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光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

北風が強いが、気温上昇。小さい花、再び出て来た花。色はそれぞれ。

2016-06-06 14:19:53 | 植物・花(夏)
  空の様子を見ていると、今日はだいたい曇りだが、日が出てきそうな時間もあって、しかし、晴れ間はない

  ようだ。「ない」、と書いて、あったかも知れない。そう思う、天気が回復してきて、風も強いが、もう一回きのうと

  同じようなところで小さい植物、小さい花を撮っていた。やり直し、そうゆう気分。


  お昼だから、ということもあるが、ふとTVを見ると、べつに眠ってはいなかったが、食事のシーンである。

  いかにもおいしそうに食べている。もう一回食べるか、という気持ちに。

  食べ物の番組は、NHKでも多い。テキストも多い。ついでに、花の育てかた、ガーデニング、これも多いが、

  食べる、そのために、野菜を植える。ガチッと、収穫して、満足感に浸れる。

  この番組の出演者の方、は、ものを食べるシーンの俳優さんと同じ、緊張感と美しさを要求される。

  食べ物そのものに絞ると、さらに、これはむつかしそうだが、たまに、生がある。アチチ、そうゆうときがあって

  ちょっとすいません、と言って、後ろ向くのもいい。

  食事のシーンチラッと見て、これだけ書いているが、無駄だったか。


  頭の中で、どうするかいつも悩むが、何があったかというと、水素だ。水素原子ではなく、水素分子、という

  ことになる。常温で、気体のはずだ。水素だという。これだけではわからない。

  しかし水素は、いま小学生でも知っている。元素記号表というのがある。これの最初にある。

  都市ガスというと、普通はプロパンかな。LPもある。わからない。メタンもある。これも名前だけ。

  窒素は、空気中にも多いが、水素はまずはない。あるのかないのか。窒素も、常温で気体。で、こうゆうものは

  どう考えても、なかなか壊れそうにない、ボンベに入っている。プロパンもそう。窒素もそうで、窒素は

  液体になっているかな。液体窒素は、TVでもお馴染み。


  水素って何、と最初のところに戻るわけだが、どのくらいの温度で、気体になるのだろうか。沸点。

  水素、というとまずは、太陽を思い出す。もっとも最初に、この宇宙に出来た元素だろうか。軽いしね。

  ガス状の惑星というのも、なかなか想像しにくいが、木星や、土星もそうだ。水星、金星、地球、火星、これらの

  惑星は液体ではなく、固体で出来ている。内部の構造となると、なんだかむつかしそうで、地球では

  マグマが煮えたぎっている。天王星も、海王星もガス状。大体この程度の、ことが思い浮かぶ。

  で、時代は「水素」だという。それにしても、水素のことを知らない、知らな過ぎる。


  電気自動車、というのもある。中にバッテリーが入っている。充電はしないと。ソーラーパネルを積んで走る。そう

  ゆうのもあった。で、水素、となると、これだと考えられるのは、燃料電池だ。昔から理屈はある、というか、

  これが出来ればと。私が学生のときも、その方面の勉強をしている学科の人間は、核融合だ、水素だ、燃料電池

  だ、なんていっていた、と思う。そのとき、炭酸ガスの話はなかった。


  食べ物の話で、ごく近くで、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、カボチャなど育てている、そうゆう方がいる。

  もっとあったかも知れない。特に見るだけだから、しかも顔見知りの方だから、見学に問題はない。

  トマトの一つは、フルーツトマト、というのかな、ミニより、おしゃれなもので、花も咲いて、実が出来つつある。

  時間がかかる、そう思っていた。キュウリなども、数は多くないが、長さがいつの間にか、20cmくらいに。

  ナスも実が出来ている。どのくらいに間のこの変化は起こったか。でもいまは6月も6日。その苗の植え付けの作業を

  した後の様子を見て、一ヶ月はたっている。すると、花が咲いて、実がなってもおかしくはないか。


  近くに、広い水田とかがある、またビニルハウスもある。水田のある場所は、北風が吹くと、障害物がないので

  風の道よりもさらに風速は上がる。熱は、人の身体からも奪われそうで、でも凪になると、そうとうに熱いはずだ。

  ビニルハウスも、太陽光発電も、エネルギーのもとは同じで、目的のものが得られればいい。太陽光発電は、そうは

  近くへといけない。

  しかし、ビニルハウスは、一種のトンネルにもなっていて、密室にも出来るが、風を通すことも出来る。

  熱くなると、植物もダウンする。で、温度管理が必要だが、私はそのそばを歩いたとき、ハウスの入り口か

  出口か、道に面しているほうから、やけにむっとする空気を感じるときがあった。なるほどね、というわけだが

  さほど外の気温は上がっていなくても、ビニルハウスの中は、高温である。

  この中の作業は重労働で、なおかつ、熱中症にも気を付けないといけない場所、ということになる。

  
  ものごと、簡単ではない。あまり面白くはない、結論めいたところに落ち着くのだが、それにしても

  いくらでも落とし穴はあるものだ。



  小さい花、風に揺れて。


  
  その一。



  その二。なんどか、ドクダミの花は撮ってみないといけない。




  その三。これはきのうで、今日も同じだ。




  その四。




  その五。サツキ、まずまずの美しさ。





  その六。日当たりがいいと、アジサイももう少しで色が。




  その七。ここは道の端っこで、ときどき草も消えるが、また出てくるものもある。
  失敗作だが。




  その八。いろいろなものがそれにしても出てくる。




  その九。白い小さい花は、ネズミモチの花。白い時間は短い。後ろに午後の光。




  その十。


  今日は、気象台のアメダスの値は午後1時で、21.5℃だが、室内は、24℃以上はある。

  二階にいるので、暖かい空気は集まる。これは、朝はよくわかる。


 

