■現在、八ッ場ダム問題は、市民団体と国との間で高水論争が続けられていますが、その難解な理論と、国交省の我田引水的な屁理屈により、ますます市民団体側が苦戦を強いられているのも事実です。そろそろ、八ッ場ダム計画が包含する真の問題点にも目を向けて、役人のペースに乱されない市民運動を展開する必要があります。
■「基本高水」については、昨年、馬淵国交大臣の記者会見などにより、利根川の治水計画の重要な数値(基本高水流量)の科学的根拠に疑問が投げかけられ、八ッ場ダムの検証作業に与える影響が注目されていましたが、結局、一般市民には何がなんだか分からない計算式を役人が持ち出して、結局、基本高水流量についての疑問はなにもなかったことにされ、再び八ッ場ダム建設に向けて、裁判所も、役所のいうなりになって、住民からの差止請求訴訟=住民訴訟を棄却させようと虎視眈々ともくろんでいます。
■これまでの八ッ場ダム問題にかかる住民訴訟では、もっぱら高水論争という土俵で勝負してきました。その影で見過ごされてきた真の問題があります。それは、砒素問題です。この問題に早くから着目して、事実の積み上げを粛々と行ってきた人物がいます。丸岩会を介した政・官・業という癒着問題でも積極的な取材により情報の精度の厚みを増していただき、当会の事務局長も親しくさせていただいているジャーナリストの高杉晋吾氏です。同氏がこれまで積み重ねてきた事実をもとに、同氏の分析を加えた主張には傾聴すべき価値があります。
■八ッ場ダム問題で首都圏各都県で行われている住民訴訟を有利に展開して、最終的に勝つために、高水論争一辺倒で役所のペースにはめられるのではなく、もっと分かりやすいテーマである砒素問題という土俵に、役所を導きいれて、住民主導のペースで裁判を行えるようにすることが、これからは重要になると思います。
■以下の文章は、高杉晋吾氏の了解を得て、ご紹介するものです。
第1章 25億人致死のヒ素ダム
1 流れこむヒ素の水
◎「酸性水」でいったんは断念――八ッ場ダム建設計画の過去
利根川の支流、吾妻川(★あがつまがわ)中流部に位置する長野原(★ながのはら)町川原湯(★かわらゆ)付近において建設が進められている利水と治水を主目的とした八ッ場(★やんば)ダム。
高さは131.0メートル、堤頂の長さは336メートル、総貯水量1億750万立米の超重量の鉄とコンクリートのダム本体。完成すれば、神奈川県以外の、関東1都5県の水がめとして9番目の役割を果たすことになる。1億1000万トンの水圧がかかる巨大構築物が我々の頭上に生まれることを想像していただきたい。
だが、1952(昭和27)年当時、建設省は地質調査の結果、白根山(★しらねさん)から流出する酸性水によって、鉄も溶け、コンクリートも腐食するので、建設不可能と断念したという過去がある。
ところがこの断念から15年経った1967(昭和42)年、建設省は突然、八ッ場ダム建設計画の再浮上を宣言した。
なぜなら、1963(昭和28)年、吾妻川の酸性水を中和する工場やシステムができ、ダム建設が可能になったというのである。この中和システムというものが問題の核心なのである。
(1) 品木ダム湖の色――堆積する中和生成物の汚泥
私の乗った車は、利根川沿いのJR上越線の渋川から吾妻川沿いに入り、国道一四五号線を西に走る。中之条(★なかのじょう)町から長野原町に入り八ッ場ダム問題で沸きかえっている川原湯温泉を過ぎる。吾妻川とJR吾妻線の周囲は鉄道、道路、橋梁の付け替え工事で、若山牧水が「東の耶馬渓(★やばけい)」とうたった吾妻渓谷の自然の美しさは完全に破壊されてしまった。「耶馬渓」は、コンクリートの擁壁(★ようへき)に覆われ、橋梁、道路、鉄道、砂防ダム、移転集落などの工事で、わずかに自然の面影を残しながらも鉄筋コンクリートの人工構造物になり果てている。
草津町への入口であるJR長野原草津口駅付近から、吾妻川にかかる須川橋を北に曲がり、白砂川(★しらすながわ)沿いに国道292号線に入る。
30分ほど遡行(★そこう)すると「荷付き場」という地名の集落で292号線は草津に向けて東に曲がり、かなり急こう配の山道を極端に曲がりくねりながら西北西に向かう。
やがて、車は292号線から分かれて、狭い道に入り、昔、品木(★しなき)という集落があった地域に向かって急坂を下りはじめる。標高は低いが険しい山に囲まれた昔の品木集落のあった小さな盆地である。そこが品木ダム湖である。
山に囲まれた品木ダム湖が車の行き着く先だ。かつての品木集落はダム湖の底に沈んだ。
車は、湖畔に出る直前に、西のほうから滝のように流れてくる湯川をまたぐ橋の上を渡った。湯川の水流は黄色く濁っている。激しい急こう配を濁水が滝のように流れている。
湯川の流れの先に品木ダム湖が横たわっている。
私は、品木ダム湖の湖畔に立った。
品木ダム湖の色は異様な乳青色である。
品木ダム湖は全体を見渡すと半月形をしている。半月の北端から大沢川、谷沢川が流れこみ、半月の東端から湯川が流入する。湯川が流入する付近の右岸に、品木ダムの管理棟があり、堤体の堰(★せき)がある。品木ダム湖には、中和工場から流れこんだ石灰と酸性水を混ぜた、どろどろの中和生成物が堆積して、湖面に黄灰色の洲が顔を出している。
「なんだ? この嫌な湖の色は?」
晴れているが、北方の上信越高原国立公園から吹き下ろす冷たい風が湖を渡ってオーバーコート越しに冷気を浸透させてくる。
湖面の乳青色は不気味である。南牧(★みなみまき)村(長野県佐久郡)から1日60トンの石灰を草津中和工場に運びこみ、湯川の酸性水と混ぜたあと、再び湯川からダム湖に流し込む。それが無限に繰り返されるのである。
吾妻川を乳青色の中和生成物で埋め尽くすわけにはいかないので、国交省はダム湖を浚渫(★しゅんせつ)船で浚渫し、浚渫物はダム湖周辺の三つの処分場に埋めている。ダム湖に出る直前の山中に、白っぽい小さな工場風の建物が崖にへばりつくように立っている。この建物には「脱水工場」という看板がかかっている。ダム湖から浚渫した中和生成物の汚泥をコンベアで崖の斜面に運び上げ、この工場で脱水し、セメントで固めて処分場に埋めるのだ。
浚渫船はダム湖の左辺の断崖の岸辺に停泊している。
火山活動で出てくる果てしない酸性水を、一日も休まず石灰を投入して中和化する。無限につづく火山活動から排出され、一瞬もやむことがない酸性水に、人間の有限の力を振り絞って対抗する姿は愚かしい。しかも、人造のダム湖も処分場の大きさや容量もあまりに哀れではかない。当然費用にも、処分場の容量にも、溢れ返る中和生成物の処理先にも、すべて限界が付きまとって、何もかも行き詰まっているのが中和システムの現状である。
(2) どうなる? 無限に溜まる汚泥の山
火山活動は無限につづく。中和する石灰も一日の休みもなく無限に投入される。すでにA・B二つの処分場は満杯になった。三つ目のC処分場もあと10年余で満杯になる。すると、無限に積み重ねられる中和生成物の行き先がなくなる。そこには恐ろしい結末が待っている。
行き場を失った中和生成物の汚泥の山はどうなるのだろうか? 国交省は太平洋セメント熊谷工場などに依頼してセメントのリサイクルを頼み、リサイクルされたセメントを公共工事などに使おうと目論んでいる。「それは技術的には可能だ」という返事があったというが、その後まったく進展していない。それは当然だろう。
たとえ、セメントをリサイクルできたとしても、最大の売り先である公共事業は、ダムも道路も橋梁もほとんどが予算を削減され、工事中止に追い込まれるという状態だから中和生成物の行き先がまったくない。ましてやヒ素混じりのセメントなどは売り先から振り向きもされない。このままでは行き先を失った汚泥を無限に積み上げていくしかない。風船に無限に空気を送りこめば破裂する。便秘している人間が無限に食いものを腹に詰めこめば腹がパンクする。これと同じことで、行き場を失ったヒ素混じりの汚泥の山は崩壊する運命にある。つまりこんな八ッ場ダム計画も中和システム計画も、最初から成り立たない計画だった、ということである。
ヒ素混じりの汚泥の山が崩壊すれば、品木ダム湖が汚泥洪水を引き起こし、吾妻川、利根川、中川、江戸川、見沼代(★みぬまだい)用水、武蔵水路を通じて荒川に流れ込み、東京の上水道は使用不能になり、東京湾にヒ素混じりの中和生成物が堆積、東京湾の漁業は全滅するだろう。
(3) 首都圏を飲みこむ山からの津波
私は、利根川下流水系の調査に取り掛かるまで、荒川水系は、利根川水系から独立した川だと思っていた。しかし実際は、利根川と荒川は同一水系としてきっちりと結ばれていたのでびっくりした。言ってみれば荒川は「半利根川」なのである。利根川は、埼玉県行田(★ぎょうだ)市の利根大堰から荒川河畔の吉見町に至る武蔵水路に結ばれていた。吉見町からの荒川の下流は、東京湾に至るまで60パーセント以上が利根川の水だ。私はそんなことを知らなかった。
武蔵水路は、独立行政法人水資源機構によって1965(昭和40)年3月から、通水をはじめた。いまではこの水路施設は見る影もなく老朽化している。設計されたのは1960年前後だから耐震性もきわめて低い。私は、処々方々の橋や送水施設で、コンクリートに亀裂が入り、はげ落ち、ひび割れの中から鉄筋がむき出しになっているのを見た。この施設の役割には、東京や埼玉に飲料水を運ぶこと、大雨のときの洪水排除の使命がある。
しかし、これら住民の安全のためにつけなければならない国交省の予算配分が八ッ場ダムの予算に持っていかれている。まことに下流住民の安全を無視して、鉄、コンクリート、ゼネコンなど財界の意向を国家予算配分の中心課題にしてきた政官財、自民党、公明党の露骨な考え方がわかる。
こうした劣悪な状態のところに、吾妻郡長野原や品木ダムの処分場崩壊や、ダム崩壊によって起こったヒ素500トンの奔流が到達することなったとき、どういう悲惨な結果を招くのだろうか? 吾妻川、利根川、江戸川、中川、見沼代用水、武蔵水路、荒川、東京湾まで荒らしつくすヒ素奔流は、単なる妄想ではなく、歴史的に証明された事実である。
1784(天明3)年、浅間山が大噴火し、北山麓の長野原に火砕流が噴流し、吾妻川が奔流となって利根川に至った。その奔流は人々の亡骸、家財道具、樹木、牛馬の死体などを江戸の葛飾、小岩などに到達させた。その奔流は東京湾にまで至るのである。
いまでも小岩には慰霊碑が立っている。浅間山は噴火をつづけているし、吾妻川対岸の白根山の活動は現在でも非常に活発なのである。200年以上前の話ではないかという人もいるかもしれないが、地質や地球にとって200年という年月は一瞬でしかない。
1963年、イタリアのバイオントダム地すべり事故で2000人の死者を出し、1889年、アメリカのペンシルバニア州で起きたサウスフォークダム事故はジョーンズタウンを全滅させ、2200人以上の死者を出した。ダムによる地すべり災害、ダム自体による地震、ダム崩壊による災害など、ダムは大きな災害を招く。私はこれらの歴史的事実を調査しているさなかに、さらに驚愕すべき事実に直面した。
それが八ッ場ダムのヒ素問題なのである。
(4) ヒ素の真実――上智大・木川田喜一教授の研究
私は2007(平成19)年12月、上智大学に木川田喜一博士を訪問した。
木川田博士は「地下水技術」誌(2006年)の論文に大量のヒ素が草津の万代鉱(★ばんだいこう)源泉(品木ダムに流れこむ湯川の源泉。草津温泉で最大の湧出量を有する)から年間約50トン、10年間に500トン排出されているという論文を発表したのである。同誌には次のような表が発表されている。
草津湯畑源泉 0.26トン/年
☆万代鉱源泉 49.00トン/年
香草源泉3号泉 0.006トン/年
香草源泉8号泉 0.030トン/年
つまりこの10年間、万代鉱から毎年約50トンのヒ素が湧出し、湯川→中和工場→品木ダム→処分場へ10年間で、約500トンが堆積されている。この年間50トンにもおよぶ万代鉱のヒ素が、この10年来同じ排出量でつづいているという表を掲載している。
ヒ素500トンの堆積。これは200ミリグラムが、体重50キロの成人一人を殺す致死量であることから計算してみた。すると、500トンのヒ素の致死量は25億人分に相当する。
木川田博士は研究室で学生とともに忙しく動き回っていた。私は彼に、万代鉱から排出されるヒ素の検出までの経緯を聞きにきた。
「私たちは1960年代から白根山の調査をしてきました。草津湯畑源泉については一九六〇年代半ばから毎年分析値をとっています。この万代鉱源泉についても、湧出した直後から分析値を取っています。それ以外にも山頂近くにも源泉があり、これらの源泉の分析値をこの研究誌『地下水技術』の論文に出しました」
私が四つの源泉のヒ素濃度について聞くと、木川田博士は「ヒ素濃度は各源泉ばらばらです。万代鉱以外の三つの源泉は、ヒ素濃度は薄まっています。万代鉱源泉だけは濃度がどんどん高まっていっています。1980年代半ばから10ppm(標準値は0.01ppm)ぐらい他の源泉より高い。そして急激に、ある年から増えた。これに興味を持ちました」と言った。
私は「建設省(国交省)の酸性水対策では、ヒ素についてはどういう考え方だったんでしょうか?」と聞いた。むろん、建設省がダムを造るための酸性水対策しか考えず、住民の安全のためのヒ素対策などはまったく考えもしなかったのだろうと思ってそういう質問をしたのだ。
「建設省は最初、酸性水だけを問題にしたわけです。下流では農業ができませんし、公に言われるのは酸性水がコンクリートや金属を溶かしてしまう。橋もダムも造れない。だから五十数年前、群馬県が川を中和することにした。その後、建設省、国交省が、中性に近い水にして流すことにしました」
「酸性水対策のための中和だったわけですが、思いもかけずヒ素問題が出てきたというわけですね?」
「そうです。中和するということが今度は別の問題を引き起こすことになった。温泉に溶けていたヒ素は中和によって汚泥の濁りのほうに全部くっついてしまっている。つまりダムに溜まっている泥の中にヒ素が固定されているということです。分析の結果わかってきたわけです」
「先生たちが詳細な分析をし、年間約50トンのヒ素が蓄積されていた事実が確認されました。そのヒ素はダム湖や処分場に溜まるんですね」
「もともと草津の源泉から排出されるヒ素は年間50トンありますから、この50トンがすべてダムに入ると単純に考えてしまえば、品木ダムには年間50トンのヒ素が溜まっていくと考えられますね」
「ダムだけではなく処分場にも溜まるということですね?」
「そうですね。品木ダム湖の泥を浚渫してダム周辺の処分場に埋めているわけですから、ダム周辺の処分場には年間50トンのヒ素が、今後この中和処理をつづけるかぎり、溜まっていくと考えられます。この年間数十トンのヒ素が溜まりつづけるということが環境問題を考えて皆さんが一番心配されることだと思います。いまのところ私の見積もりではダムの外にも年間3トンくらいのヒ素が流出しています」
なぜダムからヒ素が流出するのか? 具体的な説明はなかったが、品木ダム湖に蓄積されたヒ素は、ダムの漏水や、湖底面からの漏出などで、下流も汚染されるのであろうと思える。
私は万代鉱から排出されるヒ素が中和工場、ダム湖、処分場を通過すると、どういう変化が生まれるのか、その危険性や毒性などの変化を知りたいと思った。中和システムの下流への影響が心配だからだ。
(5) 石灰とヒ素の蜜月――環境資源研究所所長の動揺
私はヒ素が万代鉱から流出し、中和工場で石灰と混ぜられて、再び湯川に戻され、品木ダムに流入、そして処分場に埋められる経過の中で、ヒ素がどういう反応をし、それがどういう影響を社会に与えるのかを調べた。その結果は驚愕すべきものだった。
私は、池袋に近い護国寺に環境資源研究所所長の村田徳治氏を訪ねた。
彼は万代鉱から中和工場で湯川の水(湯)を石灰で中和し、品木ダムで浚渫し、セメントで固化し、処分場に埋めるという私の説明を聞いて愕然(★がくぜん)とした。
「ヒ素を処分場で処理すると重大な問題が生じますよ」
と村田は言った。
彼はこのプロセスでの重大な問題点を、こう説明した。
ヒ素は、一般にヒ酸鉄という形となって、不溶性で水中に沈澱しているので、そのままでは危険性はない。しかし、中和工場で石灰と混ぜることから問題は発生する。
通常、ヒ素が自然に流下しても溶けずに、溶出しない無害な形で沈澱する。
しかし、この不溶性のヒ酸鉄として湯川を流れてきたヒ素はアルカリ性(pHの高い)雰囲気の中では加水分解して水溶性のヒ酸塩となる。
「あなたが言うように中和工場で石灰と混ぜる。すると酸性水は中和されるが、沈澱していたヒ素は水に溶けだすんですよ」
私は一般的に有害なヒ素の恐ろしさだけを考えていた。しかし、石灰やセメントなどアルカリ性の物質に接触することによって沈澱していたヒ素が溶出することを知って驚愕した。
すると中和工場や品木ダム湖からの中和生成物のセメント固化は、セメントでヒ素を固めてヒ素を出さないようにしていると思っていたのに、実際はまったく逆で、セメント固化をすることで外部に溶出させているということではないか!
