光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

救急車の乗り方

2006-03-27 19:46:10 | なんでも
  ぱっとしない出来事ですけど。何かのお役に立てばと思って。
  去年の12月、まだ大雪になると分からなかったとき、父の具合が悪くなって。どんな病気かは具体的にかけませんけど、塩酸ドネペジルを飲んでいるといえば、だいたいお察しがつくと思います。土曜の夜のもう10時ころでした。どうも、今までにない感じは私は夕食時から分かっていましたが。ここは、病気のことには関係なく、素人ですから、出来事を中心に。
  立てないんですね。さて、どうするか、いずれ連絡しなければいけないことですけど、ただ119番をまわすかどうか躊躇、姉にまず連絡。答えは決まっていて早く電話しろ。それで、寝巻きスタイルで、119、火事ですか救急ですかといわれるので、救急。特にあわてることはありませんでした。住所、名前を言って。
  私は、出かける用意をしないといけないと思いました。もう、ピーポーピーポーのサイレンが聞こえます。パジャマの上に、いろいろ着込んで。後、やはり、お金がいると思い、財布は入れました。しかし。金種までは気がつかなかった。これは、後になってことですが、連絡には、小銭、十円玉か、あるいはカードがあったほうがいい。携帯の時代だけど、みな持ってるわけでないし。
  もう、救急隊の人が来ています。病人は、パジャマかそれ以外に何を着ていたか、覚えていませんが、ただ、隊員の人は、早く病院に搬送する事を考えておられるので、毛布等をかけて、すぐに担架に載せます。当然です。
  休日なので、しかも夜、ほとんどそうだと思いますが、本来は、当番の大病院に行くことになります。が、通院してる、救急受付をやる大病院です、診察カードを救急隊の人に見せました。これは、救急隊の人が先に言ってくれたのかもしれません。このほか、むろん健康保険証etcなども、持ちます。母が、震えていますが、ちゃんと出してくれました。
  不思議なことに、そとに見物人がいた気がします。私が、付き添いで乗ります。救急車のなかは暖かい。すぐに、酸素マスク、血圧、温度計などが病人に施されて、ピーピーと言う心電図のようなモニタが出ます。さきに、当番医でなく、かかってる病院の方に連絡を入れてくれたようです。この間も、救急隊の人は、いろいろ病人に話しかけ、励ましてくれています。私は、一応こうゆう症状ですということを話すくらいで、それ以上できることはありません。中が、暖かいので、父は、少しずつ元気になってるようです。車は、まだ動いていません。中は、暖かくかつ明るいので、安心ですが、自分がどこにいるのかは、まったく分かりません。幸い、かかってる病院で受け入れてくれることになりました。知ってる病院ですし、遠くはないので、助かりました。
  ようやく、サイレンがなり車が動き出しました。知ってる道を走っているはずですが、外は真っ暗のはずで加えて中からは何も見えません。ただ、がたがたは揺れます。さて、長くなりそうなので、この続きはまた。こうゆう事をかけるということは、まだ父は元気だということです。ただ、病気が病気だけに。
  

最新の画像もっと見る

コメントを投稿