北風で今朝は曇り、目が覚める風の冷たさ。

2016-06-06 07:17:52 | 植物・花(夏)
  きのう、カレンダーはハナショウブ、とタイトルに書いていて、それはいま私がいる部屋で使っている

  カレンダーの6月の写真がハナショウブだから思い付いた。それを一言書いておかないといけなかった。

  いつそれに気が付いたか、今朝だったかな。


  きのう朝は、空を見ていると、ヒツジ雲が出ていて、夏らしさはなかった。空気が冷たくなるときに

  出るような雲だと思っている。これはきちっと写るが、空に夏は感じられない。

  午前中いえの中にいることが多く、お昼前に一回は外に出ているが、このときすでに北風である。

  それもかなり強い。目の前にある道、玄関から先にある道、は風の通り道でもある。

  で、そこからどこにでもいけることになるが、歩く距離は短く、小さいカメラを持ったのが、午後の2時半ごろで

  先ほどよりさらに北風が強く、ついていないなと思う。


  熱中症になる可能性はなくなった。

  ハナショウブも近くにあるが、雨が降らないので、花はわずかに咲いているが、元気はない。

  アジサイも、一雨降って、日が当たれば色が出てくると思われるものはすでにある。

  小さい雑草、ドクダミの白い花もきれいだが、いずれも風に吹かれるのを楽しんでいるようで

  こっちは目が回る。


  モズは、鳥のモズだが、このいえに巣を作ることもあって、今朝もその姿を見た。

  わからないところに巣を作っている。「ひとけ」もないという判断。

  キジバトもその可能性はある。

  それから、やはり早くから、ヒヨドリは鳴き始めた。


  青空と、木々と。




  ポツンとある白い雲。










  見慣れている窓から見える木だが、絵に描けといわれると、描けない。



  カメラにブレ補正の機能はあって、いつもそれをオンにしているが、こんなに明るいとき

  そんなものいらないな、とふと気が付いて、一昨日くらいから、その機能を停止させている。



雲が厚くなる。北風も強い、真っ青な空もしかしある。梅の実のなる季節。

2016-06-01 14:23:23 | 植物・花(夏)
  6月1日で、朝ボールペンでも書いているが、途中から6月2日に変わった。しかし、いまは6月1日に戻って

