昨年10月に訪れた兼六園の画像を載せているが、今回はその中の建物である時雨亭。資料によれば「5代藩主前田綱紀により建てられ、その後、6代藩主前田吉徳がを小さく建て替えた別荘が、明治の初めまで補存続していた。それを現在地に当時の間取りを参考にして、建て替えたものという。現在はどうやら茶房とは言わないが、いわゆる茶室的に使われており、抹茶(生和菓子付き)700円、煎茶(和菓子付き)300円。とあった。何というか、玄関は入母屋であるが、きりっとして現代風の感じがする。
兼六園には様々な木が植えられており、それが大きく成長していたり、剪定されて形を整えられていたりしているが、そのどこの下にも杉苔がびっしりと生えている。いわゆる下草というものがなくすべて杉苔の覆われている。これもまた、しっかりとはぐくまれているのだろうが、見事な眺めを呈している。だから木々を眺めていてもまた、その下を眺めても、いずれも目に和む風景となっている。10月18日、金沢市内で撮影。
兼六園内には、用水が各所に流れており、美しい池を作っている。近くに川はないし、いったいこの水はどこから来ているのだろうかと疑問に思っていた。そこで、資料とかネット内の記事等を調べてみると次の通りだとわかった。
それは「この水は辰巳用水を流れてくる犀川の自然水で、兼六園からおよそ10キロ上流の東岩取水口から取り入れられた水は、平均勾配230分の1という緩勾配の辰巳用水の勾配差を利用して高台の兼六園に揚げられている」のだそうだ。
まあ、大変な工事だったろうが、たいしたものだと言いたい。この水流がなければ、この兼六園の風景も様変わりして、全く味気ないものになっていたろう。と言うより、このような公園が作れなかったかもしれない。往時の技術力の高さに感銘を受けた。
それは「この水は辰巳用水を流れてくる犀川の自然水で、兼六園からおよそ10キロ上流の東岩取水口から取り入れられた水は、平均勾配230分の1という緩勾配の辰巳用水の勾配差を利用して高台の兼六園に揚げられている」のだそうだ。
まあ、大変な工事だったろうが、たいしたものだと言いたい。この水流がなければ、この兼六園の風景も様変わりして、全く味気ないものになっていたろう。と言うより、このような公園が作れなかったかもしれない。往時の技術力の高さに感銘を受けた。
北陸ツアー最終3日目の2番目の観光は、一応、2時間半ほど自由散策と言うことで、八坂の左側の兼見御亭の前で解散となったが、殆どの人は、ツアーオプションの方へ参加するというのでそのままバスで出ていった。私と、友人の二人は、そこからすぐ近くの兼六園をまず回ることとして、兼六園には7つの入口があるそうだがその中の小立野口と言うところから入った。有料なのだが65歳以上の人は証明があれば無料と言うことで私たちも無料で入った。折から、高齢者達のツアーの一行と同時だったので、そのツアーのガイドが私たちも同じツアーの一行の人間だと勘違いして、と言うか同じ老人同士なので区別がつかず、配っていた説明書を私たちにも握らせてしまった。そんなわけで、しばらくはそのツアーに紛れてガイドの説明などを聞いて歩いてた。そのツアーの一行の人たちも、私たちに一向に気づいたりしなかった。10月18日、金沢市内で撮影
北陸巡りツアーも3日目となり最後のこの日は、金沢市内の兼六園をみることになった。観光バスは、兼六園のすぐ近くの兼見御亭と言う料亭の前に止まった。この料亭の表は、菓子や料理の販売店となっており、店の前にバスが止められる余地があった。この店の名前の兼見御亭はケンケンオチンと読むそうだ。そしてその右手すぐ脇に小径の下る坂があり、そこに道標が立っており「八坂」とあった。これもまたハッサカと読むそうだ。資料によれば「長さは約50m,傾斜は約100分の12で、金沢の主な坂道の中でも最も急な坂道で、金沢市の「歴史の町しるべ」の標注が立っており「昔、付近に木こりが通う八つの坂があったのでこの名がついた。のち、一つが残り、宝憧寺坂、伊予殿坂とも呼ばれた」とあった。中々趣のある坂だった。春には桜がきれいなことだろう。
せっかくなので、昨日に引き続き、金箔工房箔座本店内に展示されていた興福寺五重塔を載せる。説明文によれば「本体をヒノキで作り、漆で仕上げた上に高級金箔縁付一号という金箔を張り付けたもの」という。高さ60、70cmほどあるのだろうか、ガラスの中に閉じ込めてあったが、なかなかの力作と思えた。写真には店内の照明が写り込んでしまったが、それもまたご愛敬と行ったところ。10月18日、金沢市内で撮影。
昨年1月に行った北陸ツアーに参加した第3日目は再び金沢市内を観光することから始まった。その最初に行ったところが箔座という金箔のお店。店内は色々な金箔を貼ったものが売られており目には鮮やかに映った。その中でも特に人目を引いたのは、あの太閤秀吉が作ったと言われる金箔を貼った茶室を再現してあるものだった。最高級の金箔を約4万枚も使ってしつらえてあるという。目にまばゆいばかりのきんきらきんが迫ってくるようだった。10月18日、金沢市内で撮影。
柱状節理というのは「マグマが冷却固結するときに生ずる柱状の割れ目」だという。そして「東尋坊の火山岩は白色の斜長石の斑晶や暗緑色の普通輝石・紫蘇輝石の斑晶を含む安山岩だという。そして、地中にできたものが波の浸食により露出したものらしい。それにしても、大変迫力のある眺めだ。北海道の層雲峡においても柱状節理を間近に見たが、かたや荒波の中に立っており、はたまたかたや谷の中に立ち上がっていて、その対比が頭の中でめまぐるしく転回したものだった。10月17日、福井県坂井市三国町安島にて撮影。
国定公園越前海岸東尋坊という碑が立っていた。場所は、福井県坂井市三国町安島に位置する崖。越前加賀海岸国定公園に属する。資料によれば「25m以上の断崖が続き、岩は輝石安山岩の柱状節理でこれほどの規模を持つものは世界に三箇所だけであり地質上極めて貴重とされる」という。この日は大変な時化で、荒波がその断崖に押し寄せては白く砕けていた。
資料によれば「波食によって形成された天然の洞門。幅6m、高さ15m、奥行き60mにも及ぶ大規模なもの。映画「ゼロの焦点」のロケ地として記念碑が立つ」そうだ。この日は大変な時化で、大波が同門をくぐり抜け、砕けて白波となって通り抜けていた。