■7月14日告示、同31日投開票の東京都知事選もいよいよ中盤戦から終盤戦にさしかかろうとしています。そうした最中、とんでもないことが起きました。週刊文春が、某候補のスキャンダル記事を掲載したからです。
選挙は利権の行方を左右することから、さまざまな理不尽な現象が起きます。とくに絶対的な権限が付与される首長選挙においては、ルール不在のあらゆる手段が講じられるのです。
筆者も安中市長選に4回出馬した経験があり、とりわけ最初に出馬した1995年11月の1週間の選挙戦は、ぜったいに忘れられません。出馬にあたって、いろいろな政党団体を背景にした支援者らの応援を受けましたが、なかには、筆者の公約をみて、我が党と全く同一の公約なので、政策協定をぜひお願いしたい、という申し入れが支援者を通じて選対に持ち込まれました。
全方位で支援を求めるという筆者の方針もあり、政策協定の申し入れを受け入れたのですが、あくまで協定であり、筆者の公約が主体であることにかわりはなく、まずは選挙戦を勝ち抜くのが先決であり、この協定について公表しないこととしました。
ところが、1週間の選挙戦の中日である水曜日に、突然、筆者に断りもなく、某政党が記者会見を開き、筆者との政策協定書を掲げて、協定の存在をアピールしたのでした。それからは大変な騒ぎとなり、筆者や筆者の選対に取材することもなく、NHKまでがその日の夕方の首都圏ニュースで、ローカル都市である安中市の首長選挙について、候補者である筆者を某政党が推薦している、ということで、あたかも特定政党のみの支援を受けているかのように一方的に報道したのでした。
選挙中盤のこうしたイメージダウンを狙った謀略は、タイミング的にもっとも候補者にダメージを与えるのに効果的です。
事実関係を説明したくても、選挙の遊説中であり、午後8時に疲れ切って遊説から戻ってから、記者会見でマスコミ関係者にいきさつを説明しても、翌日の新聞には、某政党の記者会見についての記事ばかりで、筆者の言い分を書いてくれたマスコミは僅か1社でした。
その時の若手新聞記者とは選挙後も今に至るまで、年賀状を交わしていますが、デスクを説得してきちんと私の言い分を掲載してくれたことについて、今でも感謝しています。こうしたまともなジャーナリストが当時はまだまだ存在していたのです。
■今回の都知事選の候補者を巡る週刊誌をつかったスキャンダル報道を見て、当時の首長選を思い出しました。安中市長選挙では、かならず怪文書といわれる文書がばらまかれ、民度を引き下げるイメージ低下に拍車がかかりますが、東京都の予算規模はカナダやスウェーデン、メキシコと肩をならべ、国レベルと比較しても世界14位に相当すると言われています。
したがって、公選で選出される都知事は、いわば大統領のような権限を持っており、考えかたによれば、公選で選出されていない日本の元首よりも、民意を代表した存在ということができます。必然的に、選挙戦も予期せぬ出来事が起きやすくなるわけです。
選挙というものは、それ自体が理不尽です。結果はデジタルで表示されますが、それまでの過程は何でもありの状況です。
今回の奇妙なスキャンダルは、週刊誌業界で10年間販売部数のトップを続けている週刊文春が販売至上主義に陥ったことによる重大な過失という気がします。これが意図したものかどうかはともかく、某候補者にとっては深刻な回復不能なダメージであり、選挙の規模は雲泥の差があるにしても、筆者も体験した選挙のダーティな裏面という意味では共通しており、某候補の心境はかなり理解できます。
■週刊文春は直接本人に取材をしないで、情報提供である配偶者の話を鵜呑みにしており、これ自体、取材の基本から逸脱していると言えます。しかも、20歳以上とされる「被害者」が受けたしうちを「淫行」という、通常は未成年者の事件に用いられる刺激的な用語を使っているなど、不自然な経緯がいくつも見られます。
ネットでは、某候補者の出身地をネタに、空襲体験の発言を根拠として、空襲はなかったはずだと勝手に決めつけて、某候補者の言動を「うそつき」と評している向きも見られます。確かに地方では大都市のような爆撃による空襲はなかったかもしれませんが、米軍の飛行機による機銃掃射は、日本全国で被害が出たと聞いています。
機銃掃射でも空襲といえることから、一概に決めつけた批判は避けなければなりません。しかし、選挙期間中にこうした奇妙なスキャンダルが流布されることは、当然有権者の投票行動に影響を与えるわけで、今回週刊文春がどのような目的で、下ネタ記事をこのタイミングで掲載したのか、注意深く分析する必要があることは言うまでもありません。また、こうした奇妙なスキャンダルの流布に惑わされることなく、有権者には冷静な判断での投票が求められると思います。
【ひらく会情報部】