  いる。


  購読している新聞、これにおまけが入ることがあって、その一つが月別のカレンダだが、裏は白い。

  これを机に何枚か重ねていて、ということをむかしからやっていて、忘れることの多い花、虫の名とか

  あるいはこれも時代とともに変わることのある、星座の名前、カタカナもの、星の固有名も書いたり

  している。オリオン座の名を忘れることはないが、α星であるベテルギウス、この「ベ」を「ペ」だと長く

  思っていた。うしかい座のα星は、これもいろいろあるようだが、いまは「アルクトゥルス」、として

  いる。コクヨのカードを見て、このアルクトゥルスというカタカナ語を書いた。


  国語の辞書、英語の辞書、漢和辞典、あるいは漢語辞典、いくらかあるが、いまこの座っている場所からすぐに

  参照することが出来るものは、三省堂の『新明解国語辞典(第六版)』がある。他にもあるが。本の辞書。

  電子辞書といわれるものを、何度か買いたいなと思った。PCで、同じようなものを体験するときがあった。

  ただ、これでいいかというときがいつもある。結局、いまも、電子辞書は持っていない。またPCに、辞書は入れて

  いない。


  で、また新聞のおまけの、月別カレンダに戻るが、ここにもいまもいくらか言葉は書いてある。一番上、その上に

  PS2のキーボードを置いている。だからほとんど見ることは出来なく、キーボードを動かすと、机の上にある

  いろいろなものが散らかりそうで、よっぽどのことがないとそれはやらない。カード、あるいはメモ用紙、それに

  文字を自分の読める大きさで書いて、まとめておく。これがPCで文字を書くときはいい。結論は出ているが、

  いまは頭の中で、日本語、カタカナ語を、ローマ字変換するとき間違えることが多い。これはもう直らないようだ。


  後は右とか左、をよく間違える。書かなければいい。考えてみると、必要ないなと思うときも。

  それと、これもほとんど、申し訳ないという意味で書いているのだが、窓からの景色は、たとえば、すぐ近くに

  かなり広いといえる、田園地帯がって、ここに出ると、いえの中から見える範囲、というのがいかに狭いもの
 
  か。あるいは限られているか。よくわかる。

  ほぼ視界が360度ある。大円といわれるものがあるが、それに近い広がりを感じる。広すぎて、おかしく

  なる。あまり広いと、あるいはどこまでもおなじものが変わらず続くと自分のいる場所、というのも

  わからなくなる。


  寝転がって、よく天井の眺める。でもさほど広い感じはない。それでも、窓から見える範囲と比べると

  ずいぶんと広い。天井が低い、これを感じる。つまり、立って上を見上げるとき。すると、天井しか見え

  ない。いろいろなことを体験しては忘れているが、星の話でよく書いている、天井があって見えない、という

  範囲の広さ、は想像以上。で、たまに窓から顔を出して、上を見上げる。地平座標で、どのくらいの

  高度まで、私の目で見ることが出来るだろうか。ずいぶんと、言葉と現実は違う。


  井の中のカワズ。


  朝から、天気の変化ばかり見ていて、きれいな雲が出ている、あるいはあれ、これはどうなるか、雨が降りそうな

  感じもする。落ち着かない時間をずいぶんと過ごした。これに加えて、このところまったくサボっていた

  ゴミ出し、普段出さないゴミ。去年整理していたものである。これをきのう、5月31日、ゴミの出し方の

  パンフレットをよく見直して、今日の朝、早めに出した。

  どうでもいいことを書くと、燃えないゴミって結構すごい。こんなものも、ってなことである。


  先ほど、朝出したゴミ、燃えないゴミ、きれいになくなっているか、見にいって来た。何も残っていなかった。

  自分の出したゴミ。これが残っていた。それはコーヒーのビンだけど、その記憶がある。

  ずいぶんと気を使うようになって、燃えるゴミ以外、むつかしそうなゴミを出す回数は減った。

  ただ、冬、雪が積もっている。こうゆうときとか、大雨のときがある。出せない。今日は、天気はまずまずで

  無事ゴミは消えていたが、しかし、ゴミは増える。


  ゴミの話は止めて。


  梅雨どうなのか。梅の葉の大きさ、色、梅の実。D300で。今回はこれで最後。



  その一。




  その二。梅、実の数は少ないが、葉がかなり広がった。これを見ていると、何十年も前からあるが
  一番大きくなっている、と感じる。




  その三。




  その四。




  その五。雨粒が残っているが、葉の赤い部分もまだ残る。  




  その六。撮りにくいところ。




  その七。



  このパステルカラーの緑の葉の正体は、というと、ナンテン。そういえばあった。



  その八。




  その九。




  その十。


  ゆっくりと書いていて、ちょうどいいかな。

  こうゆうことは書いて、これは止めた方がいい。そんなことを考える必要はあるか。

  よくはわからないが。



悩みを話すということ、聞いてくれる人がいること。荒れ庭の木々の形相

2015-08-31 14:04:54 | 植物・花(夏)
  夏だな、と思っていた。今日は8月31日のはずだが、学校始まっているところもある。8月も今日まで。

  まだ時間はあるが。


  今日は8月31日、9月は明日から。気象庁のアメダスのページを見ても、8月31日とある。

