10月28日、カレンダを見て書く。手帳を見て書くということは、できない。ノートの、特に右側の
ページに、黒の油性ペンで大きく文字を書いて、キーボードの前に見やすい角度で置いておくと、それは参照
できる。PCのモニタの右下にしているがそこに、西暦で、いつか。何時何分か出ている。これはわかる。
ただ数字が小さいので、よく見えない。
ときどき、今日は何日か思い出せない。どこでもカレンダ、は脳裏にないので。
暗い感じがあるが、今日はお日様が出ていたかどうか、朝出てなかったのではないか。
ブログでも、ほかに見るのは、似たものではツイッター、「つぶやき」、くらいだけど、たしかに画像なし
のかたも多いが、もともと、カメラでの風景を出せるというのがおもしろくて始めた。文字だけ、あるいは
文章だけなら、どうなっただろう。
夏休みの絵日記感覚。
思うことを言葉に、文にする。時間かかる。読書感想文、読まないで書く方法はないか。悩んだ。
この読書感想文、というのはいまもあるのかな。
で、画像だが、妙なことは書かない方がいいので、これはいえの周り、今朝である。
その一。いくらか、気が付いていることは、葉が落ちた木でも今ごろ、黄緑の葉が出ていることで
ここのいえでもそれはある。たしかに。
その二。
その三。カメラでの情報だが、今ごろ新芽。淡い緑。これしか気が付くことはない。
その四。これこそ、違和感がある。画像の明るさを調整する設定がソフトにある。これで、
変化を出しているが、失敗することも。
その五。右側に、ツツジ。中央左に、ナンテンの小さいもの。でももっとも右側に見える、草の色の
濃さをふと疑問に思う。色はいい。雨は多かったが、野菜は高くて買えないが。
二行、行間あけないで、一行あけて次の二行というのを、説明の文のスタイルにしている。
この場所の草を刈ったのが、8月。夏の休暇大移動の、少しあと。
その六。草の色は濃いが、背丈は伸びない。疑問の二。真夏の草刈りのときは暑く、もっとやって欲し
かったが私もそれを言う気になれなかった。
その七。草と地面以外の、いえの一部が入る。これも、どうするか迷う。しかし入れている。
その八。妙なものがあるが、さらに妙なものが、先っぽが黒い何か。垂直に立っている。これは
私も何かわからなくて驚いたと書いたことがある。古い柱、ここで燃やしていた。柱は、太く
簡単には燃えず、その後水平に置かれていた。これがずり落ちて、こうなった。
その九。その五から、妙な画像に変わっているが、「ひねくれた」のかな。ここに、何故かお正月が
あるような、違うけど。松竹梅、足らないものが多い。
今年の10月になって、母の妹の叔母が息子さんの車で来て、すぐに次の場所へと行った。
土曜日である。まさか、次の週の月曜日に、さらに午後に再びここに来られるとは、ちょっと驚いたが
この顛末は書いている。思うことは、元気だが、あーやはりあの「病気だなー」、の一言。
同じことを繰り返して言う。前の「携帯」はよかった。短く書いているが、認知症の始まり。
これをどう考えるか。私の父も母も、この「まあるく包まれる」ような言葉で呼ばれる病気に
なった。
「また来るね」、と言ってそのときは終わったが、そのまたが、自宅に帰る予定の明日ではないか、
少し悩んだ。それはなかった。
もう少し思うことはあるが略。認知症になる、なっているかも知れない、という思いは、
これは書くのは簡単で私にはある。ちゃんと。
ページに、黒の油性ペンで大きく文字を書いて、キーボードの前に見やすい角度で置いておくと、それは参照
できる。PCのモニタの右下にしているがそこに、西暦で、いつか。何時何分か出ている。これはわかる。
ただ数字が小さいので、よく見えない。
ときどき、今日は何日か思い出せない。どこでもカレンダ、は脳裏にないので。
暗い感じがあるが、今日はお日様が出ていたかどうか、朝出てなかったのではないか。
ブログでも、ほかに見るのは、似たものではツイッター、「つぶやき」、くらいだけど、たしかに画像なし
のかたも多いが、もともと、カメラでの風景を出せるというのがおもしろくて始めた。文字だけ、あるいは
文章だけなら、どうなっただろう。
夏休みの絵日記感覚。
思うことを言葉に、文にする。時間かかる。読書感想文、読まないで書く方法はないか。悩んだ。
この読書感想文、というのはいまもあるのかな。
で、画像だが、妙なことは書かない方がいいので、これはいえの周り、今朝である。
その一。いくらか、気が付いていることは、葉が落ちた木でも今ごろ、黄緑の葉が出ていることで
ここのいえでもそれはある。たしかに。
その二。
その三。カメラでの情報だが、今ごろ新芽。淡い緑。これしか気が付くことはない。
その四。これこそ、違和感がある。画像の明るさを調整する設定がソフトにある。これで、
変化を出しているが、失敗することも。
その五。右側に、ツツジ。中央左に、ナンテンの小さいもの。でももっとも右側に見える、草の色の
濃さをふと疑問に思う。色はいい。雨は多かったが、野菜は高くて買えないが。
二行、行間あけないで、一行あけて次の二行というのを、説明の文のスタイルにしている。
この場所の草を刈ったのが、8月。夏の休暇大移動の、少しあと。
その六。草の色は濃いが、背丈は伸びない。疑問の二。真夏の草刈りのときは暑く、もっとやって欲し
かったが私もそれを言う気になれなかった。
その七。草と地面以外の、いえの一部が入る。これも、どうするか迷う。しかし入れている。
その八。妙なものがあるが、さらに妙なものが、先っぽが黒い何か。垂直に立っている。これは
私も何かわからなくて驚いたと書いたことがある。古い柱、ここで燃やしていた。柱は、太く
簡単には燃えず、その後水平に置かれていた。これがずり落ちて、こうなった。
その九。その五から、妙な画像に変わっているが、「ひねくれた」のかな。ここに、何故かお正月が
あるような、違うけど。松竹梅、足らないものが多い。
今年の10月になって、母の妹の叔母が息子さんの車で来て、すぐに次の場所へと行った。
土曜日である。まさか、次の週の月曜日に、さらに午後に再びここに来られるとは、ちょっと驚いたが
この顛末は書いている。思うことは、元気だが、あーやはりあの「病気だなー」、の一言。
同じことを繰り返して言う。前の「携帯」はよかった。短く書いているが、認知症の始まり。
これをどう考えるか。私の父も母も、この「まあるく包まれる」ような言葉で呼ばれる病気に
なった。
「また来るね」、と言ってそのときは終わったが、そのまたが、自宅に帰る予定の明日ではないか、
少し悩んだ。それはなかった。
もう少し思うことはあるが略。認知症になる、なっているかも知れない、という思いは、
これは書くのは簡単で私にはある。ちゃんと。
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