■乙第25号証の続きです。
第3 当裁判所の判断
1 本件各記事の内容について
被控訴人講談社らが,本件週刊誌平成17年8月6日号に第1記事,本件週刊誌同月13日号に第2記事を掲載したこと及び本件各記事の内容は,前記第2,2(前提となる事実関係)(4)(5)記載のとおりである。
第1記事は,控訴人らが被控訴人丁田の自宅に居座って,被控訴人丁田に対し,「出すまで帰れない」「それが貴方の身のためだ」などと強要し,被控訴人丁田の手帳を段ボール箱に詰めて持ち去った,控訴人らは本棚,押入れから妻の部屋に至るまで家探ししていった,との事実を摘示したものであり,このような内容の第1記事は,控訴人らの社会的評価を低下させると認められる。
第2記事は,控訴人らが,4回にわたって被控訴人丁田宅を訪問し,その都度,被控訴人丁田に執拗な,強い要求をし,同被控訴人が「プライバシーの侵害になる」という強い抗議をしたにもかかわらず,同被控訴人の手帳を無理矢理持ち去り,これを強奪し,また,被控訴人丁田が強い抗議をしたにもかかわらず,被控訴人丁田宅の家探しを2回にわたり強行したと,一般人に認識させるものであり,控訴人らの社会的評価を低下させると認められる。
2 本件各記事の真実性の抗弁について
(1)公益目的
前記第2,2(前提となる事実関係)記載の事実及び弁論の全趣旨によれば,本件各記事によって摘示された事実は,もと国会議員であった控訴人らが,被控訴人丁田の自宅がら,同被控訴人が議員活動等において使い続けてきた手帳を持ち去ったというものであり,この事実は,公共の利害に関わる事実であると認められ,また,被控訴人講談社らは,専ら公益を図る目的で本件各記事を本件週刊誌に掲載したと認められる。
(2)事実関係
前記第2,2(前提となる事実関係)記載の事実に証拠(〈証拠等略〉)及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の各事実を認めることができる(甲18,25~28,59,控訴人丙川本人のうち,この認定に反する部分は措信することができず,他に同認定を覆すに足りる証拠はない。甲25~28については,被控訴人講談社らは時機に後れた攻撃防御方法であるとして却下を申し立てているところ,これにより著しく訴訟手続を遅滞させることになるとは認められないから当該申立ては採用しないが,これらの証拠が適時に提出されなかったことは,後記のとおり,証拠の信用性の判断に当たって考慮する。)。
ア 本件に至る経緯
(ア)被控訴人丁田は,昭和38年に大阪府議会議員となり,同42年から平成5年まで衆議院議員を務め,昭和42年に公明党の書記長に就任し,同61年から平成元年まで同党中央執行委員長の地位にあった。
被控訴人丁田は,衆議院議員を引退した後,政治評論家として活動していたところ,平成5年から同6年にかけて文藷春秋に手記を連載したが,同手記に「創価学会と公明党は政教一致と言われても仕方がない部分があった」旨の記述があったごとから,創価学会等から激しい非難を受けた。その結果,被控訴人丁田は,創価学会等に対して陳謝した上,同手記を単行本として出版する際に当該記載を削除するなどの措置をとった。
(イ)平成17年4月20日,被控訴人丁田は,創価学会の一色副会長(当時。以下「一色」という。)から創価学会戸田国際会館に呼び出された。その際,一色は,同被控訴人に対し,上記の文藝春秋の手記を挙げて「創価学会青年部が怒っている。」「丁田を除名せよとの要求が出ている。」「青年部は跳ね上がっている。丁田の命も危ない。」などと述べた上,あらかじめ用意をした文案を示して,同手記に関して謝罪文を書くように求めた。被控訴人丁田は,一色の要求にとまどったが,これを了承し,渡された文案に治って謝罪文を作成し,これを翌21日に一色に渡した。このことは,同月28日付け聖教新聞(甲4)において,「公明党元委員長の丁田氏が謝罪」「『文翁春秋』(93年,94年)掲載の手記をめぐって」「丁田氏“私の間違いでした”“当時は心理的におかしかった”」等の見出しを付した記事として大きく採り上げられた。同記事では,同手記が引き金となって,何人もの国会議員が創価学会を誹膀し,「喚問」「喚問」と大騒ぎする自体となったなどと,被控訴人丁田の手記の記述によって創価学会が大きな被害を受けたことが強調されていた。
(ウ)被控訴人丁田は,平成17年4月28日から所用で妻夏子(以下,単に「夏子」ということがある。)を伴って海外に出張したが,同月30日に至り,当時オーストラリアのブリスベーンに居住していた同被控訴人の長男秋男を通じて,数回にわたって,創価学会の二宮副会長(当時。以下「二宮」という。)に連絡をとるようにとの伝言を受け取った。被控訴人丁田が二宮に電話したところ,同人から「青年部が強硬だ。事態を収めるため,帰国日である5月14日に青年部と会ってほしい。」と強く面談を勧められ,これに応じた。その後,同年5月9日付け聖教新聞(甲5)には,被控訴人丁田の前記謝罪に関して,「公明党丁田元委員長が海外!?」「行動で示せ!口先だけの『謝罪』は要らぬ」等の見出しを付した記事が掲載されたが,同記事には,「“恩知らずは畜生の所業”」「我々は『口先だけ』なら絶対に許さない。本当に詫びる気持ちがあるなら,行動と結果で示してもらいたい」などの記述がされていた。
(エ)同年5月14日に被控訴人丁田が妻夏子と共に成田空港に到着すると,約10名の各自カメラを手にした背広姿の創価学会青年部所属者が同被控訴人夫妻の後を追って移動し,各々フラッシュを焚いて夫妻の写真を撮るなどした。引き続いて,創価学会戸田国際会館で行われた創価学会青年部との会談においては,三井青年部長ら5名が被控訴人丁田を取り囲むように着席し,口々に,「青年部において除名せよとの要求が出ている。」「我々は本当に怒っている。」などと同被控訴人を糾弾し,2度にわたって「土下座しろ」と迫り,「人命にかかわるかもしれない。」「息子さんは外国で立派な活動をしている。あなたは息子がどうなってもよいのか。」などとも述べた。そして,「政治評論家をやめるべきだ。元委員長が政治評論家面をするのは許せない。」などと述べて,政治評論活動を止めるように繰り返し迫った。被控訴人丁田は,青年部幹部らの言動に身の危険を感じ,青年部の用意した,文春のことは謝る,今後は書かない,恩返しをするなどの趣旨の文書に署名をし,政治評論家を辞めると述べた。
イ 平成17年5月15日の第1回訪問
(ア)平成17年5月15日は,日曜ということもあって被控訴人丁田は東京都新宿区内の自宅に在宅していたところ,午後5時ころ,控訴人らが突然,同被控訴人宅を訪問した。控訴人甲野は,昭和34年から同38年まで墨田区議会議員,同年から同55年まで東京都議会議員,同年から同61年まで参議院議員を務め,同45年から同61年まで公明党中央執行委員の地位にあった者であり,控訴人乙山は,昭和38年から同42年まで神奈川県議会議員,同年から平成5年まで衆議院議員を務め,昭和62年から平成2年まで公明党中央執行副委員長の地位にあった者であり,控訴人丙川は,昭和40年から平成7年まで参議院議員を務め,同5年から同7年まで公明党中央執行副委員長の地位にあった者であるが,控訴人らはいずれも被控訴人丁田と十数年前から個人的なつき合いが絶えており,控訴人甲野及び同乙山は被控訴人丁田宅を訪問したこともなかった。
(イ)被控訴人丁田が控訴人らを自宅1階の応接間に通すと,控訴人らは,文藝春秋の手記に関する謝罪をめぐっての前日の同被控訴人と創価学会青年部とのやり取りを話題にした上で,控訴人甲野が「乙山さんが今もうむずむずして一番言いたいのは,要するに,あの文藝春秋の極秘メモですよ。」と本件手帳について切り出し,続けて「はっきり青年部との約束が評論活動も今後やらないというようなことを大前提でおっしやったとなれば,そんなものがあったんじゃ先々心配だな。」と述べた。そして,控訴人丙川が「青年部に対しても,今後,まあ行動で示していくと,ね。……そのメモってのは,乙山さんが一番よく知ってるんですよ。要するに,そうすると極端に言うと,27冊の衆議院手帖にいろいろと害いてあると。極端に言うと。」と述べるなど,控訴人ら3名は,口々に,被控訴人丁田に対して,本件手帳を引き渡すように求めた。これに対して,被控訴人丁田は,「それは無茶な話だ。おれのプライバシーの書いてある手帳を預けろという意味が分かっての話か。それは人権問題になる。断る。」「手帳には,我が家の内部のこと,銀行口座の番号,ID番号,債権債務,息子のこと,その他我が家のすべてが害いてある。それを渡せというのは個人情報の侵害,人権侵害,プライバシーの侵害だ。分かっているのか。君たちは国会議員までやった人間だ。そういうことが知れたら……。」「その手帳には,絶対私以外の人が見てはならないことが害いてある。学会の税金問題,ルノアール事件,捨て金庫事件,やばい筋の話,言論妨害事件で他党の政治家と交渉した内容が実名で害かれている。月刊ペン事件,本山との抗争問題,山友問題等も害いてある。これは爆弾だ。だからおれは墓場まで持っていこうと思っている。絶対に外部に知られてはならぬ内容だ。それを承知か。だから渡すわけにはいかない。」などと述べて,これを拒絶した。 しかし,控訴人らは,「それを渡さないと皆怒り狂って何が起こるか分からない。」「渡さないなら覚悟はできていますね。」などと述べて,あくまでも本件手帳を引き渡すことを求めた。
(ウ)被控訴人丁田は,かつて五木昭夫元都議会議長から創価学会と対立した六沢和夫元都議会議員に対して創価学会内部においてこれを暗殺する計画があると間いたこと,五木の依頼により,四元創価学会会長に対して当該計画を思いとどまらせるように要請したことなどを想起するとともに,かつて自分自身が公明党幹部として関与した,創価学会に批判的な人物に対する幾多の攻撃を思い出し,控訴人らの要求に応じないときには自己又は家族に対してどのような危害が加えられるかも知れないと恐怖を覚えたが,本件手帳を控訴人らに渡すことだけは避けようと考えて,本件手帳については自分自身で燃やすなどして処分することを提案したごしかし,控訴人らはあくまでも本件手帳の引渡しを受けることにこだわり,被控訴人丁田が控訴人ら立会の上で本件手帳を処分することを申し出ても,控訴人甲野において「丁田さんが本当に青年部とか一色さんときちんと大前提約束したんなら,今後のことはまたお家のことだとか,ご家族にもいろいろ関わりがあることだから,僕らは先のことを考えりゃあ,あくまで『膨大なメモ』ってやつは,燃やしちゃうとかなんとかじゃあなくて,……差し出がましいけど,一時,僕らが,ほかじゃ差し障りがあるから,僕らOBの仲間で一時お預かりしちゃって,時が来るまでは抱いてるかと。そういうね。」などと述べ,控訴人乙山が「神奈川だって火光会をやったときに,が一っと出たよ。」と発言し,これを受けて,控訴人丙川が「火光会の意見っていうのは決して火光会だけの意見じゃないですよ。学会の意見でもあるんですよね。皆組織に入ってますから。そうなるとね,要するに,今更のようだけ,ども,あのタイトルと張出しにあった膨大な資料だと,整理するのも大変だと,極秘メモだというようなことがね。要するにまたこの次書くんじゃなかろうか,これをネタにして何かやるんじゃなかろうかという,当然,やっぱり疑心暗鬼はみんなあるわけですよ。
………ですから,……燃やせばいいじゃないですか,ということだけじゃだめなんですよ。」と述べた。そして更に控訴人乙山が「燃やしゃいいってことじゃなくてね。」と述べ,更に,控訴人甲野が「だから,もしあれだったら,封印して,僕らが丁田さんから預かってもいいよ。開けて見る必要ないんだから。」と述べ,本件手帳を焼却するのでは足りず,これを控訴人らに引き渡す必要のあることを述べて,繰り返し本件手帳の引渡しを求めた。被控訴人丁田は,これに対して,「だから,あのね。正直言うて,個人的なプライバシーもありますし,あのう家庭のこともありますし,あるいはこの会社のね。……それはあのう……」と,なおも本件手帳を引き渡すことに難色を示し,更に,「私が処分すると。処分の方法は考えようと。こう言っていたということにして理解して下さい。僕は約束は守りますから。」と述べて,本件手帳を引き渡すことを明確に拒絶した。
(エ)これに対して,控訴人甲野は「それはね,丁田さんね,僕らの気持ちはね,残しておいて,そのことで悪用するんじゃないかっていう,僕ら,そういう邪推じゃなくて,もし,すっきりね,ここでちゃんとお辞めになるというなら,周囲をね,周囲を説得するのに,……封印して全部ね,これだけ,ちゃんとしっかりして,もうこんな論議やめてくれっていうには,預かってるのが一番いいなというのがね。……さんざん議論してね。それが,僕ら,僕の結論なんです。」「丁田さんがこっちに預けるには,全部ご自分で封印して,それをこっちに預かってきて,手つけないで,また時来たら返すってことじゃないの。」などと述べ,控訴人乙山において「だから封印してもいいじゃない。」などと述べ,本件手帳を控訴人らに引き渡す以外の選択肢のないことを示して,繰り返し,本件手帳を引き渡すことを求めた。この間,控訴人丙川は応接室から出て,玄関ホール付近において携帯電話で五木と連絡をとり,「ええ,今やっている最中です。」「はい,絶対に取ります。」「打合せどおりにやっています。」などのやり取りをした。被控訴人丁田は,控訴人らの強硬な勢いに抗することができず,本件手帳を控訴人らに預けることを了承したが,本件手帳は貸金庫に保管中であり,一部を除いて手許にはないと説明した。
