光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

取り残されるという事実

2007-10-01 19:14:42 | 散策
  ネットの環境は、昔と変わっていない。もう丸5年くらい前になるのかな、どうにか、定額制のシステムに変えて、それで多少はネットの怖さも雑誌に出ていたりして。まずどうするかその辺りをハードのレベルでは、ルータの導入が不可欠と知って、わからないまま、購入した製品の会社のページを見たり、他の会社のファイアウォール関係の設定などを、机の前に紙切れをおいて、そのよくわからない、暗号のようなもの、数字、3桁だったり、4桁だったりする、そうゆうものを写していた。昔のことだからはっきりは思い出せないが、それなりに、これは通さない、これは通すなど、最低限のハードレベルでの設定をして、その紙はまだ、使用説明書と一緒に置いてある。
  それが、最近は、なにかあるとネットが通じない、正常に機能しない気がして、そのルータの説明書を頼りに、ルータのページに行ってみた。そこには、ちゃんと昔のままのものが保存されていて、機能はしているようで、しかし、どうしてこのようになっているのか、まったくわからない感じがして、これ以上さわるとかえっておかしくなるかとも思い、あわてて、そーーっと、そのルータのページを恐る恐る閉じた。
  それからしばらくして、これは本当にネットが使えない状態になって、このことは少し書いたけれども、これはプロバイダ側に問題はあって、時間がたてば通信は可能になった。ここで、例えば、新しいシステムに変えるなどして、このルータを最初から設定し直さないといけない、そうゆう事にもしかなったとしたら、これはお手上げだなと、心底から思って、自分の老化の進み具合を知ることになる。
  これ以外に、例えば最近は面倒の一点張りで、ガスコンロを使うことが極端に減った。電気が止まった場合、ここで残されている、使える道具はガスコンロくらいであるが、それもいざ、火が付かないなどいわれてすぐに直せないことがわかると、また、おかしくもなる。元々、電池が減っていて、パチパチいう間隔が長くなっていることはわかっているが、いざ電池を取り替えて、新品に換えて、ぱちぱちの間隔が、結構早くなっているにもかかわらず、あるコンロのその発火装置だけ光っていないと知ると、さすがにムッと来る。こんなことは当たり前の事で、しかしその理由がわからない。
  いまだ、大体が有線ですべてのことに対処している。ラジオとTVは違う。しかし、TVのアンテナも取り替えるのが大変そうで、これを有線に変えようという考え方も残されているのがおかしい。それにしても、なんでも無線にすればいいといっても、使える帯域がないという、傑作なことが起こっていて、これまた世の中どうなっているのということになる。でも、そのうち、有線タイプは消えていって、おしなべて無線しかなくなる日も遠くないとすると、これは困ったことになる。
  何にも出来ないという気分になる。糸を針の穴に通すことも出来ないし、ガスコンロのちょっとしたトラブルにも対処できない。買い物に行っても、あわやお金だけ払って、買ったものを忘れてくるところであったが、店の人が親切に、手渡してくれた。どうも、かなり”むかむか”しているが、これも老化のせいである。この老化に対する有効な手段は、今のところ見つからないのである。どうにか、この書き込みをやっているが、そのうちこれのやり方も忘れるようになったらどうしようか。この心配のループは、有界であると思われるが、なんとなく底なしのような気もする。

  秋らしくなって、それで、やはりこれは秋だという風景に出会う。これをめでている自分もある。ここで、一休み。休憩。球形に近いもの。



  緑やら茶色になっている実は、これはツバキの実だろうと思う。このツバキの実から油が取れそうな気もするが、これはオリーブの勘違いかも知れない。左の大きな木はカエデ、これは実際かなり大きい。



  これも、木になっている、その実であるけれど、こんないつまでも木にくっ付いているのも、なかなか見ない。”まあるい”ものに、また”まあるい”水滴が付いているが、これを直接見ることは少ない。

  どちらも、普段の年とは違うような様子を呈していて、しかしこれが当たり前のように、そのうちなるかなーとも思う。  

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