市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

安中市長選まであと240日余り・・・インターネット上で体験談を語る岡田市長の舌の枚数

2013-08-08 23:05:00 | 政治とカネ
■平成25年8月1日(木)に安中市内に新聞折込みをした岡田義弘後援会報第162号で、ネット選挙に対するマイナスイメージに関する記事を執筆した岡田市長ですが、実は、NPO法人からの要請に基づき、自身の議員としての体験談や心情に関するインタビューに応じて、その記事がインターネット上に掲載されています。
 我らが安中市長のインタビュー記事をネット上で紹介しているのは、NPO法人ドットジェイピーです。http://www.dot-jp.or.jp/contents.php?id=298Vol.102
 まずは、岡田市長の記事を見てみましょう。

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http://www.dot-jp.or.jp/contents.php?id=298
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
安中市長 岡田 義弘
所属   安中市長
選挙区  群馬県安中市
<市長になろうと思われたきっかけはなんですか?>
私は以前県議会議員だったのですが、その時に安中市で50億円もの汚職事件がありました。その中身は、承認が降りた金銭証書に後で数字を付け足すというレベルの単純な手口でした。それなのに、誰も気付けなかったのです。当時、県議会議員としてこの事件を見た時、こんな愚かな行政は無いと思い安中市へ戻ろうと決意しました。
<市長の子供時代のことについて教えてください。>
私の子供の頃はまだ終戦直後でろくに食べ物も無い時代でした。私の家は地主だったのですが、GHQの農地解放で本当にお米一粒ですら食べるものがなくなってしまったのです。当時は相当にひもじい思いをしたのを覚えています。
その上、父が今で言う脳梗塞で倒れてしまい父は働きたくても働けず、日によっては食べるものがなにもない本当に地獄のような生活でした。そういう生活を経験していたから、選挙に出るときも落ちたらどうしようとはあまり考えず、落ちたら草の根でもしゃぶっても生きていこうと、そういう心構えをもっていたのかもしれないですが…。
当時一番印象深かったのは小学1年生頃の出来事なのです。当時は残った畑でさつまいもを作って日々をしのいでいたのですが、冬になると畑の隅に穴を掘って、麦わらで囲ってさつまいもを保管しておくのです。ところがある日、その土が動かされているのに気が付きました。父がおかしいと思って月夜の晩に見ていたら、遠くから麻袋を背負って子連れでさつまいもを掘り起こしに来ている人を見つけてしまいました。当時は、誰もが貧しい時代なので、なんとか食糧を探してその日を過ごそうとしたのだと思います。悪いことには違いないのですが、その後のその人たちの行動をみて、父は通報することができませんでした。というのも、盗んだ親は芋の皮を食べて、子供に実を食べさせていたのです。その様子を見ているといたたまれなくなって通報なんて出来なかったと、互いに他人の心がわかる時代だったのだなと思いました。
<市長になって取り組んだ事はなんですか?>
一番は行政の透明性・公平性をもっと上げなければならないということです。
とくに汚職があったので行政経費についてはきちんと説明出来る形にしなければならないと思っていました。ただし、これをただ職員に「やれ」と言うだけでは絶対にできません。だからまずは、首長自らがやらなければならないと考えていました。
市には、公用車と運転手が首長・助役・収入役にそれぞれつくことになっていたのですが、まずはこれを廃止しました。そもそも首長・助役・収入役が居ても50億円詐欺されたのです。そんな相応しくない人たちにこんな待遇は必要ないと思ったので、まず一番にこれに取り組みました。
また、市長交際費も年290万円あるのですが、この領収書類は誰の目にも触れません。誰にも分からないから悪いことができる、こんな状態では市民の信頼は取り戻せないと思い交際費もHPに公開しました。
<市長としていつも意識していることはなんですか?>
まず、自分自身で何かをやらないと、職員の中で浸透しません。だからこそ自分が最初にやることを心がけています。
また市で起こる物事には全て自分が矢面に立とう、というのも心がけていることの一つです。改革には様々な批判が伴います。これを職員へたらい回しにするのではなく、問題が起こればまず自分が出ていききちんと解決する、こういう誠意を持った施策を自らがやることが重要だと考えています。
<安中市の特徴を教えてください。>
まず一つ目は温泉マークの発祥地であることだと思います。市内の磯部温泉が発祥の地です。また、図書館の前身の便覧舎が最初にできたのもこの安中市です。
近年盛んなマラソンも安政2年(1855年) 時の安中藩主板倉勝明公が藩士の心身鍛練を目的として碓氷峠の北野権現まで走らせたのが国内最初の例だと言われています。
これらはどれも有名なのですが、少し有名どころから外れると、市内には霧積温泉という明治~大正期は別荘地だった場所があるのですが、ここは明治憲法の草案がつくられた場所だと言われています。山奥だったので草案が漏れることもないからと、草案作りの場所に選ばれたそうです。
<最後に若年層へのメッセージをいただけますか?>
人の一生は重荷を背負って遠き道をゆくが如し。急ぐべからず。
これは徳川家康公の遺訓です。如何に今、自分の置かれている環境が不透明であっても、心にゆとりを持って対処することで、将来への展望が開けると思います。頑張ってください!