(オ)被控訴人丁田が控訴人らの威勢のため本件手帳を控訴人らに預けることを了承したところ,控訴人甲野は「こっちがね。なんかね,あの強奪しちゃったみたいなね。」と述べ,控訴人乙山は,「預かります。僕がね。」などと述べた。そして,貸金庫において保管中のものを含めて,すべての本件手帳を1週間後の平成17年5月22則こ引き渡すことを決めた。その際,控訴人乙山が「じやあ党本部に来てもいいよ。持って。」と述べるなど,被控訴人丁田において本件手帳を公明党本部に持参することも検討されたが,最終的には,同日午後1時に控訴人らにおいて再び被控訴人丁田の自宅を訪問することとした。控訴人らが退去する際に,被控訴人丁田が,「皆さん,これでねえ,……これ全部,丁田の日記預かってきたと。丁田から,もうお前ら保管しとってくれと言われたというふうに言って下さい。……でないと,これはね,問題になります。」と述べると,控訴人丙川は「全部丁田さんの自発的な行動ですね。」と応じ,控訴人乙山は「そらそうでしょう。大変なことになりますよ。」と述べた。
ウ 平成17年5月15日の第2回訪問
(ア)平成17年5月15日午後6時30分ころ,控訴人らは,再び被控訴人丁田の自宅を訪れた。控訴人甲野は,「今日たまたま党側の方に帰りますと,五木さんと七瀬さんがいて……今あるならあるだけの資料でも預かってくるなり,それから貸金庫というのはどこの金庫かはっきりしてこなきや,お前ら何やって来たんだって,今言われて。もう,言われりゃそうかと。……で,また3人でやって来ました。なんていうか,むしろ,怒られちやって,笑われちやって。」と述べ,これを引き取って控訴人丙川において「おしかりを受けて,またこうやって来たわけですよ。申し訳ないです,すみません。」,控訴人甲野において「預かって,うちの党の本部で僕らが預からせてもらえば一番安全なんだけどな。変な言い方だけどね。」,控訴人丙川において「要するに,今ご自宅にあるのは,あるって丁田さん言ったんだから,それだけでもあれしなかったら,子供の使いじやないか,なんてことでですね。」と述べ,控訴人らが公明党本部に戻ったところ,五木及び七瀬の両名から,本件手帳を保管してある貸金庫の場所を確かめ,被控訴人丁田宅において保管している一部だけでも預かって公明党本部に持ち帰るように叱責されたため,再び被控訴人丁田宅を訪れた旨を述べた。
(イ)これに対して,被控訴人丁田が「何でそんなに焦るのか。」と反論したが,控訴人丙川は,大声で「3年分くらいはあるだろう。それを寄こせ。」と述べた。被控訴人丁田は,「無茶を言うな。」「お前ら狂っているぞ。こんな無茶な法律無視のことを脅迫でやったとなると,それがばれたら重大な社会問題になる。分かっているのか。」と述べたが,控訴人らは聴かず,控訴人丙川が「どうしてもだめか。」と迫ったので,被控訴人丁田は身の危険を感じて,応ずることにした。被控訴人丁田は,本件手帳は新宿区所在のA司法書士事務所に預けてあり,同事務所の金庫において保管されている旨を説明した上で,本件手帳のうち平成14年から同16年までの分を持参し,銀行の暗証番号や金融機関からの借入債務の内容等が記載されていることを告げ,手帳の内容を見ないように述べた上で,当該手帳を封筒に入れて封鍼し,控訴人らに渡した。控訴人らは,翌5月16日に本件手帳の残りを預かるために再び来訪すると述べたが,被控訴人丁田は,これらの手帳を用意するためには保管先であるA司法書士事務所の都合をきかなければならないと述べた。控訴人らは控訴人乙山の携帯電話の番号(090-***0-***0。一部を伏字とした。)を被控訴人丁田に教えて,翌5月16日に引渡しの日取りを連絡するように求めた。控訴人らは,更に,控訴人甲野において「こんなに遅く夜悪いけどさ,せっかく来たんだから,丁田さんの作業所,見学させて。」と述べ,控訴人丙川において「一色さんから3階の事務所を1回,見学して来いって言われてさ。」などと述べ,こもごも,自宅内を案内するように求めた。被控訴人丁田は,控訴人らを案内して,自宅1階の事務所やガレージなどを案内七だ。その際,控訴人甲野は「お預か
りするなら,党本部で預かりゃ一番もう安全だと思う。」と述べ,控訴人乙山は「要するに,要するにね。もう,みんな,こうカーッとなった訳よ。それは分かるでしょう。……だから,やっぱりそれをだね。誠心誠意やっていった方がいいですよ。」などと述べた。控訴人らは,被控訴人丁田とこのようなやり取りをしながら,その自宅内を見た後,退去した。
(ウ)翌5月16日,控訴人乙山から被控訴人丁田に対して再三電話があり,「水曜(5月18日)は忙しいので,明日火曜日にしてくれ。」と要求した。被控訴人丁田は,「こっちは先方に連絡しているところだ。そっちの都合だけ言うな。」と抵抗したが,控訴人乙山に押されて,5月17日に来訪するように述べた。なお,5月15日に控訴人らが被控訴人丁田宅を訪問した後,同被控訴人宅に連日のように無言電話や嫌がらせ電話がかかったり,面識のない人物らが訪れて執拗に面会を求めたりすることなどがあったほか,自宅付近に駐車した車両から常時監視を受けるようになった。
エ 平成17年5月17日の訪問
(ア)平成17年5月17日午後8時ころ,控訴人らは,被控訴人丁田の自宅を訪れた。同被控訴人は本件手帳のうちの大半のものをA司法書士事務所に預けていたことから,あらかじめこれを引き取った上で,これらを揃えて段ボール箱に詰めていた。控訴人らは,控訴人甲野が「いや,これね。話し合い,今後のことも信義をもってきちんとやってもらえないと俺もね,役目つとまんねえからさ。」と述べるなどしながら,被控訴人丁田の用意した手帳を確認し,1996年から1999年までの手帳がないことなどを指摘し,控訴人丙川が「ちょっと,抜けてるか抜けてないかというのは失礼ですけどね。要するにこれがすべてかどうかも分からない訳ですよ。ただ,年数が抜けているということだけをいうのですよ。」などと述べた。被控訴人丁田は,「昨日,僕が手許にある引出,調べてこれだけ探しできたんだから,あとも,どっかにあるかもわからへん。」「僕は誠意をもって探す。」などと述べた。
(イ)本件手帳のうち当日用意されたものを段ボール箱に入れてガムテープで密封するに当たり,控訴人丙川は,被控訴人丁田に対して,妻夏子を立ち会わせるように要求した。被控訴人丁田は,「女房にはこんなこと知らせない方がいいって。」「こんなことは,そら,うちの女房は信心しっかりしてますけれどね,そりゃ女房にはね,こういうことあんたらに渡すこと言ってないんです。やばいですよ。」「俺はね,こういう余計なことはね,この4人だけでいいと思っているから。」などと述べて抵抗したが,控訴人甲野及び同乙山も,同丙川に同調して,夏子が立ち会うことを要求したことから,被控訴人丁田もこれに応じることとして,夏子をその場に呼び入れた。前記手帳に加えて,控訴人乙山の要求により被控訴人丁田が文蔡春秋社から読者賞として受けとった記念品の置時計もー緒に段ボール箱に入れて,夏子の立会いの下で,ガムテープで封印した。その際,被控訴人丁田は,あらかじめ用意した念書について,その内容を控訴人らに説明した上で,控訴人ら及び夏子と共に署名した。念書は,2通作成して,1通を被控訴人丁田において,1通を控訴人らにおいて保管することとしたが,その内容は,次のようなものである。
「丁田春男は,丁田の日記および関係書類(梱包2箱)を公明党元議員の甲野一郎氏,乙山二郎氏,丙川三郎氏に預ける。
双方は次の条件を遵守する。
① 丁田は,三氏らが承諾する案件以外に今後この資料は利用しない,ことを責任を持って約束する。
② 三氏は,これら資料が丁田のプライバシーに閲する資料であること,他の人物,団体に迷惑が掛かることに鑑み,責任を持って,紛失,流出することのないよう厳重に保管し,丁田の了解なしに開封しないことを責任を持って約束する。また,丁田が個人的な情報が必要な場合は三氏の了解,立会いの元で資料を閲覧することもある。
③ 将来,関係者が死亡したときは,資料の流出を避けるため,上記①,②の条件に基づき,丁田は子息丁田秋男,三氏は指定する公明党関係者の立ち会いの元で協議し,これら資料の保管の継続などの処理を決める。
④ 5月15日に三氏に別途に預けた手帳および書類も上記①,②,③と同様の扱いとする以上,双方,信義誠実を重んじ確約する。」
(ウ)念書への署名を終えた後で,控訴人丙川が「あとは,いつ渡してくれるか。」と尋ね,被控訴人丁田が「捜す必要があるから1週間後だ。」と答えると,同控訴人は「もしこれ以外に残っていたら重大なことになる。」と述べた。被控訴人丁田が「足りない手帳を除けば,これですべてだ。重大なことになるとは,どういうことか。無礼ではないか。」と言うと,控訴人丙川は「重大なことと言えば分かるだろう。丁田さんの身に危険が迫る。」と述べ,被控訴人丁田が「また脅迫か。」と言うと,同控訴人は「そうだ。嘘をついたことになるから重大だ。そのために家探しをさせてほしい。」と述べた。被控訴人丁田は「お前,常識があるのか。家探しの捜査令状でもあるのか。」と答えたが,控訴人丙川は大声で「でないと俺たちは子供の遣いになる。是非,家探しをさせてくれ。」と言い,控訴人甲野及び同乙山も同様の要求を繰り返した。被控訴人丁田は,控訴人らの威勢に身の危険を感じ,控訴人らの要求に応じ,自宅の1階から3階までを案内し,被控訴人丁田において戸棚や引出を開けるなどして,控訴人らに見せた。その途中で,被控訴人丁田が「こんな無茶をするとは,相当上からきつく言われているのだな。」と言うと,控訴人らは「俺たちの立場があるので。家の隅々まで見たと報告しなければ,五木や七瀬にしかられる。」と述べた。
(エ)翌5月18日に,被控訴人丁田は,同月14日の創価学会青年部との面談の際の政治評論家を辞める約束の実行として,日刊ゲンダイの下桐編集長に電話をかけ,同級に当時連載していたコラムの打切りを申し出た。
オ 平成17年5月30日の訪問
(ア)平成17年5月27日,控訴人乙山から電話で「残りの手帳はいつくれるか。」と催促があったことから,被控訴人丁田は,「来週月曜日の30日の午後2時に来てくれ。」と答えた。
(イ)同月30日,控訴人らは,約束の時刻よりも早い午後1時ころに被控訴人丁田の自宅を訪れた。控訴人らが到着した時は,被控訴人丁田の妻夏子は外出中であった。被控訴人丁田は,本件手帳のうち前回の5月17日の訪問の際に指摘された1996年から1999年までの手帳のほかメモ類等の書類をあらかじめ用意しており,これらを控訴人らに見せた。控訴人らは被控訴人丁田の用意した手帳等を確認し,「年数はこれで全部揃ってます。」「国会手帳以外もあるんだね。」などと述べた。
(ウ)被控訴人丁田が,当日用意した手帳等を探し出した経緯として,「預けていない分は,ひとつは言論問題の時のやつは,大分かなり前にどっかに押し込んでしまってたんですね。僕も全然記憶がなかったんですわ。せやけど,昭和42年ですかね43年か,金属製の柳行李みたいなのあるじやないですか,箱。いろんな訳わからん,もう,書類がつっこんである,おじいさんの時代からの古い古い文書。」「古い書類がねえ。私の親父の前,おじいさんの代からね。たぶん私,引越の時に,議員宿舎から二十騎町に引っ越した時にとりあえず全部つっこんだんだね。」などと説明した。
(エ)すると控訴人甲野は,「ところでね,丁田さんね。こないだのと今日のこれで,全部お出しになるって言っていたので僕らもそれで信頼しますが。あのう,文春のはじめの方を見るとね,『資料とメモ,膨大で我ながら驚いた』って,驚きになっているから,丁田さん自身が驚きになるなら,こないだのとこれで,ほんまに膨大な資料全部なんかと思うんですけどね。」と述べ,控訴人丙川も「ご自分で扉も開けていただきましたから,私たちは秘密のご子息のあれまで見せていただいたんで,これ以上疑わないんですけど。」と述べた。続いて控訴人乙山が「いや俺達話してたのはね。『メモと資料がある』と,こうあった。これはほとんどメモだから,まだ資料があるんじやねえかと。」と述べると,これをひきとって控訴人丙川が「そういうことです。今おじいさんの時代からの鉄の行李とか何とか,そこからお探しになったって今言われましたからね。そういう物をまだ探せば,また出てくるんじやないかというような感触を,今の文春の。」と述べた。これに対して,被控訴人丁田は「はんだら,先祖代々からの全部お持ちになりますか,そんなら。それは言い過ぎじやありませんか。」と反発したが,控訴人丙川は「別に言い過ぎじやないです。」と答えた。被控訴人丁田が「誠心誠意してるわけですから。そこまで言われたら,そりやあ,もう紙1枚もないかと言われれば,あるかも分かりませんけど。」と言うと,控訴人丙川は「この前ね,丁田さん自身が開けて,みんなどうだどうだとお見せいただいたでしょ。あれが順に残っている訳ですよ。それで更に今,おっしやったようにお探しいただいて,要するに,おじいさん時代の鉄みたいな行李のなかから出てきたということを総合しますとね,何かこう今の膨大な資料という中の,内容は分かりません,私は。丁田さん,当人だから一番よく分かるんでしょうが。」と述べ,前回の5月17日の訪問の際に,被控訴人丁田の案内で自宅の本棚や引出の中を見たが,この日も,もう一度,同様に被控訴人丁田の自宅内を捜索したい希望を表明した。これに対して,被控訴人丁田は,「そんなことおっしやるならね。もう全部返して下さい。……私ね,本当にこの1週間,必死の思いで探したんですよ。そんな言われ方したんじやね。僕が今度の件で悪ロ言われることとは別に,全部返してください,と。燃やしちやいましょう,と。」「私は,もうね。これをお預けすること自体に,ものすごい抵抗感じているんですよ。正直言うて,人権喋躍ですよ。私のプライバシーまで持っていくんですから。私の子供の問題,私の家族の問題,私の父親の問題,全部人っているんですよ。これあなた方持っていったことが世間にばれたら大変なことですよ。」「私はそんなことは言いません。誰にも言いません。しかし,私のプライバシーのすべてをお持ちになってですよ,まだ残ってないかっていうのは,丙川さん,言い過ぎじゃないですか。」と述べて,控訴人らの要求を拒絶した。
