備忘簿

日常の呟きを記録する。

集落「縄文時代」

2017年02月23日 07時50分37秒 | Weblog
千葉市にある加曽利貝塚公園には復元された竪穴住居が3棟建っている。それを遠目で見れば縄文時代にタイムスリップして集落を見ているように思われる。ただ、これには想像をたくましくしなければならないが。そんな散策をするのもまたこの公園の楽しみでもある。
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富士山「千葉港」

2017年01月02日 07時17分42秒 | Weblog
元日だが、良い天気で、家から見た千葉港方向に雲もないので富士山が見られるだろうということで出かけた。案の定、富士山は見られたが、天気は快晴ではあるが、遠くは薄くもやが立ち込めており、残念ながら富士山も薄っすらとしか見えていなかった。ソフトでコントラストを強調してもこんな具合だ。1月1日、千葉港で撮影。
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千葉港風景「ポートタワー」

2016年12月31日 08時05分20秒 | Weblog
茜浜から見た千葉ポートタワーは南東方向で、朝まだ早い時間だったので、逆光になって浮かんで見えていた。前浜にはおびただしい数のスズガモの群が海面に浮かんでいた。12月18日、習志野市茜浜で撮影。
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ガチョウ<鵞鳥>

2016年02月21日 06時10分05秒 | Weblog
ガンカモ目ガンカモ科野生の雁類を主に食肉用に改良したもので、いわゆる家禽である。系統が2種類あり、支那ガチョウの原種はサカツラガン、ヨーロッパガチョウの原種はハイイロガンと言われている。さて、話は変わるが、千葉市の泉自然公園には当初4羽のガチョウが飼われていた。ところが、現在はこの1羽だけになってしまった。病死したものも居るだろう、犬猫に襲われて食べられてしまったものも居るだろうが、わずか数年で、4羽が1羽になってしまったというのは少し悲しすぎる話だ。残ったこのガチョウは絶えず大きな鳴き声を発していた。そうだろう、仲間を捜しているに違いない。2月12日、千葉市内で撮影。
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富士山「霊峰」

2016年01月02日 10時01分40秒 | Weblog
元旦に富士山を見に千葉港へ行ってきた。東京湾を越えて、西方に富士山がくっきりとその姿を現していた。碧い海と、貨物船、その向こうに丹沢山塊を従えた霊峰富士山。1月1日、千葉港にて撮影。
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AH-1コブラ「攻撃ヘリコプター」

2015年10月24日 07時54分39秒 | Weblog
車で出かけようと思っていると、上空に聞き慣れないヘリコプターの爆音が聞こえてきた。バラバラという重たげな音だった。すぐに空を探すと、上空に見慣れない機影を見付けた。迷彩色で、ほっそりしたその姿は異様であった。ちょうど車に積んであった換算600mmレンズを付けたカメラを取り出して、遠退いて行く姿を追いかけて撮ったもの。黒くつぶれていたり、若干ぶれていたが、まあまあ見られる画像となったので載せたもの。航空自衛隊木更津基地から自衛隊北総航空基地へ向かって千葉市上空を横切っていったのだろうか。10月15日、千葉市内で撮影。
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首里城「正殿玄関」

2015年02月28日 07時55分32秒 | Weblog
首里城正殿の玄関は唐破風の向拝のように造られており、その装飾が大変見事である。鬼瓦に当たるところには大きな龍頭が置かれ、欄間や柱などは極彩色の装飾で埋められた居る。また、玄関の手前にはいわゆるシーサーの代わりに大龍柱が置かれている。右に阿形の龍が、左には吽形の龍がぬっと頭をもたげ、良からぬ来場者をにらんでいる。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「正殿」

2015年02月27日 07時46分16秒 | Weblog
資料によれば『正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物であった。正殿を二層三階建てとすることや装飾化した龍柱は日中にも類例がなく、琉球独自の形式といってよいだろう。首里城正殿の壁等の彩色塗装には、桐油が塗られている。なお、下地の一部は漆である』そして、その入口というか玄関というか中央の部分は大変美しく装飾されている。
そしてその前面には大きな広場があり、御庭(うなー)と呼ばれているそうだ。御庭(うなー)は首里城の中心部である。正面が「正殿」、向かって右(南側)が「南殿・番所(なんでん・ばんどころ)」、左(北側)が「北殿(ほくでん)」で、これらに囲まれた中庭広場の空間を「御庭」という。年間を通じて様々な儀式が行われた広場である。御庭には磚(せん)【敷き瓦】というタイル状のものが敷かれているが、この色違いの列は、儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていた。中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者【冊封使(さっぽうし)】等限られた人だけが通ることを許された』そうだ。まあ、中国の紫禁城に似ていると言えるのかも知れない。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「首里森御嶽」

2015年02月26日 07時33分07秒 | Weblog
下之御庭にひっそりとたたずむようにある首里森御嶽(すいむいうたき)。資料によれば『これは場内にある礼拝所の一つだという。そして、琉球最古の歌謡集「おもろそうし」に数多く詠まれているそうだ。そして、神話には、神が作られた聖地である、と記されている』とある。1月28日、首里城内で撮影。
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首里城「奏神門」

2015年02月25日 08時01分07秒 | Weblog
ここには載せなかったが、広福門をくぐると、広い空き地に出る。そこは下之御庭と言われ、左正面には大きな木造の奏神門があり、また、御庭には首里森御嶽がひっそりとたたずむようにある。
奏神門には3つの入口が見えており、中央の門は国王や身分の高い人だけが通れる門だという、別名を君誇御門というそうだ。そして、これが最後の門と言うことになり、これまで5個の門をくぐってきたことになる。1月28日、首里城内で撮影。
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