
1960年代後半、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家を頂点とする青春歌謡が黄昏期に向かうのと交差するように、グループ・サウンズ、GSが台頭する。
ザ・スパイダースやブルー・コメッツなどロカビリーの流れを組むグループが先駆けとしてあったが、1967年2月にザ・タイガースが「僕のマリー」でデビューするや、GSはメルヘンチックな衣装と甘いメロディーをスタイルの原型として、多くのグループが登場し、一気に花開く。そして、振り返ってみれば、そこから数多くの名曲が生まれた。
当時は少女趣味的だと思って距離をおいて聴いていたせいか、僕が持っているレコードは、ザ・タイガースのデビュー盤の「僕のマリー」だけだが、遅れてやって来たロックバンド宇崎竜童とダウン・タウン・ブギウギ・バンドが1976年に出した、GSのヒット曲を収めたオムニバス・アルバム「GS」がある。(写真)
このなかには、ザ・スパイダースやブルー・コメッツの曲のほか、ザ・タイガースの「シーサイド・バウンド」、ザ・テンプターズの「神様お願い」、ザ・ワイルドワンズの「白いサンゴ礁」、オックスの「スワンの涙」など15曲が入っている。
前回のブログ「GS「ザ・タイガース」、彼らはなぜ解散したのか?」の項の最後に、以下の個人的に記憶に残る10曲を挙げた。
○「ブルー・シャトウ」 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ 作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫
○「君だけに愛を」 ザ・タイガース 作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういち
○「花の首飾り」 ザ・タイガース 作詞:菅原房子、なかにし礼、作曲:すぎやまこういち
○「エメラルドの伝説」 ザ・テンプターズ 作詞:なかにし礼、作曲:村井邦彦
○「君に会いたい」 ザ・ジャガーズ 作詞、作曲:清川正一
○「長い髪の少女」 ザ・ゴールデン・カップス 作詞:橋本淳、作曲:鈴木邦彦
○「パラ色の雲」 ヴィレッジ・シンガーズ 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
○「ガール・フレンド」 オックス 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
○「スワンの涙」 オックス 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
○「小さなスナック」 パープル・シャドウズ 作詞:牧ミエコ、作曲:今井久
*
上記の私的GS10作品について、振り返って、思いを付け加えてみた。
○「ブルー・シャトウ」 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ 作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫
* 「青い瞳」「青い渚」に続き、1967年に大ヒットさせたGSの先駆的な曲。橋本淳の異国情緒あふれるファンタジーな詞と日本人好みのマイナーなメロディーは、このあとのGSの基本形を作ったように思う。
「森と泉に囲まれて、静かに眠るブルー・シャトウ…」である。
今でこそシャトーといえばボルドーのワインを思い浮かべるほど馴染みがある語であるが、シャトーはメルヘンの世界だった。それまで城といえば、「古城」(三橋美智也)や「青春の城下町」(梶光夫)などを思い浮かべることができるが、西洋の城(シャトー)が舞台の歌などなかったのではないだろうか。この後70年に大ヒットした小柳ルミ子の「わたしの城下町」も、当然日本の城が背景である。
思えば、その頃、日本の集合住宅の名前がアパートからマンション(豪邸)に、そしてシャトー(城、大邸宅)へとグレードアップしていった時代だ。シャトーを冠に付けたマンションが赤坂や青山に出始めた。
しかし、「ブルー・シャトウ」(Blue Chateau)は、英語とフランス語のミックス語である。フランス語は基本的には形容詞は名詞のあとに来るので、「シャトウ・ブルー」となろう。まあ、造語の国だから意に介さないが。
○「君だけに愛を」 ザ・タイガース 作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういち
* イントロの金属音に似た、弾けるようなエレキの音から一転して、「オー、プリーズ…」とジュリーの甘いささやきが流れる、タイガースらしさが最も発揮された傑作といえる。
○「花の首飾り」 ザ・タイガース 作詞:菅原房子、なかにし礼、作曲:すぎやまこういち