※参考資料:某候補のチラシ PDF ⇒ 20160725v.pdf
選挙は利権の行方を左右することから、さまざまな理不尽な現象が起きます。とくに絶対的な権限が付与される首長選挙においては、ルール不在のあらゆる手段が講じられるのです。
筆者も安中市長選に4回出馬した経験があり、とりわけ最初に出馬した1995年11月の1週間の選挙戦は、ぜったいに忘れられません。出馬にあたって、いろいろな政党団体を背景にした支援者らの応援を受けましたが、なかには、筆者の公約をみて、我が党と全く同一の公約なので、政策協定をぜひお願いしたい、という申し入れが支援者を通じて選対に持ち込まれました。
全方位で支援を求めるという筆者の方針もあり、政策協定の申し入れを受け入れたのですが、あくまで協定であり、筆者の公約が主体であることにかわりはなく、まずは選挙戦を勝ち抜くのが先決であり、この協定について公表しないこととしました。
ところが、1週間の選挙戦の中日である水曜日に、突然、筆者に断りもなく、某政党が記者会見を開き、筆者との政策協定書を掲げて、協定の存在をアピールしたのでした。それからは大変な騒ぎとなり、筆者や筆者の選対に取材することもなく、NHKまでがその日の夕方の首都圏ニュースで、ローカル都市である安中市の首長選挙について、候補者である筆者を某政党が推薦している、ということで、あたかも特定政党のみの支援を受けているかのように一方的に報道したのでした。
選挙中盤のこうしたイメージダウンを狙った謀略は、タイミング的にもっとも候補者にダメージを与えるのに効果的です。
事実関係を説明したくても、選挙の遊説中であり、午後8時に疲れ切って遊説から戻ってから、記者会見でマスコミ関係者にいきさつを説明しても、翌日の新聞には、某政党の記者会見についての記事ばかりで、筆者の言い分を書いてくれたマスコミは僅か1社でした。
その時の若手新聞記者とは選挙後も今に至るまで、年賀状を交わしていますが、デスクを説得してきちんと私の言い分を掲載してくれたことについて、今でも感謝しています。こうしたまともなジャーナリストが当時はまだまだ存在していたのです。
■今回の都知事選の候補者を巡る週刊誌をつかったスキャンダル報道を見て、当時の首長選を思い出しました。安中市長選挙では、かならず怪文書といわれる文書がばらまかれ、民度を引き下げるイメージ低下に拍車がかかりますが、東京都の予算規模はカナダやスウェーデン、メキシコと肩をならべ、国レベルと比較しても世界14位に相当すると言われています。
したがって、公選で選出される都知事は、いわば大統領のような権限を持っており、考えかたによれば、公選で選出されていない日本の元首よりも、民意を代表した存在ということができます。必然的に、選挙戦も予期せぬ出来事が起きやすくなるわけです。
選挙というものは、それ自体が理不尽です。結果はデジタルで表示されますが、それまでの過程は何でもありの状況です。
今回の奇妙なスキャンダルは、週刊誌業界で10年間販売部数のトップを続けている週刊文春が販売至上主義に陥ったことによる重大な過失という気がします。これが意図したものかどうかはともかく、某候補者にとっては深刻な回復不能なダメージであり、選挙の規模は雲泥の差があるにしても、筆者も体験した選挙のダーティな裏面という意味では共通しており、某候補の心境はかなり理解できます。
■週刊文春は直接本人に取材をしないで、情報提供である配偶者の話を鵜呑みにしており、これ自体、取材の基本から逸脱していると言えます。しかも、20歳以上とされる「被害者」が受けたしうちを「淫行」という、通常は未成年者の事件に用いられる刺激的な用語を使っているなど、不自然な経緯がいくつも見られます。
ネットでは、某候補者の出身地をネタに、空襲体験の発言を根拠として、空襲はなかったはずだと勝手に決めつけて、某候補者の言動を「うそつき」と評している向きも見られます。確かに地方では大都市のような爆撃による空襲はなかったかもしれませんが、米軍の飛行機による機銃掃射は、日本全国で被害が出たと聞いています。
機銃掃射でも空襲といえることから、一概に決めつけた批判は避けなければなりません。しかし、選挙期間中にこうした奇妙なスキャンダルが流布されることは、当然有権者の投票行動に影響を与えるわけで、今回週刊文春がどのような目的で、下ネタ記事をこのタイミングで掲載したのか、注意深く分析する必要があることは言うまでもありません。また、こうした奇妙なスキャンダルの流布に惑わされることなく、有権者には冷静な判断での投票が求められると思います。
【ひらく会情報部】
※参考資料:某候補のチラシ PDF ⇒ 20160725v.pdf
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