  雨降っていたが、不思議と晴れている。でも近い時間にまた降りそうな、高解像度降水ナウキャストの画面。


  きのうのことである。もう、散髪の後片付けの話はない。その後のこと。掃除をしていない時間が増えてゆくので

  まだ時間的にあわてることもないので、掃除機をえっこらしょと狭いところの隙間に置いて、まずはコードを引っ張った。

  床の上の掃除機である。下向いてやる作業はしんどい。ちょうど、高さ7cmくらいのところに、ホースを接続するところが

  ある。これ以外に方向はないのか。ないのかも知れない。この掃除機、妙なところに持ち手がもう一つあって、よけい

  使いにくい。しかし、買った以上、使わないと。もうでも4年たつか。私が使っているお古は、どのくらいになるかな。

  経験だと、15年は使った、という記録の掃除機は最後はやはり壊れた。そこまではいかない。7年くらいかな。


  きのうの午前の掃除に戻ると、ここ動かしていない、というところがあって運動の意味もあって、どっこいしょと。

  この違和感は、運動していない、重いものを持っていないことを如実に表わしている。でも、何かは見つから

  なかった。7年使った、EIZOのモニタ、S2100を下に置いてある。これがやけに重い。春に動かした。こんな重いものを

  よく2階から下へ、おろせたものだ。ほかに、これは去年の7月ごろだが、使っていないPCを分解して、一部のちのち

  使えそうなものを押し込んだが、押し込んだ箱も結構重い。新聞もどけて、掃除機を当てたが、この新聞も重い。

  でも自分のお腹が、一番重いはずだ。新聞回収も迫る。一袋詰めた。その後結局1週間たっているが何もやって

  いない。考え方としては、多少は新聞紙は残さないといけない、という真理はある。来週日曜日、回収の日。


  批判にならないような批判とか、愚痴こぼしている。PR誌など読むと、ときどき箴言の塊のような文に出会う。

  ドキッとする。アレーこれはやっているか、そうゆうものが見つかった。でも人間の程度が違いすぎるしなど

  自己弁護する。批判が全うなものとして、やっぱりこれは書かないといけなかった。そう思うときもある。ただ、ある

  言葉を入れ替えると、その批判が自分にも当てはまる。これはよくある。ほかに、これはいいというのを見つけて

  少し変えて、ここに書いたりもする。こうゆうものも、よくよく考えると、自分にも当てはまるってよくわかる。


  それでもあえて、書かないといけない、政府自民党の出している安保法制は、違憲であって、当然廃案にすべきだ。

  この考えは変わらない。もっとも、政府も変わらないだろうけど。


  何にも悩みがないようなことを書いているが、もちろんそんなことはない。ネコに話しても、なんとも言わないし。

  仏壇の前にいることもないし、お経もあげない。それでも、一ヶ月に一回くらい、たわいない話を出来る、そうゆう人が

  いる。話をするというのは、聞いてくれる人がいる、ということだ。対面して、ときに唾が飛んで。それでも何にも

  言われない。


  話の聞き方がうまいんだな。ほとんど、聞き流している感じはわかるが。ときどき突っ込まれる。これがあるので

  ムッとしながらも、後で考えると、その考えが正しい、と思える。こっちに来て、買い物するようになってかなり時間が

  たって、こうゆう話が出来るようになった。

  医者はよくいう。来ないとだめだよ。どこか悪くなくても、もちろん悪ければなおさら。これもたまにいったとき

  だけの話だが。あれ、そういえば今日の夢に、あの先生出てきたか。夢の中の話だから、はっきりとしないが。

 
  もともと、どうでもいい話は、元気なときは相手が「もういい」というまで話す。よく話が尽きないな、これはしかし

  昔の思い出で、しかも一回だけだったと思う、同窓会でのことだ。いまは一番きらいな言葉が同窓会だ。

  人見知りもするが、照れ屋だが、そんなことをいっている時間、言える時間ももう残り少なくなったと思う。

  顔付き合わせる大切さ。相手がご婦人、これはないか。


  学校の先生の一番しんどいことは何か。これは管理職といわれる人との付き合いだろう。これはさらに辛くなる。

  鬱病になるだろう。もう一つ、テストをすること、採点すること、成績をつけること。こっちは、想像だが当たって

  いると思う。


  今ごろ柿の木も、実がでかくなってきた。頭に当たると痛いを通り過ぎる。緑なので、わかりにくいが

  数も増えた。




  その一。草刈りの電話は、最初からやる気はなかった、と思えるもの。これもあって不思議ではない。
  もちろん、雨でやれる条件でないが、連絡もない。




  その二。草刈りでなくなるだろうというところの様子もここにある。




  その三。タカサゴユリの花は、割りと早く散る。




  その四。ここで柿の木を見た。葉が大きいこと。元気そう。




  その五。





  その六。梅の木。




  その七。ここにも柿の木だが。




  その八。




  その九。これらは、G1 X Mark IIで撮っている。その八と九は、オリジナルと拡大。


  再び、雨が降りそう。



びっくりお天気。写るノボロギク、写らないハナアブ、最後に咲いたタカサゴユリ二本

2015-08-27 14:08:37 | 植物・花(夏)
  まったく、このお天気はわかりません。


  暇なのだ。だからお天気を心配する。これはもちろん、きのうのことだけど。忙しく働いている人は

