7月13日は、午後、雨降ってあるいは大雨が降って、その後また晴れ上がって、という天気が繰り返された
日で、一喜一憂。なに、似ていないって。そうかも知れない。
一喜一憂は、何でもそうだが、うまくゆくかいかないか、自分の思った結果が出るかどうか、そうゆうときの
心情でもあると思うのだけど、ほとんどの場合、そのときだけの現象で、私もそうゆうことをよく思う。
いつものことの中に入ってしまう。言い方を変えると、自分のたとえば身体の痛みとかの程度も、
適当に薬を飲めば治る、一晩寝たら忘れた、そうゆう程度のものである。
気持ちの問題は、でも長引くかも知れない。一憂の場合だと。騙された、これは長引く。もうっ遠いむかしの話
だけどある告白をして、断られた。まーなんとでも書けるけど。落ちた、学校と会社、これはもうどれだけある
か。
いまの世の中で、それはないだろうということは起こる。何とか詐欺、振込みでは駄目で、「振り込め詐欺」。
私もなんとなく引っかかりそうな気がしてきた。政治は、コンゲームだ、とある作家は書いていた。これはもう
ずいぶんとむかしの作品でだが、この「コンゲーム」という言葉はよく思い出す。コンは、コンフィデンシャル、
のことだと思う。それだけ、ひどい体験をされた、からそうゆうことになるが、戦争の時期と重なっている。
いつもの間違い訂正:。コンゲームは、confidence gameのことです。
confidence man、in confidence、など辞書で出ています。
私も、けっこうコロコロ、考えは変わるが、残念ながらたとえば会社で出世とかはない。途中で辞めた。
あるいは有名大学を出た、入学試験に受からないと駄目だがもちろんなかった。人並みの生活をやった、やれたと
いうことはないので、特に母は、裏切られたと心底思っていたようである。ただ、多少は、父と母の血は引いて
いるので、とも思ったりもする。
その、コロコロ変わる考えだが、いまは、判官びいき、と言うしかない。ほうがんびいき。
若いころ、子供のときからそうだったか、それは違う。結構生意気だったので、転校生でもあったので、もち
ろん、いじめられた。もっとも、小学生までである。
中学とかになると、私がそうゆうことを感じたことはない。他の人のことはもちろんわかるわけがない。
高校生だとどうなるかというと、相手にされない。この言い方もいろいろで、同じような人間は集まるもので
格別寂しい思いをしたことはない。
こうゆうところ、「いま」は常に時間は新しくなるが、ずいぶんと違うと思う。
コロコロ変わるのは、考え方だけかというと、違った。身体の調子が、というのは多かったが、何度も書いて
いるので、止める。思想とか世界観ではない、身体に現われることである。でも身体の変化、あるいは
気の持ちようは、ほとんど同じことを言っていて、分けることは間違っている。そうゆう考えは変わらない。
心身ともに変わっていって、当然で、しかし、立場的に、優位であるということがないので、その変わり方は
大きな声では言えない。自慢もくそもないということで、私は静かにしている、あるいはいえに篭っている、という
時間も長かった。
どうゆうように、変化してゆくかということで、変化にさまざまで、進化かというと、それはなく、退化とか
あるような気はする。変化というと、「運動」ということを思い出す。
最近、似た言葉を聞くことがある。運動の変化で、私としては、本の中に閉じ込めておきたい。
変化というと「退化」が思い出されて、赤信号を見ると、減速して止めないといけない場合がある。
なんでもぶっ飛ばせばいい、といっても、具体的には出来ない。
改良とかはある。病気に悪化がある、景気も同じで、病気の場合、これは快方に向かった方がいい。
この国に、1億人以上の人間が棲んでいる。考えかたも同じ数だけあると、私は思っていて、みな同じには絶対に
なれない。これもはっきりとしている。最低限の共通のルール、約束ごとは、もちろんないと集団生活はあり
得ない。
おかしいことはおかしいのである。もっとも、手の届かないところ、場所、空間はあって、実際というのは
わからない。
地球は丸い。この認識を実感するのはむつかしいが、丸い。
7月13日、青空に白い雲で、プリズム現象。
その一。
その似。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。
まー話にならない話を書いた。
