かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

無頼派の系譜および、「いねむり先生」

2011-09-10 01:41:22 | □ 本/小説:日本
 無頼派とは、文学的には戦後の坂口安吾、太宰治、織田作之助、田中英光、檀一雄などを指すことが多い。
 文学の共通した内容はともかく、その意味する文字面からして遊蕩無頼の私生活を想像させ、それを反映した文学者と受けとりたい。
 遊蕩無頼の私生活には、酒と女とギャンブルがあると言っても、言い過ぎではないだろう。もちろん、そのすべてが揃っている場合は文句のつけようがないが、その一つに特化していてもそれが色濃く反映されている場合は、無頼派と呼べる作家もいる。
 しかし、遊んでいるからといって、それだけでは無頼派とは言い難い。どんなに豪快に遊んでいても、きちんと家庭を守っているのでは、無頼ではない。
 無頼に共通するのは、結婚していても家庭を顧みないということだろう。酒、女、ギャンブルなどの理由により家庭が崩壊していて、小市民的な家庭生活から逸脱した生活を送っている。
 そこには、破滅を避けられないという生き方が根底にあると思う。それゆえ、退廃的生活に身をゆだね、反体制に身も思いも流れゆくアウトローな作家が、無頼派としては浮かび上がってくる。
 かつては、そういう作家が多かったが、最近はまともな(実直なという意味で)生活を送っている作家が多いようだ。男性でも女性でも、自分の家の近くに仕事部屋を借り、会社員のように毎日決まった時間に通勤している作家もいる。
 仕事部屋と称してそこに愛人がいるのであれば、また話は別だが。

 僕は、生き方としての無頼派が好きである。その中に、儚さが見てとれるし、さらに退廃が滲んでいる場合が多い。
 この無頼派の系譜に、その後、吉行淳之介、色川武大を加えていいだろう。
 吉行の場合は、紳士で洒落すぎているかもしれない。しかし、酒、女、ギャンブルの三拍子はそろっている。描くのも、家庭にはない危うい男と女の関係だ。
 洒落た遊蕩的無頼派としては、永井荷風が先輩だろう。彼は老いてなおかつ、独り花街に生きた。
 豪放磊落だが研ぎ澄まされた精緻な文章を書いた開高健は、ベトナム戦争に従軍したりアマゾンで釣りをやったり、行動的で、快楽を求め、好き勝手に生きた。しかし、詩人の牧羊子という奥さんがいて、ちゃんと家庭があり退廃の匂いがしないので、無頼派とは言えないかもしれない。
 長い間電通の社員だったが、藤原伊織には、その匂いがした。彼は、会社員の垢を感じさせなかった。
 白川道は、今風にその道の王道を歩いていたように見えたが、大手出版女性編集者と事実婚して、猫など抱いて静かに納まったようだ。「ぼぎちん」はどこへ行ったのか?
 博奕といえば、森巣博はカジノ(正式にはカシノと彼は言っている)でのプロである。無頼派ではないが、ラスベカスあたりで時々遊んで帰ってくる作家とは違い、オーストラリアのカジノを主戦場に生活費を稼いでいた。その手の面白い本もかなり書いているが、今もカジノに通っているのだろうか?
 
 女性では、話題が先行した鈴木いづみや、漫画家の西原理恵子、それにある意味では枠から外れている中村うさぎもそうだろう。
 デビューしたころの山田詠美は、その生き様にも文体にも酩酊させるような刺激に満ち溢れていたが、年齢とともに落ち着いてきたようだ。
 無頼派を通すことは、難しい。

 *

 そして、「いねむり先生」(集英社)の伊集院静。
 「いねむり先生」とは、色川武大である。別の名は阿佐田哲也。
 「麻雀放浪記」の作者にして「雀聖」。
 色川武大に関しては、先のブログ(8月16日)、「色川・阿佐田先生の「うらおもて人生録」」をも覗いてほしい。
 http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/48164b599cb6289c49477175efe6f163

 「いねむり先生」は、主人公の筆者である伊集院静と、いねむり先生こと色川武大の交流の話だ。
 先生は、かつて博奕のプロだった人だ。麻雀からサイコロ賭博、競輪と何でもやる。
 主人公である伊集院は、先生に誘われ、「旅打ち」と称する地方の競輪場回りをする。先生は、伊集院を弟子のような優しさで見つめる。
 もう自分には文は書けないと思っていた伊集院は、先生の優しさと人間的魅力に惹かれ、旅の共をする。それは、自壊しつつあった自分を蘇生させる源となっているのに、彼は後で気づく。
 話の中に、やはり先生の魅力に惹かれたIという音楽家が出てくる。主人公とIは、先生の魅力を語る。そして、主人公が先生と一緒に旅打ちという地方の旅行に行ったことを聞き、Iは、いいなあ、僕も先生と一緒に旅に行きたいなあと、少し嫉妬まじりの言葉を吐くくだりが面白い。
 このIは、井上揚水と思われる。
 色川武大は、幅広い交遊関係を披露した「ばれてもともと」(文芸春秋)で、「揚水さんがうらやましい」と陽水との交流を書いている。
 この本「いねむり先生」では、突然眠りに襲われるという病気を持っている色川武大の、主人公を見つめる優しさと、不思議な人間的魅力が伝わってくる。
 阿佐田哲也こと色川武大は、特異な作家だった。
 そして、博奕打ちだった。

 
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