  空を見ることもなく、パソコンで、株の荒い動きも見ないだろうし、円高にならないと嘆くこともない。

  でも、やっぱりあれだけ妙な天気が続くと、どうしても空を見上げてしまう。しつこいようだが、実際に風が吹く、

  暗くなる、雨が降る、これがほぼ周期的に来るのだが、アメダスの記録には残らない。


  したがって、もう飽きるほど雲の画像は撮っているが、忘れてもいるので、その様子を見たりする。これはなかなか

  すごい。そう思うときがある。でも、これにももう限界があって、最後には、ごろりとなって、もう少しはっきりと

  わからないか、数学という言語、初等だけど、で書かれている本に手をやる。それから本を作っていたときの

  ことを思い出すが、これに関しては、きのうよりたぶん今日の夢に出てきた。新入りでほとんどこの人に教えて

  もらった、という10歳上だった人が30代のままよみがえった。専門書は売れない、在庫の山。これは夢に

  なかった。


  このところ腕時計をもはめない。でも、たまに腕時計を左手にする。かなり進んでいるようだ。帰ってから、出かけ

  たので、直そうと思った。でも、これは目ではっきり見えなくて、やり方としてはデジタル部分の修正の仕方は

  間違っていなかったが、最初は失敗。これもちろん、きのうの午前のこと。

  00秒越えて29秒までの場合、あるボタンを押すと、分の単位がそのままで、秒は0に戻る。これをやっていると

  3分くらい進んでいても、何度かの操作で、ほぼ正しい時間に戻せる。遅れている場合、30秒超えてこの作業を

  やる。すると、1分進む。


  問題はアナログ、この言葉はいらないか、針のほう。これに関してまったく見ていなかったので

  逆に遅れていた。これの修正の仕方、もう忘れた。かなり時間かかって、もともとここだろうというところに

  8年前くらいに買った、ソーラーでもない、電池で動く腕時計の「説明書」が見つかった。

  3分くらい遅れているので、これは進めるだけでいい。その操作をやって、ただ完全に理解していなくて

  もう、針の調整も終わったと思ったのだが、このモードは生きていて、他のなにかを触ったら、また針が

  動いた。あれ、進んでしまった。時間もう、1時間はたっている。

  こうなると大変である。逆転出来ない。進めるしかない。こうゆう作業、向いていない。そう思わざるを得な

  かった。

  
  昔の時計、自動巻き、針はネジでスルスル動く。こっちがやはりいいな。でももう腕時計もいらない時代だ。
  
  
  キーボードの文字を間違える。こんな日本語はない。キーボートのキーは多いが、目的の位置に正しく

  指がいかない。一つは、はっきりと見えないというのがある。モニタの画面を見ている。ちょっと遠い

  感じだ。でも、キーボードは目から20cmにはある。メガネがいけないのはわかっているが、メガネ屋に

  ゆく気になれない。場所もよくわからない。遠い。根本的なところで、これが出来ないのだ。


  あとはいまは象牙色というのか、まったくは白でないものに、黒に近い色で文字がキーに乗っているタイプを

  使っている。彫ってあるものではない。印刷かな。4日ほど前、新しいといっていいものに変えた。

  少しは!はっきりとする。ストロークは深め。ただ滑りやすい。もっと文字が濃く見えるものが欲しい。そうも

  思う。コネクタ、接続は、PS2がいい。これは、CPU交換機が、PS2から電気を取っているから。


  午後になっていて、キーボードを作っている会社を調べた。これは、価格.comがわかりやすい。

  見るだけだからと、東プレを最初に。でも、USB接続しかもうない。古いキーボードはいくつかある。

  考えることだけはやれる、値段の高いキーボードの感触はいかがなもの。もっとも、メガネが根本的で

  これでお手上げだと、どうにもならない。


  きのうのことを思い出して、書いている。しょぼんとしているので、どうしようもない。


  これもきのうで、雑草撮り。雨降りそうになっている時間で、手抜きした。でもカメラも、ほめられない

  と思う。




  その一。これもノボロギク、花咲きそうにない。ピント出るまで時間。




  その二。アブかな、ハナアブか。で、花にピントが出ればと思うのだが、この方向だとだめ。




  その三。被写界震度も浅い。




  その四。ここまでは写るのだけど。





  その五。三本目の、タカサゴユリ。一番最初に咲いたもの、3年前に。




  その六。その五の後ろに。これはその五のタネが落ちて咲いた感じ。
  きのうの夕方から、今朝までアゲハがじっとここに止まっていた。間見てないけど、多分じっと。




  その七。右側の丸いもの。もう飛んで来てかなり時間たつ。ここから動かない。





  その八。




  その九。これを見ているとエネルギーの塊のようにも感じられる。



  タカサゴユリをもっとも望遠側で撮ってもみたが、出来はよくはなかった。


  外はものすごいいい天気で気温も上昇している。

  変化が激し過ぎるが、落ち込んでいることもないか。




小さい雑草はかわいく、ユリとなると美しく、名もわからぬものは脅威なんだな

2015-08-22 13:52:19 | 植物・花(夏)
  朝、ネコが来ているときがあって、これがいつもならそれなりの用意に悩むことはないが、来ないときがある。

