光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ふわふわと飛んでゆく

2007-10-24 18:58:04 | 散策
  秋のお天気とはこうゆう日のものをいうのかも知れない。
  なんだかわからないが、寒くも暑くもなく、しかしじっとしていると、冷たくも感じる。日が当たれば暑く、影に入れば涼しい。

  月が出ている。出る位置も変わった。ほぼ真東から、月の姿が見える。

  月の写真を望遠鏡を使って撮るときの話しで、架台は経緯台といわれるもの使っていると書いたが、これだと、上下左右に、つまり二方向の制御をして望遠鏡の視野の中に、月を入れておく必要がある。これが面倒でもある。
  さらに、だんだん満月に近づくと、月の大きさが、視野の中で占める割合が大きくなって、この微動による制御も頻繁にしないといけなくなる。これでは、この一番簡単な、望遠鏡を使った、月の撮影も出来なくなるというものだが、なかなかいい考え方があって、それは、望遠鏡を、地球の自転軸と平行な軸にのっけて、動かすというものである。

  北極に立ったときを考えてみると、星は皆、右から左に、反対でした、左から右に動いている。ここで、経緯台方式の架台にのった望遠鏡を操るには、特に月やら星の点像の写真を撮るには、上下のことは考えなくてすむから、左右方向のみの制御をやればいい。さらに、それは予想できるから、前もって少しずらして調整し、カメラの準備も出来たところで、ドンぴしゃり、目的の天体を視野の中央に入れることも余裕を持って可能になる。北極では、当たり前であるが、北極星は、真上に、ほぼだけど、見える。
  それなら、この辺りで標準的な北緯35度の辺りに住んでいる場合、望遠鏡の架台を左右方向に動かす軸を、ちょうど、北極星に向けてみる。そうすると、この場合でも、その一方向だけを制御出来れば、月なり、あるいは目的の天体を視野の中央に入れ続けることが出来る。さらに、前もって、少しずらして準備し、必要な瞬間に、それが真ん中に来るようにも出来るのではないか、という考えが思い付くが、それはずいぶんと昔から行なわれている。赤道儀式架台と呼ばれるもので、ほとんどの天体望遠鏡は、この方式を採用している。
  で、この経緯台式の架台はだめかというと、そうでもなく、これを赤道儀と同じようにするには、架台の平面のラインを、90度からその土地の緯度の角度を引いたもの、35度なら、90-35=55度を、地平に対して傾けるといい。
  だが実際、この作業は、それなりの装置が必要になるし、難儀でもある。ただ、理屈としてはこうすればいいということを、書いてみた。私の望遠鏡には、この装置もあることはある。ただ、難儀だから、場所もないから使わない。

  以上を簡潔に書くと、満月の写真を撮るのは大変であるということである。 

  ようやくタイトルの方にゆけそうである。といっても、いつものことだが結構しんどくなってきた。暑いのやら、寒いのが、交互にやって来るので、ちょっとやりきれない。
  タンポポの花は年がら年中咲いているが、咲いているように思えるが、するとそこには、綿菓子のようなふわふわしたものが、まあるく、球形の、お月さんのようなものが、最後には出来上がる。これを、毎度のように撮るし、たぶんこれからも撮る。いつ見てもいい。しかし、それをちょん切ってふっと吹いてみる気はない。



  思ったよりもやせている球形のタンポポの冠毛。羽が付いているから飛びそうである。



  ススキの穂、尾花、もゆらゆら風に揺れる。これを見ているとタンポポの冠毛にも似ているような気がして、揺れていてぼやけてもいるが、出してみた。 

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