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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

薄紫の藤を見に、足利へ

2022-05-10 00:51:08 | * 東京とその周辺の散策
 薄紫の藤棚の
 下で歌ったアヴェ・マリア……

 1960年代半ば、青春歌謡の全盛期に、舟木一夫に続く青春・学園ソングの歌手があまた登場したなかで、安達明はひときわ清々しかった。デビュー曲の「潮風を待つ少女」に続く、学生服(舟木一夫とは違ったデザインの服)で歌う安達明の「女学生」(作詞:北村 公一、作曲:越部信義)は、当時の若者、学生の胸をキュンとさせた。
 藤と言えば、今でもこの冒頭に挙げた「薄紫の藤棚の…」という「女学生」を口ずさみたくなる。
 「澄んだ瞳が美しく、なぜか心に残ってる」そして、「君はやさしい、君はやさしい女学生」と流れる。
 藤、そして藤棚と言えば、女学生なのである。
 九州の片田舎のわが高校にも、図書館の脇に藤棚があった。あの日、私はその藤棚の陰で、彼女が現れるのを秘かに待っていた。
 おいおい、何を書いているのだ。図書館脇に藤棚はあったか?金木犀はあったけど。この藤棚は幻想かもしれないし、妄想が創りだしたものかもしれない。

 薄紫の藤棚を求めて、5月2日、足利へ向かった。
 小田急線で新宿に行き、そこからJR湘南新宿ラインで久喜へ出て、東武伊勢崎線に乗り換え、「特急りょうもう」で「足利市」駅へ。
 足利市に住む高校時代の同級生の案内で、藤の名所のある足利市を巡った。

 *藤の群がる「あしかがフラワーパーク」

 「あしかがフラワーパーク」は開園25周年とのことだが、その大藤棚とともに夜のライトアップもあって、今や国内有数の藤の名所となっている。
 ゲートから園に入ると、広がる花壇が目に入り、淡い花の香りが鼻に流れる。この「あしかがフラワーパーク」は紫だけでなく白、薄紅、黄色と多様な藤が見られるのが特長だが、藤以外にも様々な花が植えられている。
 赤い椿のようなバラの歩道の先に、まずは「白藤のトンネル」が迎えてくれた。白藤のアーチは80mも続き、上を見ると頭のすぐ近くまで花が垂れ、その花に蜂が舞っている。花に夢中で人を襲う気配はない。丸々太っているのでマルハナバチか。
 園内には、ところどころに池も配置されていて、水に映る花と緑も楽しめる趣向になっている。
 園内を周った最後にとっておきの「大藤」に行きついた。薄紫の藤花が四方に広がっている。何本もの藤で構成されていると思いきや、中央にあるのは1本の幹だけである。当地に移植したものだが樹齢160年という古木で、この大藤が2本並んでいる様は、繊細でありながら雄大な雰囲気を創りだしている。(写真)
 薄紫の藤棚の下に、女学生を探したが……

 *日本最古の学校、足利学校へ

 足利といえば、まずは日本最古の学校といわれている「足利学校」である。
 創建時は定かではないが室町時代中期の上杉憲実の時代には資料として残っていて、1549(天文18)年、宣教師のフランシスコ・ザビエルによって、「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と紹介されている。「坂東」とは関東のことで、利根川や入道雲を「坂東太郎」と言ったりする。
 「あしかがフラワーパーク」から、「足利学校」へ行った。
 足利学校は、広い敷地にいくつかの建物で構成されている。正面から入って見れば、山門(学校門)があり、本堂(大成殿)があり、方丈、庫裏があり、中庭(庭園)があるという、大きな寺のようだ。
 孔子廟があるところを見ると、主に儒教を教えていたのだろう。
 建物はどれもきれいに整備されていて、江戸時代のままのものと平成に入って江戸時代の姿に復元された建物がある。
 このような学校は、のちに藩校、寺小屋として広く発展していったのだろう。

 *城のような寺、鑁阿寺

 足利学校から、近くにある「鑁阿寺」(ばんなじ)へ。
 鑁阿寺は、足利氏二代目の義兼が、1196(建久7)年に邸内に大日如来を祀ったのが始まりといわれていて、その後足利一門の氏寺となった。
 橋を渡った楼門の先に構える本堂は、入母屋造りの大きな屋根瓦を持った威風堂々とした建物だ。中央の唐破風の屋根の突端には鬼瓦がこちらを向いていて、屋根の上の両サイドには鯱が聳えている。
 中央の軒下に吊るされた鰐口とその前に垂れた紅白の布で編まれた綱がなかったら、城屋敷と思うだろう。
 それもそのはずだ。敷地の周りは堀で囲まれているので、寺なのに「日本100名城」に入っているのも頷ける。
 境内に聳える高さ30mはあろうという立派な銀杏(いちょう)は、樹齢推定550年という。佐賀県有田町の泉山弁財天神社境内にある樹齢1000年ともいわれている大銀杏を思い出した。

 それにしても気になるのは、鑁阿寺の「鑁」という字である。
 この字を単独で読める人はほとんどいないだろう。調べても、「ばん」つまり「鑁」だけでは出てこない。「ばんなじ」と引いて「鑁阿寺」と出てくる。
 ちなみに、「鑁」という字であるが、本棚にある「漢和中辞典」(角川書店、昭和59年149版)にも載っていない。
 わが国では、「鑁」という字は、鑁阿寺にのみ使用される字なのである。漢字の本元である中国での使用は知らないけど。

 ※「鑁阿寺の「鑁」には、どんな意味があるのか。」<栃木県立図書館 (2110002)>によると、以下のように記されている。
 『足利の鑁阿寺』(山越忍済/著 足利 鑁阿寺 1970 ※昭和40年5月初版発行)によれば次のように記載されています。
 「鑁阿寺は正式にはvana寺で、バンナ寺でもよく、鑁や阿という漢字の発音を梵語(サンスクリット)に代って当てはめたに過ぎない。したがって鑁や阿に漢字的乃至日本文的意味が含まれているのではない。単なる当て字である。すなわちバンナ寺とは大日如来の寺、大日寺のことである。」

 *

 夕暮れ時、「足利織姫神社」を横目で見ながら足利公園方面へ。園内にある老舗料亭「蓮岱館」で、ゆっくりと夕食をすまして、再び東武伊勢崎線足利市駅から東京方面へ向かったのだった。
 窓の外はもう暗い。
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