(インタビュー:2012-11-13)

馬県安中市議会議員  5期
群馬県議会議員    3期
平成18年 4月    群馬県安中市長初当選 現在2期目
※プロフィールはインタビュー時のものです。
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■岡田市長のことばはいずれも安中市民として極めて印象的なものばかりですが、順番に印象的な部分を見てみましょう。
 インタビューアーから「市長になろうと思われたきっかけはなんですか?」と問われた岡田市長は次のように答えています。当会のコメントと合わせてご覧ください。
「私は以前県議会議員だったのですが、その時に安中市で50億円もの汚職事件がありました。」 ←【当会コメント:汚職事件は岡田市長が市会議員時代に安中市土地開発公社の監事として、昭和55年度の土地開発公社の決算のチェックをした際に、汚職職員の作成した決算書案が前年度の繰越金500万円をゼロにしてあったのに気付かず、そのまま承認してしまったり、その後、平成になって公社の理事を務めたときには、汚職職員の長期配置を懸念して異動の話が持ち上がったときに、強引に反対してそのまま同一配置にしたため、巨額横領の発覚が遅れてしまったりしました。そのことについて、なぜか今まで一言も市民に説明していませんが、なぜ黙ったままなのでしょうか?また、タゴ51億円事件が発覚した時、岡田市長は確かに県議に当選したばかりでしたが、汚職事件は岡田市長が市議会議員のときに起きていたのであり、県議だったから安中市のことは知らなかったという言い方はいかがなものでしょうか?】
「その中身は、承認が降りた金銭証書に後で数字を付け足すというレベルの単純な手口でした。それなのに、誰も気付けなかったのです。」 ←【当会コメント:横領の手口は単純でしたが、なぜそのように単純な手口なのに、岡田市長(当時市議・公社理事監事)を含めて安中市の関係者が15年間も見抜けなったのでしょうか。この汚職事件は司直の捜査の結果、不思議なことに単独犯行とされましたが、こんな単純な手口が長年まかり通っていたこと自体、当然協力者の存在なくしては実行はありえません。それなのに誰も関係者が気付けなかったという問題点を岡田市長が他人事のように語っているのはいかがなものでしょうか?】
「当時、県議会議員としてこの事件を見た時、こんな愚かな行政は無いと思い安中市へ戻ろうと決意しました。」 ←【当会コメント:この前代未聞、空前絶後の巨額汚職事件が発覚したのは平成7年5月でした。当時の市長が市長の伊豆を投げ出して出直し市長選挙が行なわれたのは平成7年11月でしたが、岡田市長(当時県議)は出馬しようとしませんでした。岡田市長が安中市に戻ってきたのは平成18年4月の合併市長選に初めて出馬したときでした。なぜ戻ろうと決意するまでに11年間も躊躇していたのか、きちんと説明のないままこのような説明不足の回答をインタビューアーにするのはいかがなものでしょうか?】
■インタビューアーから「市長の子供時代のことについて教えてください。」と言われた岡田市長は、「一杯のかけそば」を髣髴とさせるエピソードを語っています。 ←【当会コメント:もうひとつ、苦学しながらも地元の進学校である高崎高校の通信制に入ったものの、中退せざるを得なかった状況についても書いてもらえたらさらによかったのに。そうすればドットジェイピーを読んで政治を目指す若者たちの励みになるのでは。】
■インタビューアーから「市長になって取り組んだ事はなんですか?」と問われた岡田市長は次のように答えています。当会のコメントと合わせてご覧ください。

「一番は行政の透明性・公平性をもっと上げなければならないということです。
とくに汚職があったので行政経費についてはきちんと説明出来る形にしなければならないと思っていました。ただし、これをただ職員に「やれ」と言うだけでは絶対にできません。だからまずは、首長自らがやらなければならないと考えていました。」 ←【当会コメント:汚職事件の真相を語れる立場にある岡田市長が、汚職事件のことについて18年間も口をつぐんできたのに、いまさら“行政経費についてはきちんと説明できる形にしなければならないと思っていました”などとあたかも汚職事件の責任は自分には無いような説明をするのはいかがなものでしょうか?事件の全貌を知る岡田市長自らが首長として、タゴ51億円汚職事件の説明をしなければ、他に説明のできるものはいません。だからまずは、首長自らがやらなければならないと考えているのであれば、即座に実行に移せるはずなのに、それをしないのはいかがなものでしょうか?】
「市には、公用車と運転手が首長・助役・収入役にそれぞれつくことになっていたのですが、まずはこれを廃止しました。そもそも首長・助役・収入役が居ても50億円詐欺されたのです。そんな相応しくない人たちにこんな待遇は必要ないと思ったので、まず一番にこれに取り組みました。」 ←【当会コメント:そもそも岡田市長も市議会議員として長年、土地開発公社の運営に関与してきたのに、そのことに全く触れようとしないのはいかがなものでしょうか?岡田市長のインタビュー回答によれば、岡田市長も“そんな相応しくない人たち”の一員ということになります。ということは、首長としての待遇は必要ないはずです。にもかかわらず、地方交付税の削減を、市長を含めた職員の給与削減で吸収せずに市民に転嫁するのはいかがなものでしょうか?】
■インタビューアーから「市長としていつも意識していることはなんですか?」と問われた岡田市長は次のように答えています。当会のコメントと合わせてご覧ください。
「まず、自分自身で何かをやらないと、職員の中で浸透しません。だからこそ自分が最初にやることを心がけています。また市で起こる物事には全て自分が矢面に立とう、というのも心がけていることの一つです。改革には様々な批判が伴います。これを職員へたらい回しにするのではなく、問題が起こればまず自分が出ていききちんと解決する、こういう誠意を持った施策を自らがやることが重要だと考えています。」 ←【当会コメント:安中市が抱える一番の問題は、タゴ51億円汚職事件による103年ローン問題ではないのでしょうか?しかし、岡田市長はこの問題解決は、前任者の方針、すなわち西暦2101年まで毎年2千万円ずつ群馬銀行に事件の尻拭いのため公金を支払い続けるしかない、と、市民に宣言しています。汚職事件の尻拭いを安中市=安中市民にたらい回しするのはいかがなものでしょうか?なぜ事件関係者に負担させるように、きちんと市民が納得する方法で解決を図ろうとはしないのでしょうか?】

■ところで、上記のドットジェイピーによる岡田市長へのインタビューが行われた日は平成24年10月13日となっています。岡田義弘後援会報の「市長の1日」によれば、同日の岡田市長の予定は次の通りでした。これをみると、その日、ドットジェイピーの取材を受けたことについては触れられていません。
平成24年10月13日(火)
 08:05保健福祉部報告打合せ
 08:30秘書課打合せ
 10:00前橋財務事務所長様ほか来庁
 11:00建設部都市整備課打合せ
 12:30民主・社民クラブ予算要望
 15:00中学生合格通行手形噌呈
 16:30総務部打合せ

 また、岡田市長の尊敬する人物はリンカーンだったはずですが、いつのまにか徳川家康になったようです。

■タゴ51億円事件の発覚から18年が経過して、市民のなかでこの事件の記憶が薄らいでいるとはいえ、事件の核心に関わっていた岡田市長には、票欲しさのあまり、事件の関するコメントとしては、事実と反することを言ってほしくないものです。

【ひらく会情報部】

※参考資料
「若者と政治を結ぶNPO法人ドットジェイピー」(同HP及びWikipediaから)
 正式名称は「特定非営利活動法人ドットジェイピー」、公式の略称は“.jp”、英語表記は“dot-jp the specified nonprofit corporation”。
全国10支部にエリア展開し、大学生スタッフ約200人が中心となって、学生を対象とした議員インターンシッププログラムの提供を行う。春期(2月~3月)と夏期(8月~9月)の年2回開催しており、これまでの参加者数は、議員事務所のべ4,457事務所、学生のべ11,568名。(※2011.2.1.現在) その他、「Yahoo!みんなの政治」などWEBメディアへの政治情報の提供や、コミック・書籍の監修・協力、各種イベントの開催など、多岐に渡る活動で若者への働きかけを行う。
<団体概要>
1998年2月14日創業、法人設立は2000年11月22日。北海道・東北・関東・千葉/茨城・東海・関西・中国・福岡・熊本・長崎の10支部で、合計約200人の学生スタッフがいる。
理事長 佐藤大吾
理事 水谷正美(三重県議・元日本IBM 、平成6年-平成11年 民主党岡田克也議員秘書)
村崎浩史(長崎県大村市議・元ベネッセコーポレーション。1998年にドットジェイピーより民主党福山哲郎議員のもとでインターン)。
<主な活動>
●インターンシップ事業
議員・首長・その他(省庁、自治体、大使館、NPOなど)にインターン生の受け入れを依頼、学生にインターンシッププログラムを体験する機会を提供する。この事業について、特に議員(国会議員・地方議員など)に受け入れを依頼するものは「議員インターンシップ」という名称で知られている。
●コンテンツ事業
Yahoo! JapanをはじめとしたWebサイトによる議員情報提供や、政治関連出版物のプロデュースを行う。
●社会貢献活動
「YES!PROJECT」や「マニフェスト大賞」など。
●これまでに同法人のHPのJapanProducerインタビューを受けた人物は次の通り。岡田市長は102番目となっている。
Vol.150 「苦労する経験を厭わないでほしい」東京都東久留米市長 馬場 一彦(市長)
Vol.149 「『自分から壁にぶつかっていくような姿勢が必要』南房総市長 石井 裕(市長)
Vol.148 「三郷市を中心として円状にコンパスをひいてみる。そこから市の可能性がたくさん見えてきます。」三郷市長 木津 雅晟(市長)
Vol.147 「私は常に2本の道があったら困難な方を選ぶようにしています」館山市長 金丸 謙一(市長)
Vol.146 「 限界を超えた夢を持て」帯広市長 米沢 則寿 (市長)
Vol.145 「意見を取り入れ、社会をより良くしていく、これが民主主義の原点です」立川市長 清水 庄平 (市長)
Vol.144 「継続は力なり」伊勢原市長 ・ウ 松太郎 (市長)
Vol.143 「前向きに頑張ることで見えるものがあると思います。」海老名市長 内野 優 (市長)
Vol.142 「笑顔あふれる優しい街をつくっていきたい。」鹿沼市長 佐藤 信 (市長)
Vol.141 「日本は「こどもの国」のままではいけない」稲城市長 ・カ 勝浩 (市長)
Vol.140 「地域に参加し、社会に対して目を開いて欲しい」熊谷市長 富岡 清 (市長)
Vol.139 「未来しかないのだから、未来をもっと思い切って追い求めてください」小平市長 小林 正則 (市長)
Vol.138 「ボールを持ったら突っ込めや!」浦安市長 松崎 秀樹 (市長)
Vol.137 「市民の普段着の言葉を市政に活かす」加須市長 大橋 良一 (市長)
Vol.136 「政治はすべての物事とつながっている」秩父市長 久喜 邦康 (市長)
Vol.135 「自分の市の知名度を高めたい。その思いが最初で最大の信条です。」北本市長 石津 賢治 (市長)
Vol.134 「街づくりに対して夢を持ってほしい。」小金井市長 稲葉 孝彦 (市長)
Vol.133 「物怖じせず、いろんなことにチャレンジしてください」袖ケ浦市長 出口 清 (市長)
Vol.132 「可能性はまだあります。諦めずに知恵を絞って!」佐倉市長 蕨 和雄 (市長)
Vol.131 「まちづくりに、若い力を!」平塚市長 落合 克宏 (市長)
Vol.130 「神奈川県で一番若い市 綾瀬!」綾瀬市長 笠間 城治郎 (市長)
Vol.129 「反省はしても後悔はするな。」深谷市長 小島 進 (市長)
Vol.128 「何が良くて何が失敗だったのか。過去を学びきちんとした知識に基づいて未来を創造してください。」調布市長 長友 貴樹 (市長)
Vol.127 「信念を持って、前を向いて、目標を持って前へ進んで行ってください。」松戸市長 本郷谷 健次 (市長)
Vol.126 「親孝行をすることは全てに繋がっていく」八街市長 北村 新司 (市長)
Vol.125 「すべては地域のひとに恩返しをしたいという想いから」日野市長 馬場 弘融 (市長)
Vol.124 「勇気を持って、一歩踏み出せ!」逗子市長 平井 竜一 (市長)
Vol.123 「日本の未来を考える主役は若者である」所沢市長 藤本 正人 (市長)
Vol.122 「若いときには、失敗を恐れずに様々な経験をしてください。得るものがたくさんあります」武蔵野市長 邑上 守正 (市長)
Vol.121 「なによりも「元気」が一番です。」石岡市長 久保田 健一郎 (市長)
Vol.120 「全ての経験は、その後の自分を作る糧となる。」鶴ヶ島市長 藤縄 善朗 (市長)
Vol.119 「自分自身の将来のため、自分の投票権というものの大切さを自覚してください。」横須賀市長 吉田 雄人 (市長)
Vol.118 「自分の考えをしっかりと持ち、率先して行動出来る積極性を身につけてください」坂東市長 吉原 英一 (市長)
Vol.117 「”拘束された人生なんてつまらない”という言葉に動かされています。」町田市長 石阪 丈一 (市長)
Vol.116 「世界へ羽ばたく前に、まず日本を知ってほしいと思います。」草加市長 田中 和明 (市長)
Vol.115 「選挙、そして投票するということの大切さを気付いて、時代認識を高めていってください。」龍ケ崎市長 中山 一生 (市長)
Vol.114 「自分の力で正しい情報を見つける力をつけて、しっかりと決断できる人間になってください」我孫子市長 星野 順一郎 (市長)
Vol.113 「組織の中で積極的に活動して「行動力」「決断力」「責任感」を!」成田市長 小泉 一成 (市長)
Vol.112 「自分の利益以外のために身を粉にして働くことの喜びを知ってください」久喜市長 田中 暄二 (市長)
Vol.111 「何事もあきらめず、地道な活動を、誠実に、相手を思いやる気持ちを忘れずに行えば、夢はきっと叶います。」那珂市長 海野 徹 (市長)
Vol.110 「子どもの笑顔があふれる緑豊かな街にしたいと思っています」戸田市長 神保 国男 (市長)
Vol.109 「国のことをしっかりと考えられる人が必要です。焦りすぎず、しっかりと問題を見据えて取り組んでください」名取市長 佐々木 一十郎 (市長)
Vol.108 「努力すればかなう可能性がある」これは若者の特権だと思います」笠間市長 山口 伸樹 (市長)
Vol.107 「変人と言われることは名誉です。お調子者になって、皆の調子を変えていきたいのです。」前橋市長 山本 龍 (市長)
Vol.106 「人を尊重し認め、優しさと責任感を持って自分自身の決めたことをやり遂げてください」習志野市長 宮本 泰介 (市長)
Vol.105 「自分自身の将来について悩み過ぎずに、自然体でいることの大切さもあると思います。」みどり市長 石原 条 (市長)
Vol.104 「地域にも面白いことがたくさんあります。まずは地域を知ることから始めましょう」和光市長 松本 武洋 (市長)
Vol.103 「偽物にはならず、本物になりなさい。そのためには、見世物にはならないでください」太田市長 清水 聖義 (市長)
Vol.102 「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。」安中市長 岡田 義弘 (市長)
Vol.101 「未来を切り拓こうとする積極的な意思は、自分自身そして日本の価値に気付くことから始まる。」本庄市長 吉田 信解 (市長)
Vol.100 「何かを一生懸命走り切ることで、見えてくることがきっとあります。きっかけはどこにでもあるものです。」八潮市長 多田 重美 (市長)
Vol.99 「元気すぎるくらいが丁度いいのです。パワーをもちつつ、広い視野をもって社会に目を向けて下さい。」吉川市長 戸張 胤茂 (市長)
Vol.98 「あれこれ考えているよりもまずは行動、それが重要です。」松阪市長 山中 光茂 (市長)
Vol.97 「今までの経験と知恵が、これからの人生の自信となるでしょう」埼玉県坂戸市 石川 清 (市長)
Vol.96 「地元を愛し、地元についてもっとよく知ってください。」武蔵村山市長 藤野 勝 (市長)
Vol.95 「大災害を被ったこの土地を盛り上げるためにも、皆さんと我々が手を取って、復興に向かい活動していくことが大事です。」南三陸町長 佐藤 仁 (市長)
Vol.94 「気仙沼に直接触れてもらうことが復興の第一歩です。気仙沼のファンになってください。」気仙沼市長 菅原 茂 (市長)
Vol.93 「一度しかない若い時代にできることを自分なりに見つけて頑張ってください」小美玉市長 島田 穣一 (市長)
Vol.92 「みんなが楽しめる将来のために、様々なことに興味を持ち自分に出来ることを見つけてください」茅ヶ崎市長 服部 信明 (市長)
Vol.91 「積極的に関わっていけばきっと何かが見えてきます。世の中に関心を持ち、自分の夢を作って進んでいってほしい」府中市長 高野 律雄 (市長)
Vol.90 「文句や批判をしているだけでは世の中は変わらない。まずは自分から意思表示や行動を起こしていこう。」女川町長 須田 善明 (町長)
Vol.89 「体験することによって責任感が生まれ、責任を果たすために頑張る気概が生まれます。まずは、足を一歩踏み出してみてください!」越谷市長 高橋 努 (市長)
Vol.88 「己に克つこと。時代をけん引するのは若者です。」春日部市長 石川 良三 (市長)
Vol.87 「量をこなせば違うものが見えてくる。だからどんなに辛くても2年3年は徹底的にやりこんでみよう。」柏市長 秋山 浩保 (市長)
Vol.86 「自分の人生は自分が主役。思いっきり自分の人生を生きてください!」大和市長 大木 さとる (市長)
Vol.85 「人びとの笑顔とありがとうのために頑張る。これほどの喜びはない。」水戸市長 高橋 靖 (市長)
Vol.84 「世界を変えるには日本から。日本を変えるにはまちづくりから。まちづくりにはまず自分を変える。批判だけでなく、創造していこう。」さいたま市長 清水 勇人 (市長)
Vol.83 「人生やり直しはきく。だから、やりたいことは恐れずにやっていこう。」川口市長 岡村 幸四郎 (市長)
Vol.82 「誰かのために、今自分に何ができるのか。いつも、チャレンジをすることを忘れないでください。」川崎市長 阿部 孝夫 (市長)
Vol.81 「後悔しない人生・何かに貢献する人生を。」千葉市長 熊谷 俊人 (市長)
Vol.80 「やって失敗することは失敗ではない。やらない事こそ最大の失敗。躊躇した時こそ、前進する。」鎌倉市長 松尾 たかし (市長)
Vol.79 「『ジャパンプロデューサー』になる要素を日本は持っている。」藤沢市長 海老根 靖典 (市長)
Vol.78 「助け合うことを前提にして、社会も家族も成り立っている。」仙台市長 奥山 恵美子 (市長)
Vol.77 「まずはいろんなことに真剣に取り組んでみることが大事」流山市長 井崎 義治 (市長)
Vol.76 「何か一つやっていれば 社会に出てそれが自分の支えになる」鈴木 直道 夕張市長 (市長)
Vol.75 「人として、信頼してもらえるかどうか、これが全ての礎」平山 幸司 民主党 (参議院議員)
Vol.74 「『日本に生まれてよかったな』っていう環境づくりをしたい」糸川 正晃 国民新党 (衆議院議員)
Vol.73 「人として、信頼してもらえるかどうか、これが全ての礎」伊藤 渉 公明党 (参議院議員)
Vol.72 「一番大事なのは国民が主人公だという考え方」穀田 恵二 共産党 (衆議院議員)
Vol.71 「一票の力で政治は変えられる」福島 みずほ 社民党 (参議院議員)
Vol.70 「『政治の力って大きいんだ』って、自分の肌で実感したことが大きかった」松本 洋平 民主党 (衆議院議員)
Vol.69 「政治家のイメージを日本の将来とか国会の将来を考え抜く人に変える」小川 淳也 民主党 (衆議院議員)
Vol.68 「何だってやる。やるんだったらやりきる」蓮 孝道 みどり市議会 (市区町村議会議員)
Vol.67 「未来に責任を持つ」杉 一 伊丹市議会 (市区町村議会議員)
Vol.66 「若者に夢や希望を」佐々木 允 社民党 (市区町村議会議員)
Vol.65 「『夢』が支えてくれる」和田 直也 岐阜市議会 (市区町村議会議員)
