田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

屋根裏のラジャー

2024年01月04日 23時18分46秒 | 日記

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屋根裏のラジャー』が「ジブリの先」に到達した理由。ポノックによる「新しいアニメ表現」への意欲作 - All About ニュース

アニメ映画『屋根裏のラジャー』スタジオポノック長編、想像から生まれた“誰にも見えない”少年の冒険 - ファッションプレス

彼の名はラジャー。
世界の誰にも、その姿は見えない。
なぜなら、ラジャーは愛をなくした少女の
想像の友だち《イマジナリ》。

しかし、イマジナリには運命があった。
人間に忘れられると、消えていく。
失意のラジャーがたどり着いたのは、
かつて人間に忘れさられた想像たちが
身を寄せ合って暮らす《イマジナリの町》だった

残されたのは無力な自分と、ひとりの少女の記憶だけ。
「屋根裏の誓い」の真実が明らかになる時、
ラジャーは、大切な人と家族の未来を懸けた
最期の冒険へと旅立っていく。

世界は残酷で愛に溢れている。

勝つのは想像か、それとも現実か。
ラジャーと仲間たちの「誰にも見えない戦い」が今、始まる。(「屋根裏のラジャー」公式ウェブサイトより)

 

 

<2023年12月24日 劇場鑑賞>  

 イマジナリを持てる子って、楽しそう。幸せそう。”想像上の友達”がいる子供って、欧米の映画でよく見るように思うんだけど、向こうの国ではそんな割合でみんなイマジナリを持っているのかな。日本ではそんなに聞かないように思うんだけど。少なくとも、私はいなかったな。私の周りでも、そんな友人の話をしている子っていなかったし。言わないだけかもしれないけれど。でも、この映画を見た後で、行きつけの美容院のスタッフさんたちとか、イマジナリがいたかどうかランダムに聞いてみたんだけど、みんな「いなかった」って(笑)。

 しかし、とにかく今回の映画の主人公の少女アマンダには仲良しのイマジナリ、ラジャーがいます。いつも自分の部屋で起きる冒険は、ラジャーが一緒です。衣装だって乗り物だって思いのまま。とても楽しい日々を過ごしています。でもあるとき、ラジャーをつけ狙う変なおじさんが現れて(若い女性のイマジナリを連れている)、そのおじさんからラジャーと一緒に逃げる過程で、飛び出してしまったアマンダは車にはねられます。彼女の意識がない間、行き場を失ったラジャーは「イマジナリの町」の存在を知ります。そこは、主(ぬし)に忘れられてしまったかつてのイマジナリたちが暮らす世界でした。それなりに平和で楽しそう。私なら安住するかも(笑)。でも、ラジャーは忘れられたくない!それにアマンダのことも心配です。現実とイマジナリの町をイマジナリの仲間たちと行き来しながら、変なおじさんと対峙します。じつはおじさん、イマジナリを食べて生き永らえていたのですね。現実世界の病室で対峙している彼ら。そこにアマンダの母親登場。でも、彼女にはアマンダしか見えないので、単に娘が苦しんでいるのだと思っています。

 アマンダは、じつは早くに父親を亡くしています。それは母親だって同じです。お金のため、仕事探しに苦労する場面も描写されます。でも、ラジャーの存在を信じてくれない母親にアマンダが「パパなら。パパならわかってくれた!」と言って泣き叫ぶシーンがあります。とても切なかった。本当にパパがそんな人だったのかどうかはわかりません。でも、死んだ者は美化され理想化されます。対して、現実に生活をしてゆかなければならないものは、わからずやとして責められる一方です。これが現実ですね。

 また、ラジャーと一緒に逃げ惑って車に轢かれてしまうシーン。本人はイマジナリが見えてるから必死だろうけれど、いきなり飛び出されて轢いてしまうことになった車って、災難だなと思いました。こんなこと、現実にあるのかな?突然飛び出す子供には、イマジナリが見えている?!

 現実的なことばかり言ってすみません。夢のない子供だったのです、私。貧乏でしたし、母はいつも怒ってましたから。だからこそ現実逃避できればよかったのだろうけれど、そんな才能すら持ち合わせなかったのです。本当は心温まる美しいはずの話、冷めててすみません。

 

コメント
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