光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

元日の、寒中歩行

2009-01-01 18:41:34 | 散策
  少しだけ、寒い中を歩いて来た。
  
  こんなことでいいのかと思いつつ、お昼の時間に、お笑い関係のTVを見ていて、これはこれで面白いし、また出演の方のご苦労というのもあるが、途中でTVを切る。このままズルズルいくのはよくないなー。どっかに罪悪感というものもあるのだろうか。きのうも少しだけ雪の中を歩いたが、これは歩いたうちにも入らない。その後の、あと始末というか一部濡れる機械の手入れというのが、その倍も時間がかかって、しかしこれはやっとかないといけない。

  それに比べると、歩くだけなら、まだ大丈夫だろう。幸い、風は弱めだ。風があって、雪やら雨が舞うとこれは少しつらい。体の慣れの問題もあるが、一般的には急激な温度の変化は避けるのが常識。しかし、ここのうちはもともと寒い。
  その他、寒い材料は多いが、それでも、きょうの場合は、体が行こうとする感じもあって、それで暖かめの格好をして外に出た。だれもいないわけでもないだろうが、雪のちらつく道は、大きな道を除くと、車もいつもより少ない。ただ、午後からのお出かけというのは、あるようで、ここの大きな道に出るとそれなりに、車は飛ばしている。きのうの宴の、その名残ももうないという時間かも知れない。

  大体の感じとしては、楽だなというのがあった。最近歩く頻度がぐっと落ちているし、距離も時間も少なめ。多けりゃいいという単純な理屈は成り立たないが、歩いていて、特に不安もないとこれは嬉しくなってくる。色々心配性なのである。

  歩いている人はいたか、これもはっきりもう思い出せない。記憶というのが、あまりないというのも、これは平穏だったということにつながる。なにか、頭の中で、雑念が生まれることもなかった。考えが浮ぶことや、大切なことを忘れていたということを思い出すこともある。でも、どちらかと言えば歩くときは、ただ歩くときは安全にさえ気を付けて、あとは無心でいるのが一番いい。

  少しだけ、ことしの1月号、PR誌を見ていて、そこにネコの物語というか、ネコの観察抄がこのところ連載されていて、ネコちゃんの不思議なものの見学をしている。へーというか、そうゆうことのない私としては、驚くことも多い。それだから、大体がネコの場合は、どこかに必ずいるということはなく、似たもので、イヌ、ワンちゃんを眺めるのを常としている。これをやろうと思う。が、ときに忘れる。このときは無心であってはいけない。少し道を変えると、他のワンちゃんにも会える。それはまたそのときで、きょうはほどほどに顔見知りのイヌ、の姿を見ることだけはやろうと思っていて、それはどうにか忘れずにやった。

  で、そのワンちゃんはどうだったか、まー普通であろう。一人目の老犬と思われるイヌは、段ボール箱の中に、毎度のものである、体を丸めて、眠っているようで、しかし特に寒そうには思えなかった。それから、もう一人のところはというと、ちょっと見にくい状態ではあったが、瞬間にその姿が見えたような気がする。いや見えたのに違いない。そのワンちゃんも寒いという感じを辺りに漂わせてはいなかった。
  ここまで来て、もうあと少しで、うちに戻るというとき、今のワンちゃんの状態を考えると、今日は特に寒いという日ではない、というようにも思えだした。なるほど、それなら特に、寒すぎて体が硬直するような、頭が割れるような、そうゆう感じもしないのが当たり前のようである。

  よって、でも一応は寒いから寒中歩行とし、寒中耐寒歩行というのは止めた。歩いていて、ちょっとした幸せを感じることも出来るという、そうゆう日でもあったようだ。


  同じようなところで、同じようなものを、ある程度数を押すと、その量は増えるが、出せる画像となると、使えるのはそのうちの一枚ということになって、もう少しあるかと思ったものが、もうなくなる。計算出来ないこのごろ。




  たしかこの日、今週の月曜だけは一番今に近い好天の日で、まだまだ青空に柿の実というのがあった。少しずつ数は減っているが、まだ多い。鳥が食べたと思われる、そうゆう柿の実もある。




  概して、寒々しい光景というのが多い。




  田園の、つまり田んぼのはずだが、ここはなぜか緑濃い。何度か出たが、普通の田んぼの今頃の状態ではないように思える。




  これも、最近は多い、薬師岳方面の絵だが、これは薬師岳よりも手前に見える、そうゆう山々がよくわかるものになっている。雲が、ちょうど高峰の辺りにかかっているのだろう。

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