* 加橋かつみ初のボーカルによるヒット作。詞は雑誌「明星」で募集して、当時高校生による当選作をなかにし礼が補作詞した。
しかし、この「花咲く娘たちは、花咲く野辺で…」と歌う詞は、誰が主人公で誰に向かって歌ったのだろうと、この歌を聴くたびに思っていた。甘く美しいメロディーは、のちのアイドルのアグネス・チャンあたりが舌っ足らずで歌ったら似合いそう…。
○「エメラルドの伝説」 ザ・テンプターズ 作詞:なかにし礼、作曲:村井邦彦
* ボーカルのショーケンこと萩原健一をスターにしたヒット曲。
GSの名前は動物が多いが、日本語にすれば、なかには笑ってしまうような滑稽なものもあった。そのなかで最高のネーミングと思っているのが、このテンプターズ(Tempters)、誘惑者(たち)である。
誘惑者による、エメラルドの伝説。これだけで、何やらヴィーナスに捧げられたギリシャ神話のようではないか。少女趣味的だが、なかにし礼の文学的片鱗が漂う詞だ。
萩原健一はのちに役者になって、いい味を出していた。岸恵子と共演した「約束」(監督:斎藤耕一)は、彼の瑞々しい感性が滲んでいた。
○「君に会いたい」 ザ・ジャガーズ 作詞、作曲:清川正一
* 「若さゆえ苦しみ、若さゆえ悩み…」
若かった僕らは、この出だしの文句だけでこの歌に溺れることができた。
○「長い髪の少女」 ザ・ゴールデン・カップス 作詞:橋本淳、作曲:鈴木邦彦
* 横浜から出てきて、メンバーにハーフが多く(当初は全員ハーフと言っていた)、いかにも洋楽ポップスが似合いそうだった。このころ、長い髪の少女がモテた。
○「パラ色の雲」 ヴィレッジ・シンガーズ 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
* グループのボーカルに清水道夫を入れて再デビューして、ヒットさせた曲。ヴィレッジ・シンガーズといえば「亜麻色の髪の乙女」が有名だが、筒美京平最初のヒット曲となった「バラ色の雲と、思い出をだいて…」と歌う、この曲が好きだ。
○「ガール・フレンド」 オックス 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
* GSのなかでは遅いデビューであったが、あっという間に少女たちの人気者になった。ステージを観ている観客のファンのなかから失神者が続出、といわれたグループである。ボーカルは野口ヒデトであったが、失神させたのはもう一人の人気者オルガンの赤松愛だったようだ。
いかにも少女漫画風、宝塚風とはいえ、ボーカルの途中に「マイ・ガール、マイ・ガール」とギター奏者の歌が入る、この曲のメロディーは出色だ。
雑誌社に入り新入社員だった僕は、やはり同期で入った新人カメラマンと一緒に、当時社会現象になっていたGSの写真を撮りに行ったのが、このオックスのステージだった。やはり会場は若い女性でいっぱいで、歌を堪能する雰囲気ではなかった。
のちに、「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜き、1975年、作詞家山口洋子の肩入れで「夢よもういちど」で再デビューした真木ひでとが、オックスの野口ヒデトと知ったときは驚いた。
○「スワンの涙」 オックス 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
* 「ガール・フレンド」のヒットを受け、人気急上昇のオックスのシングル第3作目。
「君の素敵なブラック・コート、二人で歩いた坂道に、こぼれるような鐘の音…」といった涼しげな詞と洒落たメロディーは、のちの筒美京平のアイドル路線を垣間見せている。
○「小さなスナック」 パープル・シャドウズ 作詞:牧ミエコ、作曲:今井久
* スナックが流行りだした頃で、当時住んでいた高田馬場の小さな店でよく飲んだものだ。私小説風な内容と寂しさを漂わせたメロディーは、GSというよりフォークに近いかもしれない。
この歌と、「小さな日記」(フォー・セインツ)は、青春の切なさを甦らせる。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「GS」のなかに、誰が歌ったかもすっかり忘れていたザ・ダイナマイツの「恋はもうたくさん」(作詞:橋本淳、作曲:鈴木邦彦)があった。「トンネル天国」のB面だが、この出だしの歌の文句がいい。
「キザなセリフで、恋におぼれた、お前の好きな、俺のくちびる…」
さらに、「赤いドレスが、涙こぼした、俺のからだに、すがりつく恋…」と続く。
こんなキザなセリフも、GSには似合っていた。いや、そんな時代だったのだ。
ヒッピー、アンダーグラウンド、サイケデリック、学生運動……混沌とした時代のなかで見せた一幕のファンタジー(幻想曲)、それがGSか。
