光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雪を待つ田んぼ

2007-10-05 19:00:17 | 散策
  ラジオを聴いていると、ときにその声がはっきりして、どこどこ平のコスモスの見ごろはいつでしょうか、教えてチョッキー、みたいな感じのメイルが読まれることがある。どうも、かなりコスモスは見ているし、しかし、そのドコドコの40万本のコスモスというのは、さすがに、どうゆうものか私には想像がつかないが、ここら辺からだとずいぶんと離れていて、なんかTokyoに行くのと変わらない気もする。少し、ひねて、ごねてみた。
  二日間、ある道の一部、これはただの散歩のコース、を歩かなかった。その二日で、ナニナニ平の40万本のコスモスにはかなわないが、ちょっとした、雑草畑にコスモスが、それも高級と思われるもの、満開に近い状態で、いや満開で咲き誇っていた。ドコドコ平に、まさるともお劣らない咲きっぷりである。ずいぶんとがんばってタネをまいた人がおられるはず。見事です。
  それで、田んぼに出ると、もうほとんど稲刈りも終わり、切り株から、また新しい芽が出ている。スズメは、普段はあまり見ないがこの時期に少し増える。それで、この広々とした、それまでイネが生えていた田んぼが、あっさりと平らになってしまうと、一抹の寂しさもただよう。
  そこを歩いているときは思いつかなかったが、この後に、この広々とした田んぼに何が待っているかというと、それは、降雪であった。あれあれ、ここにまたいつものように雪が積もるのか、それで、道の大部分の雪は、田んぼに捨てられる。春が始まっても道の脇の田んぼには、まだ塊の雪、もうどす黒い氷である、が残る。なんか、少し先の未来が簡単に予想されて、これまた自然の掟の厳しさを垣間見ることになる。
  ホンのちょっと変わったという話し。体を動かすにも色々あるが、フラフープを思い出させる、知っているかなー、フラフープ、そうゆう運動を、ある書き物を見ていて、即時実行してみた。どうも、こうゆうことも出来なくなったようで、危機感をつのらせる。

  再び、秋の気配がただよう、重い荷物を運んで少し血の巡りがよくなって、西に広がる田んぼに出てみた。こうゆう気になるのも、なかなかないものだ。



  田んぼのイネの切り株が、秋はおろか冬の、しかも雪のことを思い出させてくれる。ここに、たっぷりの雪が降り積もる。その景色は、ときに雄大に見えることもある。この先に見える、少し薄く写っている山の麓に、あの、どこどこ平はあるのであろう。そこにも雪が降るが、その前にコスモスが咲くのである。



  空は高い。ここが雪雲で満たされる。その日はいつか、これを予想するのは非常に難しい。

  空続きであるが、すでにかなり暗い、夕刻、6時過ぎに、東の空に、もう高度はかなり低いが、金星なみの明るさを持った、”点状の物体”がゆっくりと移動していった。すぐに東北の空に消えたが、たぶん人工衛星ではないか。

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