星空関係が続いて、なかなか続かず、休憩状態。
気になって忘れているものは多い。髭がすぐに伸びる。電気剃刀で、剃ればそるほど髭は伸びる感じ。
気にはなるが、まだそれをやるのはいまではない。これで3日か4日たつ。社会人だと考えられないか。でも、髭が
似合う人は、あるいはたまに頭を丸刈りにするように、気持ちを変えるつもりで、ヤギさん状態まで伸ばす
人もいる。でも私の場合、人相はよくはない。
これもむかしの話だが、当時は国鉄であった上野駅で、帰省のため、そのときは帰るいえは「ここ」のいえだったけど、
列車の出発時刻までは時間あって、そうゆうものだったのである。適当に、駅の構内で新聞でも持って、待っていると
妙なおじさんが、なにを勘違いしたのか、一言二言。こちらはそうゆう経験ないので、ピンと来ないのだが、家出の
お兄ちゃんみたいに思われたらしい。その筋にいろいろだが、感じとしては職探し、と思われた。あっちではなかった。
それは、夜のギラギラとしている、田舎の常磐線の駅でも毎度のように、待ち受けていた。
足は一番危ないと思うが、爪も指の爪である、やたら伸びる。いま、手洗いに、石鹸を使う。ハンドソープは、便利な
ようで、すぐになくなる。石鹸だと、そうゆうことはないが、これが爪伸ばしていると爪と指の間に入る。
非常によくこれが起こる。恐らく、爪は毎日切るのが普通だと思う。その習慣なく、今日思い始めて3日目で切った。
もっとも、間は一週間くらい。
TVの音も気になるが、ラジオも同じで、耳のそばだとやたら音が大きく感じる。デジタルだから、音量も数表示だが
感じるものは違うので、毎度ボタンはどこか探している。だからアナログの、あの大きな丸いボリューム調整用の
ダイヤルが懐かしく、これは理屈では無段階に調節できるが、左右の音の大きさが違ったりで、しかしそれも許すことは
出来た。
デジタル録音がいまは出来る、ラジオで。結構、音の質は高めの設定で、1週間に5時間。SDカード、8ギガバイトを使うが
残り時間が10時間切ると、やばいと思う。きのうはもう夜だったが、三週ほどやっていなく、しかたなしに、中身を
PCのディスクにコピーした。いまはやっているが、恐らくそのうちにやらなくなるかな。いつもは、ゴンチチさんの
番組である。ときに、そこはちょっとというときがあるが、概して問題なく、またこれもおかしなことだが、5日間は
それを鳴らしているが、気が付くと、同じ箇所だったりもする。ゴンチチさんとは、これも後からわかったが
同じ年代ということになって、当時の大阪とか関西の話を聞くことが出来るが、しかし私のほうがはるかに田舎のようで
都会といっていいところでの生活とは、わずかにときにはなはだしい、乖離というものを感じる。
忘れ物、あるいはこれはやっておかないとなというのは、それこそいくらでもありそうだが、そのこともいまは忘れている。
日が出たり、雨がぱらついたり、雲で覆われたり、しかし気温は上がっていて、気象台だと、30℃を越している。
当てにならない、目の前にある温度計も、30℃を越して、30.7℃くらい。じとっと汗。
ここでもそうだけど、あいまいな言葉、あるいは急に自信がなくなったりすると、別のタブを開いて、俗にゆうネット検索、
エンサイクロペディアを参照する。書いたあと、同じく、その文字を、使うのはグーグルがどうしても多いが、間違って
いないか調べるときは、一日最低一回はある。これでも間違いとわかると、一応直さないとなー。
でも、もともとネットそのものの危険性、この危険性はずいぶんといい加減な表記だがある。わかっている。程度は
わからないが。
よく言われる、なんだか怪しげなメールが着たりとか、まさかの自分のPCに、電子ウイルス侵入して、内部の重要な
情報を盗み見されたとか、外に持ち出された、あるいはPCそのものが起動しなくなった。こうゆうことでもあったり、
また別に、情報の信憑性、書かれていることが真っ赤な嘘、という場合もある。これの判断が出来ないと、それこそ
馬鹿を見たとか、お恥ずかしい状態を超えて、いっそのこと死んでしまいたい、という気持ちにもなるもので、
恐れている。自分の考えの間違い、理解していない証拠、そうゆうものは書いてもいい。でも、その反対でという
