「…岬めぐりの バスは走る…」
山本コウタローとウィークエンドのこの歌が流れていたとき、僕は初めての北海道で、一人知床を旅していた。
羅臼(らうす)の見晴らしのいい高台に来ると、海の彼方に国後島が見えた。鄙びた水族館があり、北方領土返還の看板も見うけられる。
季節はずれの秋だったせいか観光客は誰もいなかったが、近くに住んでいると思われる小学生になるかならないぐらいの年齢のあどけない少女が、遊び相手がいない淋しい表情も見せずに一人で遊んでいた。僕たちは、同じひとり者同士のよしみで、何気ない言葉をひと言(こと)ふたこと掛けあった。
しばらく海を見た後、僕が「さよなら」と少女に声をかけて、バッグを持ち上げて立ち去ろうとする後ろ姿に、少女は表情を変えずにこう返事した。
「また、会えるかもしれないね」
通りすがりの旅人とは、もう会うことはないと言ってもいい。まだいたいけない少女の、この達観したような言葉は、いつまでも僕の心に残った。
見知らぬ街を旅していて、見知らぬ人と会話を交わし、その場を去ったあと、もうこの人とは二度と会うことはないだろうと思いながらも、しばしばこの少女の言葉が甦った。
「また、会えるかもしれないね」
*
梅雨前線が不安定ななか、6月の終わりの日、同好の士と「三崎」へ行った。東京湾の西側の先端に位置する三浦半島の神奈川県・三崎港である。
丘や山の突き出た先端を「崎」、あるいは崎(さき)に接頭語の「み」をつけて「岬(みさき)」と言ったから、三崎は岬であろう。あるいは、三(み)の崎なのだろう。
昨年5月に行った三浦半島の横須賀の延長線上、さらに先(南)になる。横須賀の東端には観音崎があり、その南端に三崎は位置する。
三崎港はマグロが有名なので、マグロを食いに行こうというのが口実である。
士が、旅の雑誌で京浜急行電鉄の「みさきまぐろきっぷ」なるお得な企画チケットがあるのを見つけてくれたので、それを利用することにした。
乗車駅(横浜)から三崎口までの電車の往復と、三崎口・城ヶ島周辺のバスフリーのチケット、それに選べるレジャー施設の利用券、選べる近辺の食堂・食事施設でのまぐろ食事券などがセットになって2960円である。
横浜~三崎口の電車の往復が1140円、三崎口~三崎港がバスで往復600円、それにレジャー利用券で乗れる水中観光船が1200円である。これだけで元の料金相当で、食事代はサービスのようなものだ。
*
正午、京急線横浜駅を出発して約1時間で終点三崎口へ。
三崎口から三崎港へのバスに乗りこんだらバスの窓ガラスに水玉がぶつかりだした。この日の天気予報には傘マーク(畳んだ傘)がついていたし、家を出る前の朝は雨が降っていたので、少しぐらいは降るかもしれないと念のために折り畳み傘はバッグに入れてきた。
しかし振りかえってみれば、僕は旅先で雨に降られたことがほとんどない。だいたい、家を出るときに雨が降っていないと、長い旅であろうと傘を持たないで出る。雨のことなど考えたこともないのだ。
かつてヨーロッパ1か月の旅を2度行ったが、そのなかでも1度だけパリの街中で急な雨に出くわしたぐらいである。あとは、バリ島とインドのカルカッタ(コルコト)で、スコールにあったが、これはその土地の風物詩みたいなものですぐにやむし、また楽しからずや、である。
今思えば、僕の旅は天気に関しては幸運であったとしか言いようがない。それに、降ったら降ったで少しぐらい濡れてもいいやという、若気の楽天的思いもあった。それも旅の一部だと思っているのだ。
三崎港へ着いたら、空は曖昧な色模様だが雨はほゞやんでいた。
すぐに港が見え、あたりに「マグロ」を掲げた店が点在している。まずは、昼食をとるために港の周辺を歩き、裏通りの割烹旅館「立花」別館に入る。例の食事券で、「カマトロ陶板焼とお刺身セット」を注文。とりあえず、マグロを口にした。
