新芽に、苔むす古木。




  よくはわからないが、また同じところにサギだと思える鳥がいて、
  この鳥あまり元気なく、体も汚れていて、毛づくろいをしている。
  さらに、サギは一本足で立っていて、それからしばらくして、首の
  下が痒いらしく、もう一本の足で、盛んに掻いている。この行為を
  ずいぶんと長く続けていた。



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