のは避けたい。これ、最近特に思うのだが、どうすればいいか。
ネットは時代の産物で、いまは流行。21世紀になって、私は定額という利用料金だし、この世界に迷い込んだが、
特に、調べもので出てくるものは、同じく時代を反映しているようで、たとえば、私が子供のころだった
昭和の30年代のこと。そのころの事件とか歴史的な出来事、私の記憶にあって、ネットでは出て来ない。
これがある。もともと、ネットとは何ぞや、というのも、どうしてこうゆうことが出来るようになったか
説明できる、そうゆう内容のなにかも、見たことない。新書でデジタル社会に関しての本を一冊見ている。
たしか、同じようになんとなくだが出来ちゃったようで、いまがあるとだけ書かれているようだという
記憶がある。
よりたしかと思えるものは、本なり、あるいは印刷物だったり、形として文字で書かれて、紙に印刷されたものが
歴史を遡ってもあるものはある。こうゆうところでしか、判断が出来ない気にもなる。それにしては、あまりに
本というものも、そのほか本といえる形でなくても、ただの一枚の紙でも信憑性という点について、こっちが信頼
できそうだが、ものとしてはそうゆうものは手元になさ過ぎ。
雲も楽ではないな、これはこだわりの20日の日の空の様子だけど、雲も様々で、またお日様の印象も違う。
その一。朝、東の空。きれいな雲で、羊雲のようで、鮮明である。
その二。高い高度の雲もあるのかな。
その三。
その四。朝で、西の空。
その五。これは午後の4時。東の立山連峰に白い雲。
その六。白い雲を強調と思うが、これがなかなか思うようにゆかない。
その七。それで、一部出しているが、日没前。これがまぶしく、しかし画像では迫力。
その八。
その九。
その十。シャッタ押すのは簡単だから、枚数だけ多かった。
11時半過ぎ、あるいはもう12時台になっていたか、どうもジェット旅客機ではないと思える、ジェット機の鋭い、
耳を劈く(つんざく)エンジン音。轟音と、威嚇感と。なんだろうか。10回以上、この辺りを通過しては帰って来て
の繰り返し。これが見えないんだな。
気になって忘れているものは多い。髭がすぐに伸びる。電気剃刀で、剃ればそるほど髭は伸びる感じ。
気にはなるが、まだそれをやるのはいまではない。これで3日か4日たつ。社会人だと考えられないか。でも、髭が
似合う人は、あるいはたまに頭を丸刈りにするように、気持ちを変えるつもりで、ヤギさん状態まで伸ばす
人もいる。でも私の場合、人相はよくはない。
これもむかしの話だが、当時は国鉄であった上野駅で、帰省のため、そのときは帰るいえは「ここ」のいえだったけど、
列車の出発時刻までは時間あって、そうゆうものだったのである。適当に、駅の構内で新聞でも持って、待っていると
妙なおじさんが、なにを勘違いしたのか、一言二言。こちらはそうゆう経験ないので、ピンと来ないのだが、家出の
お兄ちゃんみたいに思われたらしい。その筋にいろいろだが、感じとしては職探し、と思われた。あっちではなかった。
それは、夜のギラギラとしている、田舎の常磐線の駅でも毎度のように、待ち受けていた。
足は一番危ないと思うが、爪も指の爪である、やたら伸びる。いま、手洗いに、石鹸を使う。ハンドソープは、便利な
ようで、すぐになくなる。石鹸だと、そうゆうことはないが、これが爪伸ばしていると爪と指の間に入る。
非常によくこれが起こる。恐らく、爪は毎日切るのが普通だと思う。その習慣なく、今日思い始めて3日目で切った。
もっとも、間は一週間くらい。
TVの音も気になるが、ラジオも同じで、耳のそばだとやたら音が大きく感じる。デジタルだから、音量も数表示だが
感じるものは違うので、毎度ボタンはどこか探している。だからアナログの、あの大きな丸いボリューム調整用の
ダイヤルが懐かしく、これは理屈では無段階に調節できるが、左右の音の大きさが違ったりで、しかしそれも許すことは
出来た。
デジタル録音がいまは出来る、ラジオで。結構、音の質は高めの設定で、1週間に5時間。SDカード、8ギガバイトを使うが
残り時間が10時間切ると、やばいと思う。きのうはもう夜だったが、三週ほどやっていなく、しかたなしに、中身を
PCのディスクにコピーした。いまはやっているが、恐らくそのうちにやらなくなるかな。いつもは、ゴンチチさんの