「そうなんですか! アルカリ性の中ではヒ素は水に溶けるようになる。すると品木ダム湖で浚渫された中和生成物をセメントで固化するということは、セメントもアルカリ性だからますます危険ですね」
「そのとおりです。浚渫した中和生成物をセメントで固化すれば、ふつうは閉じこめたから大丈夫という気持ちになるが、逆です。ダム湖の中にヒ素が流れ出します。アルカリ性のセメントの中でヒ素は水に溶けるようになるからです」
私は品木ダム湖の不気味な青さを思い出しぞっとした。
自然の状態では、ヒ素はヒ酸鉄として河川などに沈澱して悪さはしない。だが、中和システムに入って石灰などのアルカリ性に触れると、沈澱状態が解けて溶出する。中和工場・品木ダム・処分場というプロセスをたどる中和システムは、通常ならば危険ではない「(溶出しない)ヒ素」を危険な「(溶出する)ヒ素」にしてしまうというのである。ヒ素と石灰、ヒ素とセメント、いずれも無害だったヒ素をアルカリ性物質が危険なものに変える。すると中和工場はヒ素の危険性を倍増するシステムなのか!?
「それで、その固化した中和生成物を処分場に入れているんですが、その影響はどうですか?」
村田は苦い顔をして私を見て、首を左右に振った。
「処分場にヒ素を含有した物質を入れるというのは非常によくないですね。処分場に非常に多い微生物がヒ素にどういう影響を与えるか、わかりますか?」
もちろん、私にはわからない。
「微生物はヒ素に危険な毒ガスを発生させる危険性がある」と村田は言った。
これを聞いて私は不思議な思いに駆られた。中和システムというのは、酸性水の中和化に優れているという国交省の説明だ。だがダム推進を後押しする中和システムは、住民にとっては危険性倍増システムなのである。
では中和工場や品木ダム湖、処分場などを管理する国交省品木ダム水質管理所とは何をするところなのだ。水質管理というから住民にとって、水質の安全をはかるところかと思っていたが、逆に危険を倍増する仕事をしているのではないか?
(6) 中和システムが毒性倍加
村田は「そのとおりですよ」と言った。
「それじゃあ、中和システムというのはまるで改心しかけた悪党を無理やり牢屋に引き戻して、本物の悪党を仕立て上げる悪徳警官みたいじゃないですか?」
村田は話しつづける。
「ヒ素を含む産業廃棄物としては、鉱滓(★こうさい)、汚泥等がありますが、排水処理汚泥はヒ酸鉄になっているものが多いから河川に沈澱して溶出しないんですよ。ところが、ヒ酸鉄はアルカリ性のセメントや石灰に入れるとpHが高いですから加水分解して水溶性のヒ酸塩を生成するんです。だから、アルカリ性を多量に含むセメントでヒ酸鉄を固化すると、せっかく不溶性になっていたヒ酸鉄が分解して、水溶性のヒ酸塩が溶出してくる」。
「ならば、中和工場や、ダム湖から脱水してセメント固化するってとんでもない話ですね」
「そうですね。ヒ酸塩を含む廃棄物をセメントで固化するのはまったくよくないですよ」
村田の指摘は、まさにズバリ中和システムそのものについての指摘であった。
私は、「では、中和生成物を処分場に埋めることの影響はどうですか?」と聞いた。
村田は「高杉さん。ナポレオンの死の話を聞いたことはありませんか?」と言いはじめた。
「ナポレオンが死んだとき、彼の毛髪から高度のヒ素が検出されたんです」
妙な話の展開にあっけにとられていると村田は言った。
「だから最初はナポレオンがヒ素で暗殺された、という話が興味本位も含めてもっぱらだった。ところがその後、ヒ素を用いた壁紙の顔料にカビが生えて、その影響で、微生物がヒ素に影響してアルシンガス(ヒ化水素)という毒ガスが発生し、ナポレオンはその結果中毒死したという説に変わったんです」
村田は著書『廃棄物のやさしい化学』に「1933年チャレンジャーらによって細菌が亜ヒ酸を還元してトリメチルアルシン(有機ヒ素化合物)を生成することが発見されました」と書いている。
具体的には「ヒ素系の顔料を塗った壁紙にカビが生え、にんにく臭がするトリメチルアルシンが発生、ヒ素中毒患者が発生した」というのである。だから村田は「微生物が多量に存在する埋め立て地にヒ素化合物を廃棄すること」の危険性に警鐘を鳴らしている。
中和システムというものは、不溶性のヒ素をわざわざ溶出性のヒ素にして、しかもアルシンガスのような危険な毒ガスさえも生じさせかねないシステムなのである。
(8) ヒ素の処理――北里大学山内博博士の提言
北里大学大学院教授でヒ素問題の大家である山内博博士は私にこう言った。
「いま、電気製品の心臓部にあたるコンピュータ機器製造や、半導体製造などではガリウムヒ素を使っています。使い終わったIT製品の回収処理作業の段階で犠牲者が2名出ています。その作業中にアルシンガスが発生することがあるのです。約10年前にアルシンガス事故が発生しました。また、シェーレグリーンという顔料をカビとバクテリアで分解するとアルシンガスが発生します。20ppmほどのアルシンガスを吸うと即死します。ですからガリウムヒ素を扱う回収業者はびくびくしています」
山内博士はさらに付け加えた。
「経済産業省はガリウムヒ素を含むレアメタルや希少金属の備蓄計画を立てているわけですが、こういう状態なのに回収段階の業者のヒ素扱いの教育計画はないですから、問題が発生する可能性がある。こうした段階で回収やリサイクルの業者は教育されていない。資金がないから、教育に時間を割けない。だから健康や環境にリスクが充満している。危険ですね」
私は、中和システムというものは、改心した元囚人を、役人の成績を上げるために無理やり牢屋に入れて、本当の凶悪犯にする監獄システムのようだと思える。このように危険な中和システムの最終的処理を行なう処分場は、さぞや慎重の上に慎重を重ねた無害化処理を行なってくれているのだろうと、ふつうの常識では考える。
さて、群馬県はどのような危険回避の対策を立てているのだろうか? それが知りたく、私は現地に行ってみた。
それから国交省の品木ダム水質管理所に行き、どのような水質管理を行なっているのか尋ねた。
次いで、群馬県が行なっているA・B・Cそれぞれの処分場が住民の安全をどのように厳格に考え、厳しい条件で許認可をしているのかを調べてみた。
2 公的不法投棄
(1) 頭上にそびえるB処分場
私は、田中正造の足尾銅山鉱毒事件を思い浮かべた。あそこの山や谷にも鉱滓を捨てる処分場がダムのような形で谷や沢をうずたかく埋め、下から眺めると恐怖を感じるような光景である。そして、それらの堆積場は大雨や台風の折に、鉱滓の山が崩れて渡良瀬川や利根川に流れ出し、無数の魚を殺してきた。
品木ダム湖周辺にも、こうした処分場がA・B・Cの3つ造られている。数十万トンの中和生成物の埋立処分場。湯川の品木ダムへの流入口、下から仰ぎ見ると品木ダム湖の西南端の直上に覆いかぶさるような急こう配で汚泥の山が築きあげられている。これは怖い光景だ。
いずれも地震、豪雨などで崩壊する危険に満ち溢れている。渡良瀬川以上のことが品木ダムで起きる可能性がある。この処分場の崩壊、直下の湯川の流入口、汚泥が堆積して満杯の品木ダム湖、ダム堤体を突き崩して湯川、白砂川、さらに吾妻川、利根川を突進する汚泥の奔流。
私は、品木ダム周辺のB処分場に行った。
湯川の流入口から曲がりくねった急坂を上がる。その登り切ったあたりに、処分場の入口はあった。処分場の看板が立てられている。木立の入口から柵越しに、積み上げられた泥の山が見える。何度も通ってからのちにわかったことだが、このB処分場の現場は湯川が中和工場から流れてきて、品木ダム湖に流入する河口の左岸の崖の直上にある。
私は、最初は、そういう地理的な関係がわからないままに、河口の裏側から処分場に上がったのだ。急な汚泥の坂をやっとこさっと登り、平坦な頂上の広場に出る。頂上は雑草が生い茂っており、汚泥は土で蓋をされている。だが処分場の右手は一気に急斜面となっており、その向こう側は、はるかに深い渓谷だ。
何回か来て、渓谷の向こう側の山の斜面に見える建物が品木ダム湖から浚渫した汚泥の水を脱水する工場だとわかり、地図でこの処分場の位置を調べてみて、この処分場は湯川が品木ダム湖に流入する河口の左岸直上にあることがわかったのだ。再び湯川の品木ダム湖への流入口に立って、左岸の崖の上を眺めてみたとき、頭上の崖上に、土色をした汚泥の堆積が林の中から見えた。
私はその位置関係を知って改めて戦慄を覚えた。ヒ素溜まりの埋立処分場の直下がドロドロの石灰で中和された湯川の水が激しく流れこんでくる河口だから、地震、噴火、洪水などの災害で急斜面の埋立処分場が崩れたら、この数十万トンの汚泥の山が直下の品木ダムの上流端を襲うのだ。
行き場のない汚泥が積み上げられているA・B・C三つの処分場のうち、二つはすでに満杯だ。残るのはC処分場一つだけ。永遠に工場で投入される石灰。1日60トン。ダム湖に堆積し、浚渫され、処分場に投棄される。
(2) 廃棄物処理法違反か?
