光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雪には、雪で。

2008-02-01 19:09:25 | 散策
  朝方、雪は降っていて、もしかするとちょっとした積雪になる、かと思ったが、もうお昼ころには、この辺りの雪はほとんど溶けてしまった。細かい雪に見えたが、どちらかと言えば、空気の多い、小さめの雪であった。これだと、ふんわりと地面に落ちて、見た目は少し積もっている感じもあるが、実際は綿菓子のようなものに近い。口に入れるまでに、溶けてなくなりそうとも言えるよう。

  雪の降らない地方の方は、たまには雪の感触を味わいたいと思う。それと似ているが、この寒いときに、半袖でも寒くないところがあったら、そこに行ってみたい、雪国の人はそう思う。夢のようなことを書いている。
  雪とともに、生きていかないといけないから、昔の人は、それに対処する方法を学んだはずで、特に寒いのが好きというわけでもなかったと思う。このところ、地球の温暖化の問題のみやたら騒がれているようであるが、地球が冷たかった時もあるようで、こちらに思いを馳せることも、たまにはやらないといけない。

  普通の生活でもすぐにわかるが、暖かいと、色々なものにくっ付いている微生物は、大いに増殖する。夏場、生ゴミ置き場はかなりな臭いがして、息を止める。生ものそのものは、外にポイ捨て出来る。これなどは、やらないといけないことのように思える。それから、少し涼しくなって、さらには震える雪になると、多少のことで生ゴミが臭うことはない。こうゆうことの経験を積んでゆくと、ものを保存するのに、冬の冷たい環境は好都合であることは、かなり早くから理解されたのではないか。室のようなものが、氷室が今もあるようである。詳しくは分からない。
  それから、保存食の問題がある。夏が、秋が収穫の時期で、それから後に長い冬が来る。このことからは逃れられないから、これまたうまいこと出来ているように思えるが、特に味噌などは、寒いところで作るほうが発酵の管理が楽であったのは間違いないであろう。塩などで、その程度を押さえることが出来るが、寒さも重要な要因であった。
  野菜の保存の一例として、漬物があるが、これなども寒いところのものが今も有名のようであるが、例えば私の祖母なども、漬物を作っていたが、それの真似を出来る人はもう誰もいない。謙虚というか芯は強いが、昔の人であるからあまり感情を表には出すことはなかったが、この漬物とかについては、「うまかろう」と自慢した。これは、まわりに祖父と私しかいなかった、からかも知れないが、そのとおりで、もちろん肯定の返事をしたように覚えている。味噌なども、お手製のものであった気がするが、もうはっきりは覚えていない。
  これらは、代々伝えられて来たものであろうが、大体私は祖母の代まではわかるが、それより過去に遡ると、どうゆう人がいたか、まったくわからないのである。これをもう一代前まで知っている人は、もうそのことの記憶もないし、自分の母のことも思い出さないようだ。まー、このことは、特にここに書くようなことでもないが。
  
  暖かいところには、また暖かいところの文化があってしかるべきで、また氷というものも求められたようである。その点、今の時代から想像は難しいが、普通の人が、氷を好きなときに求めるのは出来なかったと考えるの妥当。上の人だけが、これを賞味出来たようだ。ただ、雪がいやっというほど降るところでは話しは別で、それなりの貯蔵もされた気もするし、また少し高いところにゆくと、名残の雪やら、氷もあったのであろう。
  さて、暖かいところに住むのがいいか、寒い寒いところに住むのがいいか、この二つから一つを選択しないといけないときが来たら、はたしてどっちを選ぶか、これはかなりな難問のように思われる。

  雪は、書いたように、少し降って、それから、消えてしまった。外は、概ね、雪の降る時間以外は晴れモードで、しかし日中の最高気温は、気象台で4℃という。そのように私も思う。雪こそ降ってなかったが、ずいぶんと寒い、日が出ている時もあるが、寒いと思った。ここは、雪、雪、雪。




  なるべく、かなりの雪が降った感じを出すため、白い、青白いところが多く出るようなところをまずは選んだ。




  雪の、ふんわり感も出してみたい。下に見える白いぼんやりしたものものは、瓦。これは、毎度。




  さらに、やわらかい感じのものを探して、しかし今見るとこれは雪よりふわふわした綿のようにも見えてきて、寒さの感触は伝わらないかも知れない。これはちょっと、失敗したようで。   

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