ザ・スパイダースやブルー・コメッツなどロカビリーの流れを組むグループが先駆けとしてあったが、1967年2月にザ・タイガースが「僕のマリー」でデビューするや、GSはメルヘンチックな衣装と甘いメロディーをスタイルの原型として、多くのグループが登場し、一気に花開く。そして、振り返ってみれば、そこから数多くの名曲が生まれた。
当時は少女趣味的だと思って距離をおいて聴いていたせいか、僕が持っているレコードは、ザ・タイガースのデビュー盤の「僕のマリー」だけだが、遅れてやって来たロックバンド宇崎竜童とダウン・タウン・ブギウギ・バンドが1976年に出した、GSのヒット曲を収めたオムニバス・アルバム「GS」がある。(写真)
このなかには、ザ・スパイダースやブルー・コメッツの曲のほか、ザ・タイガースの「シーサイド・バウンド」、ザ・テンプターズの「神様お願い」、ザ・ワイルドワンズの「白いサンゴ礁」、オックスの「スワンの涙」など15曲が入っている。
前回のブログ「GS「ザ・タイガース」、彼らはなぜ解散したのか?」の項の最後に、以下の個人的に記憶に残る10曲を挙げた。
○「ブルー・シャトウ」 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ 作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫
○「君だけに愛を」 ザ・タイガース 作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういち
○「花の首飾り」 ザ・タイガース 作詞:菅原房子、なかにし礼、作曲:すぎやまこういち
○「エメラルドの伝説」 ザ・テンプターズ 作詞:なかにし礼、作曲:村井邦彦
○「君に会いたい」 ザ・ジャガーズ 作詞、作曲:清川正一
○「長い髪の少女」 ザ・ゴールデン・カップス 作詞:橋本淳、作曲:鈴木邦彦
○「パラ色の雲」 ヴィレッジ・シンガーズ 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
○「ガール・フレンド」 オックス 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
○「スワンの涙」 オックス 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
○「小さなスナック」 パープル・シャドウズ 作詞:牧ミエコ、作曲:今井久
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上記の私的GS10作品について、振り返って、思いを付け加えてみた。
○「ブルー・シャトウ」 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ 作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫
* 「青い瞳」「青い渚」に続き、1967年に大ヒットさせたGSの先駆的な曲。橋本淳の異国情緒あふれるファンタジーな詞と日本人好みのマイナーなメロディーは、このあとのGSの基本形を作ったように思う。
「森と泉に囲まれて、静かに眠るブルー・シャトウ…」である。
今でこそシャトーといえばボルドーのワインを思い浮かべるほど馴染みがある語であるが、シャトーはメルヘンの世界だった。それまで城といえば、「古城」(三橋美智也)や「青春の城下町」(梶光夫)などを思い浮かべることができるが、西洋の城(シャトー)が舞台の歌などなかったのではないだろうか。この後70年に大ヒットした小柳ルミ子の「わたしの城下町」も、当然日本の城が背景である。
思えば、その頃、日本の集合住宅の名前がアパートからマンション(豪邸)に、そしてシャトー(城、大邸宅)へとグレードアップしていった時代だ。シャトーを冠に付けたマンションが赤坂や青山に出始めた。
しかし、「ブルー・シャトウ」(Blue Chateau)は、英語とフランス語のミックス語である。フランス語は基本的には形容詞は名詞のあとに来るので、「シャトウ・ブルー」となろう。まあ、造語の国だから意に介さないが。
○「君だけに愛を」 ザ・タイガース 作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういち
* イントロの金属音に似た、弾けるようなエレキの音から一転して、「オー、プリーズ…」とジュリーの甘いささやきが流れる、タイガースらしさが最も発揮された傑作といえる。
○「花の首飾り」 ザ・タイガース 作詞:菅原房子、なかにし礼、作曲:すぎやまこういち
* 加橋かつみ初のボーカルによるヒット作。詞は雑誌「明星」で募集して、当時高校生による当選作をなかにし礼が補作詞した。