  冷蔵庫でただ時間だけたつ。食べ物も沈黙。いくらネコだと言いながらもあげられず、その食べ物やはり捨てないと

  いけない。そう思う。ただまだ捨てていない。そのときを待つ。

  そのネコの鳴き声だが風邪引いているのか、えらく低い。もともと、そんな低い鳴き声は出さない。でも、食べると

  すぐに帰ってゆく。どこかへと。元気だとしておこう。どのネコもかわいい声を出すとは限らないし、冬はクシャミ

  するし。でも、気にはなるな。私の声もだみ声に近いときがあるが。


  朝、6時でも、薄暗いけど、このいえに正面から入るときは一種恐怖感がある。ここに人がいるのか。草だらけ

  じゃないか。自分自身が思うくらいだからひどい。むかしは奥のほうがもっとひどかった。いまは入り口もひどいが

  左側に回り道があって、ここに物置きがあるが、一応コンクリートで地面は固めてあるのだが、その上に土が乗る。

  コンクリート、溶けるものもあれば、割れるものもある。重い車も入ったから。そこになぜ草のタネが。

  そうゆう疑問はいまは持たない。どこもかも草だらけ。それでも春に草を刈ったときは、一面スベスベになった。

  竹が伸びたのはそれから。蔓性の植物が、カラスウリなど他もあるが、木に絡み付いているのを見ると、うんざり。

  これも春はほとんど目立たなかった。今年はあらゆる木の周りに、絡みついている。こんなことがあるのだな。

  コンクリートの壁、塀に絡み付いている、蔓性の植物はツタだろうか。何とかわいいものだろう。そうゆうお宅は

  いくらかある。それに比較して、ここは一体なんじゃ。


  冬にはさすがに草はない。ないはずである。いや冬に生える草はあるかも。あるはずだ。雪に耐える草が。見ないか

  見えないか。その問題。

  蔓性の植物は実だけが残る。カラスウリの最後は、しかし、美しくはないが、存在感はあるかな。雪が降っても

  中身のない実は残る。タネは落ちるんだな。タネが残るということ。そんなもの見えない。多くは雪の下だから。


  竹と木以外は、冬はほぼみな枯れるように思う。それでも、年を越して、春になると、毎年出るものが出る。

  竹はより高く、草はより自身の繁茂、縄張りを広げるため格闘する。恐ろしい戦略である。


  最近やけに気が弱くなっていることもあるが、これらの草が怖いと思うようになるから不思議だ。昔のあの私はどこに

  いった。そうは簡単に、すいませんでした、とはいわなかった。これはちょっと別な話か。

  植物にも短いながらの、小さい命がある。そう簡単に、農薬は撒けない。農薬を撒く、なぜ嫌かというと、これが最後に

  回りまわって自分に何かが負い目として降りかかってくる。そう思うからである。農薬さえ撒かなければ

  こんなことにはならなかった。必ずそうなる。


  ここのいえの地面、もともと、扇状地のような構造。南が高い。北が低い。記憶にないが、北側に川があったという。

  小川は東にあって、いまは用水になっている。で、雨が降れば水は南から北へと、洪水にはならないが、理屈としては

  そうで、正確にいうと、南南東側が高い。北側のある部分はドスンと落ちている。昔のいえにはっきりとその証拠は

  残っていて、段があった。30cmくらい下がっていた。そこから先が物置のようにもなっていて、いつもは誰も

  いなくて野生の生き物が這いずり回っていたのかな。


  いえを建て直すとき、私はまったくタッチしていない。精神的にかなり参っていて、自分でもどうしてこうなるのだろうと

  不思議でたまらなかったが、こうゆうことは他の人でもあるらしく、別に珍しくはなかった。いまは多少は薬の

  効果もあるのだろうが、そうゆう悲しげな状態に落ち込むことはない。

  ここのいえは、高いところの土地を削るべきだったのだが、盛り土にしている。切り通しというが、あれが

  正しかったのだ。盛り土、これは流される運命にある。実際にかなりの土が減っている。


  そうゆう考えもあって、草は生やしておかないといけないと強く思うようになって今があるが、

  それにしても、これだけ草に迫られると、そのことについて考えたくはない。しかし、外に出れば草。

  でも予定では、9月の初め、8月の終わりでもいいといってあるが、草刈りの予定は入っているが、さてどう

  なるか。

  春来た人と同じになるはずで、驚くことはないだろうが、何じゃという気にはなるはずだが。

  そういえば、草を刈ったのは、お願いしている人だった。ある意味、しょうがないかでやってもらえるのでは

  ないか。


  冷たい水くらい用意しないといけないか。


  今日は天気回復して、気温が上がっている。29℃になっている。風がない。これがちょっと苦しい。




  その一。これはサンゴジュ、いい赤い色。




  その二。お隣のオキザリス。隣のものはいいように見えるのだな。
  



  その三。地面に這って生える、小さい花を咲かせる草。




  その四。これを撮るのに身体を支えるのが辛かった。




  その五。最近の天気の象徴のような雲。





  その六。新しく出てきた、タカサゴユリ。これ、マクロにしていない。近いところはぼけている。




  その七。




  その八。一回だけ、草を横にどけた。あれから何日たったか。隘路。




  その九。これはノボロギクにしてと。




  その十。すごいというよりやはりひどい。でも、なぜ、こんなに、生えるのかな。
  これがどこから来たのか、考えることではないか。


  絵の具のようなきれいな青い空が出たが、また灰色の空に。





雑草探し、ひとつはノボロギクだと思うが、ヒメムカシヨモギかどうかはやっぱりわからない。

2015-08-20 14:08:30 | 植物・花(夏)
  午前10時台、11時台初めまで、非常にいい西風が入っていたが、いまは風は止んでいる。

  雲が厚く、日照もないようなで、温度計は28℃くらいで、これはまだすごしやすい。きのうでも29℃はあった

  から。


  8月15日、あれだけ暑かったのに、朝の部屋の温度が、25℃以下まで下がっていた。8月15日は、そんな昔という感じ

  ではないが、どうも時間的な連続性の観念がなくなっているようで、もちろん、70年前に、どうゆうことが起こった

  のか記憶ははっきりとしているが、いま感じる今年の15日の存在感は希薄である。ただ涼しくなり始めている、

  これは事実で毎日、カレンダの裏に、朝起きたときの温度計の値を書いておくのは、意味がある。