(オ)これに対して,控訴人丙川は「だからそこまであれするとさ,またね。せっかく,せっかく好意をいただいたことについて,へんな話になっちゃいますから。」と述べたが,被控訴人丁田は,「僕もね。ほんとに必死になって探してこういうことですよ。それで1枚もないですかと言われりゃね,そら僕だってそら天井裏に1枚あったら分かりませんよ。それをね,家探しして下さいとは言えません。」と再び明確に拒絶した。控訴人丙川は,「あの,別に家探しなんてなるとね,警察沙汰にでもなるから。……ただ,家探しという言葉じゃなくて,要するに,……丁田さん言ったことをこちらも,昔の仲間として善意に受けとめて来てる訳ですよ。……ただし,是非ご理解いただきたいことは,今,乙山さんが言ったように,膨大な資料とかメモとか,それから今もう一回繰り返しますが,2週間の間に本当にご苦労いただきましたけれども,おじいさんの時代のそういう行李までひっくり返したんだということになりますとね,何となくね,まだあるんじゃなかろうかなという,感触ですよ,感触。」「あの丁田さんもね,ほいじゃあ家探しして下さいって,まあ失礼なことでは。」と,なおも家探しを要求したが,被控訴人丁田は「それは僕は断ります。」「そりゃ甲野さん,そりゃなんぼでも,おっしゃる言葉じゃないんじゃないですか。」と,引き続き拒絶する旨を明確に述べた。すると,控訴人丙川は「だから,家探しという言葉,もうまったくこれは変な言葉ですけどさ。あの,家探しという言葉はね。これはもう,今私たちが警察権力を持ってるわけでも何らありません。要するに昔の仲間としてあれしているわけですからね。」「一生懸命お探しいただいたんだと思いますけど,それで出てきた。そのほかにもどっかに,もしかすると,と。だから要するにそれで我々があれしたら,これでなきゃないでも,しょうがないと言っちゃ失礼ですけど,おしまいですよ。」と述べ,被控訴人丁田が「強盗ですよ。それは,今おっしゃっていることは。」となおも抵抗すると,控訴人乙山が「それで我々とすれば,万万が一よ,後になって出てきたなんてことになるとね,3人でこうやって話し込んで,それでお互い信頼だ信頼だと言って,後で出て来ちゃ問題だと。だから念には念を入れてという意味で言っているんであってね。そこんところは分かってくださいよ。」と述べた。控訴人丙川は,更に,「もう本当にくどいようですけど,膨大なメモ資料ということになると,……この次出てきて,何かのときになると,これ大変なことになる可能性ありますよと。」「だからね万が一ね,この次に何もペーパー1枚がどうだとか,手帳が1つどうだとかこういう問題を言っているんじゃないんです。だけど,やっぱり,その客観的に判断する人はね,『要するにまた出てきたらだめだった,また出てきたらじゃ,何回続きやいいんだ』という可能性だけ,可能性だけです。丁田さんに言わせれば,『無いよ』とこれでおしまいです。私たちもその善意に対しては間違いなかろうと。ただし,私たちあくまでも3人は言われてやってきた訳で,まだこの周りにですね,もう乙山さんも,うるさい五木さんだっているし,七瀬さんだっているし,まだまだいっぱいいるわけですよ。そういう人たちはね,要するに私たちの言っていること,丁田さんの言っていること,半分わかるけど半分わかっていない。あとは,文春のあの書面,そういうものについてやっぱり彼らは中心にいろいろコメントするわけですよ。ですから,……出てきた場合には大変なことになるよって。……もしですね,この次,……また出てきちやったじゃないかといった場合に,まあ失社ですけど,我々も立つ瀬がないわけですよ。『何だお前たちでくの坊』と,……何しに行ってんだと。」「私たちはね,言ってること7害リ,あるいは人によって違うかもしれないけど,私は7割信用します。ですけれども,……もしこの次出てきたならば,これはやっぱりね,ただ単に書かないとか,またあったから出しますよという問題ではないですよと。……意図的に隠したんですか,それとも分からないであったのか,これはね,第三者の判断というのがね,これはもう,まちまちになっちゃう訳ですよ。だから,私たちも今ここでね,もうケリをつけたい訳ですよ。」と,執拗に,家探しをしなかった場合には騒動が生ずる可能性を示し,控訴人らの威勢にひるんだ被控訴人丁田が「気持ちは分かります。じゃあ,どないしたらよろしいんですか。」と述べると,「どないしたらって言ったら,どうですか甲野さん,ですからこの前ね,要するにくどいようですけど,……開けていただいたでしょ。ああいうのを見てね,それで我々が目で見て,それで無いとなったら,それは無い訳ですよ。」と述べて,あくまでも前回の5月17日の訪問の際のように,被控訴人丁田の自宅の各部屋の本棚や引出の内部を探すことを要求した。被控訴人丁田は,「するなら勝手にやれ。不法侵入,脅迫ですぐに訴える。」と述べた。これに対して,控訴人丙川が「やるならやってみろ。」と言ったので,被控訴人丁田は110番に通報しようと電話の受話器を取り上げたところ,控訴人丙川が急いで立ち上がり,被控訴人丁田につかみかかってこれを止めた。控訴人甲野は,「どうしてもだめなら,全党挙げて丁田をつけねらう。」と述べた。
(カ)控訴人らの剣幕に,被控訴人丁田は,控訴人らの要求を拒み続けるとどのような危害を加えられるかもしれないと畏怖して,「それは,かまいませんけどね,感情論で申し訳ない。心外なんですよ。甲野さん。なんで……」と述べたが,控訴人丙川が「私たちは,本当にその,感情論で言ってるんじやないですよ。……丁田さんの立場に立ったつもりで言っているんですよ。」と畳みかけると,被控訴人丁田は,渋々「何度でも何でもどうぞ」と答えた。すると,控訴人丙川は,「いやそれは,これはね。赤の他人の家ですから,どうぞなんて言われるもんじやないですよ。やっぱりね,……やっぱり,その丁田さんがご案内いただき,奥さんのご了解をいただかなきやね。そんなもの,私は社会人だし,少なくともあの立法府に長いこといた者ですから,そんなもの,ズカズカズカズカね,行くわけにはいきませんよ,それは。それはいけませんよ。そんな失礼なことはできません。あくまでもですね,出すのも,私が自発的に出したんだよ,と。みな,自発的にやったんだよ,と。それは圧力になるよ,と。言っていただいているんですから。」と,被控訴人丁田に対して,同被控訴人の自宅内の捜索に当たって控訴人らを案内することを求めた。これに対して,被控訴人丁田が「ほんとにね。こんなこと,そんな昔の過去のことよりも,このこと自体が大問題ですよ。まさか,お互いね,野暮ですから言いません。だから僕は自発的に出した形をとっている訳ですからね。それをもう……。」と述べて案内を渋ると,控訴人丙川は「その是非はね,もう私たちはいいんですよ。ここにね,6000名のね,0Bと議員がいる訳ですよ。」と,控訴人らの背後には多数の創価学会ないし公明党関係者がいることを示して被控訴人丁田を威迫した。控訴人らから,このような要求を受けて,被控訴人丁田は,「じやあ,もうご覧下さい。」と述べた。
(キ)夏子は,控訴人らが被控訴人丁田宅に到着した際には外出していたが,その後,控訴人らと被控訴人丁田が自宅応接間で上記のようなやり取りをしている間に帰宅した。しかし,被控訴人丁田は夏子が既に帰宅していることを知らなかったことから,上記のやり取りに引き続いて同被控訴人と控訴人らとの間で次のような会話がされた。
丁田「ご案内するんですか?」
丙川「やっぱりそうじゃないとね。そうじゃないとね,もう。」
丁田「屋根裏まで行きますか?」
丙川「ズカズカズカズカってわけにはいかないし,奥様だっていらっしゃるし。」
丁田「家内はおりませんよ,今。」
丙川「お留守ですか,今?」
丁田「仕事で出かけてます。」
丙川「少なくとも,やっぱりご案内いただかないと。どうですかね,ズカズカってわけには。」
乙山「そりゃまずいよ。」
甲野「人の家だよ,あんた。」
上記のような会話の後,被控訴人丁田は「いやいや,どうぞ,もう。ご案内してもいいですよ。しかし,あの,俺,本当にどないしてご覧になるかなと思って。」と述べながら,なお案内を渋る様子を見せたが,控訴人丙川が「そしたら案内してもらって。」と述べ,更に,控訴人乙山が「その方がいいよ。そんでね,そんでさ。 したくない,本当にしたくない,したくないけれどもね,したくないけれども,我々もこうやって話し合って,それで大勢の人いるわけですよ。あれだけのものを。」と述べて,再び,控訴人らの背後に多数の創価学会ないし公明党関係者が存在することを示して威迫したので,被控訴人丁田も,遂に抵抗をあきらめて,「ご案内しましょ!もうめんどくさい。……もうあれですよ,ちょっと私としては,ひっくり返っているのを見られるのはいやですけどね。そういうプライバシーのところは,目をつぶっていただいて。」と述べて,腰を上げた。すると,控訴人丙川が「あの,丁田さん。丙川が無理に押しかけてきたなんて,後で書かないで下さいよ。はっはっは。」と笑うと,これを受けて,控訴人乙山が「そんな余計なこというからいけないんだよ。」と述べた。
(ク)被控訴人丁田に案内をさせて,控訴人らは,同被控訴人の自宅を1階から3階まですべての部屋を順次捜索した。特に2階の書斎では本棚を詳細に調べ,引出も全部開け,すべてのファイルを取り出して点検した。3階の物置では,掛け軸なども調べ,段ボール箱の中まで見た。また3階の被控訴人丁田の部屋(寝室)では,すべての引出を開け,クローゼットも開け,中の段ボール箱まで捜索した。
(ケ)被控訴人丁田の妻夏子は,帰宅後,3階の自屋(寝室)において着替えをしていたところ,夏子郷帰宅を知らない被控訴人丁田が部屋の扉(引き戸)を開けた。被控訴人丁田に続いて扉の前まで来ていた控訴人らは,着替え中の夏子をいきなりのぞき見る形となり,控訴人らと目が合った夏子は,「きゃあ,きゃあ。」と大声を出した。被控訴人丁田は,「ああ,おったんか失礼。」と述べて扉を閉め,控訴人らに「着替えておりますから。」と説明したが,夏子の声に驚いた控訴人らは,他所に移動した。
(コ)被控訴人丁田と控訴人甲野は,その後,次の内容を記載した念書に署名し,原本を被控訴人丁田が,写しを控訴人甲野が保管した。
「丁田春男は,5月15日,5月17日,5月30日の3回で1967年から2001年まで通年の丁田の日記および関係書類を公明党元議員の甲野一郎氏,乙山二郎氏,丙川三郎氏に預けた。
双方は,5月17日に確認した条件を信義誠実を重んじ遵守する。
以上,双方,確約する。」
(サ)被控訴人丁田は,用意した手帳のほかメモ類等の書類を大型封筒に入れてガムテープで封をし,これを控訴人らが持ち帰った。
(シ)控訴人らが退去した後,夏子が「なぜ,あの人たちに2回も家探しをさせるのか,非常識すぎる。許せない。それに私が着替え中,私の部屋を覗くとはけしからん。」と被控訴人丁田に泣きながら抗議したところ,同被控訴人は夏子に対して一言もなく,黙っていた。
(3)事実認定の補足
ア 控訴人らは,控訴人らが平成17年5月15日(2回),17日,30日に被控訴人丁田宅を訪問した際に,いずれも控訴人乙山においてICレコーダ(ソニー製品。 IC RECORDER ICD-MS515
.甲43は同型のもの)を携行し,事のすべてを隠し録りしたとする音声データを複製収録した記録媒体(CD-R)及びその反訳書(甲25~28)を提出し(以下,これらを併せて「本件音声データ」という。),被控訴人丁田本人,証人丁田夏子及び同東町純の各供述書(乙ハ4~6)並びに原審での尋問における供述のうち,本件音声データに収録されていない部分は信用できないなどと主張している。これに対して,被控訴人らは,本件音声データは被控訴人丁田宅における控訴人らと同被控訴人等のやり取りのうちの重要な部分が削除されていると主張している。
イ 本件音声データに関しては,控訴人ら提出に係る甲34(西村正作成の鑑定書)が合成,修正及び加工された箇所は見当たらず,編集改ざんが行われた録音ではないとしている。しかしながら,乙ハ7及び9(日本音響研究所鑑定書)及び弁論の全趣旨によれば,一般にデジタル方式で録音された音声データは削除,結合等による編集を行ってもその形跡が残らないと認められるから,本件音声データに編集改ざんの痕跡が認められないからというだけでは,本件音声データについて録音後に編集改ざんが行われなかったと断定することはできない。現に,日本音響研究所鑑定言において分割,削除,結合を施したデジタル音声データである乙ハ8について,西村正は甲36において,これらの作業が施された箇所を具体的に指摘することができていない。
ウ そこで検討すると,
(ア)原審では,弁論準備手続において主張内容及び証拠の整理がされたところ,本件音声データは,原審準備手続期日において提出されず,原審第2回口頭弁論期日(平成18年12月15日)の被控訴人丁田本人尋問での反対尋問において,控訴人ら代理人が同被控訴人において控訴人らの訪問時に録音をしていなかったことを念入りに確認した後の第3回口頭弁論期日(平成19年3月9日)において,初めて提出されたものであり,被控訴人丁田及び当裁判所から後記第一次録音媒体を提出するように促されても,当該録音媒体における録音内容は既に消去したというのみで,これに応じようとしないものである。控訴人らの主張によれば,本件音声データは,被控訴人丁田宅における録音の際にICレコーダに収納されていた録音媒体(64メガバイトメモリースティック。以下「第一次記録媒体」という。甲43は同型のもの)から,本件音声データが録音された当日(平成17年5月15日,17日及び30日),コンピュータ内蔵の記録媒体に複製収録し,それをさらに他の記録媒体を介して他のコンピュータ比より複製したものを証拠として提出したというものであり,第一次記録媒体からの複製収録の際,同媒体から音声データを削除し,また,その際に用いたコンピュータは壊れたので廃棄したため,いずれも裁判所に提出できないというのである。しかしながら,控訴人らが被控訴人丁田とのやり取りを録音したのは,本件のような訴訟に備えてのものであると推認されるところ,訴訟における原本主義に鑑みれば,録音に係る第一次記録媒体は原本として保管し,ICレコーダを再使用するために新しい記録媒体を購入するのが通常であること等からすれば,証拠の保管ないし提出方法において著しく不自然な点があるといわなければならない。
