腎移植の記憶

2023-02-24 23:28:16 | 日記
最近自分の記憶の引き出しは開きやすいのだが、開けて見てよくなかったものがある。
うまく行かなかった腎移植のことである。

私は1980年代に13歳に母から腎移植、でも移植腎を1か月で取り出した。
肺炎で息苦しくはあっても、少し我慢できなかったものなのか、母思いのない子供であった。

移植手術が終わると、集中治療室で食べられなかったものを持ってきてもらうことができた。
子供らしくファミレスメニューをお願いする子が多かったようだったが、私は梅干し茶漬けとイカの塩辛。 腎臓が悪くなる前にお酒を飲む父の横でよく食べていた。 子供の時から将来のんべえになる兆候はあった? 腎不全は水分制限があるから、日本酒は2合までにしていた。

同じ病室には、3回移植手術を受けた子がいたり、双子の女の子は両親から腎移植を受けていた。 私は退院後に何度か病院か亡くなられた方の腎臓の提供があるが受けてみないかと電話をいただいていた。
移植後に肺炎になったので、同じ手術を受ける勇気がなく、献腎移植登録をしたのは結婚を決めた27歳で、生きる欲が出たのだと思う。

私がいた小児病院では毎月腎移植が行われた。
たくさんのお母さんの腎臓が腎不全の子供に移植された。

家族の中で一番適合する腎臓かを血液で調べ、母親の腎臓が多かった。
性格的には弟は母に、私は父に近いと感じていたが関係なかった。
当時移植は同じ血液型がいいようなことがいわれていたが、今は免疫抑制剤の進歩で友達間での移植が可能らしい。

遅ければ遅いほどいい薬が開発されて術後の経過はよかったりする。
でも過去には透析を受けられないときもあった。

生体腎移植は、どこも悪くない体にメスを入れ腎臓を取り出すので、医師はいいとは思っていないと聞いたことがある。
将来生体腎移植が進歩し続けるのか。
腎臓の再生医療を実用化するために-10年以内に腎不全患者さんへの応用をなんていう記事が2017年に掲載されていたし、豚の腎臓を移植が免疫抑制剤の進歩で可能になったりするのかなと思ったりする。
この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バレンタインデーのうれしく... | トップ | しまった!寝てしまった・・PTA »

日記」カテゴリの最新記事