割烹旅館だけあって、館内の落ち着いた雰囲気の食堂と料理はしゃれた味だ。イカの塩辛の小鉢もついている。夜だったらビールでも飲みたいところだが、昼から飲む習性はない。
腹ごしらえをした後は、港から水中観光船「にじいろさかな号」に乗る。
三浦半島と城ヶ島を結ぶ城ヶ島大橋が見える。その先に影のような黒い三角形は、何と富士山ではないか。こんなところで、富士山を見ることができるとは。しかも、この天候でだ。
大橋を渡ったところで、船底へ移ることに。船底の水中展望室は左右がガラス張りの窓になっていて、淡い緑色の海に泳ぐ何匹もの魚が見える。まるで、魚が回遊している水族館のようである。いや、こちら側も回遊しているのである。
湾からさほど遠くないところで、こんなにも多くの魚の群れが泳いでいるのが不思議な気がする。船内の解説により、魚のなかで尾鰭に切込みが入った特徴があるスズメダイは覚えた。
*
港に戻って、次にバスで城ヶ島に行くことにした。
すぐに城ヶ島灯台に登った。白い灯台はシンプルでクラシックだ。最初の灯台は1870(明治3)年に竣工というから、相当古い歴史だ。
崖上の灯台のふもとから海が見渡せる。岩肌の磯の先に水平線が連なり、その上の空には雲がおおっている。
北原白秋は、ここで「城ヶ島の雨」を作ったのか。
「雨はふるふる 城ヶ島の磯に…」
先ほどまで雨は降っていたが、あいにく今はやんでいる。いやいや、幸いにも。
それにしても、次に続く詞の「利休鼠の雨がふる」とは、どんな色なのか。白秋も凝りすぎた色名を使ったものである。
海を覆うような雲の上に、またしても富士山が姿を見せた。海のかなたの富士。雲の上に浮かんだような富士。こんな富士は、滅多に見ることはない。(写真)
灯台の下の海辺の海岸に降りてみた。荒い岩が続き、先に岩を丸く刳り抜いたような「馬の背洞門」が見える。
*
城ヶ島からバスで三崎港まで戻り、三浦半島の総鎮守として創建された海南神社へ行くことにする。街の路地を迷いながらも、裏門からたどり着いた。
本殿前に丸い茅の輪が設営してある。この日は夏越の大祓(なごしのおおはらい)とのことで、輪のなかを∞の形にくぐって参拝をした。半年に一度の日とは知らなかったが、いい日に出くわしたものである。
ずいぶん前に行った千葉の香取神宮でも、この大祓の茅の輪に遭遇したことを思い出した。
その足で、見桃寺へ向かった。読みは「けんとうじ」である。
「桃の御所」として源頼朝がしばしば来遊したというから、桃の木が茂る庭を持つ古刹をイメージしたが、門も本堂も一見お寺には見えない普通の家の造りである。桃の木も入口にわずかに植えてあるだけで、予想外の寺であった。
昔はもっと違った風景だったに違いない。
少し日が暮れだしたので、夕食をとるために港あたりを散策した。地元の人に訊いて、魚を食べさせる店に入った。
刺身定食は、マグロや鰯も入って量もそこそこ豊富であった。
*
食事をすませ外に出ると、もう日も暮れて空は暗い。それで、三崎港からバスで京急線の三崎口駅に戻ることにした。
時折雨が降る気紛れな天候のなか、三崎めぐりの外を散策している間は、幸運にも雨も降らず傘をさすこともなかった。
夜の三崎口駅前は、鄙びた印象ではあるが何軒か明かりがついていて店も開いている。お茶でも飲もうかと歩いているうちに、喫茶店は見つからずインド料理店に入った。
インド料理店に入ったからには、カレーも食べたくなるではないか。実を言えば、夕食の刺身は食べたが、僕にしては珍しくご飯に箸が伸びなかったので、少し腹が減っていたのだ。
日本滞在も長いという店主のネパール人の話を聞きながら、カレーとナンを食べ、マサラティーを飲む。
三崎めぐりは、なんとインド・カレーで終わった。
山本コウタローとウィークエンドのこの歌が流れていたとき、僕は初めての北海道で、一人知床を旅していた。
