光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

暖かな世界

2008-01-05 18:59:14 | 散策
  今年の新聞の一面の左上は、「認知症」といわれる病の現実から始まっている。

  暖かな世界というか、あったかい世界というものを、考えてみる。
  かまくら。今辞書を見ているが、小正月に行なう行事とある。それで、最近はTVにも写ることがないのだろうか。それはさておき、かまくら、である。外は雪、中も雪で、その中で明かりがともされる。暖かそうである。実際のところ、それを作った経験もないし、その中も体験していない。しかし、どうも中に入って震えている様子もないところを見ると、暖かな世界のような気もしてくる。あったかい世界というのがピタリな気がする。それから、しばらく沈黙する。
  そうか、今朝見た、TVで見た、魚市場の光景というのも熱そうである。息は白いが、湯気が出ている気もする。ブリがあがった。年末にようやく大漁となり、年始の今日もかなりな本数があがったようで、浜は威勢のいい掛け声が飛び交う。これらの魚が、というよりこのブリが、どのようになってゆくのか、その先というのはちょっと想像はつかないが、高級な感じのするお店にゆくようである。

  ちょっと位置が違うが、今は南極はずっとお日様が出ているのではなかろうか。南極のことなどめったに思い浮かばないが、この時期の南極は暖かそうだ。それも、普段と比べてのようだが、まずは、南極に行こうとされている方は、寒さなんかヘッチャラでないといけない。そうでないと「行けない」し、いけない。それで、太陽が沈むことのない時間を過ごすわけだが、これは、やはり暖かいという気がする。マイナスの世界がプラスに転じることもあるのではないか。でも、もしいいお天気が続いて、晴れが続くと今度は暗い時間、漆黒の闇の時間がなくなって、今度は不眠症になるかも知れない。なかなかうまくいかないものだ。もっとも、南極だと、そういいお天気は続きそうになく、嵐の日が続きそうで、そっちの方が怖そうである。
  それから、これもTVの世界でしか知らないが、ある程度の高さの、あるところまで登っていって、雪の降る、周りには何もないところにぽつんと、少し黒い点が見えることがあって、そこがわずか直径2m足らずの温泉という場合がある。ここに入らないといけない。これなど、何とも言いようのない暖かさというか、地獄に足を踏み入れる感もあるが、これを見ていると、暖かさ、あったかさというより、そこに出演されている方の安否を気遣わないといけなくなるだろう。

  ようやく身近なもので、氷の世界というものが思い浮かんだ。スキー場もあるが、ここはスケートリンクといきたい。スキーはやったことがないので、ここは少しは滑ったことのある、スケートリンクを想像する。そういえば、新聞にフィギュア・スケートのことが出ていた。選手の方は、かなり暖かそうで、それから応援をされている人もかなり熱くなっている。これをコタツに入って見ていると、暖かいのは当然だった。

  色々、暖かいところ、あったかそうな世界はあるものだ。もっと身近だと、ここの昔の家の今頃の温度は言わないことにして、はるかむかし、今よりずっと低い温度で、祖母は今日は暖かいと言った。これなど、まことに耳の痛い話しである。

  それで、少し寒い世界という表現が適当なもの。




  これは今日撮ってきたものだけど、田んぼの雪は溶けていない。この上を風が舞ってゆくわけだが、この風が冷たい。少し、暖かだったきのう、




  凍傷にかかっているようなサザンカの花弁、離れて眺めてみると、いつもと変わらぬ暖かそうな色に見える。そういえば、このときは、実際日が当たっていて暖かだった。

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