(イ)次に,本件音声データそれ自体を見ても,その内容において,以下のような不自然な点を指摘することができる。①平成17年5月15日の訪問時の音声データ(甲25)において,本件手帳を自ら燃やすという被控訴人丁田の供述を前提としての控訴人らと被控訴人丁田との供述が録音されているにもかかわらず(204項),前提となる本件手帳を自ら燃やす旨の被控訴人丁田の供述が録音されていない。②同月17日の訪問時の音声データ(甲27)において,エレベータの音や仏壇での題目三唱等,階上における行動に関するやり取りを録音した箇所があるのに(527項以下),念書の署名終了後の会談(455項以下)やその前の会談で,控訴人らが被控訴人丁田に対し,階上の案内を求めたことに関するやり取りが存在しない。③同月30日の訪問時の音声データ(甲28)において,同月17日の訪問の際に被控訴人丁田から自宅内の本棚等の開示を受けたことを前提とする控訴人らの供述(前回と同様に自宅内を開示することを求める供述)が録音されているにもかかわらず(97項,109項),同月17日の訪問時の音声データ(甲27)には,その様子が一切録音されていない。④同月30日の訪問時の音声データ(甲28)において,控訴人丙川が控訴人甲野に意見を求めたところ(197項),同控訴人の発言がないにもかかわらず,被控訴人丁田は,「それはかまいませんけどね。感情論で申し訳ない。心外なんですよ。甲野さんね。」と,控訴人甲野に向けて発言している(198項)。なお,その前は,控訴人丙川と被控訴人丁田のやり取りが続いていた。⑤同音声データでは,被控訴人丁田において,妻夏子が不在であると思いこんでいたことを前提とする供述が録音されているにもかかわらず(214項等),自宅3階の夏子の部屋(寝室)を控訴人らが覗いた様子が録音されていない。
なお,上記のうち,⑤(夏子の部屋の覗き見)について,補足的に説明すれば,音声データには控訴人らが夏子の部屋付近にいる際の録音として,扉をたたくような音が録音されているところ,自宅内を控訴人らを案内した際に,被控訴人丁田は夏子が不在と思いこんでいたのであるから,夏子が在室するかどうかを確かめるために夏子の部屋の扉をたたくことはあり得ず,また,夏子においても,被控訴人丁田以外の者が自らの部屋に入ることを予想していなかったはずであるから,自室の扉を内側からだたくことで自らの在室を知らせたというのも不自然である。さらに,3階の被控訴人丁田の部屋(寝室)にギターが置いてあり,被控訴人丁田自身がこれを鳴らしているが,ギターと扉とは4m余り離れていた(当審における検証)にもかかわらず,扉の音とギターの音が短時間のうちに連続して録音されており,そのように連続して音を発生させるためには,被控訴人丁田において極めて迅速に移動しなければならないことになるが,当時の状況や同被控訴人の年齢から認められる運動能力に照らせば,そのような迅速な移動は困難である上に,控訴人らのギター談義を無視して同被控訴人において迅速な移動をしなければならない必要性はない。付加するに,控訴人らは,被控訴人丁田の部屋(寝室)を捜索するために入室したにもかかわらず,同部屋を捜索した気配が全く録音されておらず,検証における控訴人らの説明も同部屋を素通りしたことを前提になされている。
エ 上記ウに指摘した各事情に照らせば,本件音声データは,被控訴人丁田宅において録音された当時の音声データ(第一次記録媒体に記録されていた内容)について,その後に削除等の加工を施されたものと認められるから,その録音内容は,録音された部分について控訴人らと被控訴人丁田との間に録音された発言等があったことの証拠として採用しうるとしても,録音がないことを理由に録音されたもの以外の発言等がなかったと認定することができない。また,控訴人丙川の原審本人尋問における供述や陳述書についても同様であり,録音されたもの以外の発言等がなかったとの点は到底採用することができない。録音されていない部分の発言等については,被控訴人丁田本人,証人丁田夏子及び同東町純の各陳述書(乙ハ4~6)並びに原審での尋問における供述を証拠として認定するのが相当である。
(4)真実性の抗弁について
ア 上記認定事実に照らせば,控訴人らは,平成17年5月14日に被控訴人丁田が創価学会青年部の幹部多数に囲まれ,いねばつるし上げのような形で,家族に危害を加えることを暗示する脅迫の下で,今後の政治評論活動を辞めると約束させられた事情を十分に知悉した上で,翌5月15日から同月30日にかけて4回にわたって被控訴人丁田宅を訪問し,創価学会青年部との約束を守るあかしとして本件手帳を引き渡すように求め,被控訴人丁田においてこれを拒絶するや,自分たちは創価学会ないし公明党の指令により訪問したもので,控訴人らの背後には多数の創価学会員ないし公明党員が存在するものであって,控訴人らの要求を拒めば,これらの多数の創価学会員ないし公明党員が被控訴人丁田及びその家族に対してどのような危害を加えるかもしれない旨を暗示しあるいは明示的に述べて,被控訴人丁田を脅迫し,控訴人らのこのような発言内容に畏怖した被控訴人丁田が,やむなく控訴人らの要求に応じて本件手帳等を引渡したこと,控訴人らが被控訴人丁田に対して同様の威嚇をして被控訴人丁田宅の1階から3階まで,本棚,引出,クローゼット等の内容まで捜索する家探しを行い,3階の妻夏子の部屋にまで捜索に及んだことを認めることができる(控訴人らは,妻夏子の部屋に立ち入っていないとしても,夏子が室内で着替えをしていたため入室ができず,それでも扉の開かれた部分から同部屋を覗いたのであり,捜索に及んだということができる。)。
なお,本件音声データ中には,控訴人らと被控訴人丁田がやり取りのなかで談笑する部分も存在するが,これは,控訴人らにおいて,控訴人乙山がICレコーダを携行して隠し録りをしていることを認識していたことから,録音結果がなごやかな雰囲気となることを意図して,表面上強い口調や大声を出すことを避け,会話中にあえて笑いを交えていた結果であり,他方,被控訴人丁田においては,平成5~6年ころの文藷春秋への手記の連載のため創価学会等に対して迷惑をかけたとの思いや,控訴人らを刺激することにより今後更なる糾弾を受けたり身に危険が及ぶといった事態を避けるために,あえて控訴人らに迎合する姿勢をとった結果と認められる。前記認定のような,控訴人らの訪問の前後の状況や訪問時における会話の内容に照らせば,控訴人らの脅迫の結果,被控訴人丁田が畏怖して本件手帳等を引き渡し,自宅内の捜索に応じたと認定すべきものであり,本件音声データ中の上記のような内容は同認定の妨げとなるものではない。被控訴人丁田においてあらかじめ念書を作成しておいた点も,前認定の事実関係によれば,同被控訴人主張のとおり,控訴人らが持ち去った後の本件手帳等の管理について一定の願いを聞き入れてほしいとの趣旨で作成したものと認められ,念書作成の事実をもって,被控訴人丁田において心底任意に本件手帳等を控訴人らに交付したものと認めるべきものではない。
イ 上記によれば,控訴人らが,共謀の上,被控訴人丁田の自宅において,同被控訴人に,同被控訴人が極秘メモを記載していた衆議院手帖を引き渡すよう強要し,本棚,押し入れ,妻の部屋に至るまで家探しし,被控訴人丁田の衆議院手帖を段ボール箱に詰めて同被控訴人から奪い,これを持ち去ったとの事実を摘示した第1記事の内容及び控訴人らが,4回にわたって被控訴人丁田宅を訪問し,その都度,執拗かつ強い要求をし,被控訴人丁田が「プライバシーの侵害になる」と強い抗議をしたにもかかわらず,2回にわたって家探しを強行するなどして,同被控訴人の手帳を無理矢種に持ち去ったとの事実を摘示した第2記事の内容は,いずれも真実というべきである。また,これらの事実をもって第2記事の見出しで「手帖強奪」と表現したことは,大仰な感を否めないが,強要ないしは脅迫の程度を強調したものと評価することができ,同表現があるからといって記事全体の真実性が左右されるものではない。
3 控訴人らの請求(第1,2事件)について
(1)被控訴人講談社らに対する請求
そうすると,被控訴人講談社らに対して,本件各記事を名誉毀損であるとして,謝罪広告及び損害賠償を求める控訴人らの請求はいずれも理由がない。
(2)被控訴人丁田に対する請求
上記のとおり,本件各記事が公共の利害に関わる事実を内容とするもので,被控訴人講談社らにおいて専ら公益を図る目的で本件各記事を本件週刊誌に掲載したものであり,本件各記事の内容が真実であるというのであるから,本件各記事についてその情報を提供した者が控訴人らに対して名誉毀損を理由とする責任を負うということはできない。したがって,本件第1記事が被控訴人丁田の取材に基づき作成されたものであるかどうかを検討するまでもなく,被控訴人丁田に対して謝罪広告及び損害賠償を求める控訴人らの請求もいずれも理由がない。
4 被控訴人丁田の請求(第3事件)について
(1)本件手帳等の引渡請求について
ア 控訴人らは,被控訴人丁田は本件手帳等の引渡しに際して2通の念書を作成し,控訴人らとの間で,当該内容の合意をしたものであるところ,上記合意は本件手帳等の負担付贈与若しくは信託的譲渡又は信託の設定とみるべきであり,これにより本件手帳等の所有権は控訴人らに移転し,被控訴人丁田はその所有権を喪失した,あるいは控訴人らに本件手帳等を保持する権原を付与する無名契約であると主張する。
イ しかしながら,2通の念書の内容は上記認定のとおりであるところ,当該念書の文言に照らせば,被控訴人丁田が本件手帳等の所有権を保持し続け,控訴人らにこれを移転していないことは明らかであって,これを控訴人ら主張のような内容の合意と解することはできず,また上記認定のようなこれらの念書の作成された前後の状況に照らしても,控訴人らの主張は採用することができない。
この点,控訴人らは,本件手帳等引渡しの経緯や念書中に関係者が死亡した後における保管の継続等に関する条項があることからすれば,同念書に基づく合意は,民法に定める寄託契約ではなく,フランス民法1956条等に定める合意による係争物寄託ないしは英米法におけるエスクロウ契約に類似した一種の無名契約であり,少なくとも関係者が死亡するまでは本件手帳等の返還は予定されていないものであると主張する。しかしながら,念書にいう「将来,関係者が死亡したときは,……丁田は子息丁田秋男,三氏は指定する公明党関係者の立会いの元で協議し,これら資料の保管の継続などの処理を決める。」との条項は,関係者が死亡した時の本件手帳等の保管方法について定めているだけであり,また,被控訴人丁田において,その生涯返還請求権を放棄する旨の約束が含まれていないので,同主張に理由がない。
ウ なお,上記念書の文言に照らせば,当該内容のとおりの合意がされたとすれば,被控訴人丁田と控訴人らとの間に本件手帳等についての保管期間を関係者死亡までとする寄託契約が成立したことを認める余地はある(もっとも,控訴人らは寄託契約を主張しておらず,また,被控訴人丁田は合意の成立を否定している。)。しかし,仮に本件において寄託契約の成立を認めるとしても,それは無償寄託契約であり,民法662条により,期間の定めがあっても,寄託者たる被控訴人丁田はいつでもその返還を請求することができるから,現に同被控訴人が返還を請求している以上,いずれにしても控訴人らが本件手帳等を占有する権原を認めることはできない。
エ したがって,被控訴人丁田が控訴人らに対し,所有権に基づき本件手帳等の引渡しを求める請求は理由がある。
(2)不法行為を理由とする損害賠償請求について
ア 被控訴人丁田は,控訴人らが平成17年5月17日及び同月30日に被控訴人丁田の意思に反して同被控訴人宅内を家探しして検分し,同被控訴人のプライバシーを侵害したと主張して,不法行為を理由に,控訴人ら各自に対して1000万円(合計3000万円)の損害賠償及びこれに対する遅延損害金の支払を求めている。
イ 上記認定事実によれば,被控訴人丁田の主張するとおり,控訴人らが平成17年5月17日及び同月30日に被控訴人丁田の意思に反して同被控訴人宅内を家探しして検分し,同被控訴人のプライバシーを侵害した事実を認めることができる。上記認定事実によって認められる控訴人らの被控訴人丁田に対する言動や家禄しの状況等を総合考慮すれば,被控訴人丁田の精神的損害に対する慰謝料額としては300万円をもって相当というべきであり,控訴人らの行為は共同不法行為というべきであるから,控訴人らは当該金額の支払につき連帯(不真正連帯)してその責に任ずるべきものである。
ウ したがって,被控訴人丁田の控訴人らに対する損害賠償請求は,控訴人らに対して連帯して300万円及びこれに対する不法行為目以後の日である平成17年5月30目以降の民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
5 結論
以上によれば,控訴人らの請求はいずれも理由がないから棄却すべきであり,被控訴人丁田の請求は,本件手帳等の引渡し及び上記の金額の支払を求める限度で理由がある。
よって,これと異なる原判決を変更することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 南敏文 裁判官 安藤裕子 裁判官 三村量一)
別紙
物件目録〈省略〉
謝罪広告〈省略〉
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■こうして、両者のせめぎあいは平成22年から平成23年へと年を跨いで続くのでした。
【ひらく会情報部・この項つづく】