羅臼(らうす)の見晴らしのいい高台に来ると、海の彼方に国後島が見えた。鄙びた水族館があり、北方領土返還の看板も見うけられる。
季節はずれの秋だったせいか観光客は誰もいなかったが、近くに住んでいると思われる小学生になるかならないぐらいの年齢のあどけない少女が、遊び相手がいない淋しい表情も見せずに一人で遊んでいた。僕たちは、同じひとり者同士のよしみで、何気ない言葉をひと言(こと)ふたこと掛けあった。
しばらく海を見た後、僕が「さよなら」と少女に声をかけて、バッグを持ち上げて立ち去ろうとする後ろ姿に、少女は表情を変えずにこう返事した。
「また、会えるかもしれないね」
通りすがりの旅人とは、もう会うことはないと言ってもいい。まだいたいけない少女の、この達観したような言葉は、いつまでも僕の心に残った。
見知らぬ街を旅していて、見知らぬ人と会話を交わし、その場を去ったあと、もうこの人とは二度と会うことはないだろうと思いながらも、しばしばこの少女の言葉が甦った。
「また、会えるかもしれないね」
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梅雨前線が不安定ななか、6月の終わりの日、同好の士と「三崎」へ行った。東京湾の西側の先端に位置する三浦半島の神奈川県・三崎港である。
丘や山の突き出た先端を「崎」、あるいは崎(さき)に接頭語の「み」をつけて「岬(みさき)」と言ったから、三崎は岬であろう。あるいは、三(み)の崎なのだろう。
昨年5月に行った三浦半島の横須賀の延長線上、さらに先(南)になる。横須賀の東端には観音崎があり、その南端に三崎は位置する。
三崎港はマグロが有名なので、マグロを食いに行こうというのが口実である。
士が、旅の雑誌で京浜急行電鉄の「みさきまぐろきっぷ」なるお得な企画チケットがあるのを見つけてくれたので、それを利用することにした。
乗車駅(横浜)から三崎口までの電車の往復と、三崎口・城ヶ島周辺のバスフリーのチケット、それに選べるレジャー施設の利用券、選べる近辺の食堂・食事施設でのまぐろ食事券などがセットになって2960円である。
横浜~三崎口の電車の往復が1140円、三崎口~三崎港がバスで往復600円、それにレジャー利用券で乗れる水中観光船が1200円である。これだけで元の料金相当で、食事代はサービスのようなものだ。
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正午、京急線横浜駅を出発して約1時間で終点三崎口へ。
三崎口から三崎港へのバスに乗りこんだらバスの窓ガラスに水玉がぶつかりだした。この日の天気予報には傘マーク(畳んだ傘)がついていたし、家を出る前の朝は雨が降っていたので、少しぐらいは降るかもしれないと念のために折り畳み傘はバッグに入れてきた。
しかし振りかえってみれば、僕は旅先で雨に降られたことがほとんどない。だいたい、家を出るときに雨が降っていないと、長い旅であろうと傘を持たないで出る。雨のことなど考えたこともないのだ。
かつてヨーロッパ1か月の旅を2度行ったが、そのなかでも1度だけパリの街中で急な雨に出くわしたぐらいである。あとは、バリ島とインドのカルカッタ(コルコト)で、スコールにあったが、これはその土地の風物詩みたいなものですぐにやむし、また楽しからずや、である。
今思えば、僕の旅は天気に関しては幸運であったとしか言いようがない。それに、降ったら降ったで少しぐらい濡れてもいいやという、若気の楽天的思いもあった。それも旅の一部だと思っているのだ。
三崎港へ着いたら、空は曖昧な色模様だが雨はほゞやんでいた。
すぐに港が見え、あたりに「マグロ」を掲げた店が点在している。まずは、昼食をとるために港の周辺を歩き、裏通りの割烹旅館「立花」別館に入る。例の食事券で、「カマトロ陶板焼とお刺身セット」を注文。とりあえず、マグロを口にした。
割烹旅館だけあって、館内の落ち着いた雰囲気の食堂と料理はしゃれた味だ。イカの塩辛の小鉢もついている。夜だったらビールでも飲みたいところだが、昼から飲む習性はない。
腹ごしらえをした後は、港から水中観光船「にじいろさかな号」に乗る。
三浦半島と城ヶ島を結ぶ城ヶ島大橋が見える。その先に影のような黒い三角形は、何と富士山ではないか。こんなところで、富士山を見ることができるとは。しかも、この天候でだ。
大橋を渡ったところで、船底へ移ることに。船底の水中展望室は左右がガラス張りの窓になっていて、淡い緑色の海に泳ぐ何匹もの魚が見える。まるで、魚が回遊している水族館のようである。いや、こちら側も回遊しているのである。
湾からさほど遠くないところで、こんなにも多くの魚の群れが泳いでいるのが不思議な気がする。船内の解説により、魚のなかで尾鰭に切込みが入った特徴があるスズメダイは覚えた。
*
港に戻って、次にバスで城ヶ島に行くことにした。
すぐに城ヶ島灯台に登った。白い灯台はシンプルでクラシックだ。最初の灯台は1870(明治3)年に竣工というから、相当古い歴史だ。
崖上の灯台のふもとから海が見渡せる。岩肌の磯の先に水平線が連なり、その上の空には雲がおおっている。
北原白秋は、ここで「城ヶ島の雨」を作ったのか。
「雨はふるふる 城ヶ島の磯に…」
先ほどまで雨は降っていたが、あいにく今はやんでいる。いやいや、幸いにも。
それにしても、次に続く詞の「利休鼠の雨がふる」とは、どんな色なのか。白秋も凝りすぎた色名を使ったものである。
海を覆うような雲の上に、またしても富士山が姿を見せた。海のかなたの富士。雲の上に浮かんだような富士。こんな富士は、滅多に見ることはない。(写真)
灯台の下の海辺の海岸に降りてみた。荒い岩が続き、先に岩を丸く刳り抜いたような「馬の背洞門」が見える。
*
城ヶ島からバスで三崎港まで戻り、三浦半島の総鎮守として創建された海南神社へ行くことにする。街の路地を迷いながらも、裏門からたどり着いた。
本殿前に丸い茅の輪が設営してある。この日は夏越の大祓(なごしのおおはらい)とのことで、輪のなかを∞の形にくぐって参拝をした。半年に一度の日とは知らなかったが、いい日に出くわしたものである。
ずいぶん前に行った千葉の香取神宮でも、この大祓の茅の輪に遭遇したことを思い出した。
その足で、見桃寺へ向かった。読みは「けんとうじ」である。
「桃の御所」として源頼朝がしばしば来遊したというから、桃の木が茂る庭を持つ古刹をイメージしたが、門も本堂も一見お寺には見えない普通の家の造りである。桃の木も入口にわずかに植えてあるだけで、予想外の寺であった。
昔はもっと違った風景だったに違いない。
少し日が暮れだしたので、夕食をとるために港あたりを散策した。地元の人に訊いて、魚を食べさせる店に入った。
刺身定食は、マグロや鰯も入って量もそこそこ豊富であった。
*
食事をすませ外に出ると、もう日も暮れて空は暗い。それで、三崎港からバスで京急線の三崎口駅に戻ることにした。
時折雨が降る気紛れな天候のなか、三崎めぐりの外を散策している間は、幸運にも雨も降らず傘をさすこともなかった。
夜の三崎口駅前は、鄙びた印象ではあるが何軒か明かりがついていて店も開いている。お茶でも飲もうかと歩いているうちに、喫茶店は見つからずインド料理店に入った。
インド料理店に入ったからには、カレーも食べたくなるではないか。実を言えば、夕食の刺身は食べたが、僕にしては珍しくご飯に箸が伸びなかったので、少し腹が減っていたのだ。
日本滞在も長いという店主のネパール人の話を聞きながら、カレーとナンを食べ、マサラティーを飲む。
三崎めぐりは、なんとインド・カレーで終わった。