光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

最後の冬の春風

2008-02-29 18:53:22 | 散策
  きょうは、4年に1度の2月29日で、はたしてやたら増えた電子機器の表示が正しいか見てみたが、それに間違いはないようで、この先100年くらいのカレンダも出来ているのであろう。ただ、これは、いつがうるう年か、その定義に則って決められているのであって、そのうち変わる可能性もある。10年電池がもちますという時計があるが、はたして10年後はどうなっているか、そんなことはだれもわからないから、特に違和感もない。
  5年日記というのを使っていて、それを見るわけだけど、ただ1ページだけ、今日の日付と曜日が印刷されている。これは、2007年度の発行のもので、こうゆうものは昔からあった。かなり昔に10年日記というものを、これは珍しいでしょといって持ってこられたかたがおられる。それより、10年、そのノートというか、本というか手帳のようなものが、本体が分解せず、さらにどこかに消えて無くなったりせず、また気が変わって、ある年から、新しい10年日記を購入して、その昔の10年日記は、3年で終わって、あとはどこかに放置された、と言うことはないか、そうゆうことも心配になってくる。
  2007年にスタートした5年日記は、購入したのは、2006年であって、やけに昔に思えてくる。その5年日記を使っているというか、文字やら数字を書き込んでいる。去年の文字の方がきれいに見えるのはなぜだろうか。それから、まだ分解もする可能性はない。それを見る時間もかなり短い。しかし、ときにはっとすることが書かれている。「同じ発行所の一昨年の手帳」は、ものの見事に背のところから、スパッと切れていて、今年もそのシリーズを使っていて、たぶん背のところは、切れ目が入るだろう。それに比べると、人間の皮膚は丈夫である。
  5年先、いや4年先か、そんな時間がはたしてやってくるのだろうか。

  風が吹いていた。朝にこの風を浴びているとかなり冷たく、一気に体が冷えて、すぐに窓を閉めた。何しろ4年に一回だから、その朝日を拝みもし、記念にも撮った。何かがあるわけでもないのにね。一日、2月が余計にあったから、ありがたみは、ある人にとってはなく、またある人にとっては、それはあった。一体何を書いているのだろうか。しかし、そうゆう話しをしたのも事実である。風が強く、この風はあまりありがたみはなかった。少し気温は上がって、元気なかただと、部屋の中をこの風を行き渡らせたかも知れない。しかし、なかなかそうはいかない。そうゆうことは、この寒いところではなかなか出来ないものである。
  ときに残っている雪が溶けてその水が空を舞って来るし、それ以外に、これは少し神経質かも知れないが、細かい砂なども舞う。車が走ってゆくと雪が残していった、細かい粘土質のようなものが宙を舞うのがわかる。マスクもし、鼻もつままないといけない。日向ではかなり暖かくなって、これでは、うたた寝を誘う。今日も外を歩いてきて、まずはある花壇にクロッカスの黄色い花を見つけた。植物は温度より、光に敏感かも知れない。今日が3月なら、ちょうど春になった証拠にこの花がピタリであるようで、しかし何も持っていない。その姿を見て、やっぱり春はそこまで来ていると思う。雪とともにあったフキも今日はもしかして、その固い緑をそっと開いているかも知れないと思ったが、そこまではいかなかった。うたた寝の続きで、あるワンちゃんは後ろ向きでしかし、横座りのような格好でいた。もう一人のワンちゃんは、完全に横になってお昼ねをしていた。
  ハクモクレンも、その蕾を輝かせている。




  水があって、それからコンクリートがあると、そこには土も少し溜まって緑が生えてくる。清水のような流れがあるが、これは雪解けの水である。この緑は少しまぶしいくらい。




  緑とそれと赤となると、去年の10月ころからか咲き始めている、このサザンカしか今はない。これだけ長い時間次々と花が咲くと、なるほどこれは垣に使われるのも納得する。




  ファイルの名前もなるべくわかりやすいものにするが、これは、爆発スイセンにした。いかにもという感じがする。傷みがあるのが気の毒だが、強い青空に負けず劣らず、気を吐いている。

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