第3 当裁判所の判断
1 本件各記事の内容について
被控訴人講談社らが,本件週刊誌平成17年8月6日号に第1記事,本件週刊誌同月13日号に第2記事を掲載したこと及び本件各記事の内容は,前記第2,2(前提となる事実関係)(4)(5)記載のとおりである。
第1記事は,控訴人らが被控訴人丁田の自宅に居座って,被控訴人丁田に対し,「出すまで帰れない」「それが貴方の身のためだ」などと強要し,被控訴人丁田の手帳を段ボール箱に詰めて持ち去った,控訴人らは本棚,押入れから妻の部屋に至るまで家探ししていった,との事実を摘示したものであり,このような内容の第1記事は,控訴人らの社会的評価を低下させると認められる。
第2記事は,控訴人らが,4回にわたって被控訴人丁田宅を訪問し,その都度,被控訴人丁田に執拗な,強い要求をし,同被控訴人が「プライバシーの侵害になる」という強い抗議をしたにもかかわらず,同被控訴人の手帳を無理矢理持ち去り,これを強奪し,また,被控訴人丁田が強い抗議をしたにもかかわらず,被控訴人丁田宅の家探しを2回にわたり強行したと,一般人に認識させるものであり,控訴人らの社会的評価を低下させると認められる。
2 本件各記事の真実性の抗弁について
(1)公益目的
前記第2,2(前提となる事実関係)記載の事実及び弁論の全趣旨によれば,本件各記事によって摘示された事実は,もと国会議員であった控訴人らが,被控訴人丁田の自宅がら,同被控訴人が議員活動等において使い続けてきた手帳を持ち去ったというものであり,この事実は,公共の利害に関わる事実であると認められ,また,被控訴人講談社らは,専ら公益を図る目的で本件各記事を本件週刊誌に掲載したと認められる。
(2)事実関係
前記第2,2(前提となる事実関係)記載の事実に証拠(〈証拠等略〉)及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の各事実を認めることができる(甲18,25~28,59,控訴人丙川本人のうち,この認定に反する部分は措信することができず,他に同認定を覆すに足りる証拠はない。甲25~28については,被控訴人講談社らは時機に後れた攻撃防御方法であるとして却下を申し立てているところ,これにより著しく訴訟手続を遅滞させることになるとは認められないから当該申立ては採用しないが,これらの証拠が適時に提出されなかったことは,後記のとおり,証拠の信用性の判断に当たって考慮する。)。
ア 本件に至る経緯
(ア)被控訴人丁田は,昭和38年に大阪府議会議員となり,同42年から平成5年まで衆議院議員を務め,昭和42年に公明党の書記長に就任し,同61年から平成元年まで同党中央執行委員長の地位にあった。
被控訴人丁田は,衆議院議員を引退した後,政治評論家として活動していたところ,平成5年から同6年にかけて文藷春秋に手記を連載したが,同手記に「創価学会と公明党は政教一致と言われても仕方がない部分があった」旨の記述があったごとから,創価学会等から激しい非難を受けた。その結果,被控訴人丁田は,創価学会等に対して陳謝した上,同手記を単行本として出版する際に当該記載を削除するなどの措置をとった。
(イ)平成17年4月20日,被控訴人丁田は,創価学会の一色副会長(当時。以下「一色」という。)から創価学会戸田国際会館に呼び出された。その際,一色は,同被控訴人に対し,上記の文藝春秋の手記を挙げて「創価学会青年部が怒っている。」「丁田を除名せよとの要求が出ている。」「青年部は跳ね上がっている。丁田の命も危ない。」などと述べた上,あらかじめ用意をした文案を示して,同手記に関して謝罪文を書くように求めた。被控訴人丁田は,一色の要求にとまどったが,これを了承し,渡された文案に治って謝罪文を作成し,これを翌21日に一色に渡した。このことは,同月28日付け聖教新聞(甲4)において,「公明党元委員長の丁田氏が謝罪」「『文翁春秋』(93年,94年)掲載の手記をめぐって」「丁田氏“私の間違いでした”“当時は心理的におかしかった”」等の見出しを付した記事として大きく採り上げられた。同記事では,同手記が引き金となって,何人もの国会議員が創価学会を誹膀し,「喚問」「喚問」と大騒ぎする自体となったなどと,被控訴人丁田の手記の記述によって創価学会が大きな被害を受けたことが強調されていた。
(ウ)被控訴人丁田は,平成17年4月28日から所用で妻夏子(以下,単に「夏子」ということがある。)を伴って海外に出張したが,同月30日に至り,当時オーストラリアのブリスベーンに居住していた同被控訴人の長男秋男を通じて,数回にわたって,創価学会の二宮副会長(当時。以下「二宮」という。)に連絡をとるようにとの伝言を受け取った。被控訴人丁田が二宮に電話したところ,同人から「青年部が強硬だ。事態を収めるため,帰国日である5月14日に青年部と会ってほしい。」と強く面談を勧められ,これに応じた。その後,同年5月9日付け聖教新聞(甲5)には,被控訴人丁田の前記謝罪に関して,「公明党丁田元委員長が海外!?」「行動で示せ!口先だけの『謝罪』は要らぬ」等の見出しを付した記事が掲載されたが,同記事には,「“恩知らずは畜生の所業”」「我々は『口先だけ』なら絶対に許さない。本当に詫びる気持ちがあるなら,行動と結果で示してもらいたい」などの記述がされていた。
(エ)同年5月14日に被控訴人丁田が妻夏子と共に成田空港に到着すると,約10名の各自カメラを手にした背広姿の創価学会青年部所属者が同被控訴人夫妻の後を追って移動し,各々フラッシュを焚いて夫妻の写真を撮るなどした。引き続いて,創価学会戸田国際会館で行われた創価学会青年部との会談においては,三井青年部長ら5名が被控訴人丁田を取り囲むように着席し,口々に,「青年部において除名せよとの要求が出ている。」「我々は本当に怒っている。」などと同被控訴人を糾弾し,2度にわたって「土下座しろ」と迫り,「人命にかかわるかもしれない。」「息子さんは外国で立派な活動をしている。あなたは息子がどうなってもよいのか。」などとも述べた。そして,「政治評論家をやめるべきだ。元委員長が政治評論家面をするのは許せない。」などと述べて,政治評論活動を止めるように繰り返し迫った。被控訴人丁田は,青年部幹部らの言動に身の危険を感じ,青年部の用意した,文春のことは謝る,今後は書かない,恩返しをするなどの趣旨の文書に署名をし,政治評論家を辞めると述べた。
イ 平成17年5月15日の第1回訪問
(ア)平成17年5月15日は,日曜ということもあって被控訴人丁田は東京都新宿区内の自宅に在宅していたところ,午後5時ころ,控訴人らが突然,同被控訴人宅を訪問した。控訴人甲野は,昭和34年から同38年まで墨田区議会議員,同年から同55年まで東京都議会議員,同年から同61年まで参議院議員を務め,同45年から同61年まで公明党中央執行委員の地位にあった者であり,控訴人乙山は,昭和38年から同42年まで神奈川県議会議員,同年から平成5年まで衆議院議員を務め,昭和62年から平成2年まで公明党中央執行副委員長の地位にあった者であり,控訴人丙川は,昭和40年から平成7年まで参議院議員を務め,同5年から同7年まで公明党中央執行副委員長の地位にあった者であるが,控訴人らはいずれも被控訴人丁田と十数年前から個人的なつき合いが絶えており,控訴人甲野及び同乙山は被控訴人丁田宅を訪問したこともなかった。
(イ)被控訴人丁田が控訴人らを自宅1階の応接間に通すと,控訴人らは,文藝春秋の手記に関する謝罪をめぐっての前日の同被控訴人と創価学会青年部とのやり取りを話題にした上で,控訴人甲野が「乙山さんが今もうむずむずして一番言いたいのは,要するに,あの文藝春秋の極秘メモですよ。」と本件手帳について切り出し,続けて「はっきり青年部との約束が評論活動も今後やらないというようなことを大前提でおっしやったとなれば,そんなものがあったんじゃ先々心配だな。」と述べた。そして,控訴人丙川が「青年部に対しても,今後,まあ行動で示していくと,ね。……そのメモってのは,乙山さんが一番よく知ってるんですよ。要するに,そうすると極端に言うと,27冊の衆議院手帖にいろいろと害いてあると。極端に言うと。」と述べるなど,控訴人ら3名は,口々に,被控訴人丁田に対して,本件手帳を引き渡すように求めた。これに対して,被控訴人丁田は,「それは無茶な話だ。おれのプライバシーの書いてある手帳を預けろという意味が分かっての話か。それは人権問題になる。断る。」「手帳には,我が家の内部のこと,銀行口座の番号,ID番号,債権債務,息子のこと,その他我が家のすべてが害いてある。それを渡せというのは個人情報の侵害,人権侵害,プライバシーの侵害だ。分かっているのか。君たちは国会議員までやった人間だ。そういうことが知れたら……。」「その手帳には,絶対私以外の人が見てはならないことが害いてある。学会の税金問題,ルノアール事件,捨て金庫事件,やばい筋の話,言論妨害事件で他党の政治家と交渉した内容が実名で害かれている。月刊ペン事件,本山との抗争問題,山友問題等も害いてある。これは爆弾だ。だからおれは墓場まで持っていこうと思っている。絶対に外部に知られてはならぬ内容だ。それを承知か。だから渡すわけにはいかない。」などと述べて,これを拒絶した。 しかし,控訴人らは,「それを渡さないと皆怒り狂って何が起こるか分からない。」「渡さないなら覚悟はできていますね。」などと述べて,あくまでも本件手帳を引き渡すことを求めた。
(ウ)被控訴人丁田は,かつて五木昭夫元都議会議長から創価学会と対立した六沢和夫元都議会議員に対して創価学会内部においてこれを暗殺する計画があると間いたこと,五木の依頼により,四元創価学会会長に対して当該計画を思いとどまらせるように要請したことなどを想起するとともに,かつて自分自身が公明党幹部として関与した,創価学会に批判的な人物に対する幾多の攻撃を思い出し,控訴人らの要求に応じないときには自己又は家族に対してどのような危害が加えられるかも知れないと恐怖を覚えたが,本件手帳を控訴人らに渡すことだけは避けようと考えて,本件手帳については自分自身で燃やすなどして処分することを提案したごしかし,控訴人らはあくまでも本件手帳の引渡しを受けることにこだわり,被控訴人丁田が控訴人ら立会の上で本件手帳を処分することを申し出ても,控訴人甲野において「丁田さんが本当に青年部とか一色さんときちんと大前提約束したんなら,今後のことはまたお家のことだとか,ご家族にもいろいろ関わりがあることだから,僕らは先のことを考えりゃあ,あくまで『膨大なメモ』ってやつは,燃やしちゃうとかなんとかじゃあなくて,……差し出がましいけど,一時,僕らが,ほかじゃ差し障りがあるから,僕らOBの仲間で一時お預かりしちゃって,時が来るまでは抱いてるかと。そういうね。」などと述べ,控訴人乙山が「神奈川だって火光会をやったときに,が一っと出たよ。」と発言し,これを受けて,控訴人丙川が「火光会の意見っていうのは決して火光会だけの意見じゃないですよ。学会の意見でもあるんですよね。皆組織に入ってますから。そうなるとね,要するに,今更のようだけ,ども,あのタイトルと張出しにあった膨大な資料だと,整理するのも大変だと,極秘メモだというようなことがね。要するにまたこの次書くんじゃなかろうか,これをネタにして何かやるんじゃなかろうかという,当然,やっぱり疑心暗鬼はみんなあるわけですよ。
………ですから,……燃やせばいいじゃないですか,ということだけじゃだめなんですよ。」と述べた。そして更に控訴人乙山が「燃やしゃいいってことじゃなくてね。」と述べ,更に,控訴人甲野が「だから,もしあれだったら,封印して,僕らが丁田さんから預かってもいいよ。開けて見る必要ないんだから。」と述べ,本件手帳を焼却するのでは足りず,これを控訴人らに引き渡す必要のあることを述べて,繰り返し本件手帳の引渡しを求めた。被控訴人丁田は,これに対して,「だから,あのね。正直言うて,個人的なプライバシーもありますし,あのう家庭のこともありますし,あるいはこの会社のね。……それはあのう……」と,なおも本件手帳を引き渡すことに難色を示し,更に,「私が処分すると。処分の方法は考えようと。こう言っていたということにして理解して下さい。僕は約束は守りますから。」と述べて,本件手帳を引き渡すことを明確に拒絶した。
(エ)これに対して,控訴人甲野は「それはね,丁田さんね,僕らの気持ちはね,残しておいて,そのことで悪用するんじゃないかっていう,僕ら,そういう邪推じゃなくて,もし,すっきりね,ここでちゃんとお辞めになるというなら,周囲をね,周囲を説得するのに,……封印して全部ね,これだけ,ちゃんとしっかりして,もうこんな論議やめてくれっていうには,預かってるのが一番いいなというのがね。……さんざん議論してね。それが,僕ら,僕の結論なんです。」「丁田さんがこっちに預けるには,全部ご自分で封印して,それをこっちに預かってきて,手つけないで,また時来たら返すってことじゃないの。」などと述べ,控訴人乙山において「だから封印してもいいじゃない。」などと述べ,本件手帳を控訴人らに引き渡す以外の選択肢のないことを示して,繰り返し,本件手帳を引き渡すことを求めた。この間,控訴人丙川は応接室から出て,玄関ホール付近において携帯電話で五木と連絡をとり,「ええ,今やっている最中です。」「はい,絶対に取ります。」「打合せどおりにやっています。」などのやり取りをした。被控訴人丁田は,控訴人らの強硬な勢いに抗することができず,本件手帳を控訴人らに預けることを了承したが,本件手帳は貸金庫に保管中であり,一部を除いて手許にはないと説明した。
