かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

紳士協定(Gentleman's agreement)

2011-09-07 04:18:24 | 映画:外国映画
 監督:エリア・カザン 脚本:モス・ハート 出演者:グレゴリー・ペック ドロシー・マクガイア ジョン・ガーフィールド 1947年米

 「紳士協定」とは、公式手続きや規約に基づかなくとも、暗黙の了解として行われる約束事項である。紳士だから、いちいちその内容を言わなくてもみんなわかっているよね、といった意味を含めて使われる。
 この映画では、紳士協定とは、大衆に根付いた差別意識を皮肉表現としてタイトルとしている。古くから続く因習や差別は、どこの国でも存在し、自分ではそう思っていなくとも無意識にそれに追従している場合が多い。
 人々の無意識の差別を問いかける。

 アメリカは多民族国家ゆえに自由主義を標榜していても、白人による黒人の差別やユダヤ人への排他的感情がごく最近まで根強くあった。
 この映画「紳士協定」は、アメリカ社会でのユダヤ人への差別・排他感情を、一人の男の行動を通してあぶり出した物語である。
 主人公のグレゴリー・ペックは、アメリカの良心を描いた映画では、この人をおいてないような男優である。「アラバマ物語」(1962年)は、黒人差別を扱った物語で、この映画で彼はアカデミー主演男優賞を受賞している。
 しかし、グレゴリー・ペックといってピンとこない人でも、あのオードリー・ヘプバーンを世界的なスターにした「ローマの休日」の相手役の新聞記者と言えば、すぐ顔を思い浮かべる人も多いだろう。
 ほかに、ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」(共演、エヴァ・ガードナー)やメルヴィルの「白鯨」など、文芸作品も多い。

 *

 妻に先立たれ、幼い息子と母とカリフォルニアに住むライターのフィル・グリーン(グレゴリー・ペック)は、週刊誌の編集長から新連載を依頼され、ニューヨークに引っ越してくる。
 新連載の内容は「反ユダヤ主義」。今までさんざん取り扱われた記事だが、今までにはない斬新な記事を頼まれる。その発案者は、編集長の姪のキャシー(ドロシー・マクガイア)だった。
 フィルとキャシーは、すぐに意気投合して恋仲になる。
 新しい切り口を考え苦悩していたフィル・グリーンは、自分がユダヤ人になりきることを思いつく。次の日、会社の幹部による昼食会で、自分はユダヤ人でグリーンバーグだと名乗ると、噂は瞬く間に広がり、編集部の秘書をはじめ周囲の彼に対する目や反応が一変する。

 ユダヤ人の姓でよく知られるものに、次のようなものがあげられている(「人名の世界地図」)。
 フリードマンFriedman(平和の人)、グリーンバーグGreenberg(緑の山の人)、グリーンフィールドGreenfield(緑の野原の人)、ホフマンHofmann(宮廷人)、ロスRoth(赤)、ロスチャイルドRothchild(赤い盾)、ルービンシュテインRubinstein(紅玉石)など。
 これらの名前であれば、西洋ではすぐにユダヤ人だとわかる。姓にスターン sternやステインsteinをつけることが多いとある。
 ユダヤ人の姓の由来には、このような話もあげてある。
 16世紀以降、姓を持つことを禁じられていたユダヤ人に、ドイツでは話のわかる領主がユダヤ人に姓を売るようになった。それでもすぐにユダヤ人だとわかるように、その名を植物名と金属名に限った。例えば、ローゼンタールRosental(薔薇の谷)、リリエンタールLiliental(百合の谷)、ゴールドシュタインGoldstein(金石)などとある。

 フィルがグリーンバーグと名乗ると、すぐにユダヤ人だとわかるのである。
 たちまち彼に対する周囲の人々の対応が微妙に変わる。子供はいじめにあい、ユダヤ人だと知ったホテルでは体よく理由をつけて宿泊を拒否される。
 フィルは、周囲の無意識に蔓延している差別意識に怒りが込み上げてくる。
 フィルと婚約したキャシーは、食事の席でユダヤ人に対する悪いジョークに腹が立ったが、結局黙っていた。その話を聞いたフィルは、差別には反対といいながら、実際には何もしないそういう態度こそ、善人ぶった偽善者だとキャシーを責め、2人は別れを決意する。

 フィルは、自分の体験をもとに「8週間のユダヤ人」と題した連載を、ついに雑誌に発表開始する。
 本当は、ユダヤ人ではなかったと知った編集部の秘書は驚いた顔で彼を見た。彼は言い放つ。
 「よく見ろ。昨日とどこが変わったか。何を驚いている。好き好んでユダヤ人になるなんてどうかしていると? それこそが差別だ。キリスト教徒の方がいいと思っている。昨日、ある人に言われた“それが現実だ”と。私をよく見ろ。目も鼻もスーツも同じ。触ってみろ、同じ体だ」

 差別は、各々の心の中にある。
 この映画で、差別はその人になりきらないとわからない。自分は差別主義者ではないと言い張っていても、何もしないで黙認しているとそれを助長させているにすぎないと、主張する。
 差別は、どこの国でもある。自分の国に当てはめてみると、よくわかる。心が痛む過去があろう。
 この作品は第2時世界大戦直後の1947年作で、アカデミー作品賞、監督賞、助演賞(セレスト・ホルム)を受賞したが、なぜか当時日本では公開されず、日本公開は40年後の1987年だった。

 雑誌に発表される息子の原稿を読んだフィルの母は、「うんと長生きしたい」と言う。そして、次のように続ける。
 「どんなふうに世界が変わるのか見届けたい。変わるために今苦しんでいるの。将来、“変革の世紀”と呼ばれるかもしれない。アメリカの世紀でも、原子力の世紀でもなく、“万人の世紀“になるかも。世界中の人が仲良く生きられる時代よ。その始まりを見たいわ」
 確かに、20世紀はあらゆる意味で変革の世紀だったかもしれない。しかし、フィルの母のこの言葉に託したエリア・カザンの夢を、新しい21世紀になって人間は実現していると誰が言えるであろうか?

コメント
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