日で、一喜一憂。なに、似ていないって。そうかも知れない。
一喜一憂は、何でもそうだが、うまくゆくかいかないか、自分の思った結果が出るかどうか、そうゆうときの
心情でもあると思うのだけど、ほとんどの場合、そのときだけの現象で、私もそうゆうことをよく思う。
いつものことの中に入ってしまう。言い方を変えると、自分のたとえば身体の痛みとかの程度も、
適当に薬を飲めば治る、一晩寝たら忘れた、そうゆう程度のものである。
気持ちの問題は、でも長引くかも知れない。一憂の場合だと。騙された、これは長引く。もうっ遠いむかしの話
だけどある告白をして、断られた。まーなんとでも書けるけど。落ちた、学校と会社、これはもうどれだけある
か。
いまの世の中で、それはないだろうということは起こる。何とか詐欺、振込みでは駄目で、「振り込め詐欺」。
私もなんとなく引っかかりそうな気がしてきた。政治は、コンゲームだ、とある作家は書いていた。これはもう
ずいぶんとむかしの作品でだが、この「コンゲーム」という言葉はよく思い出す。コンは、コンフィデンシャル、
のことだと思う。それだけ、ひどい体験をされた、からそうゆうことになるが、戦争の時期と重なっている。
いつもの間違い訂正:。コンゲームは、confidence gameのことです。
confidence man、in confidence、など辞書で出ています。
私も、けっこうコロコロ、考えは変わるが、残念ながらたとえば会社で出世とかはない。途中で辞めた。
あるいは有名大学を出た、入学試験に受からないと駄目だがもちろんなかった。人並みの生活をやった、やれたと
いうことはないので、特に母は、裏切られたと心底思っていたようである。ただ、多少は、父と母の血は引いて
いるので、とも思ったりもする。
その、コロコロ変わる考えだが、いまは、判官びいき、と言うしかない。ほうがんびいき。
若いころ、子供のときからそうだったか、それは違う。結構生意気だったので、転校生でもあったので、もち
ろん、いじめられた。もっとも、小学生までである。
中学とかになると、私がそうゆうことを感じたことはない。他の人のことはもちろんわかるわけがない。
高校生だとどうなるかというと、相手にされない。この言い方もいろいろで、同じような人間は集まるもので
格別寂しい思いをしたことはない。
こうゆうところ、「いま」は常に時間は新しくなるが、ずいぶんと違うと思う。
コロコロ変わるのは、考え方だけかというと、違った。身体の調子が、というのは多かったが、何度も書いて
いるので、止める。思想とか世界観ではない、身体に現われることである。でも身体の変化、あるいは
気の持ちようは、ほとんど同じことを言っていて、分けることは間違っている。そうゆう考えは変わらない。
心身ともに変わっていって、当然で、しかし、立場的に、優位であるということがないので、その変わり方は
大きな声では言えない。自慢もくそもないということで、私は静かにしている、あるいはいえに篭っている、という
時間も長かった。
どうゆうように、変化してゆくかということで、変化にさまざまで、進化かというと、それはなく、退化とか
あるような気はする。変化というと、「運動」ということを思い出す。
最近、似た言葉を聞くことがある。運動の変化で、私としては、本の中に閉じ込めておきたい。
変化というと「退化」が思い出されて、赤信号を見ると、減速して止めないといけない場合がある。
なんでもぶっ飛ばせばいい、といっても、具体的には出来ない。
改良とかはある。病気に悪化がある、景気も同じで、病気の場合、これは快方に向かった方がいい。
この国に、1億人以上の人間が棲んでいる。考えかたも同じ数だけあると、私は思っていて、みな同じには絶対に
なれない。これもはっきりとしている。最低限の共通のルール、約束ごとは、もちろんないと集団生活はあり
得ない。
おかしいことはおかしいのである。もっとも、手の届かないところ、場所、空間はあって、実際というのは
わからない。
地球は丸い。この認識を実感するのはむつかしいが、丸い。
7月13日、青空に白い雲で、プリズム現象。
その一。
その似。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。
まー話にならない話を書いた。
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