光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

時間を遡って、日の出のころとそのサザンカ

2010-12-17 18:50:05 | 散策
  今頃となると、朝は少しだけ面白いが、寒い。下手をすると風邪引くし、外の道も、
まだ闇の感じがある。秋は明るさがあって、冬の今は、まだ朝日が出ても暗い感じはあ
る。
  外に出てわずかな時間で日の出の様子をと思う。日は雲に隠れたりで強くはなく、その
道を早出の中学生が、自転車を飛ばすか、普通にこいでゆく。一体このような早い時間か
ら学校にいって何をするのか。といつも思うのだが。
  朝日はちょうどいいというときがあるが雲があって、それから、サザンカは何度も
出たが、白いもので、朝の光に関係なく、ユルユルとした感じで咲いていた。さすがは北
陸のサザンカとか思ったりで、雪が降ろうがもちろん咲くだろう。




  あるところに雲。その雲の向こうにお日様、ちょっと惜しい。




  山々はしっかりとシルエットになって、そこにある。空の青さが少し足
  らない、これはあっさり目に設定してある。




  雲と木々に、太陽は隠れて、それで遠くに見える剱岳。小さく見えると
  きは小さい。大きくはなかなか出来ないが。




  これを見ていて、ちょうど気温が1℃と2℃の間の時間というものがわか
  るか、というとわからないだろうな。朝は冷えた、これはどこでも同じ
  ようだが。




  焦点距離を短くして。




  木の上か、雲のないところにちょうど太陽が出た。




  影絵にしてみる。てわかってやったことではないけど、すると太陽の放
  つ光条のようなものさえ見える。


  そろそろ時間もないし、また体が冷え切る。あとは後を向くとサザン
  カ。この朝の時間のサザンカはなかなか撮れない。



  霜が露になったかあるいは雨が残ったか。水滴のサザンカ。




  よろよろとしている。まるで自分のようで、そこに自分を重ねたり、ま
  た愛着もでる。




  小さいカメさんだと、小さい対象が一番よく写るとか思って。レンズも
  明るいし、被写界深度も浅いし、って、皆さん思うものかな。
  カメラも随分と冷たくなってしまった。


  そう、朝は早くから、中学生の皆さんが、学校に通うので、これはなんだか通勤のサラ
リーマンにも似ていて、そう早く学校にいって何をするとか、いろいろ思うものだけど、そ
の昔むかし、自分がそうゆう中学生のときもあったが、せいぜい、歩いて10分で着く距離で
もあるから、そんな早くに学校にいった記憶もない。せいぜい8時ころに歩き始めれば、十
分に間に合うもので、寒さだけは一人前にあったと思う。
  で中学生でもあるから、長ズボンとか履いていた、例の真っ黒なやつで、つまりは制
服。今でもこの辺りで、男の学生さんはその制服を着ていて、恐らく女の方も同じような
ものがあるのだろう。
  その黒い服というのもなんだかいいようで、悪いようで、小学生だと、普通の普段
着だった。で、小学生でも制服とかあると知った。少し驚いたが、まーそれはそれでいいか。
でもみょうに派手なというのもあるようだから、考えもので、結局着ているものなどは
自由でいいと思う。

  でも、寒いところに棲んでいると、どうしても冬は寒くて、そうは簡単に暖かいところ
へと移動など出来ず、あー今年も冬が来たと思うが、山の方では新雪もあった。ところが
平地では、雪は降った。初雪は観測はされた。でも積もっていないし、雪が今度いつ降る
かというのもわからないものである。今年も残り少ない。残り少なくて、なんだかなるよ
うになればいい、とか捨て鉢な考えに捕らわれる。去年は年賀ハガキは、16日くらいから
書き始めていて、それで、20日ころに出している。
  そうゆうものを5年日記を書きながら見るが、これは手帳を見ながら書き写したり、またそ
こだけに何か書いたりもする。余裕が5年日記にありそうで、そうでもない。これを2日ほった
らかしにすると、何がなんだかわからなくなる。自分も随分老いたと実感するし、嫌になる
ことも多い。

  5年日記は2007年から始めて、今年はだから4年目になる、残りは2011年、来年だけだ。
それで5年日記を見直すとか出来るかというと、これが出来ない。字が汚いから何が書いて
あるかわからない。字で思い出すとすると、
  姉は昔から同じ書体で、全然変わっていない。父とか母とかのそれは小さいころなど
知らない。当たり前だ。で、父の字だというのは結構遅い時間までわかる、死ぬ4年くらい
前の字があるが、それより昔と変わらない。そのときの年齢を考えるに結構な歳だ。母も少し
だけ字は下手になったと思うが、母らしい字をまだ書く。それに比べて自分の字はどうか。

  げっそりとする。固定したスタイルはない。例えば何かレポートとか手紙を書く、昔な
ら宿題の作文を書くというとき、読書感想文でもいい、一枚目はきれいにと思うが、二枚
目からはこれは文字ではないようにも自分にも思えて、困ったものだと思った。その後も
自分の字は変わった。最近書く、日記のようなものはひどい。でも
  これは変わらないというのがあると今頃思い出すと、年賀ハガキの文字。でも今年は
まだ書いてない、同じようで下手になってでも似ている。年賀ハガキなどいらないと思え
るならもうすこし流暢に書けるだろう。でも緊張して、間違えないようにだ、それを書く
から同じようなスタイルが残るのかな。

  全然ここの最初の書き初めと違うことを書いた。つまり、絵の説明で思っていたこと
をみな忘れた。



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