光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

流星雨と雨乞いの儀式

2007-08-14 18:58:34 | 散策
  今日も暑い一日で始まり、そのままで終わりそうで、半ば諦観、あくまでも半ばだけど。
  一体、今頃の天気というのはどんなものか、なにか具体的なものが思い浮かぶといいのだが。例えば、雷雲の発生、いかにも電子が、負の電荷が空気中にたまっているようで、よって地上では、特に静電気対策は必要ないみたいだ。さらに、朝になって気温が少し下がれば、水蒸気は、水になって葉っぱに水玉を作るわけだし、それなら、たまには、堂々とお昼からでも、まーお昼はちょと早いなら、3時ころからでもいい、ゴロゴロと来て、ザザザザと、にわかに雨が降ってくれればいいが、そう期待したいのだが、なぜか降らない。
  私は、毎日かなりの汗をかいているし、水だって、なんかもったいないと思いつつ、結構使っていて、それらは、海やら川やらに流れて行く。それなら、これだけ暑いし、水だって激しく振動して、一旦水蒸気になり、それから、それが途中で、ちょっと一休みして雨になる、なんて事があっていいように思うが、それがない。本の少し、雲がかかってこれは夕立かも、また落雷があるかもと思うが、雲は涼しそうに通過して、また酷暑が戻った。
  流星、流れ星も、普段はなかなか見えない。しかし、特に何々流星群と名が付かない流星というものはあって、かならずと言っていいと思うが、この地球の大気に毎日のように、突入する粒子や塵やゴミはあるものである。さらに、人工衛星の壊れたものの破片なども、大気圏に突っ込んでくると、流星と同じように発光する。塵などが大きいと、火球となり、これは全国をお騒がせする。
  太平洋側で、季節が冬であると、この流星の見える確率はかなり高い。俗にゆう散在流星は、結構見えるもので、私もさほど明るくない住宅街を歩いていて、寒さに震えながら空を見上げると、さっと星が流れたりして、その美しさに圧倒されたものである。
  それで、流星群と呼ばれるものが、ときに、もはや一個あった、二個見ましたのレベルでなく、たぶん誰もが自分の目を疑うが、半ば連続的に止むことなく、見えることがあって、人々を震え上がらせた。これが、流星雨と言われるもので、こうなると、もはや、観測などりゅうちょうな事は言ってられなくなる。どんどん降ってくる、止むことを知らない。さらに、直進するものもあり、ついには地球上に降りるまでに燃え尽きずに、物体として残ったりする。こうゆう想像をしてみると、まー、少しは暑さに耐えられるような気もしないことはなく、雨も降らないのも、まーしょうがないか、そう考えてしまうのである。
  自分を冷却しないといけない。

  暑いので、少し木のある所へ行く。木漏れ日が見えるか見えないかというのが、面白く思える。また、この辺りは、あまり安全とはいえないが、用水も流れていて、十分に注意して、あるものを見つめると、なにか妙なものさえ見えてくる。  



  これは、イチョウの木だと思う。この辺りで、このイチョウを見るのは珍しい。葉の向こうに、太陽があるが、境目辺りを狙ってみた。



  こちらは何かというと、用水に反射する太陽光である。ちょうど見つめているところが、用水の水面で、そこに太陽光が当たっている。これを撮るときは、もうファインダなど見ないで、勘でやらないといけない。で、出来上がったものを見て、自分でも最初はなにがなんやら、わからなかった。 
  個人的な感想だが、遠い宇宙の、私などが撮る事が出来ない、もう銀河とかそれの集団しか写っていない、深宇宙のような感じもあって、取り上げてみました。

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