(オ)被控訴人丁田が控訴人らの威勢のため本件手帳を控訴人らに預けることを了承したところ,控訴人甲野は「こっちがね。なんかね,あの強奪しちゃったみたいなね。」と述べ,控訴人乙山は,「預かります。僕がね。」などと述べた。そして,貸金庫において保管中のものを含めて,すべての本件手帳を1週間後の平成17年5月22則こ引き渡すことを決めた。その際,控訴人乙山が「じやあ党本部に来てもいいよ。持って。」と述べるなど,被控訴人丁田において本件手帳を公明党本部に持参することも検討されたが,最終的には,同日午後1時に控訴人らにおいて再び被控訴人丁田の自宅を訪問することとした。控訴人らが退去する際に,被控訴人丁田が,「皆さん,これでねえ,……これ全部,丁田の日記預かってきたと。丁田から,もうお前ら保管しとってくれと言われたというふうに言って下さい。……でないと,これはね,問題になります。」と述べると,控訴人丙川は「全部丁田さんの自発的な行動ですね。」と応じ,控訴人乙山は「そらそうでしょう。大変なことになりますよ。」と述べた。
ウ 平成17年5月15日の第2回訪問
(ア)平成17年5月15日午後6時30分ころ,控訴人らは,再び被控訴人丁田の自宅を訪れた。控訴人甲野は,「今日たまたま党側の方に帰りますと,五木さんと七瀬さんがいて……今あるならあるだけの資料でも預かってくるなり,それから貸金庫というのはどこの金庫かはっきりしてこなきや,お前ら何やって来たんだって,今言われて。もう,言われりゃそうかと。……で,また3人でやって来ました。なんていうか,むしろ,怒られちやって,笑われちやって。」と述べ,これを引き取って控訴人丙川において「おしかりを受けて,またこうやって来たわけですよ。申し訳ないです,すみません。」,控訴人甲野において「預かって,うちの党の本部で僕らが預からせてもらえば一番安全なんだけどな。変な言い方だけどね。」,控訴人丙川において「要するに,今ご自宅にあるのは,あるって丁田さん言ったんだから,それだけでもあれしなかったら,子供の使いじやないか,なんてことでですね。」と述べ,控訴人らが公明党本部に戻ったところ,五木及び七瀬の両名から,本件手帳を保管してある貸金庫の場所を確かめ,被控訴人丁田宅において保管している一部だけでも預かって公明党本部に持ち帰るように叱責されたため,再び被控訴人丁田宅を訪れた旨を述べた。
(イ)これに対して,被控訴人丁田が「何でそんなに焦るのか。」と反論したが,控訴人丙川は,大声で「3年分くらいはあるだろう。それを寄こせ。」と述べた。被控訴人丁田は,「無茶を言うな。」「お前ら狂っているぞ。こんな無茶な法律無視のことを脅迫でやったとなると,それがばれたら重大な社会問題になる。分かっているのか。」と述べたが,控訴人らは聴かず,控訴人丙川が「どうしてもだめか。」と迫ったので,被控訴人丁田は身の危険を感じて,応ずることにした。被控訴人丁田は,本件手帳は新宿区所在のA司法書士事務所に預けてあり,同事務所の金庫において保管されている旨を説明した上で,本件手帳のうち平成14年から同16年までの分を持参し,銀行の暗証番号や金融機関からの借入債務の内容等が記載されていることを告げ,手帳の内容を見ないように述べた上で,当該手帳を封筒に入れて封鍼し,控訴人らに渡した。控訴人らは,翌5月16日に本件手帳の残りを預かるために再び来訪すると述べたが,被控訴人丁田は,これらの手帳を用意するためには保管先であるA司法書士事務所の都合をきかなければならないと述べた。控訴人らは控訴人乙山の携帯電話の番号(090-***0-***0。一部を伏字とした。)を被控訴人丁田に教えて,翌5月16日に引渡しの日取りを連絡するように求めた。控訴人らは,更に,控訴人甲野において「こんなに遅く夜悪いけどさ,せっかく来たんだから,丁田さんの作業所,見学させて。」と述べ,控訴人丙川において「一色さんから3階の事務所を1回,見学して来いって言われてさ。」などと述べ,こもごも,自宅内を案内するように求めた。被控訴人丁田は,控訴人らを案内して,自宅1階の事務所やガレージなどを案内七だ。その際,控訴人甲野は「お預か
りするなら,党本部で預かりゃ一番もう安全だと思う。」と述べ,控訴人乙山は「要するに,要するにね。もう,みんな,こうカーッとなった訳よ。それは分かるでしょう。……だから,やっぱりそれをだね。誠心誠意やっていった方がいいですよ。」などと述べた。控訴人らは,被控訴人丁田とこのようなやり取りをしながら,その自宅内を見た後,退去した。
(ウ)翌5月16日,控訴人乙山から被控訴人丁田に対して再三電話があり,「水曜(5月18日)は忙しいので,明日火曜日にしてくれ。」と要求した。被控訴人丁田は,「こっちは先方に連絡しているところだ。そっちの都合だけ言うな。」と抵抗したが,控訴人乙山に押されて,5月17日に来訪するように述べた。なお,5月15日に控訴人らが被控訴人丁田宅を訪問した後,同被控訴人宅に連日のように無言電話や嫌がらせ電話がかかったり,面識のない人物らが訪れて執拗に面会を求めたりすることなどがあったほか,自宅付近に駐車した車両から常時監視を受けるようになった。
エ 平成17年5月17日の訪問
(ア)平成17年5月17日午後8時ころ,控訴人らは,被控訴人丁田の自宅を訪れた。同被控訴人は本件手帳のうちの大半のものをA司法書士事務所に預けていたことから,あらかじめこれを引き取った上で,これらを揃えて段ボール箱に詰めていた。控訴人らは,控訴人甲野が「いや,これね。話し合い,今後のことも信義をもってきちんとやってもらえないと俺もね,役目つとまんねえからさ。」と述べるなどしながら,被控訴人丁田の用意した手帳を確認し,1996年から1999年までの手帳がないことなどを指摘し,控訴人丙川が「ちょっと,抜けてるか抜けてないかというのは失礼ですけどね。要するにこれがすべてかどうかも分からない訳ですよ。ただ,年数が抜けているということだけをいうのですよ。」などと述べた。被控訴人丁田は,「昨日,僕が手許にある引出,調べてこれだけ探しできたんだから,あとも,どっかにあるかもわからへん。」「僕は誠意をもって探す。」などと述べた。
(イ)本件手帳のうち当日用意されたものを段ボール箱に入れてガムテープで密封するに当たり,控訴人丙川は,被控訴人丁田に対して,妻夏子を立ち会わせるように要求した。被控訴人丁田は,「女房にはこんなこと知らせない方がいいって。」「こんなことは,そら,うちの女房は信心しっかりしてますけれどね,そりゃ女房にはね,こういうことあんたらに渡すこと言ってないんです。やばいですよ。」「俺はね,こういう余計なことはね,この4人だけでいいと思っているから。」などと述べて抵抗したが,控訴人甲野及び同乙山も,同丙川に同調して,夏子が立ち会うことを要求したことから,被控訴人丁田もこれに応じることとして,夏子をその場に呼び入れた。前記手帳に加えて,控訴人乙山の要求により被控訴人丁田が文蔡春秋社から読者賞として受けとった記念品の置時計もー緒に段ボール箱に入れて,夏子の立会いの下で,ガムテープで封印した。その際,被控訴人丁田は,あらかじめ用意した念書について,その内容を控訴人らに説明した上で,控訴人ら及び夏子と共に署名した。念書は,2通作成して,1通を被控訴人丁田において,1通を控訴人らにおいて保管することとしたが,その内容は,次のようなものである。
「丁田春男は,丁田の日記および関係書類(梱包2箱)を公明党元議員の甲野一郎氏,乙山二郎氏,丙川三郎氏に預ける。
双方は次の条件を遵守する。
① 丁田は,三氏らが承諾する案件以外に今後この資料は利用しない,ことを責任を持って約束する。
② 三氏は,これら資料が丁田のプライバシーに閲する資料であること,他の人物,団体に迷惑が掛かることに鑑み,責任を持って,紛失,流出することのないよう厳重に保管し,丁田の了解なしに開封しないことを責任を持って約束する。また,丁田が個人的な情報が必要な場合は三氏の了解,立会いの元で資料を閲覧することもある。
③ 将来,関係者が死亡したときは,資料の流出を避けるため,上記①,②の条件に基づき,丁田は子息丁田秋男,三氏は指定する公明党関係者の立ち会いの元で協議し,これら資料の保管の継続などの処理を決める。
④ 5月15日に三氏に別途に預けた手帳および書類も上記①,②,③と同様の扱いとする以上,双方,信義誠実を重んじ確約する。」
(ウ)念書への署名を終えた後で,控訴人丙川が「あとは,いつ渡してくれるか。」と尋ね,被控訴人丁田が「捜す必要があるから1週間後だ。」と答えると,同控訴人は「もしこれ以外に残っていたら重大なことになる。」と述べた。被控訴人丁田が「足りない手帳を除けば,これですべてだ。重大なことになるとは,どういうことか。無礼ではないか。」と言うと,控訴人丙川は「重大なことと言えば分かるだろう。丁田さんの身に危険が迫る。」と述べ,被控訴人丁田が「また脅迫か。」と言うと,同控訴人は「そうだ。嘘をついたことになるから重大だ。そのために家探しをさせてほしい。」と述べた。被控訴人丁田は「お前,常識があるのか。家探しの捜査令状でもあるのか。」と答えたが,控訴人丙川は大声で「でないと俺たちは子供の遣いになる。是非,家探しをさせてくれ。」と言い,控訴人甲野及び同乙山も同様の要求を繰り返した。被控訴人丁田は,控訴人らの威勢に身の危険を感じ,控訴人らの要求に応じ,自宅の1階から3階までを案内し,被控訴人丁田において戸棚や引出を開けるなどして,控訴人らに見せた。その途中で,被控訴人丁田が「こんな無茶をするとは,相当上からきつく言われているのだな。」と言うと,控訴人らは「俺たちの立場があるので。家の隅々まで見たと報告しなければ,五木や七瀬にしかられる。」と述べた。
(エ)翌5月18日に,被控訴人丁田は,同月14日の創価学会青年部との面談の際の政治評論家を辞める約束の実行として,日刊ゲンダイの下桐編集長に電話をかけ,同級に当時連載していたコラムの打切りを申し出た。
オ 平成17年5月30日の訪問
(ア)平成17年5月27日,控訴人乙山から電話で「残りの手帳はいつくれるか。」と催促があったことから,被控訴人丁田は,「来週月曜日の30日の午後2時に来てくれ。」と答えた。
(イ)同月30日,控訴人らは,約束の時刻よりも早い午後1時ころに被控訴人丁田の自宅を訪れた。控訴人らが到着した時は,被控訴人丁田の妻夏子は外出中であった。被控訴人丁田は,本件手帳のうち前回の5月17日の訪問の際に指摘された1996年から1999年までの手帳のほかメモ類等の書類をあらかじめ用意しており,これらを控訴人らに見せた。控訴人らは被控訴人丁田の用意した手帳等を確認し,「年数はこれで全部揃ってます。」「国会手帳以外もあるんだね。」などと述べた。
(ウ)被控訴人丁田が,当日用意した手帳等を探し出した経緯として,「預けていない分は,ひとつは言論問題の時のやつは,大分かなり前にどっかに押し込んでしまってたんですね。僕も全然記憶がなかったんですわ。せやけど,昭和42年ですかね43年か,金属製の柳行李みたいなのあるじやないですか,箱。いろんな訳わからん,もう,書類がつっこんである,おじいさんの時代からの古い古い文書。」「古い書類がねえ。私の親父の前,おじいさんの代からね。たぶん私,引越の時に,議員宿舎から二十騎町に引っ越した時にとりあえず全部つっこんだんだね。」などと説明した。
(エ)すると控訴人甲野は,「ところでね,丁田さんね。こないだのと今日のこれで,全部お出しになるって言っていたので僕らもそれで信頼しますが。あのう,文春のはじめの方を見るとね,『資料とメモ,膨大で我ながら驚いた』って,驚きになっているから,丁田さん自身が驚きになるなら,こないだのとこれで,ほんまに膨大な資料全部なんかと思うんですけどね。」と述べ,控訴人丙川も「ご自分で扉も開けていただきましたから,私たちは秘密のご子息のあれまで見せていただいたんで,これ以上疑わないんですけど。」と述べた。続いて控訴人乙山が「いや俺達話してたのはね。『メモと資料がある』と,こうあった。これはほとんどメモだから,まだ資料があるんじやねえかと。」と述べると,これをひきとって控訴人丙川が「そういうことです。今おじいさんの時代からの鉄の行李とか何とか,そこからお探しになったって今言われましたからね。そういう物をまだ探せば,また出てくるんじやないかというような感触を,今の文春の。」と述べた。これに対して,被控訴人丁田は「はんだら,先祖代々からの全部お持ちになりますか,そんなら。それは言い過ぎじやありませんか。」と反発したが,控訴人丙川は「別に言い過ぎじやないです。」と答えた。被控訴人丁田が「誠心誠意してるわけですから。そこまで言われたら,そりやあ,もう紙1枚もないかと言われれば,あるかも分かりませんけど。」と言うと,控訴人丙川は「この前ね,丁田さん自身が開けて,みんなどうだどうだとお見せいただいたでしょ。あれが順に残っている訳ですよ。それで更に今,おっしやったようにお探しいただいて,要するに,おじいさん時代の鉄みたいな行李のなかから出てきたということを総合しますとね,何かこう今の膨大な資料という中の,内容は分かりません,私は。丁田さん,当人だから一番よく分かるんでしょうが。」と述べ,前回の5月17日の訪問の際に,被控訴人丁田の案内で自宅の本棚や引出の中を見たが,この日も,もう一度,同様に被控訴人丁田の自宅内を捜索したい希望を表明した。これに対して,被控訴人丁田は,「そんなことおっしやるならね。もう全部返して下さい。……私ね,本当にこの1週間,必死の思いで探したんですよ。そんな言われ方したんじやね。僕が今度の件で悪ロ言われることとは別に,全部返してください,と。燃やしちやいましょう,と。」「私は,もうね。これをお預けすること自体に,ものすごい抵抗感じているんですよ。正直言うて,人権喋躍ですよ。私のプライバシーまで持っていくんですから。私の子供の問題,私の家族の問題,私の父親の問題,全部人っているんですよ。これあなた方持っていったことが世間にばれたら大変なことですよ。」「私はそんなことは言いません。誰にも言いません。しかし,私のプライバシーのすべてをお持ちになってですよ,まだ残ってないかっていうのは,丙川さん,言い過ぎじゃないですか。」と述べて,控訴人らの要求を拒絶した。