しかし、この「花咲く娘たちは、花咲く野辺で…」と歌う詞は、誰が主人公で誰に向かって歌ったのだろうと、この歌を聴くたびに思っていた。甘く美しいメロディーは、のちのアイドルのアグネス・チャンあたりが舌っ足らずで歌ったら似合いそう…。
○「エメラルドの伝説」 ザ・テンプターズ 作詞:なかにし礼、作曲:村井邦彦
* ボーカルのショーケンこと萩原健一をスターにしたヒット曲。
GSの名前は動物が多いが、日本語にすれば、なかには笑ってしまうような滑稽なものもあった。そのなかで最高のネーミングと思っているのが、このテンプターズ(Tempters)、誘惑者(たち)である。
誘惑者による、エメラルドの伝説。これだけで、何やらヴィーナスに捧げられたギリシャ神話のようではないか。少女趣味的だが、なかにし礼の文学的片鱗が漂う詞だ。
萩原健一はのちに役者になって、いい味を出していた。岸恵子と共演した「約束」(監督:斎藤耕一)は、彼の瑞々しい感性が滲んでいた。
○「君に会いたい」 ザ・ジャガーズ 作詞、作曲:清川正一
* 「若さゆえ苦しみ、若さゆえ悩み…」
若かった僕らは、この出だしの文句だけでこの歌に溺れることができた。
○「長い髪の少女」 ザ・ゴールデン・カップス 作詞:橋本淳、作曲:鈴木邦彦
* 横浜から出てきて、メンバーにハーフが多く(当初は全員ハーフと言っていた)、いかにも洋楽ポップスが似合いそうだった。このころ、長い髪の少女がモテた。
○「パラ色の雲」 ヴィレッジ・シンガーズ 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
* グループのボーカルに清水道夫を入れて再デビューして、ヒットさせた曲。ヴィレッジ・シンガーズといえば「亜麻色の髪の乙女」が有名だが、筒美京平最初のヒット曲となった「バラ色の雲と、思い出をだいて…」と歌う、この曲が好きだ。
○「ガール・フレンド」 オックス 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
* GSのなかでは遅いデビューであったが、あっという間に少女たちの人気者になった。ステージを観ている観客のファンのなかから失神者が続出、といわれたグループである。ボーカルは野口ヒデトであったが、失神させたのはもう一人の人気者オルガンの赤松愛だったようだ。
いかにも少女漫画風、宝塚風とはいえ、ボーカルの途中に「マイ・ガール、マイ・ガール」とギター奏者の歌が入る、この曲のメロディーは出色だ。
雑誌社に入り新入社員だった僕は、やはり同期で入った新人カメラマンと一緒に、当時社会現象になっていたGSの写真を撮りに行ったのが、このオックスのステージだった。やはり会場は若い女性でいっぱいで、歌を堪能する雰囲気ではなかった。
のちに、「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜き、1975年、作詞家山口洋子の肩入れで「夢よもういちど」で再デビューした真木ひでとが、オックスの野口ヒデトと知ったときは驚いた。
○「スワンの涙」 オックス 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
* 「ガール・フレンド」のヒットを受け、人気急上昇のオックスのシングル第3作目。
「君の素敵なブラック・コート、二人で歩いた坂道に、こぼれるような鐘の音…」といった涼しげな詞と洒落たメロディーは、のちの筒美京平のアイドル路線を垣間見せている。
○「小さなスナック」 パープル・シャドウズ 作詞:牧ミエコ、作曲:今井久
* スナックが流行りだした頃で、当時住んでいた高田馬場の小さな店でよく飲んだものだ。私小説風な内容と寂しさを漂わせたメロディーは、GSというよりフォークに近いかもしれない。
この歌と、「小さな日記」(フォー・セインツ)は、青春の切なさを甦らせる。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「GS」のなかに、誰が歌ったかもすっかり忘れていたザ・ダイナマイツの「恋はもうたくさん」(作詞:橋本淳、作曲:鈴木邦彦)があった。「トンネル天国」のB面だが、この出だしの歌の文句がいい。
「キザなセリフで、恋におぼれた、お前の好きな、俺のくちびる…」
さらに、「赤いドレスが、涙こぼした、俺のからだに、すがりつく恋…」と続く。
こんなキザなセリフも、GSには似合っていた。いや、そんな時代だったのだ。
ヒッピー、アンダーグラウンド、サイケデリック、学生運動……混沌とした時代のなかで見せた一幕のファンタジー(幻想曲)、それがGSか。
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