廃棄物処理法では、後述するように、廃棄物が外部地域を汚染しないように、「安定型」「管理型」「処分型」の三つの型の処分場が決められている。
品木ダムの処分場においてはそのうちの「管理型」でなければならない。ところが、品木ダムに所属するA・B・C三つの処分場は、表向きは「管理型処分場」と名乗っているが、実際は、管理型処分場で決められている条件を完全に無視している。つまり、この三つの処分場は「廃棄物処理法違反」である。ヒ素入り汚泥をただ掘っただけの素掘りの穴に不法投棄しているのだ。
ここで、なぜ廃棄物処理法違反であるかということを理解いただくために、廃棄物処理法で決められた安定型処分場、管理型処分場、遮断型処分場について説明しておこう。
【安定型処分場】
入れても良い処分許可品目――ゴムくず、金属くず、ガラス、陶磁器くず、廃プラスチック、建設廃材。いわゆる安定五品目。
構造と外部浸出対策――下水汚染対策も浸出水対策も不要。素掘りの穴に埋めて覆土(★ふくど)する。
【管理型処分場】
入れても良い処分許可品目――汚泥、鉱滓、燃え殻(このうち、規制対象物が含まれ有害物質の溶出試験をしなければならないもの、煤塵)。これらの固形物で溶出試験の結果、判定基準を超えなかったもの。タールピッチ(紙くず、木屑、繊維くず・PCBが塗布されていないもの)。動植物の残済。動物の糞尿。動物の死体、他安定5品目。
構造と外部浸出対策――地下水汚染を防止するために、穴の底、側面、全面に1.5ミリくらいのゴムシート、樹脂シートを敷き、浸出水や雨水は処理施設で処理したあとに放流するように義務付けられている。
【遮断型処分場】
入れても良い許可品目――燃え殻、汚泥、鉱滓、煤塵中に含まれる有害物質が溶出試験の結果判定基準を超えたもの。
構造と外部浸出対策――水をさえぎり、地下水への汚染を防ぐ構造を持っている処分場、底と側面を厚さ10センチ以上のコンクリートで囲い屋根を付けること。
つまり、中和生成物による汚泥は「管理型処分場」に入れなければならないことが条件なのである。私は品木ダムに造られた処分場を見て、この処分場が管理型処分場として許可されたということを聞いていたので非常に不思議に思った。
繰り返しになるが、管理型処分場は廃棄物処理法によれば、樹脂のシートがサイドと底に敷かれ、排水処理施設が付いていなければならない。雨水などが浸透して、外部に漏れ出せば、内部の汚染水が地域を汚す。だから管理型処分場では環境基準以内に水質を浄化してからでなければ浸透水を外部には出さないようにしているのだ。ところがA・B・Cそれぞれの処分場ともに樹脂シートも排水処理施設もどこにも見当たらない。
「何だこれは? 完全に廃棄物処理法違反ではないか!」
私は単純きわまるこの法律違反が群馬県という行政の許可によって堂々と行なわれていることに驚いた。いや、驚いたというのは当たらないかもしれない。
じつは驚いてはいないのだ。あまりにぬけぬけと法律違反が行なわれていることに「やはりなあ!」と、いたって簡単に予感が当たったことのほうにびっくりしていた。
(3) 管理型と偽称――水質管理所職員の動揺
私は、品木ダムの湖畔で処分場を見た翌日、品木ダムの水質を管理している草津町の国土交通省関東地方整備局品木ダム水質管理所に訪問した。
「1年間にダムに溜まる中和生成物の堆積量は5万立米くらいです」
管理所の担当者は説明した。
「品木ダムができたので、下流に県営湯川発電所、県営広池(★ひろいけ)発電所もできました。また、強酸性の水が流れることがなくなり、魚が棲めない死の川だった吾妻川が蘇った。発電機器の金属が腐食することもなくなった。橋脚の金属も腐食がなくなったし、護岸整備の石積みが流れることもなくなった。農業にもよい影響が出るようになりました」
担当者はパンフレットのとおりに都合のよい宣伝だけを私に話していた。私は職員に聞いた。
「中和生成物は、セメントで固化されたといいますが、粒子の状態では、雨などで流出したり、溶出して危険ではないのでしょうかね? よほど溶出対策がしっかりした処分場でなければねえ。どういう処分場に捨てるのですか?」
「処分場の形ですが、A・B・Cと三つある処分場はどれも安定型処分場ですが、管理型ということで群馬県から許可をもらっています。遮水シート、浄化施設などはありません。処分場の許可は管理型処分場として許可されていますが、遮水シートも浄水処理施設もありません。じつは安定型処分場です」
担当者はいたってあけすけに語っている。自分が「廃棄物処理法違反」という犯罪事実を語っているという認識はまったくない。
安定型処分場というのはただ地面に穴を掘って埋め、うずたかく積み上げるだけである。プラスチックなど、化学変化を起こさない安定した七品目を埋める。安定型品目であれば地下汚染もないから、側面・底面の樹脂シートも排水処理施設も不要だというのだ。
しかし百歩譲ってたとえそれが安定型品目であっても、実際には非常に問題が多いのである。地熱などで化学変化を起こし、火災、有害ガスなどが発生した事例も多く、裁判沙汰になっている。だから安定型処分場というのは、そこらの林などに不良業者が行なう不法投棄と何の違いもない。品木ダム湖の処分場も、化学物質混じりの危険な汚泥を埋めるのに、不法投棄同然の、対策皆無の危険な埋立てを行なっているのだ。
まったく理由がわからないのだが、この不法投棄を群馬県が認め許可している。言ってみれば公営不法投棄である。しかも形態は安定型処分場なのに、樹脂シートと排水処理施設が必要な管理型処分場として許可している。いたって無邪気に担当者は答えた。私は、あっさり答える職員にあっけに取られた。
「わからん話だね。汚泥を安定型処分場で処理している? 廃棄物処理法違反ですね? ましてや高濃度ヒ素まで検出されているのに?」
「うちの中和事業ではこういうことを説明して管理型処分場の許可を群馬県から得ていますので、それ以上はお答えできないんですけど」
「処分場の実態は安定型処分場なんだが、実際には汚泥を処理しているから管理型という許可条件であると? チンプンカンプンだ。それは国民に対する二重三重の詐欺行為だね」
「騙しているという気持ちではありません。実際の水の処理をどうしているかと言いますと、処分場の一番下の湖面と接している部分の土留めの擁壁にヒューム管を通して、そこから出てくる処分場の水の検査をしています」
「その検査結果はどうだったんですか?」
担当者は黙って答えなかった。その検査も年に二回だという。年に二回? そんなことで国民の安全を守れるとでも思っているのだろうか。私はあきれ返った。
こういう理解不能な説明が群馬県でもつづいた。
(4) 群馬県「特に意見なし」――環境森林局の言い訳
私は、その足で前橋市の群馬県庁環境森林局廃棄物政策課を訪れた。
「品木ダムの浚渫物はフィルターにかけて処分場に捨てているということですが、許可条件は安定型処分場ですか? 管理型処分場ですか?」
「許可条件は管理型です」
「あの処分場は、実態は遮水シートも浄化設備もまったくない安定型ですが、管理型として許可されたとすれば、許可条件とはまったく違う処分場ができたのですか?」
「あの処分場に入っている廃棄物は、自然由来のものを中和して処分場に持っていっている。だから安定型でも差し支えない。構造は安定型です」
「実際の構造は安定型なのに、許可条件は管理型というのはわかりませんね。管理型というのは形式だけの問題ではない。処分場の許認可といえば形式だけの話ではない。国民の安全に責任を持つという具体的な話でしょう。国民を詭弁でごまかしている。管理型処分場は、遮水シートがあり、導水パイプと水質浄化施設がある。このようにしてさえも樹脂シートが破れ漏水は免れないんです。しかし、このようないい加減な安全対策さえもごまかしてやらないというのがあなた方の許可だ。これは社会の安全を無視した犯罪ですよ。許可条件と違う処分場を造れば廃棄物処理法違反だ。しかしこれは、法律違反かどうかもさることながら、国民の安全を群馬県も国交省もどのように考えているか、あるいはまったく考えていないのかという問題です」
「たしかに汚泥を安定型で処理するのは不可能です。しかし、この場合なぜ安定型でよいのかと言えば、湖に流れこむものが自然由来だからですよ。自然物を搬入しているんだから……」
「あなた、自分の言っていることがわかっているんですか? 汚泥を安定型で処理することが不可能だとあなたはおっしゃった。それなら汚泥を安定型で許可することができるはずがないでしょう?」
私はもう一歩踏み込んだ。
「第一、自然由来というのは無理ですよ。中和工場で石灰原石→焼成→生石灰→水和→消石灰という幾段にもわたる工程を踏んで加工された中和生成物ですよ。これが自然由来の物であるはずがない。中和生成物に含まれるヒ素もまた自然物ではない。ともあれ、管理型処分場として許可されたものなのに、安定型処分場を造って処理するのはひどい話だ。強引すぎる。何か特別にそのような解釈ができる特別免除条項でもあるんですか?」
担当者は黙りこんでしまった。黙りこむのが当たり前だ。私は群馬県の措置を詭弁だ、と言ったが、詭弁どころか、嘘なのである。これが嘘であることをのちに証拠で示そう。
こういう無茶な許可をするということは群馬県が「国民の安全」などということを考えたことがなかったことを証明している。それよりもダムを強行するための仕組みとして酸性水対策だけを考えてきた。だから有害物質対策、ヒ素対策などは考えもしなかったのだろう。驚くべきことにこの危険な処分場設置について群馬県の関連各課長は、その設置の許可審議の過程で、意見を問われて、ほとんどが「意見なし」と答えている。
以下は、1992(平成4)年に出されたB処分場に対する「産業廃棄物処理施設等事前協議書審査結果」である。関連課長らから次のような回答が出されている。
〈河川課長〉
特に意見なし。(平成4年2月29日)
〈砂防課長〉
特に意見なし。(平成4年3月5日)
〈用地課長〉
開発区域内に建設省所轄の法定外公共物が存在する場合は、その処理について、草津町、中之条土木事務所、用地課と協議してください。(平成4年)
〈商工労働観光課長〉
特に意見なし。(平成4年3月6日)
〈文化財保護課長〉
工事中に、万一、埋蔵文化財を発見した場合には、速やかに工事を中止し、六合村教育委員会へ届け出て、その指示に従うこと。
工事中に、県及び六合村教育委員会の職員が立入り調査を実施することもあるので、その時は協力すること。(平成4年3月2日)
〈治山課長〉
地域森林計画民有林を伐採する場合には森林法第10条の届け出が必要となりますので、吾妻林業事務所と協議してください。(平成4年3月2日)
私は、なんだか壊れたロボットを相手にしているような気分になってきた。これじゃあ国民や県民の安全どころの話ではない。
(5) 官僚ならではの解釈
なぜ、こんな無審査としか言いようがない「審査」が行なわれたのだろうか? のちに大学の研究者によってヒ素まで検出されている処分場の認可が、すべて「意見なし」だ。国民に税金を払ってもらい、安全を守るために働いてもらっているはずなのに、「知ったことではない」とばかりに審査しないで許可。これでは国民はたまったものではない。
以下、群馬県の処分場許認可の経過説明だが、わかりにくいので読者は後ページまで飛ばして読んでいただいてもかまわない。県の説明は詭弁をこねくり回し、しかもでたらめときているのだから読めという方が無理かもしれない。しかしあえて記録だけはしておこう。
まず、1988(昭和63)年5月17日、品木ダム水質管理所長から最終処分場にかかわる実施計画書が出され、環境衛生課長から浚渫物について法的な取り扱い諮問があり、各課長に意見が求められた。それによれば取り扱い諮問は、
一、(浚渫物は)廃棄物処理法上の産業廃棄物である。
二、水処理不要物(一般廃棄物の最終処分および産業廃棄物の最終処分場にかかわる技術上の基準を定める法令第一条第一項五号本文但し書きに規定する廃棄物)と認める。
としており、「安定型最終処分場での埋め立てとなる」とした。
ヒ素混じり汚泥である中和生成物が排水処理・浄化処理が不必要だというむちゃくちゃな解釈には恐れ入るほかはない。それならどんな毒物汚泥でも不法投棄同然の放置でよいという結論になる。ところが、この無茶な解釈から「安定型処分場で処理してよい」という結論が導き出された。
単純に「汚泥は管理型で」という廃棄物処理法からいっても無茶苦茶な話である。
群馬県は、次のような解釈を付け加えている。
「港湾河川の浚渫に伴って生じる土砂その他これに類するもの」は、廃棄物処理法の対象とならないものであるとする解釈がある。
本件浚渫物は場所的には上記に該当するが、厚生省(現・厚労省)は「人為が加わったものについては、土砂その他これに類するものには当たらない」としている。
分析結果を見ると、含有、溶出ともに環境汚染の問題はないと考えられ、産業廃棄物であるとしても、「土砂その他これに類するもの」に準じた取り扱いが妥当と考えられる。
周辺環境(国有林、水はダム上流部に位置)から埋め立て物による環境上の問題はないものと考えられる。
まず、で、解釈のねじ曲げがはじまる。
品木ダム湖で浚渫した結果生じる中和生成物と、一般的な港湾河川の浚渫で生じる土砂とは一緒にならない。
品木ダム湖で生じる中和生成物は万代鉱から排出された酸性水と、石灰工場で石灰原石→焼成→生石灰→水和→消石灰という幾段にもわたる工程を踏んで加工された中和生成物である。
ヒ素混じりの中和生成物は、手を加えられていない港湾の土砂とはまったく違う。
まったく違うものを同じものだとこじつけて解釈を加えるところに、ダムを推進するための群馬県の並々ならぬ「工夫」があるが、このこじつけはみじめなものである。まったく違うものを「同じだ」と無理やり珍解釈をでっちあげて正当化している。解釈で法を曲げることが正当化されるなら、法律はいらない。すでに述べたが、風船に無限に空気を送りこめば破裂する。便秘している人間が無限に食いものを腹に詰めこめば腹がパンクする。これと同じことで、行き場を失ったヒ素混じりの汚泥の山は崩壊する運命にある。
ではこの解釈を自分でひっくり返すようなことを言っている。
人為が加わったもの、つまり中和生成物は港湾で浚渫された土砂とは違う。
だからどうなんだ? なんで自分が言ったことを逆転させるようなことを言うのか? 要するに、この文章は、何を言っているのかチンプンカンプンだ。言っている本人たちにも自分が言っていることがわからないだろう。
になると、ますます奇怪至極な話になる。県は中和生成物を分析したらしい。その結果か、「環境汚染の問題はないと考えられた」としている。本当に環境の視点で分析したら、当然ヒ素その他の有害物質が発見されているはずである。それなのに「環境汚染の問題はない」としてしまった。
これはなぜだろう? これは国民に説明する必要がある。さらに混迷を深めるのは、環境汚染の問題はないから、「産業廃棄物であるにしても、『土砂その他これに準じた取り扱い』が妥当だ」という完全にテレンパランなことを述べていることである。お役人さんはふつうの感覚、常識、言葉が通じない生き物なのか? こんなことなら群馬のお役人さんは詭弁学会でもつくって詭弁コンテストでもやったらどうか? 優勝間違いなしだ。
ダム推進のためには、国民の安全などはどうでもよいのだろう。そういう解釈に基づいて、でたらめを並べ煙幕を張り、国民を欺いている。
そして、こういう詭弁に対して、課長さんたちは「意見はございません」と答申したのだ。
(6) 「酸性水は人工物」――横田元副知事の動かぬ証言
「自然由来である」という群馬県の話を私は「嘘だ」と断定する。私は自分が嘘だと断定した責任上、証拠を示す。証拠は群馬県の最高幹部の証言である。
横田博忠という人物は、1978(昭和53)年9月に群馬県の副知事になり、四年間副知事の職にあって1982(昭和57)年に退職した。彼は八ッ場ダムの実現のために、1957(昭和32)年から白根山系から流出する酸性水の調査団の係長であり中心人物であった。
彼は自分の群馬県での業績を記録した『野帳』という分厚い著作を上毛新聞社出版局から1987年に出版している。その中で「吾妻川水質改善の思い出」という章に次のように書いている。そこに「酸性水は天然由来だ」と強弁する群馬県の主張が半分嘘だという証拠が描かれているのだ。
(「毒水即ち水質改善を要する河川水はどこが源か」という問いに対して)白根山を水源とする大沢川、谷沢川などの中に鉱山、精錬所などから排出される酸性水が混じり合っており、また万座温泉、草津温泉からの排出水もあり、天然と人工の両酸性水といえよう
品木中和システムを造るための調査団の中心人物であり、群馬県の副知事であった人物の証言である。彼が「酸性水は天然と人工の両酸性水だ」と証言しているのだ。
群馬県の担当者は私に「酸性水は自然由来だ」と言った。その主張は酸性水は自然由来であり、人工ではないのだから、安定型処分場に入れてもよいのだ、という主張である。しかし、自然由来ではない人工物が入っていれば管理型処分場での処分でなければならない。ほかならぬ自分たちの最高幹部が、「完全な自然由来」を否定しているのだ。群馬県の「自然由来説」を最高幹部が否定した。群馬県が県民の安全を無視し、八ッ場ダム推進を至上目的として、いかにでたらめな許可をしているかを横田証言が証明したのである。
人工の酸性水を含んだ中和生成物の汚泥は、管理型処分場でしか処分できない。
これを安定型処分場で不法投棄と同然のごみ捨てをしている事実は動かしがたい。
このB処分場については三陽測量が地質測量を行なった。
この地質調査によれば「所見=調査地は、基盤岩の溶結凝灰岩の上を嬬恋軽石層およびローム層が30~50メートルの厚さで覆っている。溶結凝灰岩は、一般に多孔であるために透水性が高く、風化が進み砂状化・粘土化するので、このことを考慮して設計する必要がある」と書かれていている。つまり三陽測量の指摘は「透水性の高い地質」「これらを防ぐ設計上の考慮が必要である」ということだ。
国交省はこの指摘を完全に無視し、「透水性の高い地質の箇所を選んで、樹脂シートもつけず、浄水施設もつけない処分場を建設」した。おまけに「地質から考えて設計上の考慮」をしなければならないのに、ことさらに逆のこと=管理型を偽称する安定型処分場の建設を行なった。つまりヒ素を大量に含む汚泥が透水性の高い地質を浸透し、地下水を汚染していることは間違いがない。
あらためて言う。
これは、国民県民の安全をはかるべき官僚自らが、国民県民の安全を無視し、欺いた犯罪行為なのである。
3 東電を抱きこむ擬似中和システム
(1) 中和化できない中和システム
当然のことに、こういう群馬県の嘘で固めた認可によって造られた処分場を含む中和システムは、吾妻川を中和していない。横田は、すべての酸性河川を中和しなかったと証言し、その理由を『野帳』(前出)でこう述べている。
すべての酸性水を中和すればよいのは山々であるが、下流の利水地点(発電用水の取水口、かんがい用水の取入口、河川工作物の設置個所等々)においてpH4~4.5になるようにすることにして、酸性水の占める割合の最も大きい湯川水系の3河川を対象とした。残余の河川については経済的理由などにより手をつけなかった。
これは担当者による正直な告白証言である。
全部の酸性河川を中和しなければ吾妻川の中性化はできない、と横田は言っているのである。だが、お金の都合で白砂川の支流である湯川、大沢川、谷沢川だけの酸性対策をした、というのである。
これを言い換えると「吾妻川の中性化のためにはすべての支流の酸性河川の中和化をしなければ吾妻川を死の川から蘇らせることはできない」「しかしそんなことをするお金がないから、吾妻川の中和化はあきらめた」ということである。八ッ場ダム、中和システムの国民への安全は、お金の都合で無視されたのである。
横田は「湯川、谷沢川、大沢川を中性化すれば発電用取水口、かんがい用水取入口、河川工作物の設置個所が弱酸性化するようにすれば、吾妻川の達成する」ような書き方をしているが、国交省の最近の調査でさえも、吾妻川水系の河川は次のような酸性度を示している。
河川名 pH 測定年月日
万座川 2.5 平成20年2月6日
今井川 4.5
赤 川 5.5
遅沢川 2.63
白砂川 6.2 平成20年3月5日
大沢川 2.9 平成19年12月19日
谷沢川 3.4 平成20年3月12日
湯 川 2.1 平成20年3月12日
中和されているのは、中和工場の下流の湯川、品木ダム湖、品木ダム湖下流の湯川、白砂川までである。その他の河川は酸性のままである。このように品木の中和システムは酸性水対策として、ほとんど役に立っていないのである。
では、現在多くの人々が八ッ場ダムサイトで見る吾妻川の橋梁や鉄道工事、道路工事、砂防ダムなどの工事が鉄やコンクリートを多用しながら進行している事実をどう考えたらよいのだろうか?
中和工場が役に立っていないのなら、現在ダム周辺工事として幾多の橋梁や道路、鉄道などが建設されている事実をどう解釈したらよいのか?
吾妻川に鉄とコンクリートを使って建設をしたら、鉄は溶け、コンクリートは腐食し、構築物は崩壊してしまうではないか?
(2) 無傷な構築物のカラクリ――電力会社のおかげ!?
そういう疑問は当然であろう。じつは、周辺工事の鉄橋や擁壁など河川構築物が崩壊しないカラクリがある。吾妻川周辺の住民を数十年にわたって騙しつづけた虚構を読者のみなさんにお見せしなければならない。
現状の吾妻川の水は東電の発電のために多くを取られている。東電に取水されていない段階では吾妻川には53立米/毎秒(日量にすると457万9200トン、月量約1億4000万トン)の水量が流れていた。しかし、東電は吾妻川に10カ所の水力発電所を持っている。
上流から、西窪(★さいくぼ)、今井、羽根尾(★はねお)、大津、川中、松谷、原町、箱島、金井、渋川の各発電所である。その取水量は23立米/毎秒(日量にすると198万7200トン、月量約5961万トン)である。現在、八ッ場ダム建設予定地付近の吾妻川が岩石だらけの涸れ川になっているのは当然である。25万トンの超巨大タンカーが日に8隻、月にして240隻ずつ、毎日吾妻川に殺到して吾妻川から水を採取している勘定になる。吾妻川からじつに43.4パーセントもの水が東電に取水されているのである。
(3) 戻される酸性水――漁業関係者の心配事
草津の中和システムとは吾妻川の支流さえも東電の導水管がなければ中和できないほとんど無用な代物なのである。では草津の観光スポットと化した中和工場で観光客は何を見せられているのだろうか?
この酸性水はすでに触れたように、東電が導水管で取水して吾妻川には酸性水を流していないのだから、かろうじて吾妻川本流は中性を保っているのである。この実態を誰よりも知っているのは地元漁協や釣り人である。
1994(平成6)年5月18日の上毛新聞は東電に水を取られすぎて河川が枯渇しているという住民の声に応えて、東電が1994年5月19日から河川に魚が棲める程度の水を戻すという措置を取る、ということを報道した。
同紙はその措置に対する地元漁協関係者の声を伝えている。
漁協関係者は言う。「吾妻川に酸性でない良い水を流してくれるならおおいに歓迎するが、上流の西窪、今井あたりは特に酸性が強いから不安が大きい」「吾妻川の酸による独特の黄色い石のはじまりは嬬恋村の万座川合流地点から下流なのです。万座川をはじめとして他の酸性河川にも中和工場を造らなければ本当には改善されない」と。
同紙はつづける。
当時、下流の漁協は「水が足りない川を水が潤沢な川にするために東電の水を吾妻川に戻す、という措置をとれば吾妻川に酸性水が戻るから魚が死ぬ」と危惧していた。「八ッ場ダムができたらダム湖に魚が死ぬような酸性水が溜まって、さらに水質が悪化し、高くなる水を飲まされる。こういうことを下流の人たちにぜひ知っておいてもらいたい」と。
この漁民の訴えこそが中和工場の真実を衝くものであろう。
(4) 「死の川」への逆戻り――ダム建設後の未来像
「その酸性水を東電が水道管に入れているのならば、東電の導水管を腐食させるのではないか?」
そういう疑問が読者には浮かぶだろう。私もそのような質問をかなり受けた。その答えはこうだ。
導水管のトンネル内部はコンクリートの打ちっぱなしではない。エポタールというエポキシ樹脂でトンネル内が塗装されている。鉄管も同じだ。発電所のタービン水車はステンレスである。だからこそ東電発電所の導水管も酸性水に耐えているのだ。
東電は吾妻川の発電所を結ぶ導水管の概念図を作成し、その中で次のように書いている。
強酸性河川の、万座川、遅沢川、並びに酸性河川の今井川、赤川、白砂川の水は東京電力の水力発電所で取水し、吾妻川には殆ど放流しないで東京電力水路と一部県営発電所水路を経由して群馬県庁まで流下させています。(ただし、発電所の点検補修作業などの際に吾妻川へ放流することもあります。)
このため吾妻川は、長野原町の一部区間を除いて中性水になっています。
この文章は、裏読みすれば「吾妻川の水質を中性化しているのは、ほとんど東電の導水管のおかげだ」と読むことができる。しかし、八ッ場ダムができてダム湖に水を溜めるためには、東電の導水管に大量に採取していた酸性水を吾妻川に放流しなければならない。すると導水管の酸性水が放流され、吾妻川は酸性水による死の川になる。当然、鉄は溶け、コンクリートは腐食する。
酸性水によってダム堤体のコンクリートも鉄も腐食し、八ッ場ダムは崩壊に向けてやむことのない死の行進をはじめるのである。首都圏は1784(天明3)年の浅間山の大爆発以来の大きな危険にさらされ、八ッ場ダムの恐怖におびえつつ生きていくことになる。
以上、私が描いた吾妻川が死の川に逆戻りするという予測は、まだ起きていない未来の、傍証による予測だから推測の域を出ていない。しかし、私の予測が間違っていないことを立証する証拠がある。それは、2005(平成17)年11月11日の阪東(★ばんどう)漁協(渋川市)、吾妻漁協(中之条町)による東電に対する漁業補償事件である。
(5) 実証された「死の川」――東電漁業補償事件
2005年11月12日の朝日新聞の記事。
吾妻川で今年、アユが不漁だったのは東京電力群馬支店による工事が原因だとして、地元漁協などが、支店に調査を申し入れていた問題で、支店は11日、阪東漁協(渋川市)に対して具体的な補償額を提示した。吾妻漁協(中之条町)にもすでに金額を提示しており、合わせて600~700万円程度になるものとみられる。支店は「工事との因果関係ははっきりしないが、地元との信頼関係を重視した」と話している。不漁の原因とみられているのは、吾妻・東村の「箱島発電所」の工事。昨年(2004年)9月から2005年7月にかけて発電機を交換した。工事中は導水管の中を流れている水を止めなければ工事ができない。そこで通常は導水管の中を流れている酸性度の高い水が、工事期間そのまま下流に流された。その結果、アユが大量に死んだ。これは東電のせいだと両漁協が補償を東電に求めた。この根拠を求めるために両漁協は県水産試験場に調査を依頼し、2005年10月までに中間報告が出そろった。
東電群馬支店によると、「川の酸性度が高くなり、これに伴って餌となる藻の付着や、アユの生育状況が悪かった」という内容だという。東電群馬支店ではこの報告を受けて、「工事と不漁との明確な因果関係はわからないが、可能性はあると判断した」という。東電も東電箱島発電所の工事の際の導水管からの放流と不漁の可能性を認めている。
以上、朝日新聞の記事などを含めて東電の導水管が果たしている役割を私なりにまとめてみると、
吾妻川の酸性度が低い状態になっているのは、東電が酸性水を取水し、導水管に流して利根川までバイパス的に送っているからであり、国交省が言うような中和工場や品木ダムなど、中和システムによる中性化が効果を発揮しているからではない。東電が箱島発電所の工事を行なった際、導水管の水を吾妻川に放水した結果、吾妻川に酸性水が流れこみアユが死んだことはそのことを立証している。中和工場が中和の役割を果たしているなら、東電の導水管から酸性水が放流されたことなど関係ないはずである。
この事実は八ッ場ダムが完成し、東電が吾妻川の水を返還したとたんに吾妻川は死の川に逆戻りすることを意味している。
(6) 八ッ場ダム完成と崩壊――酸性水で溶けるコンクリート
私は、これらの事実を証明する証拠である群馬県水産試験場の調査報告書を、前橋市敷島公園の付近の現地まで行き入手した。
阪東漁協と吾妻漁協からの、「吾妻川の東電発電所群の工事によって導水管から排出された酸性度の高い水によってアユが死に、その期間魚が釣れず損害を被った件について、アユの不漁は東電工事による酸性水の排出が原因かどうか」という調査の依頼に対する水産試験場の報告書である。
調査は主に小野上温泉センター(JR吾妻線小野上温泉駅南口付近、吾妻川沿岸)、名久田川(★なくたがわ)合流点(JR吾妻線中之条駅東500メートル、吾妻川右岸の名久田川との合流点)、原町運動公園など3カ所を中心に採取した水で行なわれた。
調査地点から採取した東電導水管からの放流水と、ふつうの井戸水から採取した水に、水産試験場で飼育していたアユをそれぞれ10尾ずつ入れて生存への影響を調べるという試験である。
原町運動公園前の吾妻川から採水した東電導水管から放流された水で試験した結果、アユは48時間後には10尾が全部死亡した。井戸水に入れたアユはまったく死亡しなかった。
調査結果は、pHと濁度(★だくど)が魚の生存に重大な影響を与えており、東電導水管の中の酸性水は魚にとって死の水であるという結論となった。
吾妻漁協の調査地点の結果も同じである。
この調査結果を受けて東電は阪東漁協、吾妻漁協に対する補償を行なったのである。
八ッ場ダムができた場合、東電が水利権を返して導水管の水を吾妻川に戻したら、アユが死ぬという程度の話では収まらない。酸性水によってダムの鉄は溶け、コンクリートが腐食するのだ。そして「ダムは崩壊する」という危険をこの調査結果は物語っている。
以上をまとめてみると、このまま八ッ場ダム建設を推進するならば、品木ダムが崩壊し、八ッ場ダムも崩壊し、ヒ素洪水が発生し、吾妻郡、関東地方に取り返しのつかない被害を及ぼす、ということである。
国は八ッ場ダム建設の最大の狙いを、「首都圏の水不足解消」「渇水の危機対応」「洪水対策」などと言っているが、「首都圏に水不足はない」し「渇水の危機もない」。カスリーン台風などという60年前の災害は戦争による山林皆伐時代の出来事で、植林が完成した現代の問題ではまったくないのである。
そして第二章で詳述するが、ダム本体が建設される地盤はとんでもない脆弱地盤と地質である。酸性水と脆弱な地盤、これらの二つの要素が入り混じり、倒壊に至る危険ダム、それが八ッ場ダムなのである。
【この項続く】
■「基本高水」については、昨年、馬淵国交大臣の記者会見などにより、利根川の治水計画の重要な数値(基本高水流量)の科学的根拠に疑問が投げかけられ、八ッ場ダムの検証作業に与える影響が注目されていましたが、結局、一般市民には何がなんだか分からない計算式を役人が持ち出して、結局、基本高水流量についての疑問はなにもなかったことにされ、再び八ッ場ダム建設に向けて、裁判所も、役所のいうなりになって、住民からの差止請求訴訟=住民訴訟を棄却させようと虎視眈々ともくろんでいます。
■これまでの八ッ場ダム問題にかかる住民訴訟では、もっぱら高水論争という土俵で勝負してきました。その影で見過ごされてきた真の問題があります。それは、砒素問題です。この問題に早くから着目して、事実の積み上げを粛々と行ってきた人物がいます。丸岩会を介した政・官・業という癒着問題でも積極的な取材により情報の精度の厚みを増していただき、当会の事務局長も親しくさせていただいているジャーナリストの高杉晋吾氏です。同氏がこれまで積み重ねてきた事実をもとに、同氏の分析を加えた主張には傾聴すべき価値があります。
■八ッ場ダム問題で首都圏各都県で行われている住民訴訟を有利に展開して、最終的に勝つために、高水論争一辺倒で役所のペースにはめられるのではなく、もっと分かりやすいテーマである砒素問題という土俵に、役所を導きいれて、住民主導のペースで裁判を行えるようにすることが、これからは重要になると思います。
■以下の文章は、高杉晋吾氏の了解を得て、ご紹介するものです。
第1章 25億人致死のヒ素ダム
1 流れこむヒ素の水
◎「酸性水」でいったんは断念――八ッ場ダム建設計画の過去
利根川の支流、吾妻川(★あがつまがわ)中流部に位置する長野原(★ながのはら)町川原湯(★かわらゆ)付近において建設が進められている利水と治水を主目的とした八ッ場(★やんば)ダム。
高さは131.0メートル、堤頂の長さは336メートル、総貯水量1億750万立米の超重量の鉄とコンクリートのダム本体。完成すれば、神奈川県以外の、関東1都5県の水がめとして9番目の役割を果たすことになる。1億1000万トンの水圧がかかる巨大構築物が我々の頭上に生まれることを想像していただきたい。
だが、1952(昭和27)年当時、建設省は地質調査の結果、白根山(★しらねさん)から流出する酸性水によって、鉄も溶け、コンクリートも腐食するので、建設不可能と断念したという過去がある。
ところがこの断念から15年経った1967(昭和42)年、建設省は突然、八ッ場ダム建設計画の再浮上を宣言した。
なぜなら、1963(昭和28)年、吾妻川の酸性水を中和する工場やシステムができ、ダム建設が可能になったというのである。この中和システムというものが問題の核心なのである。
(1) 品木ダム湖の色――堆積する中和生成物の汚泥
私の乗った車は、利根川沿いのJR上越線の渋川から吾妻川沿いに入り、国道一四五号線を西に走る。中之条(★なかのじょう)町から長野原町に入り八ッ場ダム問題で沸きかえっている川原湯温泉を過ぎる。吾妻川とJR吾妻線の周囲は鉄道、道路、橋梁の付け替え工事で、若山牧水が「東の耶馬渓(★やばけい)」とうたった吾妻渓谷の自然の美しさは完全に破壊されてしまった。「耶馬渓」は、コンクリートの擁壁(★ようへき)に覆われ、橋梁、道路、鉄道、砂防ダム、移転集落などの工事で、わずかに自然の面影を残しながらも鉄筋コンクリートの人工構造物になり果てている。
草津町への入口であるJR長野原草津口駅付近から、吾妻川にかかる須川橋を北に曲がり、白砂川(★しらすながわ)沿いに国道292号線に入る。
30分ほど遡行(★そこう)すると「荷付き場」という地名の集落で292号線は草津に向けて東に曲がり、かなり急こう配の山道を極端に曲がりくねりながら西北西に向かう。
やがて、車は292号線から分かれて、狭い道に入り、昔、品木(★しなき)という集落があった地域に向かって急坂を下りはじめる。標高は低いが険しい山に囲まれた昔の品木集落のあった小さな盆地である。そこが品木ダム湖である。
山に囲まれた品木ダム湖が車の行き着く先だ。かつての品木集落はダム湖の底に沈んだ。
車は、湖畔に出る直前に、西のほうから滝のように流れてくる湯川をまたぐ橋の上を渡った。湯川の水流は黄色く濁っている。激しい急こう配を濁水が滝のように流れている。
湯川の流れの先に品木ダム湖が横たわっている。
私は、品木ダム湖の湖畔に立った。
品木ダム湖の色は異様な乳青色である。
品木ダム湖は全体を見渡すと半月形をしている。半月の北端から大沢川、谷沢川が流れこみ、半月の東端から湯川が流入する。湯川が流入する付近の右岸に、品木ダムの管理棟があり、堤体の堰(★せき)がある。品木ダム湖には、中和工場から流れこんだ石灰と酸性水を混ぜた、どろどろの中和生成物が堆積して、湖面に黄灰色の洲が顔を出している。
「なんだ? この嫌な湖の色は?」
晴れているが、北方の上信越高原国立公園から吹き下ろす冷たい風が湖を渡ってオーバーコート越しに冷気を浸透させてくる。
湖面の乳青色は不気味である。南牧(★みなみまき)村(長野県佐久郡)から1日60トンの石灰を草津中和工場に運びこみ、湯川の酸性水と混ぜたあと、再び湯川からダム湖に流し込む。それが無限に繰り返されるのである。
吾妻川を乳青色の中和生成物で埋め尽くすわけにはいかないので、国交省はダム湖を浚渫(★しゅんせつ)船で浚渫し、浚渫物はダム湖周辺の三つの処分場に埋めている。ダム湖に出る直前の山中に、白っぽい小さな工場風の建物が崖にへばりつくように立っている。この建物には「脱水工場」という看板がかかっている。ダム湖から浚渫した中和生成物の汚泥をコンベアで崖の斜面に運び上げ、この工場で脱水し、セメントで固めて処分場に埋めるのだ。
浚渫船はダム湖の左辺の断崖の岸辺に停泊している。
火山活動で出てくる果てしない酸性水を、一日も休まず石灰を投入して中和化する。無限につづく火山活動から排出され、一瞬もやむことがない酸性水に、人間の有限の力を振り絞って対抗する姿は愚かしい。しかも、人造のダム湖も処分場の大きさや容量もあまりに哀れではかない。当然費用にも、処分場の容量にも、溢れ返る中和生成物の処理先にも、すべて限界が付きまとって、何もかも行き詰まっているのが中和システムの現状である。
(2) どうなる? 無限に溜まる汚泥の山
火山活動は無限につづく。中和する石灰も一日の休みもなく無限に投入される。すでにA・B二つの処分場は満杯になった。三つ目のC処分場もあと10年余で満杯になる。すると、無限に積み重ねられる中和生成物の行き先がなくなる。そこには恐ろしい結末が待っている。
行き場を失った中和生成物の汚泥の山はどうなるのだろうか? 国交省は太平洋セメント熊谷工場などに依頼してセメントのリサイクルを頼み、リサイクルされたセメントを公共工事などに使おうと目論んでいる。「それは技術的には可能だ」という返事があったというが、その後まったく進展していない。それは当然だろう。
たとえ、セメントをリサイクルできたとしても、最大の売り先である公共事業は、ダムも道路も橋梁もほとんどが予算を削減され、工事中止に追い込まれるという状態だから中和生成物の行き先がまったくない。ましてやヒ素混じりのセメントなどは売り先から振り向きもされない。このままでは行き先を失った汚泥を無限に積み上げていくしかない。風船に無限に空気を送りこめば破裂する。便秘している人間が無限に食いものを腹に詰めこめば腹がパンクする。これと同じことで、行き場を失ったヒ素混じりの汚泥の山は崩壊する運命にある。つまりこんな八ッ場ダム計画も中和システム計画も、最初から成り立たない計画だった、ということである。
ヒ素混じりの汚泥の山が崩壊すれば、品木ダム湖が汚泥洪水を引き起こし、吾妻川、利根川、中川、江戸川、見沼代(★みぬまだい)用水、武蔵水路を通じて荒川に流れ込み、東京の上水道は使用不能になり、東京湾にヒ素混じりの中和生成物が堆積、東京湾の漁業は全滅するだろう。
(3) 首都圏を飲みこむ山からの津波
私は、利根川下流水系の調査に取り掛かるまで、荒川水系は、利根川水系から独立した川だと思っていた。しかし実際は、利根川と荒川は同一水系としてきっちりと結ばれていたのでびっくりした。言ってみれば荒川は「半利根川」なのである。利根川は、埼玉県行田(★ぎょうだ)市の利根大堰から荒川河畔の吉見町に至る武蔵水路に結ばれていた。吉見町からの荒川の下流は、東京湾に至るまで60パーセント以上が利根川の水だ。私はそんなことを知らなかった。
武蔵水路は、独立行政法人水資源機構によって1965(昭和40)年3月から、通水をはじめた。いまではこの水路施設は見る影もなく老朽化している。設計されたのは1960年前後だから耐震性もきわめて低い。私は、処々方々の橋や送水施設で、コンクリートに亀裂が入り、はげ落ち、ひび割れの中から鉄筋がむき出しになっているのを見た。この施設の役割には、東京や埼玉に飲料水を運ぶこと、大雨のときの洪水排除の使命がある。
しかし、これら住民の安全のためにつけなければならない国交省の予算配分が八ッ場ダムの予算に持っていかれている。まことに下流住民の安全を無視して、鉄、コンクリート、ゼネコンなど財界の意向を国家予算配分の中心課題にしてきた政官財、自民党、公明党の露骨な考え方がわかる。
こうした劣悪な状態のところに、吾妻郡長野原や品木ダムの処分場崩壊や、ダム崩壊によって起こったヒ素500トンの奔流が到達することなったとき、どういう悲惨な結果を招くのだろうか? 吾妻川、利根川、江戸川、中川、見沼代用水、武蔵水路、荒川、東京湾まで荒らしつくすヒ素奔流は、単なる妄想ではなく、歴史的に証明された事実である。
1784(天明3)年、浅間山が大噴火し、北山麓の長野原に火砕流が噴流し、吾妻川が奔流となって利根川に至った。その奔流は人々の亡骸、家財道具、樹木、牛馬の死体などを江戸の葛飾、小岩などに到達させた。その奔流は東京湾にまで至るのである。
いまでも小岩には慰霊碑が立っている。浅間山は噴火をつづけているし、吾妻川対岸の白根山の活動は現在でも非常に活発なのである。200年以上前の話ではないかという人もいるかもしれないが、地質や地球にとって200年という年月は一瞬でしかない。
1963年、イタリアのバイオントダム地すべり事故で2000人の死者を出し、1889年、アメリカのペンシルバニア州で起きたサウスフォークダム事故はジョーンズタウンを全滅させ、2200人以上の死者を出した。ダムによる地すべり災害、ダム自体による地震、ダム崩壊による災害など、ダムは大きな災害を招く。私はこれらの歴史的事実を調査しているさなかに、さらに驚愕すべき事実に直面した。
それが八ッ場ダムのヒ素問題なのである。
(4) ヒ素の真実――上智大・木川田喜一教授の研究
私は2007(平成19)年12月、上智大学に木川田喜一博士を訪問した。
木川田博士は「地下水技術」誌(2006年)の論文に大量のヒ素が草津の万代鉱(★ばんだいこう)源泉(品木ダムに流れこむ湯川の源泉。草津温泉で最大の湧出量を有する)から年間約50トン、10年間に500トン排出されているという論文を発表したのである。同誌には次のような表が発表されている。
草津湯畑源泉 0.26トン/年
☆万代鉱源泉 49.00トン/年
香草源泉3号泉 0.006トン/年
香草源泉8号泉 0.030トン/年
つまりこの10年間、万代鉱から毎年約50トンのヒ素が湧出し、湯川→中和工場→品木ダム→処分場へ10年間で、約500トンが堆積されている。この年間50トンにもおよぶ万代鉱のヒ素が、この10年来同じ排出量でつづいているという表を掲載している。
ヒ素500トンの堆積。これは200ミリグラムが、体重50キロの成人一人を殺す致死量であることから計算してみた。すると、500トンのヒ素の致死量は25億人分に相当する。
木川田博士は研究室で学生とともに忙しく動き回っていた。私は彼に、万代鉱から排出されるヒ素の検出までの経緯を聞きにきた。
「私たちは1960年代から白根山の調査をしてきました。草津湯畑源泉については一九六〇年代半ばから毎年分析値をとっています。この万代鉱源泉についても、湧出した直後から分析値を取っています。それ以外にも山頂近くにも源泉があり、これらの源泉の分析値をこの研究誌『地下水技術』の論文に出しました」
私が四つの源泉のヒ素濃度について聞くと、木川田博士は「ヒ素濃度は各源泉ばらばらです。万代鉱以外の三つの源泉は、ヒ素濃度は薄まっています。万代鉱源泉だけは濃度がどんどん高まっていっています。1980年代半ばから10ppm(標準値は0.01ppm)ぐらい他の源泉より高い。そして急激に、ある年から増えた。これに興味を持ちました」と言った。
私は「建設省(国交省)の酸性水対策では、ヒ素についてはどういう考え方だったんでしょうか?」と聞いた。むろん、建設省がダムを造るための酸性水対策しか考えず、住民の安全のためのヒ素対策などはまったく考えもしなかったのだろうと思ってそういう質問をしたのだ。
「建設省は最初、酸性水だけを問題にしたわけです。下流では農業ができませんし、公に言われるのは酸性水がコンクリートや金属を溶かしてしまう。橋もダムも造れない。だから五十数年前、群馬県が川を中和することにした。その後、建設省、国交省が、中性に近い水にして流すことにしました」
「酸性水対策のための中和だったわけですが、思いもかけずヒ素問題が出てきたというわけですね?」
「そうです。中和するということが今度は別の問題を引き起こすことになった。温泉に溶けていたヒ素は中和によって汚泥の濁りのほうに全部くっついてしまっている。つまりダムに溜まっている泥の中にヒ素が固定されているということです。分析の結果わかってきたわけです」
「先生たちが詳細な分析をし、年間約50トンのヒ素が蓄積されていた事実が確認されました。そのヒ素はダム湖や処分場に溜まるんですね」
「もともと草津の源泉から排出されるヒ素は年間50トンありますから、この50トンがすべてダムに入ると単純に考えてしまえば、品木ダムには年間50トンのヒ素が溜まっていくと考えられますね」
「ダムだけではなく処分場にも溜まるということですね?」
「そうですね。品木ダム湖の泥を浚渫してダム周辺の処分場に埋めているわけですから、ダム周辺の処分場には年間50トンのヒ素が、今後この中和処理をつづけるかぎり、溜まっていくと考えられます。この年間数十トンのヒ素が溜まりつづけるということが環境問題を考えて皆さんが一番心配されることだと思います。いまのところ私の見積もりではダムの外にも年間3トンくらいのヒ素が流出しています」
なぜダムからヒ素が流出するのか? 具体的な説明はなかったが、品木ダム湖に蓄積されたヒ素は、ダムの漏水や、湖底面からの漏出などで、下流も汚染されるのであろうと思える。
私は万代鉱から排出されるヒ素が中和工場、ダム湖、処分場を通過すると、どういう変化が生まれるのか、その危険性や毒性などの変化を知りたいと思った。中和システムの下流への影響が心配だからだ。
(5) 石灰とヒ素の蜜月――環境資源研究所所長の動揺
私はヒ素が万代鉱から流出し、中和工場で石灰と混ぜられて、再び湯川に戻され、品木ダムに流入、そして処分場に埋められる経過の中で、ヒ素がどういう反応をし、それがどういう影響を社会に与えるのかを調べた。その結果は驚愕すべきものだった。
私は、池袋に近い護国寺に環境資源研究所所長の村田徳治氏を訪ねた。
彼は万代鉱から中和工場で湯川の水(湯)を石灰で中和し、品木ダムで浚渫し、セメントで固化し、処分場に埋めるという私の説明を聞いて愕然(★がくぜん)とした。
「ヒ素を処分場で処理すると重大な問題が生じますよ」
と村田は言った。
彼はこのプロセスでの重大な問題点を、こう説明した。
ヒ素は、一般にヒ酸鉄という形となって、不溶性で水中に沈澱しているので、そのままでは危険性はない。しかし、中和工場で石灰と混ぜることから問題は発生する。
通常、ヒ素が自然に流下しても溶けずに、溶出しない無害な形で沈澱する。
しかし、この不溶性のヒ酸鉄として湯川を流れてきたヒ素はアルカリ性(pHの高い)雰囲気の中では加水分解して水溶性のヒ酸塩となる。
「あなたが言うように中和工場で石灰と混ぜる。すると酸性水は中和されるが、沈澱していたヒ素は水に溶けだすんですよ」
私は一般的に有害なヒ素の恐ろしさだけを考えていた。しかし、石灰やセメントなどアルカリ性の物質に接触することによって沈澱していたヒ素が溶出することを知って驚愕した。
すると中和工場や品木ダム湖からの中和生成物のセメント固化は、セメントでヒ素を固めてヒ素を出さないようにしていると思っていたのに、実際はまったく逆で、セメント固化をすることで外部に溶出させているということではないか!
「そうなんですか! アルカリ性の中ではヒ素は水に溶けるようになる。すると品木ダム湖で浚渫された中和生成物をセメントで固化するということは、セメントもアルカリ性だからますます危険ですね」
「そのとおりです。浚渫した中和生成物をセメントで固化すれば、ふつうは閉じこめたから大丈夫という気持ちになるが、逆です。ダム湖の中にヒ素が流れ出します。アルカリ性のセメントの中でヒ素は水に溶けるようになるからです」
私は品木ダム湖の不気味な青さを思い出しぞっとした。
自然の状態では、ヒ素はヒ酸鉄として河川などに沈澱して悪さはしない。だが、中和システムに入って石灰などのアルカリ性に触れると、沈澱状態が解けて溶出する。中和工場・品木ダム・処分場というプロセスをたどる中和システムは、通常ならば危険ではない「(溶出しない)ヒ素」を危険な「(溶出する)ヒ素」にしてしまうというのである。ヒ素と石灰、ヒ素とセメント、いずれも無害だったヒ素をアルカリ性物質が危険なものに変える。すると中和工場はヒ素の危険性を倍増するシステムなのか!?
「それで、その固化した中和生成物を処分場に入れているんですが、その影響はどうですか?」
村田は苦い顔をして私を見て、首を左右に振った。
「処分場にヒ素を含有した物質を入れるというのは非常によくないですね。処分場に非常に多い微生物がヒ素にどういう影響を与えるか、わかりますか?」
もちろん、私にはわからない。
「微生物はヒ素に危険な毒ガスを発生させる危険性がある」と村田は言った。
これを聞いて私は不思議な思いに駆られた。中和システムというのは、酸性水の中和化に優れているという国交省の説明だ。だがダム推進を後押しする中和システムは、住民にとっては危険性倍増システムなのである。
では中和工場や品木ダム湖、処分場などを管理する国交省品木ダム水質管理所とは何をするところなのだ。水質管理というから住民にとって、水質の安全をはかるところかと思っていたが、逆に危険を倍増する仕事をしているのではないか?
(6) 中和システムが毒性倍加
村田は「そのとおりですよ」と言った。
「それじゃあ、中和システムというのはまるで改心しかけた悪党を無理やり牢屋に引き戻して、本物の悪党を仕立て上げる悪徳警官みたいじゃないですか?」
村田は話しつづける。
「ヒ素を含む産業廃棄物としては、鉱滓(★こうさい)、汚泥等がありますが、排水処理汚泥はヒ酸鉄になっているものが多いから河川に沈澱して溶出しないんですよ。ところが、ヒ酸鉄はアルカリ性のセメントや石灰に入れるとpHが高いですから加水分解して水溶性のヒ酸塩を生成するんです。だから、アルカリ性を多量に含むセメントでヒ酸鉄を固化すると、せっかく不溶性になっていたヒ酸鉄が分解して、水溶性のヒ酸塩が溶出してくる」。
「ならば、中和工場や、ダム湖から脱水してセメント固化するってとんでもない話ですね」
「そうですね。ヒ酸塩を含む廃棄物をセメントで固化するのはまったくよくないですよ」
村田の指摘は、まさにズバリ中和システムそのものについての指摘であった。
私は、「では、中和生成物を処分場に埋めることの影響はどうですか?」と聞いた。
村田は「高杉さん。ナポレオンの死の話を聞いたことはありませんか?」と言いはじめた。
「ナポレオンが死んだとき、彼の毛髪から高度のヒ素が検出されたんです」
妙な話の展開にあっけにとられていると村田は言った。
「だから最初はナポレオンがヒ素で暗殺された、という話が興味本位も含めてもっぱらだった。ところがその後、ヒ素を用いた壁紙の顔料にカビが生えて、その影響で、微生物がヒ素に影響してアルシンガス(ヒ化水素)という毒ガスが発生し、ナポレオンはその結果中毒死したという説に変わったんです」
村田は著書『廃棄物のやさしい化学』に「1933年チャレンジャーらによって細菌が亜ヒ酸を還元してトリメチルアルシン(有機ヒ素化合物)を生成することが発見されました」と書いている。
具体的には「ヒ素系の顔料を塗った壁紙にカビが生え、にんにく臭がするトリメチルアルシンが発生、ヒ素中毒患者が発生した」というのである。だから村田は「微生物が多量に存在する埋め立て地にヒ素化合物を廃棄すること」の危険性に警鐘を鳴らしている。
中和システムというものは、不溶性のヒ素をわざわざ溶出性のヒ素にして、しかもアルシンガスのような危険な毒ガスさえも生じさせかねないシステムなのである。
(8) ヒ素の処理――北里大学山内博博士の提言
北里大学大学院教授でヒ素問題の大家である山内博博士は私にこう言った。
「いま、電気製品の心臓部にあたるコンピュータ機器製造や、半導体製造などではガリウムヒ素を使っています。使い終わったIT製品の回収処理作業の段階で犠牲者が2名出ています。その作業中にアルシンガスが発生することがあるのです。約10年前にアルシンガス事故が発生しました。また、シェーレグリーンという顔料をカビとバクテリアで分解するとアルシンガスが発生します。20ppmほどのアルシンガスを吸うと即死します。ですからガリウムヒ素を扱う回収業者はびくびくしています」
山内博士はさらに付け加えた。
「経済産業省はガリウムヒ素を含むレアメタルや希少金属の備蓄計画を立てているわけですが、こういう状態なのに回収段階の業者のヒ素扱いの教育計画はないですから、問題が発生する可能性がある。こうした段階で回収やリサイクルの業者は教育されていない。資金がないから、教育に時間を割けない。だから健康や環境にリスクが充満している。危険ですね」
私は、中和システムというものは、改心した元囚人を、役人の成績を上げるために無理やり牢屋に入れて、本当の凶悪犯にする監獄システムのようだと思える。このように危険な中和システムの最終的処理を行なう処分場は、さぞや慎重の上に慎重を重ねた無害化処理を行なってくれているのだろうと、ふつうの常識では考える。
さて、群馬県はどのような危険回避の対策を立てているのだろうか? それが知りたく、私は現地に行ってみた。
それから国交省の品木ダム水質管理所に行き、どのような水質管理を行なっているのか尋ねた。
次いで、群馬県が行なっているA・B・Cそれぞれの処分場が住民の安全をどのように厳格に考え、厳しい条件で許認可をしているのかを調べてみた。
2 公的不法投棄
(1) 頭上にそびえるB処分場
私は、田中正造の足尾銅山鉱毒事件を思い浮かべた。あそこの山や谷にも鉱滓を捨てる処分場がダムのような形で谷や沢をうずたかく埋め、下から眺めると恐怖を感じるような光景である。そして、それらの堆積場は大雨や台風の折に、鉱滓の山が崩れて渡良瀬川や利根川に流れ出し、無数の魚を殺してきた。
品木ダム湖周辺にも、こうした処分場がA・B・Cの3つ造られている。数十万トンの中和生成物の埋立処分場。湯川の品木ダムへの流入口、下から仰ぎ見ると品木ダム湖の西南端の直上に覆いかぶさるような急こう配で汚泥の山が築きあげられている。これは怖い光景だ。
いずれも地震、豪雨などで崩壊する危険に満ち溢れている。渡良瀬川以上のことが品木ダムで起きる可能性がある。この処分場の崩壊、直下の湯川の流入口、汚泥が堆積して満杯の品木ダム湖、ダム堤体を突き崩して湯川、白砂川、さらに吾妻川、利根川を突進する汚泥の奔流。
私は、品木ダム周辺のB処分場に行った。
湯川の流入口から曲がりくねった急坂を上がる。その登り切ったあたりに、処分場の入口はあった。処分場の看板が立てられている。木立の入口から柵越しに、積み上げられた泥の山が見える。何度も通ってからのちにわかったことだが、このB処分場の現場は湯川が中和工場から流れてきて、品木ダム湖に流入する河口の左岸の崖の直上にある。
私は、最初は、そういう地理的な関係がわからないままに、河口の裏側から処分場に上がったのだ。急な汚泥の坂をやっとこさっと登り、平坦な頂上の広場に出る。頂上は雑草が生い茂っており、汚泥は土で蓋をされている。だが処分場の右手は一気に急斜面となっており、その向こう側は、はるかに深い渓谷だ。
何回か来て、渓谷の向こう側の山の斜面に見える建物が品木ダム湖から浚渫した汚泥の水を脱水する工場だとわかり、地図でこの処分場の位置を調べてみて、この処分場は湯川が品木ダム湖に流入する河口の左岸直上にあることがわかったのだ。再び湯川の品木ダム湖への流入口に立って、左岸の崖の上を眺めてみたとき、頭上の崖上に、土色をした汚泥の堆積が林の中から見えた。
私はその位置関係を知って改めて戦慄を覚えた。ヒ素溜まりの埋立処分場の直下がドロドロの石灰で中和された湯川の水が激しく流れこんでくる河口だから、地震、噴火、洪水などの災害で急斜面の埋立処分場が崩れたら、この数十万トンの汚泥の山が直下の品木ダムの上流端を襲うのだ。
行き場のない汚泥が積み上げられているA・B・C三つの処分場のうち、二つはすでに満杯だ。残るのはC処分場一つだけ。永遠に工場で投入される石灰。1日60トン。ダム湖に堆積し、浚渫され、処分場に投棄される。
(2) 廃棄物処理法違反か?
