今回の八千穂高原は、時期が、ミズバショウには遅すぎて、ベニバナイチヤクソウには早すぎたためにほとんど見られなく大変残念だった。しかし、シロバナエンレイソウやこのサクラスミレを見られて帳消しと云うところ。サクラスミレは見たい菫だったが、見られずいつかはみられると思っていたところ、思いがけずもこの八千穂高原で見ることが出来大変うれしかった。これも、今年は春が寒く、季節の移ろいがやや遅れていたおかげなのかも知れない。
八千穂高原にはシロバナエンレイソウが多く咲いていたが、花(萼)が濃い紫色のいわゆるエンレイソウはみられなかった。シロバナが多い中、この画像のものは薄いピンクを帯びた花で美しいものだった。エンレイソウとは漢字では延齢草と書き、根茎を乾燥したものは胃腸薬となり、果実は食用になるという。図鑑で見ると黒いマメのような実なのだが、どんな味がするのかは書いていない。
木肌にこんなに白いものがあるなどとは考えられない。透き通るような白さで魅惑に満ちている。ファインダー越しにアップで見て何に例えようか迷った。人の肌ではない。はたまた人工物の肌でもない。やはり自然の作った肌という他はない。何か水を連想させる白さ。透き通っていても底は見えない。
卯月は4月だけれど、卯の花(ウツギ)は今盛りと咲いてる。野山に普通に生えているけれど、他にあまり花がない時期にその純白の花は目にまぶしい。思い出すのは唱歌「夏は来ぬ」。その歌詞の中の日本に還ってみたい。
夏は来ぬ 明治29年(1896年)5月
佐佐木信綱 作詞 小山作之助 作曲
卯の花の 匂う垣根に 時鳥 早も来なきて 忍音もらす 夏は来ぬ
さみだれの そそぐ山田に 早乙女が裳裾ぬらして 玉苗植うる 夏は来ぬ
橘の かおる軒場の 窓近く螢飛びかい おこたり諌むる 夏は来ぬ
棟ちる 川べの宿の 門遠く水鶏声して 夕月すずしき 夏は来ぬ
五月闇 螢飛びかい 水鶏なき 卯の花咲きて 早苗植えわたす 夏は来ぬ
夏は来ぬ 明治29年(1896年)5月
佐佐木信綱 作詞 小山作之助 作曲
卯の花の 匂う垣根に 時鳥 早も来なきて 忍音もらす 夏は来ぬ
さみだれの そそぐ山田に 早乙女が裳裾ぬらして 玉苗植うる 夏は来ぬ
橘の かおる軒場の 窓近く螢飛びかい おこたり諌むる 夏は来ぬ
棟ちる 川べの宿の 門遠く水鶏声して 夕月すずしき 夏は来ぬ
五月闇 螢飛びかい 水鶏なき 卯の花咲きて 早苗植えわたす 夏は来ぬ
シソ科の植物で、サルビアに似ている。濃い藍色で、花穂が立ち、花が一斉に同一方向に咲く。その様を浪が立ったかのように見立てた名前。高さ15~20cm。小さな花だが遠目でも分かるほど存在感がある。風土記の丘には色々な花が咲くが、その中でもこの花は気に入っている。花と云えば、赤や黄色や白などを思い出すが、青系統の花も結構あり、どうも私は青系統の花が好きなのかも知れない。一度には思い出せないが、スミレを始めホタルカズラやリンドウ、そしてこのタツナミソウなど。
千葉市加曽利貝塚の下を流れる坂月川の最奥部に昨年ビオトープが作られたので、どんなトンボが居着くのか観察しているが、5月5日に引き続き23日に訪れてみた。
観察されたトンボはシオヤトンボ、シオカラトンボ、アオモンイトトンボ、そして、よく分からない大型の黒いトンボが周回飛行をしており、オニヤンマかなと思ったが黄色い縞が見えず、またまったく止まらないために、飛行している個体を撮影した。帰宅して、ソフトで明度を上げてみると、何とそれはマルタンヤンマであった。
チョウはまったく見られない。それもそうだろう、花も咲いていないし、食草もなさそうなのでチョウが来る必然性がないのかも知れない。
観察されたトンボはシオヤトンボ、シオカラトンボ、アオモンイトトンボ、そして、よく分からない大型の黒いトンボが周回飛行をしており、オニヤンマかなと思ったが黄色い縞が見えず、またまったく止まらないために、飛行している個体を撮影した。帰宅して、ソフトで明度を上げてみると、何とそれはマルタンヤンマであった。
チョウはまったく見られない。それもそうだろう、花も咲いていないし、食草もなさそうなのでチョウが来る必然性がないのかも知れない。
ご存じ、今売り出しの千葉市動物公園レッサーパンダの「風太」。食事の前に立つことが多いと云うことで、11時に入園しレッサーパンダ舎の前に陣取り待つこと50分。11時50分頃にやっと1回瞬間的に立ってくれた。ウィークデーにもかかわらず、駐車場は満車に近く、レッサーパンダ舎の前は黒山の人だかりで、どちらが飼われているのか分からないほど。画像は貴重な1回立った瞬間を激写?したもの!
一昨日に続き八千穂高原の白樺風景。元来シラカバは真っ直ぐ伸びているらしいが、このシラカバは根本から4本に枝分かれしたものらしく、周囲に異彩を放っていた。回りには、他のシラカバが生えておらず、他を圧しているような姿であった。