Vol.64 「実現させる力」木村 亮太 株式会社マードゥレクス (その他のJapanProducer)
Vol.63 「まだスタートラインに立ったに過ぎない」小林 真太郎 アイカタ株式会社 (その他のJapanProducer)
Vol.62 「私が感じていた、政治家は遠い存在っていうイメージを変えなきゃ」山口 かずさ 札幌市議会 (市区町村議会議員)
Vol.61 「今よりもジャンプ 新しい世界が見える」荻野 裕嗣・松原 徹 寝屋川市総務部人事室 (その他のJapanProducer)
Vol.60 「みんなが夢をみれる、夢を叶えるお手伝いをする、それが私の仕事なんです」石田 篤史 岡山県庁土木部監理課 (その他のJapanProducer)
Vol.59 「私も議員インターンシップをやってみたい!!」豊永 愛 藤山英美議員事務所秘書 (その他のJapanProducer)
Vol.58 「『政治に関心を持ちましょう』というより、『こんな面白いこと、なかなかないよ』と言ってあげたい」伊関 みほ とね勝之議員事務所秘書 (その他のJapanProducer)
Vol.57 「議員秘書っていう仕事は、やろうと思えばいくらでもある」棟方 俊樹 小林ちよみ前衆議院議員秘書 (その他のJapanProducer)
Vol.56 「まずは関心を持つこと、そして行動を起こすこと」芝 清 広島県議会 (都道府県議会議員)
Vol.55 「水上バス実現に向けてまっしぐら!体育会系の九州男児」樋口 明 自民党 (都道府県議会議員)
Vol.54 「議論の時間を作って、意見をぶつけあってください」大嶋 薫 民主党 (市区町村議会議員)
Vol.53 「流れ星のつかみ方」嶋田 ちやこ 民主党 (参議院議員)
Vol.52 「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損」松本 大輔 民主党 (衆議院議員)
Vol.51 「車椅子の議員が語る、まちづくりの視点と現代社会の問題点とは?」村上 博 熊本市議会 (市区町村議会議員)
Vol.50 「スタンス明確市民派」田中 丈悦 堺市会議員 (市区町村議会議員)
Vol.49 「政治家は神聖化された存在か?」江口 善明 自民党 (市区町村議会議員)
Vol.48 「志あれば道拓く」永田 雅紀 自民党 (市区町村議会議員)
Vol.47 「人生が動いた!大学5年の怒涛の1日」堀 宏行 福岡県議会 (都道府県議会議員)
Vol.46 「みんな一緒の場所で笑っていただきたい」林家 とんでん平 民主党 (市区町村議会議員)
Vol.45 「followerとしての自覚と責任」白川 秀嗣 越谷市議会 (市区町村議会議員)
Vol.44 「市民の喜ぶ顔が見られる仕事」友次 通憲 茨木市議会 (市区町村議会議員)
Vol.43 「大切なのは明確な『リアルな』目標を持つこと」高山 智司 民主党 (衆議院議員)
Vol.42 「鼻っ柱の強い人物になってほしい」中村 幸平 柏原市議会 (市区町村議会議員)
Vol.41 「広島から世界へ」中原 好治 広島県議会 (都道府県議会議員)
Vol.40 「公の利益を考えて行動する市民が増えれば、必ずこの国は再生する」谷村 尚祐 民主党 (市区町村議会議員)
Vol.39 「あの新聞記事を見ていなかったら、ここにいなかった。」花輪 ともふみ 民主党 (都道府県議会議員)
Vol.38 「世の中を見る努力、知る努力をしてほしい」ひろせ 賜代 熊本市議会 (市区町村議会議員)
Vol.37 「一緒に日本を担っていこう!」村山 祥栄 京都市議会 (市区町村議会議員)
Vol.36 「宝なんよ、人は。」砂原 克規 自民党 (都道府県議会議員)
Vol.35 「議員も市民も同じ。だから、みんなの思ってることを実現できる」ビアンキ・アンソニー 犬山市議会 (市区町村議会議員)
Vol.34 「世の中にもっと興味をもって欲しい」鈴木 寛 民主党 (衆議院議員)
Vol.33 「住民に考える機会を与えるのが私の仕事だと思っています」塩見 幸治 社民党 (市区町村議会議員)
