備忘簿

日常の呟きを記録する。

成田山新勝寺 鐘楼

2011年02月25日 07時30分09秒 | Weblog
成田山の資料によれば「元禄14年建立。幾度の修復を経ている。毎日、明け方と正午夕方に梵鐘が撞かれる。現在の梵鐘は、昭和43年に大本堂建立を記念して鋳造され、作者は、人間国宝に認定された香取正彦氏によります」とのこと。成田山へは何度も行っているが、鐘楼まで詳しく見たことない。今回は写真を撮ってきたので、載せることとする。一切経堂の隣に建っている、いわゆる鐘つき堂だが、未だこの鐘が鳴っているのを聞いたことがない。早朝や午後遅くに鳴らしているのだろう。1月31日、成田市内で撮影。
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成田山新勝寺 一切経堂

2011年02月24日 06時52分11秒 | Weblog
成田山の資料によれば「享保7年(1722)建立。成田市指定文化財。文化6年(1809)に再建。その後4回に亘り修復を重ねられた。堂内には、中央に「一切経」約五千巻が納められた輪蔵(回転式の経蔵)が設けられ、賓頭廬尊者と輪蔵を創案した傅大士がお祀りされる。正面の扁額は白河楽翁(松平定信公)の筆によるもの」という。中には巨大な回転する木製のお経を入れる丸い蔵があり、今は中に入れないが、昔は中に入れてそれを人が回すことが出来た。私も回した記憶がある。一回回せばその経蔵に積んであるお経を全部読んだことになると言うものだった。よくチベットの風景のテレビなどに出てくるマニ車と同じものだと思う。残念ながら今はお堂に入ることが出来ず、巨大なマニ車も回すことが出来ない。1月31日、成田市内で撮影。

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平和大塔

2011年02月23日 06時38分46秒 | Weblog
成田山の資料によれば「昭和59年(1984)建立。二重基壇、内部五層、層高58.10m、という巨大な仏塔であり、さらに、その第二層の明王殿に奉安されました御本尊不動明王は、総高6mにも及ぶ大きな尊像であります。第五層の金剛殿には、大日如来、阿しゅく如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の五智如来が奉安されております。地下には当時の諸外国の元首から寄せられた「平和へのメッセージ」を封入したタイムカプセルが埋められており、2434年に開封される予定」だそうだ。一度入ったことがあるが、ぐるぐると階段が5階まで巡りなかなかなものだったと記憶している。画像の石段を登る人に比べると、その巨大さが解る。1月31日、成田市内で撮影。
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2011年02月22日 06時55分07秒 | Weblog
成田山の資料によれば「正徳2年(1712)建立。国重文。高さ25m。塔内には五智如来を奉安し、周囲に「十六羅漢」の彫刻がめぐらされた塔です。また、雲水紋の彫刻をほどこした各層の垂木は一枚板でつくられた珍しいものです」とのこと。大変美しい形をしており、本堂のすぐ脇にあるが、本堂はその大きさで威容を誇るが、三重塔はそれにひけをとらず、その美しさで充分にその存在感を発揮している。1月31日、成田市内で撮影。
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成田山新勝寺「七代目市川團十郎石像」

2011年02月21日 06時56分42秒 | Weblog
成田山新勝寺の額堂の中に、一体の石像が鎮座している。それは、七代目市川團十郎だという。詳しくないので何だが、七代目は江戸十里四方処払いとなり、これによって江戸の舞台に立つことが不可能となった海老蔵は成田屋七左衛門と改名。一時成田山新勝寺に蟄居したそうだ。また、当時のお金で一千両をもって額堂を寄進したり、成田山とのつながりが深いらしい。さて、今の海老蔵の騒動をどう感じていらっしゃるのか伺いたいものだ。1月31日、成田市内で撮影。
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成田山新勝寺 額堂「絵馬・額」

2011年02月20日 07時08分47秒 | Weblog
成田山の資料によれば「文久元年(1861)に建立。国重文。桁行正面が3間、背面が6間で、屋根は入母屋桟瓦葺。現在は四方が解放されているが、当初は背面が板壁だった。額堂としては虹梁や木鼻など細部まで本格的な建物で、近世における庶民信仰を表す代表建築の一つ。なお額堂とは、奉納額や絵馬を掲げる建物のこと」とある。天井は吹き抜けで、中にはたくさんの大きな歴史的な絵馬が掲げられており、また、今話題の成田屋こと七代目市川團十郎の石造が置かれている。
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光明堂「二代前の本堂」

2011年02月19日 06時46分54秒 | Weblog
成田山の解説によれば「元禄14年(1701)建立。国重文。釈迦堂が本堂となる前の旧本堂。本尊として真言密教の教主である大日如来が奉安されています。堂の高さは約15m。周囲には朱漆が塗られ、屋根は入母屋造り瓦ぶきで江戸時代中期における貴重な建物です。 星まつりお札受場。7月祇園会の「天国宝剣」特別加持所」とのこと。こじんまりとしているが、これも又歴史の重さを感ずる建物だ。
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釈迦堂「前本堂」

2011年02月18日 07時23分53秒 | Weblog
解説によれば「安政5 年(1858)建立。国重文。前本堂。釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、千手観世音菩薩、弥勒(みろく)菩薩が奉安されております。堂の周囲には五百羅漢(らかん)や二十四孝の彫刻がはめこまれ、江戸時代後期の特色をいかんなく発揮したお堂です」とのこと。要するに現在の本堂が出来る前までの本堂で昭和39年に現在地tに移築されたものと言うこと。歴史的重みをどっしりと感じることが出来る建物だ。1月31日、成田市内で撮影。
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成田山新勝寺 大本堂

2011年02月16日 06時40分10秒 | Weblog
成田山新勝寺によれば「昭和43年(1968)建立。弘法大師によって敬刻開眼された不動明王を御本尊として成田山で最も重要な御護摩祈祷を行う道場です。東西の翼殿の1階は、お護摩ご祈祷札お渡し所。2階は身代御守りなどの御守受場となっています」とのこと。建物自体は鉄筋コンクリート製で、歴史的な重みは感じられないが、何しろ本堂なので、たくさんの人々が訪れていた。私もここで、旧年中に持っていたお札を納めて、新しいお守り札を購った。何か改まった気持ちになったのも正直なところだ。旧年中も無事に過ごせて有り難かったが、これで今年一年間無事で過ごせるだろう。1月31日、成田市内で撮影。
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仁王門「三門代わり」

2011年02月15日 06時54分22秒 | Weblog
成田山によれば「国指定重要文化財で、天保2年(1831)再建。左右に密迹(みっしゃく)金剛、那羅延(ならえん)金剛の2尊、裏仏には広目天、多聞天の2天が奉安されており、大提灯(800kg)は、寺門の守護の役目をはたしております。隣接する仁王池は、放生池として「不殺生」を教えています」とある。まあ、一対の阿形・吽形の金剛力士像を安置した門と言うことだ。成田山新勝寺には従来三門が無かった、言うなれば山門の代理をも努めてきた門だと言うことになる。新しい三門とは異なり、ずっしりと歴史の重みを感ずる門だ。1月31日、成田市内で撮影。
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