(オ)これに対して,控訴人丙川は「だからそこまであれするとさ,またね。せっかく,せっかく好意をいただいたことについて,へんな話になっちゃいますから。」と述べたが,被控訴人丁田は,「僕もね。ほんとに必死になって探してこういうことですよ。それで1枚もないですかと言われりゃね,そら僕だってそら天井裏に1枚あったら分かりませんよ。それをね,家探しして下さいとは言えません。」と再び明確に拒絶した。控訴人丙川は,「あの,別に家探しなんてなるとね,警察沙汰にでもなるから。……ただ,家探しという言葉じゃなくて,要するに,……丁田さん言ったことをこちらも,昔の仲間として善意に受けとめて来てる訳ですよ。……ただし,是非ご理解いただきたいことは,今,乙山さんが言ったように,膨大な資料とかメモとか,それから今もう一回繰り返しますが,2週間の間に本当にご苦労いただきましたけれども,おじいさんの時代のそういう行李までひっくり返したんだということになりますとね,何となくね,まだあるんじゃなかろうかなという,感触ですよ,感触。」「あの丁田さんもね,ほいじゃあ家探しして下さいって,まあ失礼なことでは。」と,なおも家探しを要求したが,被控訴人丁田は「それは僕は断ります。」「そりゃ甲野さん,そりゃなんぼでも,おっしゃる言葉じゃないんじゃないですか。」と,引き続き拒絶する旨を明確に述べた。すると,控訴人丙川は「だから,家探しという言葉,もうまったくこれは変な言葉ですけどさ。あの,家探しという言葉はね。これはもう,今私たちが警察権力を持ってるわけでも何らありません。要するに昔の仲間としてあれしているわけですからね。」「一生懸命お探しいただいたんだと思いますけど,それで出てきた。そのほかにもどっかに,もしかすると,と。だから要するにそれで我々があれしたら,これでなきゃないでも,しょうがないと言っちゃ失礼ですけど,おしまいですよ。」と述べ,被控訴人丁田が「強盗ですよ。それは,今おっしゃっていることは。」となおも抵抗すると,控訴人乙山が「それで我々とすれば,万万が一よ,後になって出てきたなんてことになるとね,3人でこうやって話し込んで,それでお互い信頼だ信頼だと言って,後で出て来ちゃ問題だと。だから念には念を入れてという意味で言っているんであってね。そこんところは分かってくださいよ。」と述べた。控訴人丙川は,更に,「もう本当にくどいようですけど,膨大なメモ資料ということになると,……この次出てきて,何かのときになると,これ大変なことになる可能性ありますよと。」「だからね万が一ね,この次に何もペーパー1枚がどうだとか,手帳が1つどうだとかこういう問題を言っているんじゃないんです。だけど,やっぱり,その客観的に判断する人はね,『要するにまた出てきたらだめだった,また出てきたらじゃ,何回続きやいいんだ』という可能性だけ,可能性だけです。丁田さんに言わせれば,『無いよ』とこれでおしまいです。私たちもその善意に対しては間違いなかろうと。ただし,私たちあくまでも3人は言われてやってきた訳で,まだこの周りにですね,もう乙山さんも,うるさい五木さんだっているし,七瀬さんだっているし,まだまだいっぱいいるわけですよ。そういう人たちはね,要するに私たちの言っていること,丁田さんの言っていること,半分わかるけど半分わかっていない。あとは,文春のあの書面,そういうものについてやっぱり彼らは中心にいろいろコメントするわけですよ。ですから,……出てきた場合には大変なことになるよって。……もしですね,この次,……また出てきちやったじゃないかといった場合に,まあ失社ですけど,我々も立つ瀬がないわけですよ。『何だお前たちでくの坊』と,……何しに行ってんだと。」「私たちはね,言ってること7害リ,あるいは人によって違うかもしれないけど,私は7割信用します。ですけれども,……もしこの次出てきたならば,これはやっぱりね,ただ単に書かないとか,またあったから出しますよという問題ではないですよと。……意図的に隠したんですか,それとも分からないであったのか,これはね,第三者の判断というのがね,これはもう,まちまちになっちゃう訳ですよ。だから,私たちも今ここでね,もうケリをつけたい訳ですよ。」と,執拗に,家探しをしなかった場合には騒動が生ずる可能性を示し,控訴人らの威勢にひるんだ被控訴人丁田が「気持ちは分かります。じゃあ,どないしたらよろしいんですか。」と述べると,「どないしたらって言ったら,どうですか甲野さん,ですからこの前ね,要するにくどいようですけど,……開けていただいたでしょ。ああいうのを見てね,それで我々が目で見て,それで無いとなったら,それは無い訳ですよ。」と述べて,あくまでも前回の5月17日の訪問の際のように,被控訴人丁田の自宅の各部屋の本棚や引出の内部を探すことを要求した。被控訴人丁田は,「するなら勝手にやれ。不法侵入,脅迫ですぐに訴える。」と述べた。これに対して,控訴人丙川が「やるならやってみろ。」と言ったので,被控訴人丁田は110番に通報しようと電話の受話器を取り上げたところ,控訴人丙川が急いで立ち上がり,被控訴人丁田につかみかかってこれを止めた。控訴人甲野は,「どうしてもだめなら,全党挙げて丁田をつけねらう。」と述べた。
(カ)控訴人らの剣幕に,被控訴人丁田は,控訴人らの要求を拒み続けるとどのような危害を加えられるかもしれないと畏怖して,「それは,かまいませんけどね,感情論で申し訳ない。心外なんですよ。甲野さん。なんで……」と述べたが,控訴人丙川が「私たちは,本当にその,感情論で言ってるんじやないですよ。……丁田さんの立場に立ったつもりで言っているんですよ。」と畳みかけると,被控訴人丁田は,渋々「何度でも何でもどうぞ」と答えた。すると,控訴人丙川は,「いやそれは,これはね。赤の他人の家ですから,どうぞなんて言われるもんじやないですよ。やっぱりね,……やっぱり,その丁田さんがご案内いただき,奥さんのご了解をいただかなきやね。そんなもの,私は社会人だし,少なくともあの立法府に長いこといた者ですから,そんなもの,ズカズカズカズカね,行くわけにはいきませんよ,それは。それはいけませんよ。そんな失礼なことはできません。あくまでもですね,出すのも,私が自発的に出したんだよ,と。みな,自発的にやったんだよ,と。それは圧力になるよ,と。言っていただいているんですから。」と,被控訴人丁田に対して,同被控訴人の自宅内の捜索に当たって控訴人らを案内することを求めた。これに対して,被控訴人丁田が「ほんとにね。こんなこと,そんな昔の過去のことよりも,このこと自体が大問題ですよ。まさか,お互いね,野暮ですから言いません。だから僕は自発的に出した形をとっている訳ですからね。それをもう……。」と述べて案内を渋ると,控訴人丙川は「その是非はね,もう私たちはいいんですよ。ここにね,6000名のね,0Bと議員がいる訳ですよ。」と,控訴人らの背後には多数の創価学会ないし公明党関係者がいることを示して被控訴人丁田を威迫した。控訴人らから,このような要求を受けて,被控訴人丁田は,「じやあ,もうご覧下さい。」と述べた。
(キ)夏子は,控訴人らが被控訴人丁田宅に到着した際には外出していたが,その後,控訴人らと被控訴人丁田が自宅応接間で上記のようなやり取りをしている間に帰宅した。しかし,被控訴人丁田は夏子が既に帰宅していることを知らなかったことから,上記のやり取りに引き続いて同被控訴人と控訴人らとの間で次のような会話がされた。
丁田「ご案内するんですか?」
丙川「やっぱりそうじゃないとね。そうじゃないとね,もう。」
丁田「屋根裏まで行きますか?」
丙川「ズカズカズカズカってわけにはいかないし,奥様だっていらっしゃるし。」
丁田「家内はおりませんよ,今。」
丙川「お留守ですか,今?」
丁田「仕事で出かけてます。」
丙川「少なくとも,やっぱりご案内いただかないと。どうですかね,ズカズカってわけには。」
乙山「そりゃまずいよ。」
甲野「人の家だよ,あんた。」
上記のような会話の後,被控訴人丁田は「いやいや,どうぞ,もう。ご案内してもいいですよ。しかし,あの,俺,本当にどないしてご覧になるかなと思って。」と述べながら,なお案内を渋る様子を見せたが,控訴人丙川が「そしたら案内してもらって。」と述べ,更に,控訴人乙山が「その方がいいよ。そんでね,そんでさ。 したくない,本当にしたくない,したくないけれどもね,したくないけれども,我々もこうやって話し合って,それで大勢の人いるわけですよ。あれだけのものを。」と述べて,再び,控訴人らの背後に多数の創価学会ないし公明党関係者が存在することを示して威迫したので,被控訴人丁田も,遂に抵抗をあきらめて,「ご案内しましょ!もうめんどくさい。……もうあれですよ,ちょっと私としては,ひっくり返っているのを見られるのはいやですけどね。そういうプライバシーのところは,目をつぶっていただいて。」と述べて,腰を上げた。すると,控訴人丙川が「あの,丁田さん。丙川が無理に押しかけてきたなんて,後で書かないで下さいよ。はっはっは。」と笑うと,これを受けて,控訴人乙山が「そんな余計なこというからいけないんだよ。」と述べた。
(ク)被控訴人丁田に案内をさせて,控訴人らは,同被控訴人の自宅を1階から3階まですべての部屋を順次捜索した。特に2階の書斎では本棚を詳細に調べ,引出も全部開け,すべてのファイルを取り出して点検した。3階の物置では,掛け軸なども調べ,段ボール箱の中まで見た。また3階の被控訴人丁田の部屋(寝室)では,すべての引出を開け,クローゼットも開け,中の段ボール箱まで捜索した。
(ケ)被控訴人丁田の妻夏子は,帰宅後,3階の自屋(寝室)において着替えをしていたところ,夏子郷帰宅を知らない被控訴人丁田が部屋の扉(引き戸)を開けた。被控訴人丁田に続いて扉の前まで来ていた控訴人らは,着替え中の夏子をいきなりのぞき見る形となり,控訴人らと目が合った夏子は,「きゃあ,きゃあ。」と大声を出した。被控訴人丁田は,「ああ,おったんか失礼。」と述べて扉を閉め,控訴人らに「着替えておりますから。」と説明したが,夏子の声に驚いた控訴人らは,他所に移動した。
(コ)被控訴人丁田と控訴人甲野は,その後,次の内容を記載した念書に署名し,原本を被控訴人丁田が,写しを控訴人甲野が保管した。
「丁田春男は,5月15日,5月17日,5月30日の3回で1967年から2001年まで通年の丁田の日記および関係書類を公明党元議員の甲野一郎氏,乙山二郎氏,丙川三郎氏に預けた。
双方は,5月17日に確認した条件を信義誠実を重んじ遵守する。
以上,双方,確約する。」
(サ)被控訴人丁田は,用意した手帳のほかメモ類等の書類を大型封筒に入れてガムテープで封をし,これを控訴人らが持ち帰った。
(シ)控訴人らが退去した後,夏子が「なぜ,あの人たちに2回も家探しをさせるのか,非常識すぎる。許せない。それに私が着替え中,私の部屋を覗くとはけしからん。」と被控訴人丁田に泣きながら抗議したところ,同被控訴人は夏子に対して一言もなく,黙っていた。
(3)事実認定の補足
ア 控訴人らは,控訴人らが平成17年5月15日(2回),17日,30日に被控訴人丁田宅を訪問した際に,いずれも控訴人乙山においてICレコーダ(ソニー製品。 IC RECORDER ICD-MS515
.甲43は同型のもの)を携行し,事のすべてを隠し録りしたとする音声データを複製収録した記録媒体(CD-R)及びその反訳書(甲25~28)を提出し(以下,これらを併せて「本件音声データ」という。),被控訴人丁田本人,証人丁田夏子及び同東町純の各供述書(乙ハ4~6)並びに原審での尋問における供述のうち,本件音声データに収録されていない部分は信用できないなどと主張している。これに対して,被控訴人らは,本件音声データは被控訴人丁田宅における控訴人らと同被控訴人等のやり取りのうちの重要な部分が削除されていると主張している。
イ 本件音声データに関しては,控訴人ら提出に係る甲34(西村正作成の鑑定書)が合成,修正及び加工された箇所は見当たらず,編集改ざんが行われた録音ではないとしている。しかしながら,乙ハ7及び9(日本音響研究所鑑定書)及び弁論の全趣旨によれば,一般にデジタル方式で録音された音声データは削除,結合等による編集を行ってもその形跡が残らないと認められるから,本件音声データに編集改ざんの痕跡が認められないからというだけでは,本件音声データについて録音後に編集改ざんが行われなかったと断定することはできない。現に,日本音響研究所鑑定言において分割,削除,結合を施したデジタル音声データである乙ハ8について,西村正は甲36において,これらの作業が施された箇所を具体的に指摘することができていない。
ウ そこで検討すると,
(ア)原審では,弁論準備手続において主張内容及び証拠の整理がされたところ,本件音声データは,原審準備手続期日において提出されず,原審第2回口頭弁論期日(平成18年12月15日)の被控訴人丁田本人尋問での反対尋問において,控訴人ら代理人が同被控訴人において控訴人らの訪問時に録音をしていなかったことを念入りに確認した後の第3回口頭弁論期日(平成19年3月9日)において,初めて提出されたものであり,被控訴人丁田及び当裁判所から後記第一次録音媒体を提出するように促されても,当該録音媒体における録音内容は既に消去したというのみで,これに応じようとしないものである。控訴人らの主張によれば,本件音声データは,被控訴人丁田宅における録音の際にICレコーダに収納されていた録音媒体(64メガバイトメモリースティック。以下「第一次記録媒体」という。甲43は同型のもの)から,本件音声データが録音された当日(平成17年5月15日,17日及び30日),コンピュータ内蔵の記録媒体に複製収録し,それをさらに他の記録媒体を介して他のコンピュータ比より複製したものを証拠として提出したというものであり,第一次記録媒体からの複製収録の際,同媒体から音声データを削除し,また,その際に用いたコンピュータは壊れたので廃棄したため,いずれも裁判所に提出できないというのである。しかしながら,控訴人らが被控訴人丁田とのやり取りを録音したのは,本件のような訴訟に備えてのものであると推認されるところ,訴訟における原本主義に鑑みれば,録音に係る第一次記録媒体は原本として保管し,ICレコーダを再使用するために新しい記録媒体を購入するのが通常であること等からすれば,証拠の保管ないし提出方法において著しく不自然な点があるといわなければならない。
