光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

夏休みが近いから、というわけでもないけれど。

2017-07-17 14:04:05 | 散策
  朝は、もしかして、このまま雨かなと思う。そうでもないようである。

  きのうから、洗濯と、洗濯と、洗濯と、と頭の中で考えている。でも洗濯している夢は出て来な

  かった。でも、洗濯は、予定通り、午前の9時ころからやった。洗濯槽にすでに入っているものがある。

  早い話が、脱いだものは、洗濯機の中へ、ぽい。

  しかし、乾くか、というと乾かないだろうと、思う。湿気が多い。そこまで神経質になることはない。

  洗濯機に、特に異常はないようである。冷蔵庫も一応正常。


  なにか、考えていたのだが、忘れてしまった。

  食べ物、毎度のお悩み。まだお店があった頃、そうゆう心配はなかった。つまり、大正生まれの人がいて

  という時代でもある。これは昭和でいうと、10年くらいまでの方でもいいかな。

  昭和は、20年で、そのときの西暦は、1945年で、すでに忘れている人もいる。

  なかなかむつかしい問題だが、大正15年は、1926年で、昭和元年も、1926年のはずである。

  1927年がある、1928年、1929年、1930年も。これは、昭和でいうと、2、3、4、5 年となる。

  これで、ようやく、1945年は、昭和20年ということは、自明になりそう。

  食べ物の関係で、と思ったが、もう少しお若い方も入れて、昭和の20年くらいの生まれの方も、私の

  感覚では、もちろん前提として、スーパーなるお店があって、ということになるが、買い物で悩むことは

  なかった。違うかも知れないな。もののない時代はあったので。


  ときどき話をする、姪っ子だが、感じとしては、生まれてしばらくして、初めて会ったときから、印象は

  変わらない。それから、何年たったのだろうか。

  いまは立場は、様々な点で完全に逆転している。しかし、彼女にしても、困っている問題はあって、借金して

  大学にいっているので、遠いむかしに卒業はしたが、まだまだ、借りた奨学金という、負の遺産は残っている。

  いつごろ返し終わることになるか、聞いていない。でも顔色を見ていると、まだまだのようだ。

  これは、いまの時代、学校の先生としても、いくら決まりだからと言って、心苦しいに違いない。

  なんとも思わない、というのは、奨学金は、もらうという感覚が残っている、時代の人間。

  もっとも、私も、100万円くらいの負債はあって、このいくらかは、お金がなくなったので、親に頼んで払って

  もらった。

  最後の一回だったかな。


  で、学校の先生となると、これまた、もう「大学法人」という、転回があって、身分は公務員でもなんでも

  ない。借金して、先生になっている方だと、自分で何とかするのが当たり前だ、ということにもなる。

  「学生の勉強不足がいけない」、こういう言い方が出来るようになる。自分の教え方がどうの、ということを考える

  こともないかも知れない。


  むかしは、勉強は自分でするものだったと思う。そうゆう人はいくらでもいる。いまは、どこで生まれようが

  どこの大学を出ようが関係のない時代である。必要とされる人は、引く手数多で、その逆がある。

  こうなると、休みもなくなる。お金は自分でかせいで、もう中学生の時代から、株で儲けないといけない、と

  なる。

  こうなると、怖いものはない。このさきは、もう止めておこう。


  こうゆうことを書こうという考えはなかったので。

  それゆえ、夏休みも、学校にいって勉強をする。お金をかせぐために、その後で、また働く。

  夏休みは、なくなった、ということになる。


  7月17日、朝の雨。




  その一。旺盛。




  その二。




  その三。




  その四。




  その五。




  その六。




  その七。



  先ほどまで、なにを考えていたのだろうか。

  夏だから、暑いものを食べる、かな。



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