廃棄物処理法では、後述するように、廃棄物が外部地域を汚染しないように、「安定型」「管理型」「処分型」の三つの型の処分場が決められている。
品木ダムの処分場においてはそのうちの「管理型」でなければならない。ところが、品木ダムに所属するA・B・C三つの処分場は、表向きは「管理型処分場」と名乗っているが、実際は、管理型処分場で決められている条件を完全に無視している。つまり、この三つの処分場は「廃棄物処理法違反」である。ヒ素入り汚泥をただ掘っただけの素掘りの穴に不法投棄しているのだ。
ここで、なぜ廃棄物処理法違反であるかということを理解いただくために、廃棄物処理法で決められた安定型処分場、管理型処分場、遮断型処分場について説明しておこう。
【安定型処分場】
入れても良い処分許可品目――ゴムくず、金属くず、ガラス、陶磁器くず、廃プラスチック、建設廃材。いわゆる安定五品目。
構造と外部浸出対策――下水汚染対策も浸出水対策も不要。素掘りの穴に埋めて覆土(★ふくど)する。
【管理型処分場】
入れても良い処分許可品目――汚泥、鉱滓、燃え殻(このうち、規制対象物が含まれ有害物質の溶出試験をしなければならないもの、煤塵)。これらの固形物で溶出試験の結果、判定基準を超えなかったもの。タールピッチ(紙くず、木屑、繊維くず・PCBが塗布されていないもの)。動植物の残済。動物の糞尿。動物の死体、他安定5品目。
構造と外部浸出対策――地下水汚染を防止するために、穴の底、側面、全面に1.5ミリくらいのゴムシート、樹脂シートを敷き、浸出水や雨水は処理施設で処理したあとに放流するように義務付けられている。
【遮断型処分場】
入れても良い許可品目――燃え殻、汚泥、鉱滓、煤塵中に含まれる有害物質が溶出試験の結果判定基準を超えたもの。
構造と外部浸出対策――水をさえぎり、地下水への汚染を防ぐ構造を持っている処分場、底と側面を厚さ10センチ以上のコンクリートで囲い屋根を付けること。
つまり、中和生成物による汚泥は「管理型処分場」に入れなければならないことが条件なのである。私は品木ダムに造られた処分場を見て、この処分場が管理型処分場として許可されたということを聞いていたので非常に不思議に思った。
繰り返しになるが、管理型処分場は廃棄物処理法によれば、樹脂のシートがサイドと底に敷かれ、排水処理施設が付いていなければならない。雨水などが浸透して、外部に漏れ出せば、内部の汚染水が地域を汚す。だから管理型処分場では環境基準以内に水質を浄化してからでなければ浸透水を外部には出さないようにしているのだ。ところがA・B・Cそれぞれの処分場ともに樹脂シートも排水処理施設もどこにも見当たらない。
「何だこれは? 完全に廃棄物処理法違反ではないか!」
私は単純きわまるこの法律違反が群馬県という行政の許可によって堂々と行なわれていることに驚いた。いや、驚いたというのは当たらないかもしれない。
じつは驚いてはいないのだ。あまりにぬけぬけと法律違反が行なわれていることに「やはりなあ!」と、いたって簡単に予感が当たったことのほうにびっくりしていた。
(3) 管理型と偽称――水質管理所職員の動揺
私は、品木ダムの湖畔で処分場を見た翌日、品木ダムの水質を管理している草津町の国土交通省関東地方整備局品木ダム水質管理所に訪問した。
「1年間にダムに溜まる中和生成物の堆積量は5万立米くらいです」
管理所の担当者は説明した。
「品木ダムができたので、下流に県営湯川発電所、県営広池(★ひろいけ)発電所もできました。また、強酸性の水が流れることがなくなり、魚が棲めない死の川だった吾妻川が蘇った。発電機器の金属が腐食することもなくなった。橋脚の金属も腐食がなくなったし、護岸整備の石積みが流れることもなくなった。農業にもよい影響が出るようになりました」
担当者はパンフレットのとおりに都合のよい宣伝だけを私に話していた。私は職員に聞いた。
「中和生成物は、セメントで固化されたといいますが、粒子の状態では、雨などで流出したり、溶出して危険ではないのでしょうかね? よほど溶出対策がしっかりした処分場でなければねえ。どういう処分場に捨てるのですか?」
「処分場の形ですが、A・B・Cと三つある処分場はどれも安定型処分場ですが、管理型ということで群馬県から許可をもらっています。遮水シート、浄化施設などはありません。処分場の許可は管理型処分場として許可されていますが、遮水シートも浄水処理施設もありません。じつは安定型処分場です」
担当者はいたってあけすけに語っている。自分が「廃棄物処理法違反」という犯罪事実を語っているという認識はまったくない。
安定型処分場というのはただ地面に穴を掘って埋め、うずたかく積み上げるだけである。プラスチックなど、化学変化を起こさない安定した七品目を埋める。安定型品目であれば地下汚染もないから、側面・底面の樹脂シートも排水処理施設も不要だというのだ。
しかし百歩譲ってたとえそれが安定型品目であっても、実際には非常に問題が多いのである。地熱などで化学変化を起こし、火災、有害ガスなどが発生した事例も多く、裁判沙汰になっている。だから安定型処分場というのは、そこらの林などに不良業者が行なう不法投棄と何の違いもない。品木ダム湖の処分場も、化学物質混じりの危険な汚泥を埋めるのに、不法投棄同然の、対策皆無の危険な埋立てを行なっているのだ。
まったく理由がわからないのだが、この不法投棄を群馬県が認め許可している。言ってみれば公営不法投棄である。しかも形態は安定型処分場なのに、樹脂シートと排水処理施設が必要な管理型処分場として許可している。いたって無邪気に担当者は答えた。私は、あっさり答える職員にあっけに取られた。
「わからん話だね。汚泥を安定型処分場で処理している? 廃棄物処理法違反ですね? ましてや高濃度ヒ素まで検出されているのに?」
「うちの中和事業ではこういうことを説明して管理型処分場の許可を群馬県から得ていますので、それ以上はお答えできないんですけど」
「処分場の実態は安定型処分場なんだが、実際には汚泥を処理しているから管理型という許可条件であると? チンプンカンプンだ。それは国民に対する二重三重の詐欺行為だね」
「騙しているという気持ちではありません。実際の水の処理をどうしているかと言いますと、処分場の一番下の湖面と接している部分の土留めの擁壁にヒューム管を通して、そこから出てくる処分場の水の検査をしています」
「その検査結果はどうだったんですか?」
担当者は黙って答えなかった。その検査も年に二回だという。年に二回? そんなことで国民の安全を守れるとでも思っているのだろうか。私はあきれ返った。
こういう理解不能な説明が群馬県でもつづいた。
(4) 群馬県「特に意見なし」――環境森林局の言い訳
私は、その足で前橋市の群馬県庁環境森林局廃棄物政策課を訪れた。
「品木ダムの浚渫物はフィルターにかけて処分場に捨てているということですが、許可条件は安定型処分場ですか? 管理型処分場ですか?」
「許可条件は管理型です」
「あの処分場は、実態は遮水シートも浄化設備もまったくない安定型ですが、管理型として許可されたとすれば、許可条件とはまったく違う処分場ができたのですか?」
「あの処分場に入っている廃棄物は、自然由来のものを中和して処分場に持っていっている。だから安定型でも差し支えない。構造は安定型です」
「実際の構造は安定型なのに、許可条件は管理型というのはわかりませんね。管理型というのは形式だけの問題ではない。処分場の許認可といえば形式だけの話ではない。国民の安全に責任を持つという具体的な話でしょう。国民を詭弁でごまかしている。管理型処分場は、遮水シートがあり、導水パイプと水質浄化施設がある。このようにしてさえも樹脂シートが破れ漏水は免れないんです。しかし、このようないい加減な安全対策さえもごまかしてやらないというのがあなた方の許可だ。これは社会の安全を無視した犯罪ですよ。許可条件と違う処分場を造れば廃棄物処理法違反だ。しかしこれは、法律違反かどうかもさることながら、国民の安全を群馬県も国交省もどのように考えているか、あるいはまったく考えていないのかという問題です」
「たしかに汚泥を安定型で処理するのは不可能です。しかし、この場合なぜ安定型でよいのかと言えば、湖に流れこむものが自然由来だからですよ。自然物を搬入しているんだから……」
「あなた、自分の言っていることがわかっているんですか? 汚泥を安定型で処理することが不可能だとあなたはおっしゃった。それなら汚泥を安定型で許可することができるはずがないでしょう?」
私はもう一歩踏み込んだ。
「第一、自然由来というのは無理ですよ。中和工場で石灰原石→焼成→生石灰→水和→消石灰という幾段にもわたる工程を踏んで加工された中和生成物ですよ。これが自然由来の物であるはずがない。中和生成物に含まれるヒ素もまた自然物ではない。ともあれ、管理型処分場として許可されたものなのに、安定型処分場を造って処理するのはひどい話だ。強引すぎる。何か特別にそのような解釈ができる特別免除条項でもあるんですか?」
担当者は黙りこんでしまった。黙りこむのが当たり前だ。私は群馬県の措置を詭弁だ、と言ったが、詭弁どころか、嘘なのである。これが嘘であることをのちに証拠で示そう。
こういう無茶な許可をするということは群馬県が「国民の安全」などということを考えたことがなかったことを証明している。それよりもダムを強行するための仕組みとして酸性水対策だけを考えてきた。だから有害物質対策、ヒ素対策などは考えもしなかったのだろう。驚くべきことにこの危険な処分場設置について群馬県の関連各課長は、その設置の許可審議の過程で、意見を問われて、ほとんどが「意見なし」と答えている。
以下は、1992(平成4)年に出されたB処分場に対する「産業廃棄物処理施設等事前協議書審査結果」である。関連課長らから次のような回答が出されている。
〈河川課長〉
特に意見なし。(平成4年2月29日)
〈砂防課長〉
特に意見なし。(平成4年3月5日)
〈用地課長〉
開発区域内に建設省所轄の法定外公共物が存在する場合は、その処理について、草津町、中之条土木事務所、用地課と協議してください。(平成4年)
〈商工労働観光課長〉
特に意見なし。(平成4年3月6日)
〈文化財保護課長〉
工事中に、万一、埋蔵文化財を発見した場合には、速やかに工事を中止し、六合村教育委員会へ届け出て、その指示に従うこと。
工事中に、県及び六合村教育委員会の職員が立入り調査を実施することもあるので、その時は協力すること。(平成4年3月2日)
〈治山課長〉
地域森林計画民有林を伐採する場合には森林法第10条の届け出が必要となりますので、吾妻林業事務所と協議してください。(平成4年3月2日)
私は、なんだか壊れたロボットを相手にしているような気分になってきた。これじゃあ国民や県民の安全どころの話ではない。
(5) 官僚ならではの解釈
なぜ、こんな無審査としか言いようがない「審査」が行なわれたのだろうか? のちに大学の研究者によってヒ素まで検出されている処分場の認可が、すべて「意見なし」だ。国民に税金を払ってもらい、安全を守るために働いてもらっているはずなのに、「知ったことではない」とばかりに審査しないで許可。これでは国民はたまったものではない。
以下、群馬県の処分場許認可の経過説明だが、わかりにくいので読者は後ページまで飛ばして読んでいただいてもかまわない。県の説明は詭弁をこねくり回し、しかもでたらめときているのだから読めという方が無理かもしれない。しかしあえて記録だけはしておこう。
まず、1988(昭和63)年5月17日、品木ダム水質管理所長から最終処分場にかかわる実施計画書が出され、環境衛生課長から浚渫物について法的な取り扱い諮問があり、各課長に意見が求められた。それによれば取り扱い諮問は、
一、(浚渫物は)廃棄物処理法上の産業廃棄物である。
二、水処理不要物(一般廃棄物の最終処分および産業廃棄物の最終処分場にかかわる技術上の基準を定める法令第一条第一項五号本文但し書きに規定する廃棄物)と認める。
としており、「安定型最終処分場での埋め立てとなる」とした。
ヒ素混じり汚泥である中和生成物が排水処理・浄化処理が不必要だというむちゃくちゃな解釈には恐れ入るほかはない。それならどんな毒物汚泥でも不法投棄同然の放置でよいという結論になる。ところが、この無茶な解釈から「安定型処分場で処理してよい」という結論が導き出された。
単純に「汚泥は管理型で」という廃棄物処理法からいっても無茶苦茶な話である。
群馬県は、次のような解釈を付け加えている。
「港湾河川の浚渫に伴って生じる土砂その他これに類するもの」は、廃棄物処理法の対象とならないものであるとする解釈がある。
本件浚渫物は場所的には上記に該当するが、厚生省(現・厚労省)は「人為が加わったものについては、土砂その他これに類するものには当たらない」としている。
分析結果を見ると、含有、溶出ともに環境汚染の問題はないと考えられ、産業廃棄物であるとしても、「土砂その他これに類するもの」に準じた取り扱いが妥当と考えられる。
周辺環境(国有林、水はダム上流部に位置)から埋め立て物による環境上の問題はないものと考えられる。
まず、で、解釈のねじ曲げがはじまる。
品木ダム湖で浚渫した結果生じる中和生成物と、一般的な港湾河川の浚渫で生じる土砂とは一緒にならない。
品木ダム湖で生じる中和生成物は万代鉱から排出された酸性水と、石灰工場で石灰原石→焼成→生石灰→水和→消石灰という幾段にもわたる工程を踏んで加工された中和生成物である。
ヒ素混じりの中和生成物は、手を加えられていない港湾の土砂とはまったく違う。
まったく違うものを同じものだとこじつけて解釈を加えるところに、ダムを推進するための群馬県の並々ならぬ「工夫」があるが、このこじつけはみじめなものである。まったく違うものを「同じだ」と無理やり珍解釈をでっちあげて正当化している。解釈で法を曲げることが正当化されるなら、法律はいらない。すでに述べたが、風船に無限に空気を送りこめば破裂する。便秘している人間が無限に食いものを腹に詰めこめば腹がパンクする。これと同じことで、行き場を失ったヒ素混じりの汚泥の山は崩壊する運命にある。
ではこの解釈を自分でひっくり返すようなことを言っている。
人為が加わったもの、つまり中和生成物は港湾で浚渫された土砂とは違う。
だからどうなんだ? なんで自分が言ったことを逆転させるようなことを言うのか? 要するに、この文章は、何を言っているのかチンプンカンプンだ。言っている本人たちにも自分が言っていることがわからないだろう。
になると、ますます奇怪至極な話になる。県は中和生成物を分析したらしい。その結果か、「環境汚染の問題はないと考えられた」としている。本当に環境の視点で分析したら、当然ヒ素その他の有害物質が発見されているはずである。それなのに「環境汚染の問題はない」としてしまった。
これはなぜだろう? これは国民に説明する必要がある。さらに混迷を深めるのは、環境汚染の問題はないから、「産業廃棄物であるにしても、『土砂その他これに準じた取り扱い』が妥当だ」という完全にテレンパランなことを述べていることである。お役人さんはふつうの感覚、常識、言葉が通じない生き物なのか? こんなことなら群馬のお役人さんは詭弁学会でもつくって詭弁コンテストでもやったらどうか? 優勝間違いなしだ。
ダム推進のためには、国民の安全などはどうでもよいのだろう。そういう解釈に基づいて、でたらめを並べ煙幕を張り、国民を欺いている。