  きのう、用事があって朝もゆっくり目に出かけたのだが、久しぶりに、話をよく聞いてくれるある人がいたので

  仕事の邪魔にならない範囲で、あれこれ話した。自分で話していても、話になかなかつながりなく、ときとして

  向うからの話も出るので、それだけで、いままで話していたことの意思が消えてしまったような状態になった。

  これも、ただ一人、普段はポツンと生きているからかも知れない。

  どうゆうわけか、冷蔵庫の中から新しいペットボトルに入っている、そうは安くないお茶まで出してくれた。私は、

  もともとそうゆう必要のない人間だが、少しだけ口をつけた。でも帰ってから、ありがたくみな飲んだほうが

  よかったかなとも思った。

  こうゆうときの判断はむつかしい。気を使ってくれている、それだけはよくわかった。


  姪っ子が来るときも、自分で、専用のドリンクを持っている。冷蔵庫でも何でも自由に開けて使ってもらって

  いいのだが、お土産で受け取るのは、これまたはっきりしているが、誰もが貰ってありがたいある「紙切れ」と、

  それ以外はよっぽど気に入ったものだけで、多くの場合が何も持っていかない。ときに用事も頼んだりもするので

  お礼的な意味はあるが。


  それで、あまりこの話が長くなると、自分の頭の中もぼやけてくるので、画像と関係することに進んだ方がいい。

  きのうは、知っている虫だったので、ときとして湧き出す不安感はなかったが、よく知らない草のことなどを

  書くのはやはり苦手意識が出る。これが普通に日記と違うところ。

  やっぱりここで問題になるのは雑草である。タカサゴユリなど、もうわかっているものは、ほかになく、わからない

  ものだらけで、堂々間違っていたりもする。

  
  前々から葉っぱ、茎、これも違いをはっきりさせるのに必要なことだと考えた。これはいまも頭にはあるが、実際に、

  カメラを触っているとき、すっとなくなったりする。なぜ、今年はこんな雑草という問題はいつもあるが。

  一つは、葉っぱの形から、「ノボロギク」だとした。参考にさせてもらっているのは、いつも同じだが、

  書かないときも多い「季節の花 300」さんである。

  ヒメムカシヨモギとアレチノギクは、もともと、同じムカシヨモギ属。この違いを見つけるのはむつかしい。





  その一。土の栄養がいいのか、日がよく当たるからか、大きな葉である。ねじれてもいて、ギザギザもある。
  これは、悩んだけど、ノボロギクに。




  その二。撮る角度の違いのよる、見た感じの違いもかなりある。




  その三。これは蕾だが、また細い毛もわかるが、ヒメムカシヨモギに。




  その四。葉っぱが見事だが、わかりやすいノボロギク。ただ、決定的か、そういわれると自信はない。





  その五。毎度のケヤキだが、これも角度を変えて、少し感じを変えた。葉の色もよくはないが
  生命力も感じさせない今年の夏の木の葉。枯れることはないだろうが。





  その六。細い、これもヒメムカシヨモギ。




  その七。アレチノギクだとすると、このタネの状態が、もう少し丸いようになるはずだが、それゆえこれも
  ヒメムカシヨモギ。




  その八。その三がさらに生長して、こうゆう状態になるのではないか。




  その九。珍しく、バッタが動くのはわかった。色が葉の色と同じで、いまも驚いているが、低い位置に
  入ったので、カメラも押し込めなかった。




  その十。ヒメジョオンだとして、同じムカシヨモギ属。ただ、こうゆう花は多いので、これは違う可能性が
  大である。
 

  お天気、回復するのかな、秋の高気圧に覆われるのかと思ったのだが違うようで、天気予報、いいことはなく

  曇り時々雨のようである。


  午前10時ごろ、どうにか新聞を見る気になって、ここは寝転がらず、立ったままメガネをはずして読み

  始める。週刊誌ネタという言葉だけで、あれかとわかる今の世の中だが、これに付き合う気は毛頭ない。


  これも私の勘違いがある可能性もあるが、自衛隊の内部資料というのが、どうゆうわけか漏れてくる。

  何か事故が起こった。海外に派遣されている自衛隊員に怪我とか負傷者が出た、そうゆうことでもない。

  過去にそれに近いことがあったというのはもうはっきりとしている。戦地ではなく、帰国して自らの命を

  絶たないといけない。そうゆう状態になったかたもかなりの数いる。これは白書に出ているのだろう。


  問題はいま国会で議論されている、安保法制に関してのことである。自衛隊、というより、こちらのほうが正確か、

  防衛省の統合幕僚監部が、安保法制を先取りするがごとき内部資料を作成している、云々。これは、検索して

  一部文字を貼り付けた。こうゆうのが、どうして共産党さんに漏れて来るのだろうか。別に、私、共産党の

  支持者でもないけど。ここが不思議で、でもいまの国会議員の中で、こうゆう重要な法案に関して、政府側に

  これはどうゆうこと、と迫れる政党は、共産党しかない。これを評価する評論家の方もいるくらいで、

  インパクトはある。もっとも、一番大きかったのは、憲法審査会に出席した3名の方全員が、安保法制は違憲だ、

  といったことだが。



秋雨前線停滞中、タカサゴユリの白い花

2015-08-20 07:03:05 | 植物・花(夏)
  お天気、冴えない曇り。

  雨は降っていない、風もほとんど。雷もなく、気温はというと涼しいといっていい。

  おかげでよく眠れたが、頭の中はすっからかんに戻ったようで、最低のレベルまで持ってゆくのに

  朝、少し時間がかかる。


  玄関開けて掃除した。多くの人は間違いなくやっている。このとき、蚊がいるのに気が付かなかった。

  あっという間に喰われた。


  先にタカサゴユリ、このユリ、花はテッポウユリによく似ているが、茎も葉も細く、それを見ると

  違いは明らか。花だけ似ている、この一言で違いはわかる。




  咲いて少し時間がたっている。







  茎と葉の様子も。




  明らかにテッポウユリと違うところ。




  もう少し透明感が出るかと思った一枚だが、そうでもなかった。


  2012年、初めて咲いた。この個体も残っている。茎一本に花が4つくらいまで咲く。

  この後ろに新しい茎が出ているが、細く、まだ花は咲かない。日当たりがよくはない。

  今年もう一本、花を咲かせているものがあるが、場所が、最初のものと離れているので