(イ)次に,本件音声データそれ自体を見ても,その内容において,以下のような不自然な点を指摘することができる。①平成17年5月15日の訪問時の音声データ(甲25)において,本件手帳を自ら燃やすという被控訴人丁田の供述を前提としての控訴人らと被控訴人丁田との供述が録音されているにもかかわらず(204項),前提となる本件手帳を自ら燃やす旨の被控訴人丁田の供述が録音されていない。②同月17日の訪問時の音声データ(甲27)において,エレベータの音や仏壇での題目三唱等,階上における行動に関するやり取りを録音した箇所があるのに(527項以下),念書の署名終了後の会談(455項以下)やその前の会談で,控訴人らが被控訴人丁田に対し,階上の案内を求めたことに関するやり取りが存在しない。③同月30日の訪問時の音声データ(甲28)において,同月17日の訪問の際に被控訴人丁田から自宅内の本棚等の開示を受けたことを前提とする控訴人らの供述(前回と同様に自宅内を開示することを求める供述)が録音されているにもかかわらず(97項,109項),同月17日の訪問時の音声データ(甲27)には,その様子が一切録音されていない。④同月30日の訪問時の音声データ(甲28)において,控訴人丙川が控訴人甲野に意見を求めたところ(197項),同控訴人の発言がないにもかかわらず,被控訴人丁田は,「それはかまいませんけどね。感情論で申し訳ない。心外なんですよ。甲野さんね。」と,控訴人甲野に向けて発言している(198項)。なお,その前は,控訴人丙川と被控訴人丁田のやり取りが続いていた。⑤同音声データでは,被控訴人丁田において,妻夏子が不在であると思いこんでいたことを前提とする供述が録音されているにもかかわらず(214項等),自宅3階の夏子の部屋(寝室)を控訴人らが覗いた様子が録音されていない。
なお,上記のうち,⑤(夏子の部屋の覗き見)について,補足的に説明すれば,音声データには控訴人らが夏子の部屋付近にいる際の録音として,扉をたたくような音が録音されているところ,自宅内を控訴人らを案内した際に,被控訴人丁田は夏子が不在と思いこんでいたのであるから,夏子が在室するかどうかを確かめるために夏子の部屋の扉をたたくことはあり得ず,また,夏子においても,被控訴人丁田以外の者が自らの部屋に入ることを予想していなかったはずであるから,自室の扉を内側からだたくことで自らの在室を知らせたというのも不自然である。さらに,3階の被控訴人丁田の部屋(寝室)にギターが置いてあり,被控訴人丁田自身がこれを鳴らしているが,ギターと扉とは4m余り離れていた(当審における検証)にもかかわらず,扉の音とギターの音が短時間のうちに連続して録音されており,そのように連続して音を発生させるためには,被控訴人丁田において極めて迅速に移動しなければならないことになるが,当時の状況や同被控訴人の年齢から認められる運動能力に照らせば,そのような迅速な移動は困難である上に,控訴人らのギター談義を無視して同被控訴人において迅速な移動をしなければならない必要性はない。付加するに,控訴人らは,被控訴人丁田の部屋(寝室)を捜索するために入室したにもかかわらず,同部屋を捜索した気配が全く録音されておらず,検証における控訴人らの説明も同部屋を素通りしたことを前提になされている。
エ 上記ウに指摘した各事情に照らせば,本件音声データは,被控訴人丁田宅において録音された当時の音声データ(第一次記録媒体に記録されていた内容)について,その後に削除等の加工を施されたものと認められるから,その録音内容は,録音された部分について控訴人らと被控訴人丁田との間に録音された発言等があったことの証拠として採用しうるとしても,録音がないことを理由に録音されたもの以外の発言等がなかったと認定することができない。また,控訴人丙川の原審本人尋問における供述や陳述書についても同様であり,録音されたもの以外の発言等がなかったとの点は到底採用することができない。録音されていない部分の発言等については,被控訴人丁田本人,証人丁田夏子及び同東町純の各陳述書(乙ハ4~6)並びに原審での尋問における供述を証拠として認定するのが相当である。
(4)真実性の抗弁について
ア 上記認定事実に照らせば,控訴人らは,平成17年5月14日に被控訴人丁田が創価学会青年部の幹部多数に囲まれ,いねばつるし上げのような形で,家族に危害を加えることを暗示する脅迫の下で,今後の政治評論活動を辞めると約束させられた事情を十分に知悉した上で,翌5月15日から同月30日にかけて4回にわたって被控訴人丁田宅を訪問し,創価学会青年部との約束を守るあかしとして本件手帳を引き渡すように求め,被控訴人丁田においてこれを拒絶するや,自分たちは創価学会ないし公明党の指令により訪問したもので,控訴人らの背後には多数の創価学会員ないし公明党員が存在するものであって,控訴人らの要求を拒めば,これらの多数の創価学会員ないし公明党員が被控訴人丁田及びその家族に対してどのような危害を加えるかもしれない旨を暗示しあるいは明示的に述べて,被控訴人丁田を脅迫し,控訴人らのこのような発言内容に畏怖した被控訴人丁田が,やむなく控訴人らの要求に応じて本件手帳等を引渡したこと,控訴人らが被控訴人丁田に対して同様の威嚇をして被控訴人丁田宅の1階から3階まで,本棚,引出,クローゼット等の内容まで捜索する家探しを行い,3階の妻夏子の部屋にまで捜索に及んだことを認めることができる(控訴人らは,妻夏子の部屋に立ち入っていないとしても,夏子が室内で着替えをしていたため入室ができず,それでも扉の開かれた部分から同部屋を覗いたのであり,捜索に及んだということができる。)。
なお,本件音声データ中には,控訴人らと被控訴人丁田がやり取りのなかで談笑する部分も存在するが,これは,控訴人らにおいて,控訴人乙山がICレコーダを携行して隠し録りをしていることを認識していたことから,録音結果がなごやかな雰囲気となることを意図して,表面上強い口調や大声を出すことを避け,会話中にあえて笑いを交えていた結果であり,他方,被控訴人丁田においては,平成5~6年ころの文藷春秋への手記の連載のため創価学会等に対して迷惑をかけたとの思いや,控訴人らを刺激することにより今後更なる糾弾を受けたり身に危険が及ぶといった事態を避けるために,あえて控訴人らに迎合する姿勢をとった結果と認められる。前記認定のような,控訴人らの訪問の前後の状況や訪問時における会話の内容に照らせば,控訴人らの脅迫の結果,被控訴人丁田が畏怖して本件手帳等を引き渡し,自宅内の捜索に応じたと認定すべきものであり,本件音声データ中の上記のような内容は同認定の妨げとなるものではない。被控訴人丁田においてあらかじめ念書を作成しておいた点も,前認定の事実関係によれば,同被控訴人主張のとおり,控訴人らが持ち去った後の本件手帳等の管理について一定の願いを聞き入れてほしいとの趣旨で作成したものと認められ,念書作成の事実をもって,被控訴人丁田において心底任意に本件手帳等を控訴人らに交付したものと認めるべきものではない。
イ 上記によれば,控訴人らが,共謀の上,被控訴人丁田の自宅において,同被控訴人に,同被控訴人が極秘メモを記載していた衆議院手帖を引き渡すよう強要し,本棚,押し入れ,妻の部屋に至るまで家探しし,被控訴人丁田の衆議院手帖を段ボール箱に詰めて同被控訴人から奪い,これを持ち去ったとの事実を摘示した第1記事の内容及び控訴人らが,4回にわたって被控訴人丁田宅を訪問し,その都度,執拗かつ強い要求をし,被控訴人丁田が「プライバシーの侵害になる」と強い抗議をしたにもかかわらず,2回にわたって家探しを強行するなどして,同被控訴人の手帳を無理矢種に持ち去ったとの事実を摘示した第2記事の内容は,いずれも真実というべきである。また,これらの事実をもって第2記事の見出しで「手帖強奪」と表現したことは,大仰な感を否めないが,強要ないしは脅迫の程度を強調したものと評価することができ,同表現があるからといって記事全体の真実性が左右されるものではない。
3 控訴人らの請求(第1,2事件)について
(1)被控訴人講談社らに対する請求
そうすると,被控訴人講談社らに対して,本件各記事を名誉毀損であるとして,謝罪広告及び損害賠償を求める控訴人らの請求はいずれも理由がない。
(2)被控訴人丁田に対する請求
上記のとおり,本件各記事が公共の利害に関わる事実を内容とするもので,被控訴人講談社らにおいて専ら公益を図る目的で本件各記事を本件週刊誌に掲載したものであり,本件各記事の内容が真実であるというのであるから,本件各記事についてその情報を提供した者が控訴人らに対して名誉毀損を理由とする責任を負うということはできない。したがって,本件第1記事が被控訴人丁田の取材に基づき作成されたものであるかどうかを検討するまでもなく,被控訴人丁田に対して謝罪広告及び損害賠償を求める控訴人らの請求もいずれも理由がない。
4 被控訴人丁田の請求(第3事件)について
(1)本件手帳等の引渡請求について
ア 控訴人らは,被控訴人丁田は本件手帳等の引渡しに際して2通の念書を作成し,控訴人らとの間で,当該内容の合意をしたものであるところ,上記合意は本件手帳等の負担付贈与若しくは信託的譲渡又は信託の設定とみるべきであり,これにより本件手帳等の所有権は控訴人らに移転し,被控訴人丁田はその所有権を喪失した,あるいは控訴人らに本件手帳等を保持する権原を付与する無名契約であると主張する。
イ しかしながら,2通の念書の内容は上記認定のとおりであるところ,当該念書の文言に照らせば,被控訴人丁田が本件手帳等の所有権を保持し続け,控訴人らにこれを移転していないことは明らかであって,これを控訴人ら主張のような内容の合意と解することはできず,また上記認定のようなこれらの念書の作成された前後の状況に照らしても,控訴人らの主張は採用することができない。
この点,控訴人らは,本件手帳等引渡しの経緯や念書中に関係者が死亡した後における保管の継続等に関する条項があることからすれば,同念書に基づく合意は,民法に定める寄託契約ではなく,フランス民法1956条等に定める合意による係争物寄託ないしは英米法におけるエスクロウ契約に類似した一種の無名契約であり,少なくとも関係者が死亡するまでは本件手帳等の返還は予定されていないものであると主張する。しかしながら,念書にいう「将来,関係者が死亡したときは,……丁田は子息丁田秋男,三氏は指定する公明党関係者の立会いの元で協議し,これら資料の保管の継続などの処理を決める。」との条項は,関係者が死亡した時の本件手帳等の保管方法について定めているだけであり,また,被控訴人丁田において,その生涯返還請求権を放棄する旨の約束が含まれていないので,同主張に理由がない。
ウ なお,上記念書の文言に照らせば,当該内容のとおりの合意がされたとすれば,被控訴人丁田と控訴人らとの間に本件手帳等についての保管期間を関係者死亡までとする寄託契約が成立したことを認める余地はある(もっとも,控訴人らは寄託契約を主張しておらず,また,被控訴人丁田は合意の成立を否定している。)。しかし,仮に本件において寄託契約の成立を認めるとしても,それは無償寄託契約であり,民法662条により,期間の定めがあっても,寄託者たる被控訴人丁田はいつでもその返還を請求することができるから,現に同被控訴人が返還を請求している以上,いずれにしても控訴人らが本件手帳等を占有する権原を認めることはできない。
エ したがって,被控訴人丁田が控訴人らに対し,所有権に基づき本件手帳等の引渡しを求める請求は理由がある。
(2)不法行為を理由とする損害賠償請求について
ア 被控訴人丁田は,控訴人らが平成17年5月17日及び同月30日に被控訴人丁田の意思に反して同被控訴人宅内を家探しして検分し,同被控訴人のプライバシーを侵害したと主張して,不法行為を理由に,控訴人ら各自に対して1000万円(合計3000万円)の損害賠償及びこれに対する遅延損害金の支払を求めている。
イ 上記認定事実によれば,被控訴人丁田の主張するとおり,控訴人らが平成17年5月17日及び同月30日に被控訴人丁田の意思に反して同被控訴人宅内を家探しして検分し,同被控訴人のプライバシーを侵害した事実を認めることができる。上記認定事実によって認められる控訴人らの被控訴人丁田に対する言動や家禄しの状況等を総合考慮すれば,被控訴人丁田の精神的損害に対する慰謝料額としては300万円をもって相当というべきであり,控訴人らの行為は共同不法行為というべきであるから,控訴人らは当該金額の支払につき連帯(不真正連帯)してその責に任ずるべきものである。
ウ したがって,被控訴人丁田の控訴人らに対する損害賠償請求は,控訴人らに対して連帯して300万円及びこれに対する不法行為目以後の日である平成17年5月30目以降の民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
5 結論
以上によれば,控訴人らの請求はいずれも理由がないから棄却すべきであり,被控訴人丁田の請求は,本件手帳等の引渡し及び上記の金額の支払を求める限度で理由がある。
よって,これと異なる原判決を変更することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 南敏文 裁判官 安藤裕子 裁判官 三村量一)
別紙
物件目録〈省略〉
謝罪広告〈省略〉
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■こうして、両者のせめぎあいは平成22年から平成23年へと年を跨いで続くのでした。
【ひらく会情報部・この項つづく】