備忘簿

日常の呟きを記録する。

首里城「正殿玄関」

2015年02月28日 07時55分32秒 | Weblog
首里城正殿の玄関は唐破風の向拝のように造られており、その装飾が大変見事である。鬼瓦に当たるところには大きな龍頭が置かれ、欄間や柱などは極彩色の装飾で埋められた居る。また、玄関の手前にはいわゆるシーサーの代わりに大龍柱が置かれている。右に阿形の龍が、左には吽形の龍がぬっと頭をもたげ、良からぬ来場者をにらんでいる。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「正殿」

2015年02月27日 07時46分16秒 | Weblog
資料によれば『正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物であった。正殿を二層三階建てとすることや装飾化した龍柱は日中にも類例がなく、琉球独自の形式といってよいだろう。首里城正殿の壁等の彩色塗装には、桐油が塗られている。なお、下地の一部は漆である』そして、その入口というか玄関というか中央の部分は大変美しく装飾されている。
そしてその前面には大きな広場があり、御庭(うなー)と呼ばれているそうだ。御庭(うなー)は首里城の中心部である。正面が「正殿」、向かって右(南側)が「南殿・番所(なんでん・ばんどころ)」、左(北側)が「北殿(ほくでん)」で、これらに囲まれた中庭広場の空間を「御庭」という。年間を通じて様々な儀式が行われた広場である。御庭には磚(せん)【敷き瓦】というタイル状のものが敷かれているが、この色違いの列は、儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていた。中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者【冊封使(さっぽうし)】等限られた人だけが通ることを許された』そうだ。まあ、中国の紫禁城に似ていると言えるのかも知れない。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「首里森御嶽」

2015年02月26日 07時33分07秒 | Weblog
下之御庭にひっそりとたたずむようにある首里森御嶽(すいむいうたき)。資料によれば『これは場内にある礼拝所の一つだという。そして、琉球最古の歌謡集「おもろそうし」に数多く詠まれているそうだ。そして、神話には、神が作られた聖地である、と記されている』とある。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「奏神門」

2015年02月25日 08時01分07秒 | Weblog
ここには載せなかったが、広福門をくぐると、広い空き地に出る。そこは下之御庭と言われ、左正面には大きな木造の奏神門があり、また、御庭には首里森御嶽がひっそりとたたずむようにある。
奏神門には3つの入口が見えており、中央の門は国王や身分の高い人だけが通れる門だという、別名を君誇御門というそうだ。そして、これが最後の門と言うことになり、これまで5個の門をくぐってきたことになる。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「広福門」

2015年02月24日 07時51分01秒 | Weblog
漏刻門を過ぎると木造の赤く塗られた大きめの建物が現れる。広福門である。資料によれば「広福門の東側には戸籍の管理をする大与座、西側には寺社を管理する寺社座があった」そうだ。別名を長御門という。ただ、現在は入場券を売る券売所となっている。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「漏刻門」

2015年02月23日 07時38分39秒 | Weblog
資料によれば「櫓の中の水時計で時刻を計ったことで名付けられた」という、別名「かご居せ御門」といい、身分の高い役人も国王に敬意を表してここで籠をおりたのだという。瑞泉門のすぐ左側にあり、同じ門を2度くぐったような気になる。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「瑞泉門」

2015年02月22日 08時31分48秒 | Weblog
資料によれば、瑞泉とは、立派な目出度い泉、と言う意味だそうだ。これは、門の手前右にあるわき水「龍樋(りゅうひ)」にちなんで名付けられたという。龍樋とは、わき水で国王一族の大切な飲料水となっていた。今でも滾々と湧き出ている。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「歓会門」

2015年02月21日 07時36分14秒 | Weblog
歓会門(かんかいもん)は、首里城の正門である。資料によれば「中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)などの訪れる人への歓迎の意味を込めて付けられた名前」だそうだ。別名を「あまへ御門(あまえうじょう)」と言うとある。
城の正門であるので、なかなか立派なものである。首里城は標高120~130mの高いところにあり、いわば山城に近いのかも知れない。この歓会門を過ぎてすぐに階段を上って門を何回かくぐって正殿に至るように作られている。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしばし)」

2015年02月20日 07時51分12秒 | 魚類等
園比屋武御嶽と書いて、琉球語で「そのひゃんうたき」と読むそうだ。そして、御嶽「うたき」とは、資料には「琉球の信仰における祭祀などを行う施設のことを言う」とある。
だから、門とは言いながら出入りすると言うよりは「石門の背後にある森が園比屋武御嶽である。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、また聞得大君が就任する時にまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地だった」と言うことなのだろう。
首里城は世界遺産に指定されているとは言いながら、建物は1992年に復元されたものであり、その世界遺産に指定されている部分は首里城跡であり、建物の床下というかその基礎の部分の遺構である。首里城内にはその遺構を見られるところが1箇所しつらえてある。
ところが、この園比屋武御嶽石門は「1519年に第二尚氏王統第3代王の尚真のときに造られた」もので、この門自体が世界遺産に指定されている。
そのすぐ後に歓会門があり、そちらへ人々が行ってしまうので、この石門は見る人も少ないようだが、何にもまして引きつけられる石門ではある。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「守禮門」

2015年02月19日 08時03分43秒 | Weblog
資料によれば「守礼門(しゅれいもん)は、沖縄県那覇市首里にある首里城歓会門の外、首里を東西に貫く大通りにある。「綾門大道」(アイジョウウフミチ または アヤジョウウフミチ とも)の東側に位置する牌楼型の門(楼門)である。日本城郭でいう首里城の大手門に値する。柱は4本で二重の屋根を持ち、赤い本瓦を用いている」そうだ。扁額に「守禮之邦」とあるところから守礼門と呼ばれているが、本当は「上の綾門」というのだそうだ。
赤瓦で葺いた屋根が二重にあり、赤瓦は漆喰でしっかりと固められており、その白い色と赤い色とが織りなす対比が大変美しい。バスガイドさんが「説明するのでここへ集まって下さい!」と言っていた。1月28日、首里城内で撮影。
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