  鳥がタネを運んで、出てきたものだと思う。画像の個体も、道路に面したところで、最初に咲いた

  ところとは離れすぎていて、やはりタネを運んだのは鳥だな。



  蚊の話はどうでもよくなったけど、玄関掃いていて、蚊が入るかな。入るなー。

  ブーンという細い弱い鳴き方。蚊取り線香をつけたが、すぐに消えた。

  この時点で、三箇所かまれたようで、頭と腕と膝の後ろ。

  頭、おでこに薬は塗れず、ひざの裏は塗りにくく、アンモニアの入ったこの薬も、なくなりそうで

  出は悪い。新品はあるが。

  今日は出鼻をくじかれた。蚊で。お天気も、空を見ているだけで、心細くなる。




朝の風は涼しい、曇ると秋だといっていいような、エノコログサ

2015-08-19 07:09:29 | 植物・花(夏)
  きのうの夕方から、北東の風が強く、これが冷たいといっていいものだった。

  曇り予報で、いつの間にか雨で、瓦が濡れているのもわかった。ひどい雨ではない。

  前の日に眠ったと思う充足感があって、今日は眠れないかも知れない、と思うがこれまた不思議で

  眠った。でも、眠ってもまたすぐの目が開く。これが面白くない。


  朝まで目が覚めなかった、そうゆう眠り方をしてみたいが、これも肥満体質ゆえ無理のようだ。


  背中が痛い。ここに多少筋肉がある。そういえばきのうは無理をして、ずいぶんと身体を曲げて

  地面すれすれに咲いている花も撮った。このときはさすがに苦しいし、身体を支えるのも大変だったが

  多少は筋肉に負荷がかかって、24時間たっていないが痛みが出た。腹筋は、横のところが痛いときが多いが

  これはもう常時そうゆう痛みは出ている。立っているだけで、身体を支える筋肉に痛みがある。

  そんなものなのだろう。単純に、運動していない、そういわれて終わりだ。大体まだ死にそうにない。

  死にそうな感じがしているだけだ。でも心細いのは時日(事実、8月20日、16時11分)だ。


  おそいADSLを使っている。NTT西は、私企業だから、当然利益を追求する。

  ADSLの新規申し込みは、来年の6月だったかで、受付を終了すると出ている。


  何年前に始まったのか、ブロードバントのインターネット。電話回線ゆえの問題点も多かったが

  電話そのものを利用するより、もちろんよかった。


  NTTの交換局からの距離を調べることが出来るが、ここの電話の場合だと、何度調べても同じ値が出て

  2640mだ。昔もいまも同じだ。これが1000mだったらなー。モアスペシャルがもっとも下りの速度が速くなるそうだ。

  速度がどの程度減衰するか、の曲線を見ていても、これまた驚きのものがある。


  損失というのがどうゆう意味か、37dBが何を意味するか、わからなくても、ここの値が37dBだが、グラフを見ると

  数字がよくわからないが、この損失の結果よくて毎秒、8Mビットかな。よくてである。

  いま使っているのは、最低の速度の1.5Mというタイプだが、毎秒0.15MBくらいの値が出る。1.2Mビットに

  なるはずだが。6倍か。


  「ひかり」は使うことはまずはない。仕組みもわからないし、みな最初からお勉強しないといけない。

  工事なんかやられると、どうなるかわからないし、何しろすべて、0からのスタートは厳しすぎる。

  最近のお悩み兼、考え事でした。














  秋だねー。

  頭の中は吹雪だが。




大雨になった。空気が入れ替わって、夜中は星だらけに。夢みたい。画像はイネ

2015-08-18 07:10:05 | 植物・花(夏)
  朝は、普通のぼんやりとした雲と太陽。


  きのうの気温がやはり低かったようで、今朝も、気象台の気温は、午前6時で、22.8℃しかない。

  室温も、起きた時点で、24℃と少しだった。25℃はなかった。風は強くないので、いつもの通り

  夜中の3時過ぎから毛布を一枚追加。鼻水も出なかった。5時半に起きた。


  きのうは午後は天気が回復しているように見えたが、雨雲はやって来た。NHK-TVの夜6時台のニュースでもやって

  いたが、低い位置に虹が出た。副虹も出た。このときはお湿りで終わった。


  本格的に雨降ったのは、午後5時台後半からか。

  でも、TVで示される、真っ赤とか黄色が実際に来ているかどうかわからないもので、気象台の値では

  きのうの午後7時に、29.5mmの降水があって、これはかなり心配に、心細くなってくる数字。

  1時間単位での降水だと思うので、瞬間的には、50mmくらい、あるいはもっと強い雨が降っている可能性はある。

  足して、1時間で29.5mm。でも、これは強力である。


  気象台とは、4、5km離れている。街まで、二里ある。昔の人はそういった。それよりは近い位置なので、4、5kmに

  している。


  予報は一晩中雨だったが、きのうは極端に疲れていて、起きたのも朝の5時だったが、気温も低めであっさりと8時

  ころ眠った。これでは赤ちゃんである。でもぶっ続けで眠れないので、必ず起きる時間がある。

  10時半だと思ったが、もう雨の音はなかった。きのうは雨は夜降ったが、何か起こる心配はなかったわけ。


  でっ窓から外を見て驚いたのは、雨か曇りのはずが、空気が入れ替わっていて、雨は降っていなくて

  その時間は西の空だけだったが、星だらけで、手でつかめそうな感じがした。水分があるので、星が少し

  大きく見えているというのもあるのだろう。この空は年に何回もないものだな。あきれたようにしばらく空を

  見ていた。風があった。周りにまだ雲はあって、一瞬の晴れ間かも知れず、カメラを出そうとは思わなかった。

  しばらく眠れなかった。


  その後、もう一度、もう今日になっていたが、同じように目が覚めて、水を飲んで、ためしに窓を開けたら

  あきれたことに、南の空も東の空も晴れ上がっていた。なんだ、この天気は。わずかに北の方向には雲が

  あったようだ。元気な人なら、この様子は必ずカメラにおさめているだろう。

  でも、目で見ているだけで十分な気がして、返って妙な気持ちを起こさない方がいい、という考えはいつもある。

  美しいものは、それだけでは存在しないからなー。畏怖を通り越して、恐怖さえある。

  眠いというのが本当の気持ちか。しかしいいものを見た。


  イネ。




  これは一枚だけカラスウリの実。










  8月11日のものだから、1週間前。

  コシヒカリかな。もうすぐに稲刈りだべ。