光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

日の出のころが一番違いがわかりやすい。8月31日、9月01日、朝の壮大さ。

2016-09-02 14:34:28 | 散策
  朝の5時ころ、空に雲があると、晴れ予報だが、雲が赤く燃える。水蒸気のせいかな。

  朝焼けって、いつごろのこと言うのだろうか。夕焼けはわかりやすいが、朝方の、動脈血の色を思わせる

  色に、これまたいくらか違いはあって、不可思議の一つだが、色は無限に出るものと考えていて、

  さほど間違っているとはいえないのだろう。 


  大気、空気、そんなこと考えていないが、トリチェリの真空というものがある一方で、大気圧がある。

  空気の圧力で、気圧と簡単に、でも最近書いていない。ヘクトパスカルもここでは使わなくなった。

  太陽はいくらか浮き上がって見えている。というのは覚えていて、そうゆうものかなと言うことである。

  太陽が、赤い色をして、それを見ていてまぶしくないときがある。地平から出た太陽、地平に沈む太陽。

  これらは大きく感じる。これからかね、大きな太陽が見えるのは。


  8月31日。すでに日は出ているはずで、ただこの方角だと、まだ山がある。立山連峰につながる、かなり

  高い山。この山々は海の方角に行くと、日本海になるが、むかし北陸本線で移動していたときは、線路は

  かなり海岸に近いところだった。暗い海があって大荒れで、反対側は崖であるので、結構なところだ。当時はさほど

  恐怖感はなかった。時代を遡れば、こうゆうところを歩いていた人がいる。命懸け。いまも同じか。


  越中の国で、北側は海で、そうでない方向はほぼ山しかない、これもかなり高い山で、あとは山を削る川があるが

  どのように人々は移動していたか、想像することは楽しいが、それをやれというのは、無理がある。超人を除いて。

  
  9月になったので、9月1日の、日の出の様子もある。この2日間、そこに見えているはずの景色、カメラではそれが

  写る。この時間、地平方向は肉眼では、まぶしくて見る気にもならない。でも、太陽がある景色で言うと、日の出か

  日没か、ということになる。



  8月31日。



  その一。厚ぼったい雲、これは少し見る方向を変えるとわかる。それでも覚えていない。




  その二。日は出ているはずだが、カメラのモニタも見たくないくらいだが、どうなっているのかな。




  その三。南東方向、こちらは、普通の空がある。色は青すぎるようだが。




  その四。




  その五。何かが変わって、少し明るくなって、部屋の中の明るさも変わった。雲がなくなったかな。
  それ以外に、まだお日様は出切っていなかったのか。だが調べると時間の差は、10分以上はある。

  12分くらい。すると違う。雲があるかないか、しかないか。




  その六。黒く見える雲は、眉毛のようでもある。



  9月01日。きのう。



  その七。




  その八。




  その九。夕焼けのような日の出で、目玉がある。
  この9月1日の日の出のこの後の方がおもしろそうで、続きを出す予定。


  今朝は、目覚ましが鳴る前に起きることはおきたが、まだ眠たかった。しかし、起きる時間なので起きた。

  9月だけど夏の天気だから、むさ苦しいのはいやなものだから、涼しいと一日くらいは、水だけ、お湯だけで体を

  洗うときもある。汗を流す。ホントの汗流し。

  それでも、洗濯ものは出る。そんなサボっていたという記憶はないのだが、きのうは、頭もシャンプーで

  洗った。で、Tシャツが1枚、ハンガーにぶら下がっていたが、Tシャツに関しては、他にはない。少し探した。

  これも、いろいろ古いものはあるが、いまは白いものしか着なくなって、でも5枚はある。洗濯機の中を

  見る。結構スカスカだけど、ないものはないので、もう夕飯作る時間に近いが、結局洗濯機を動かした。

  ないはずのないTシャツで押入れの中をも探した。いくらか、半袖は出て来たが、それにしては、なんか妙だ。


  妙だがないので、さらにいくらかのものを追加して、洗濯をして、これは別に驚くことではないが、

  きのうは9月になって、他のことでも、バタバタしていたので、けっこう疲れた。

  うーん、慌てて洗濯かー、記憶にないが。よく考えたら今日でもよかった。

  結論は、最後の「今日でもいいものはいい」。



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