Vol.32 「言い続けてやり続けたら、世の中必ず変わる」小宮山 洋子 民主党 (衆議院議員)
Vol.30 「『あたりまえ』ということを心がけています」逢坂 誠二 民主党 (衆議院議員)
Vol.29 「僕らのときは人生を賭けて何かやる、燃えるものがあった」江田 五月 民主党 (参議院議員)
Vol.28 「住民に考える機会を与えるのが私の仕事だと思っています」栗山 雅史 民主党 (市区町村議会議員)
Vol.27 「障害を持ったことによって、思いがけずやりたい仕事ができているんです」平野 みどり 熊本県議会 (都道府県議会議員)
Vol.26 「ライフセーバー議員?議員ライフセーバー?」森井 秀明 小樽市議会 (市区町村議会議員)
Vol.25 「ベンチャー自治体を目指します!」河内山 哲朗 柳井市市長 (市長)
Vol.24 「設計図を描きみなさんの世代にバトンタッチするのが自分らの仕事」福山 哲郎 民主党 (衆議院議員)
Vol.23 「前例を打ち破ることをオレたちの前例にしよう!」福島 しんじ 大阪市議会 (市区町村議会議員)
Vol.22 「子どもたちに絵本の読み聞かせをすることが、私の原点なんです」横田 えつこ 岡山県議会 (都道府県議会議員)
Vol.21 「20年後までに政治家として一つ目的を果したなって思えるような仕事を残したい」大西 一史 熊本県議会 (都道府県議会議員)
Vol.20 「マリナーズの佐々木になりたい」越田 けんじろう 民主党 (市区町村議会議員)
Vol.19 「与えるだけでも、与えられるだけでもダメなんだ」齋藤 武次郎 倉敷市議会 (市区町村議会議員)
Vol.18 「政治家はドラえもんじゃない」岩永 ひさか 多摩市議会 (市区町村議会議員)
Vol.17 「『価値の転換』を社会に仕組んでいく」増原 義剛 自民党 (衆議院議員)
Vol.16 「若手議員VS高齢議員という時代は終わろうとしています」石関 貴史 民主党 (衆議院議員)
Vol.15 「なにしろ、社会にあるニーズを発見するのが大事なんです」又木 京子 神奈川県議会 (都道府県議会議員)
Vol.14 「既成の価値観の中の幸せだけが幸せじゃない。自分で納得して毎日を過ごすとめちゃくちゃ楽しいよ」桂 むつこ 茨木市議会 (市区町村議会議員)
Vol.13 「県の仕事を減らしたい県議会議員」宮 政利 民主党 (都道府県議会議員)
Vol.12 「僕は小さい頃も大学時代も政治家にはまったく憧れていなかったんです」菅 直人 民主党 (衆議院議員)
Vol.11 「豊島区のスペシャリストになりたい」本橋 弘隆 自民党 (市区町村議会議員)
Vol.10 「他人任せにして文句言ってるだけじゃ何も変わらない」加藤 公一 民主党 (衆議院議員)
Vol.9 「君も市長になれ!」石田 芳弘 犬山市市長 (市長)
Vol.8 「28歳・神戸の超さわやか議員!25歳と2週間、史上最年少で市会議員に当選した彼のアツイ想いとは」井坂 信彦 神戸市議会 (市区町村議会議員)
Vol.7 「設計図のない人生を歩みたい」松野 豊 流山市市議会 (市区町村議会議員)
Vol.6 「今考えれば当たり前のことなんだけど、その当たり前を考え出していた」真田 英彦 大阪大学名誉教授 追手門学院大学教授 (相談役)
Vol.5 「自分の目標を見つけてください。それが幸せになる秘訣です」ツルネン・マルティ 民主党 (衆議院議員)
Vol.4 「小さな頃、ウルトラマンになりたかった」久保田 暁 堺市議会 (市区町村議会議員)
Vol.3 「ぼくと同じ苦労はしなくていい。次のジャパンプロデューサーを育てることが、ぼくのジャパンプロデュース」大海 雄一郎 墨田区議会 (市区町村議会議員)
Vol.2 「僕は自分の能力を十分に発揮できていない」友田 景 柏原市議会 (市区町村議会議員)
Vol.1 「金髪・ピアスの政治家になったのは、最高の緊張感を保つため」今村 岳司 西宮市議会 (市区町村議会議員)
Vol.0 「僕は行きたい会社がなかったから、自分の会社を作った」佐藤 大吾 (理事長)

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