番組である。ときに、そこはちょっとというときがあるが、概して問題なく、またこれもおかしなことだが、5日間は
それを鳴らしているが、気が付くと、同じ箇所だったりもする。ゴンチチさんとは、これも後からわかったが
同じ年代ということになって、当時の大阪とか関西の話を聞くことが出来るが、しかし私のほうがはるかに田舎のようで
都会といっていいところでの生活とは、わずかにときにはなはだしい、乖離というものを感じる。
忘れ物、あるいはこれはやっておかないとなというのは、それこそいくらでもありそうだが、そのこともいまは忘れている。
日が出たり、雨がぱらついたり、雲で覆われたり、しかし気温は上がっていて、気象台だと、30℃を越している。
当てにならない、目の前にある温度計も、30℃を越して、30.7℃くらい。じとっと汗。
ここでもそうだけど、あいまいな言葉、あるいは急に自信がなくなったりすると、別のタブを開いて、俗にゆうネット検索、
エンサイクロペディアを参照する。書いたあと、同じく、その文字を、使うのはグーグルがどうしても多いが、間違って
いないか調べるときは、一日最低一回はある。これでも間違いとわかると、一応直さないとなー。
でも、もともとネットそのものの危険性、この危険性はずいぶんといい加減な表記だがある。わかっている。程度は
わからないが。
よく言われる、なんだか怪しげなメールが着たりとか、まさかの自分のPCに、電子ウイルス侵入して、内部の重要な
情報を盗み見されたとか、外に持ち出された、あるいはPCそのものが起動しなくなった。こうゆうことでもあったり、
また別に、情報の信憑性、書かれていることが真っ赤な嘘、という場合もある。これの判断が出来ないと、それこそ
馬鹿を見たとか、お恥ずかしい状態を超えて、いっそのこと死んでしまいたい、という気持ちにもなるもので、
恐れている。自分の考えの間違い、理解していない証拠、そうゆうものは書いてもいい。でも、その反対でという
のは避けたい。これ、最近特に思うのだが、どうすればいいか。
ネットは時代の産物で、いまは流行。21世紀になって、私は定額という利用料金だし、この世界に迷い込んだが、
特に、調べもので出てくるものは、同じく時代を反映しているようで、たとえば、私が子供のころだった
昭和の30年代のこと。そのころの事件とか歴史的な出来事、私の記憶にあって、ネットでは出て来ない。
これがある。もともと、ネットとは何ぞや、というのも、どうしてこうゆうことが出来るようになったか
説明できる、そうゆう内容のなにかも、見たことない。新書でデジタル社会に関しての本を一冊見ている。
たしか、同じようになんとなくだが出来ちゃったようで、いまがあるとだけ書かれているようだという
記憶がある。
よりたしかと思えるものは、本なり、あるいは印刷物だったり、形として文字で書かれて、紙に印刷されたものが
歴史を遡ってもあるものはある。こうゆうところでしか、判断が出来ない気にもなる。それにしては、あまりに
本というものも、そのほか本といえる形でなくても、ただの一枚の紙でも信憑性という点について、こっちが信頼
できそうだが、ものとしてはそうゆうものは手元になさ過ぎ。
雲も楽ではないな、これはこだわりの20日の日の空の様子だけど、雲も様々で、またお日様の印象も違う。
その一。朝、東の空。きれいな雲で、羊雲のようで、鮮明である。
その二。高い高度の雲もあるのかな。
その三。
その四。朝で、西の空。
その五。これは午後の4時。東の立山連峰に白い雲。
その六。白い雲を強調と思うが、これがなかなか思うようにゆかない。
その七。それで、一部出しているが、日没前。これがまぶしく、しかし画像では迫力。
その八。
その九。
その十。シャッタ押すのは簡単だから、枚数だけ多かった。
11時半過ぎ、あるいはもう12時台になっていたか、どうもジェット旅客機ではないと思える、ジェット機の鋭い、
耳を劈く(つんざく)エンジン音。轟音と、威嚇感と。なんだろうか。10回以上、この辺りを通過しては帰って来て
の繰り返し。これが見えないんだな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます