光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

丘を越える緑

2008-06-23 18:48:39 | 散策
  雨が、小雨になって、それでやがて止んだ。雲が切れて、西の空は明るい。
  一番日が長いころだから、日没もまだのはず。雲の下のほうが白く、西の小高い山、しかし県境の山まで、能登半島まで見えているかは、定かではない。

  ここに、昔からの柿の木があって、その葉っぱはかなり立派になった。他に多いのはモチノキ。これも、大きくなるときは「ぐっと」で、見るとまずはわかるが、この木がなぜこの辺りに多いのか、それは謎。でも、常緑の木で、冬でも雪の日々でも、その葉は青い。ツバキなど、比べ物にならない。杉やら、松もそうで、しかしこの木も、重い雪にくっ付かれるとその重みに耐え切れず、折れて下に落ちる。雪の量も半端ではないが、その折れる、折れた、モチノキの枝の重さも、とてもじゃないが、一人では引っ張れないというもので、これが頭の上から落ちなくてよかった、そう思うときもある。今年の雪は、などなかなか考えられないが、そうゆうことは想像される。
  柿の木は、その葉っぱが若いときは緑も薄く柔らかそうで、虫やら、他の葉っぱを食べるる小動物、微生物にとってはご馳走だろう。これは、人がそれを食べてもいいような気もするが、まだその経験はない。それで、その若葉もクチクラ層が出来る前に、まずは一齧りされるような気がする。毎年思うのが、柿の木の葉っぱがもう少しまずかったら、きっと柿の実もたくさん成る、ということだ。もしかしたら、今年は柿の実はたくさんなるかも知れない。しかし、もはや、立派になった柿の葉を齧る、そうゆう虫もいてもおかしくはない。微生物のレベルだと、クチクラも役に立たないか。
  まだはっきりはしないが、今年の柿の葉っぱは、今のところ繁茂している。

  それで、多少小高い丘の辺りを眺めることが、ここからでも見えるが、それはさすがにそこは丘だ、と言うくらいしかわからない。そのそばの道を、通らないといけないことになって、それが今の季節だから、木々が生い茂っているのである。いっときに、一斉に山の木が枯れる、そうゆうこともニュースになった。これは今もある気がするが、今私が眺めているところの木々というのは、こんなにここにはたくさんの緑があったのか、というくらいに少しすごい。
  この程度の高さの丘陵だと人の手の入っている可能性も高いが、公園の可能性もあって私有地ばかりではなさそう。すると、ほぼ特に人の手が入ることなく、木々は自然の条件にしたがってのびのび、生長しているのかも知れない。また少しゆくと、そこは昔はもう本当の森、というものがあったようだが、これが動物園になってそのまわりの木々も、これまたどこにその動物園があるのかわからない、という状態である。これは結構なことだ。丘には、丘陵には木々が生い茂って少なくとも、多少の雨ではびくともしない、そうゆう環境が出来ているはずである。

  もう少しゆくと、白い建物があり、そこの中からは、その反対側の様子を見ることが出来るが、その向こうはというと、今見て来た丘陵の緑と同じか、多分それ以上の濃い緑に覆われている、と想像できる。そうゆうものがまだ残っている感じがあって、それに比べるとずいぶんとこの辺りは、緑は、田んぼとかを除くと少ないことがわかる。

  強引に緑続き。



  今どきの緑、カエデ、雨が降った後。切れはない。少しぼんやりしている。




  一枚目の横の辺り。ピリっとしない。




  これは、晴れているときの、白い小さな花を咲かせるもの。これはピリ系ではなく、やけにただ細かいだけかも。目で見るのと、こちらのほうが少し乖離が激しいような気もする。

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