そして、こういう詭弁に対して、課長さんたちは「意見はございません」と答申したのだ。
(6) 「酸性水は人工物」――横田元副知事の動かぬ証言
「自然由来である」という群馬県の話を私は「嘘だ」と断定する。私は自分が嘘だと断定した責任上、証拠を示す。証拠は群馬県の最高幹部の証言である。
横田博忠という人物は、1978(昭和53)年9月に群馬県の副知事になり、四年間副知事の職にあって1982(昭和57)年に退職した。彼は八ッ場ダムの実現のために、1957(昭和32)年から白根山系から流出する酸性水の調査団の係長であり中心人物であった。
彼は自分の群馬県での業績を記録した『野帳』という分厚い著作を上毛新聞社出版局から1987年に出版している。その中で「吾妻川水質改善の思い出」という章に次のように書いている。そこに「酸性水は天然由来だ」と強弁する群馬県の主張が半分嘘だという証拠が描かれているのだ。
(「毒水即ち水質改善を要する河川水はどこが源か」という問いに対して)白根山を水源とする大沢川、谷沢川などの中に鉱山、精錬所などから排出される酸性水が混じり合っており、また万座温泉、草津温泉からの排出水もあり、天然と人工の両酸性水といえよう
品木中和システムを造るための調査団の中心人物であり、群馬県の副知事であった人物の証言である。彼が「酸性水は天然と人工の両酸性水だ」と証言しているのだ。
群馬県の担当者は私に「酸性水は自然由来だ」と言った。その主張は酸性水は自然由来であり、人工ではないのだから、安定型処分場に入れてもよいのだ、という主張である。しかし、自然由来ではない人工物が入っていれば管理型処分場での処分でなければならない。ほかならぬ自分たちの最高幹部が、「完全な自然由来」を否定しているのだ。群馬県の「自然由来説」を最高幹部が否定した。群馬県が県民の安全を無視し、八ッ場ダム推進を至上目的として、いかにでたらめな許可をしているかを横田証言が証明したのである。
人工の酸性水を含んだ中和生成物の汚泥は、管理型処分場でしか処分できない。
これを安定型処分場で不法投棄と同然のごみ捨てをしている事実は動かしがたい。
このB処分場については三陽測量が地質測量を行なった。
この地質調査によれば「所見=調査地は、基盤岩の溶結凝灰岩の上を嬬恋軽石層およびローム層が30~50メートルの厚さで覆っている。溶結凝灰岩は、一般に多孔であるために透水性が高く、風化が進み砂状化・粘土化するので、このことを考慮して設計する必要がある」と書かれていている。つまり三陽測量の指摘は「透水性の高い地質」「これらを防ぐ設計上の考慮が必要である」ということだ。
国交省はこの指摘を完全に無視し、「透水性の高い地質の箇所を選んで、樹脂シートもつけず、浄水施設もつけない処分場を建設」した。おまけに「地質から考えて設計上の考慮」をしなければならないのに、ことさらに逆のこと=管理型を偽称する安定型処分場の建設を行なった。つまりヒ素を大量に含む汚泥が透水性の高い地質を浸透し、地下水を汚染していることは間違いがない。
あらためて言う。
これは、国民県民の安全をはかるべき官僚自らが、国民県民の安全を無視し、欺いた犯罪行為なのである。
3 東電を抱きこむ擬似中和システム
(1) 中和化できない中和システム
当然のことに、こういう群馬県の嘘で固めた認可によって造られた処分場を含む中和システムは、吾妻川を中和していない。横田は、すべての酸性河川を中和しなかったと証言し、その理由を『野帳』(前出)でこう述べている。
すべての酸性水を中和すればよいのは山々であるが、下流の利水地点(発電用水の取水口、かんがい用水の取入口、河川工作物の設置個所等々)においてpH4~4.5になるようにすることにして、酸性水の占める割合の最も大きい湯川水系の3河川を対象とした。残余の河川については経済的理由などにより手をつけなかった。
これは担当者による正直な告白証言である。
全部の酸性河川を中和しなければ吾妻川の中性化はできない、と横田は言っているのである。だが、お金の都合で白砂川の支流である湯川、大沢川、谷沢川だけの酸性対策をした、というのである。
これを言い換えると「吾妻川の中性化のためにはすべての支流の酸性河川の中和化をしなければ吾妻川を死の川から蘇らせることはできない」「しかしそんなことをするお金がないから、吾妻川の中和化はあきらめた」ということである。八ッ場ダム、中和システムの国民への安全は、お金の都合で無視されたのである。
横田は「湯川、谷沢川、大沢川を中性化すれば発電用取水口、かんがい用水取入口、河川工作物の設置個所が弱酸性化するようにすれば、吾妻川の達成する」ような書き方をしているが、国交省の最近の調査でさえも、吾妻川水系の河川は次のような酸性度を示している。
河川名 pH 測定年月日
万座川 2.5 平成20年2月6日
今井川 4.5
赤 川 5.5
遅沢川 2.63
白砂川 6.2 平成20年3月5日
大沢川 2.9 平成19年12月19日
谷沢川 3.4 平成20年3月12日
湯 川 2.1 平成20年3月12日
中和されているのは、中和工場の下流の湯川、品木ダム湖、品木ダム湖下流の湯川、白砂川までである。その他の河川は酸性のままである。このように品木の中和システムは酸性水対策として、ほとんど役に立っていないのである。
では、現在多くの人々が八ッ場ダムサイトで見る吾妻川の橋梁や鉄道工事、道路工事、砂防ダムなどの工事が鉄やコンクリートを多用しながら進行している事実をどう考えたらよいのだろうか?
中和工場が役に立っていないのなら、現在ダム周辺工事として幾多の橋梁や道路、鉄道などが建設されている事実をどう解釈したらよいのか?
吾妻川に鉄とコンクリートを使って建設をしたら、鉄は溶け、コンクリートは腐食し、構築物は崩壊してしまうではないか?
(2) 無傷な構築物のカラクリ――電力会社のおかげ!?
そういう疑問は当然であろう。じつは、周辺工事の鉄橋や擁壁など河川構築物が崩壊しないカラクリがある。吾妻川周辺の住民を数十年にわたって騙しつづけた虚構を読者のみなさんにお見せしなければならない。
現状の吾妻川の水は東電の発電のために多くを取られている。東電に取水されていない段階では吾妻川には53立米/毎秒(日量にすると457万9200トン、月量約1億4000万トン)の水量が流れていた。しかし、東電は吾妻川に10カ所の水力発電所を持っている。
上流から、西窪(★さいくぼ)、今井、羽根尾(★はねお)、大津、川中、松谷、原町、箱島、金井、渋川の各発電所である。その取水量は23立米/毎秒(日量にすると198万7200トン、月量約5961万トン)である。現在、八ッ場ダム建設予定地付近の吾妻川が岩石だらけの涸れ川になっているのは当然である。25万トンの超巨大タンカーが日に8隻、月にして240隻ずつ、毎日吾妻川に殺到して吾妻川から水を採取している勘定になる。吾妻川からじつに43.4パーセントもの水が東電に取水されているのである。
(3) 戻される酸性水――漁業関係者の心配事
草津の中和システムとは吾妻川の支流さえも東電の導水管がなければ中和できないほとんど無用な代物なのである。では草津の観光スポットと化した中和工場で観光客は何を見せられているのだろうか?
この酸性水はすでに触れたように、東電が導水管で取水して吾妻川には酸性水を流していないのだから、かろうじて吾妻川本流は中性を保っているのである。この実態を誰よりも知っているのは地元漁協や釣り人である。
1994(平成6)年5月18日の上毛新聞は東電に水を取られすぎて河川が枯渇しているという住民の声に応えて、東電が1994年5月19日から河川に魚が棲める程度の水を戻すという措置を取る、ということを報道した。
同紙はその措置に対する地元漁協関係者の声を伝えている。
漁協関係者は言う。「吾妻川に酸性でない良い水を流してくれるならおおいに歓迎するが、上流の西窪、今井あたりは特に酸性が強いから不安が大きい」「吾妻川の酸による独特の黄色い石のはじまりは嬬恋村の万座川合流地点から下流なのです。万座川をはじめとして他の酸性河川にも中和工場を造らなければ本当には改善されない」と。
同紙はつづける。
当時、下流の漁協は「水が足りない川を水が潤沢な川にするために東電の水を吾妻川に戻す、という措置をとれば吾妻川に酸性水が戻るから魚が死ぬ」と危惧していた。「八ッ場ダムができたらダム湖に魚が死ぬような酸性水が溜まって、さらに水質が悪化し、高くなる水を飲まされる。こういうことを下流の人たちにぜひ知っておいてもらいたい」と。
この漁民の訴えこそが中和工場の真実を衝くものであろう。
(4) 「死の川」への逆戻り――ダム建設後の未来像
「その酸性水を東電が水道管に入れているのならば、東電の導水管を腐食させるのではないか?」
そういう疑問が読者には浮かぶだろう。私もそのような質問をかなり受けた。その答えはこうだ。
導水管のトンネル内部はコンクリートの打ちっぱなしではない。エポタールというエポキシ樹脂でトンネル内が塗装されている。鉄管も同じだ。発電所のタービン水車はステンレスである。だからこそ東電発電所の導水管も酸性水に耐えているのだ。
東電は吾妻川の発電所を結ぶ導水管の概念図を作成し、その中で次のように書いている。
強酸性河川の、万座川、遅沢川、並びに酸性河川の今井川、赤川、白砂川の水は東京電力の水力発電所で取水し、吾妻川には殆ど放流しないで東京電力水路と一部県営発電所水路を経由して群馬県庁まで流下させています。(ただし、発電所の点検補修作業などの際に吾妻川へ放流することもあります。)
このため吾妻川は、長野原町の一部区間を除いて中性水になっています。
この文章は、裏読みすれば「吾妻川の水質を中性化しているのは、ほとんど東電の導水管のおかげだ」と読むことができる。しかし、八ッ場ダムができてダム湖に水を溜めるためには、東電の導水管に大量に採取していた酸性水を吾妻川に放流しなければならない。すると導水管の酸性水が放流され、吾妻川は酸性水による死の川になる。当然、鉄は溶け、コンクリートは腐食する。
酸性水によってダム堤体のコンクリートも鉄も腐食し、八ッ場ダムは崩壊に向けてやむことのない死の行進をはじめるのである。首都圏は1784(天明3)年の浅間山の大爆発以来の大きな危険にさらされ、八ッ場ダムの恐怖におびえつつ生きていくことになる。
以上、私が描いた吾妻川が死の川に逆戻りするという予測は、まだ起きていない未来の、傍証による予測だから推測の域を出ていない。しかし、私の予測が間違っていないことを立証する証拠がある。それは、2005(平成17)年11月11日の阪東(★ばんどう)漁協(渋川市)、吾妻漁協(中之条町)による東電に対する漁業補償事件である。
(5) 実証された「死の川」――東電漁業補償事件
2005年11月12日の朝日新聞の記事。
吾妻川で今年、アユが不漁だったのは東京電力群馬支店による工事が原因だとして、地元漁協などが、支店に調査を申し入れていた問題で、支店は11日、阪東漁協(渋川市)に対して具体的な補償額を提示した。吾妻漁協(中之条町)にもすでに金額を提示しており、合わせて600~700万円程度になるものとみられる。支店は「工事との因果関係ははっきりしないが、地元との信頼関係を重視した」と話している。不漁の原因とみられているのは、吾妻・東村の「箱島発電所」の工事。昨年(2004年)9月から2005年7月にかけて発電機を交換した。工事中は導水管の中を流れている水を止めなければ工事ができない。そこで通常は導水管の中を流れている酸性度の高い水が、工事期間そのまま下流に流された。その結果、アユが大量に死んだ。これは東電のせいだと両漁協が補償を東電に求めた。この根拠を求めるために両漁協は県水産試験場に調査を依頼し、2005年10月までに中間報告が出そろった。
東電群馬支店によると、「川の酸性度が高くなり、これに伴って餌となる藻の付着や、アユの生育状況が悪かった」という内容だという。東電群馬支店ではこの報告を受けて、「工事と不漁との明確な因果関係はわからないが、可能性はあると判断した」という。東電も東電箱島発電所の工事の際の導水管からの放流と不漁の可能性を認めている。
以上、朝日新聞の記事などを含めて東電の導水管が果たしている役割を私なりにまとめてみると、
吾妻川の酸性度が低い状態になっているのは、東電が酸性水を取水し、導水管に流して利根川までバイパス的に送っているからであり、国交省が言うような中和工場や品木ダムなど、中和システムによる中性化が効果を発揮しているからではない。東電が箱島発電所の工事を行なった際、導水管の水を吾妻川に放水した結果、吾妻川に酸性水が流れこみアユが死んだことはそのことを立証している。中和工場が中和の役割を果たしているなら、東電の導水管から酸性水が放流されたことなど関係ないはずである。
この事実は八ッ場ダムが完成し、東電が吾妻川の水を返還したとたんに吾妻川は死の川に逆戻りすることを意味している。
(6) 八ッ場ダム完成と崩壊――酸性水で溶けるコンクリート
私は、これらの事実を証明する証拠である群馬県水産試験場の調査報告書を、前橋市敷島公園の付近の現地まで行き入手した。
阪東漁協と吾妻漁協からの、「吾妻川の東電発電所群の工事によって導水管から排出された酸性度の高い水によってアユが死に、その期間魚が釣れず損害を被った件について、アユの不漁は東電工事による酸性水の排出が原因かどうか」という調査の依頼に対する水産試験場の報告書である。
調査は主に小野上温泉センター(JR吾妻線小野上温泉駅南口付近、吾妻川沿岸)、名久田川(★なくたがわ)合流点(JR吾妻線中之条駅東500メートル、吾妻川右岸の名久田川との合流点)、原町運動公園など3カ所を中心に採取した水で行なわれた。
調査地点から採取した東電導水管からの放流水と、ふつうの井戸水から採取した水に、水産試験場で飼育していたアユをそれぞれ10尾ずつ入れて生存への影響を調べるという試験である。
原町運動公園前の吾妻川から採水した東電導水管から放流された水で試験した結果、アユは48時間後には10尾が全部死亡した。井戸水に入れたアユはまったく死亡しなかった。
調査結果は、pHと濁度(★だくど)が魚の生存に重大な影響を与えており、東電導水管の中の酸性水は魚にとって死の水であるという結論となった。
吾妻漁協の調査地点の結果も同じである。
この調査結果を受けて東電は阪東漁協、吾妻漁協に対する補償を行なったのである。
八ッ場ダムができた場合、東電が水利権を返して導水管の水を吾妻川に戻したら、アユが死ぬという程度の話では収まらない。酸性水によってダムの鉄は溶け、コンクリートが腐食するのだ。そして「ダムは崩壊する」という危険をこの調査結果は物語っている。
以上をまとめてみると、このまま八ッ場ダム建設を推進するならば、品木ダムが崩壊し、八ッ場ダムも崩壊し、ヒ素洪水が発生し、吾妻郡、関東地方に取り返しのつかない被害を及ぼす、ということである。
国は八ッ場ダム建設の最大の狙いを、「首都圏の水不足解消」「渇水の危機対応」「洪水対策」などと言っているが、「首都圏に水不足はない」し「渇水の危機もない」。カスリーン台風などという60年前の災害は戦争による山林皆伐時代の出来事で、植林が完成した現代の問題ではまったくないのである。
そして第二章で詳述するが、ダム本体が建設される地盤はとんでもない脆弱地盤と地質である。酸性水と脆弱な地盤、これらの二つの要素が入り混じり、倒壊に至る危険ダム、それが八ッ場ダムなのである。
【この項続く】