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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ 細雪

2008-07-15 20:21:46 | 映画:日本映画
 谷崎潤一郎原作 市川昆監督・脚本 岸恵子 佐久間良子 吉永小百合 古手川祐子 石坂浩二 伊丹十三 桂小米朝 岸部一徳 江本孟紀 小坂一也 細川俊之 横山道代 上原ゆかり 1983年東宝

 日本の「若草物語」、つまり4姉妹の物語である。
 谷崎潤一郎の作品にしては異質である。しかし、このなかに谷崎らしさを見つけるとなると、滅びゆくものの美しさであろう。三島由紀夫は、この作品に影響を受け「鏡子の家」を書いたのではなかろうか。
 ヨーロッパに目を移すと、思い浮かぶのはルキノ・ヴィスコンティの「山猫」をはじめとする一連の映画だろうか。
 比較すると、宗教画の油絵と風景画の水彩絵ほどの違いがある。
 それでも、この市川昆による「細雪」は、色彩といい構図といい、かなりこってりとしている。花鳥風月の日本画の題材を油絵で描いたような印象を残す。

 京都の桜の下での午後のひとときから始まるこの映画は、大阪の老舗蒔岡家の四姉妹である、長女鶴子(岸恵子)、次女幸子(佐久間良子)、三女雪子(吉永小百合)、四女妙子(古手川祐子)が揃い、満開の桜に負けじと華々しい。その4人に紛れ込んではしゃいでいるのが、次女幸子の夫貞之助(石坂浩二)である。
 長女と次女は、サラリーマンの夫を婿養子にしている。三女雪子は静かに家にいる女性で、適齢期を過ぎているものの縁談を断り続けていて、姉たちは心配している。四女妙子は、三女とは正反対に男と問題を起こしたこともあり、自由奔放に生きている。
 独身の妹2人は、本家大阪の船場ではなく、分家の次女の家、芦屋にいるのだが、そこでは幸子の夫、つまり2人の叔父である禎之助が雪子をほのかに想っているのだった。
 物語は、三女雪子の縁談を中心に、長女の夫(伊丹十三)の東京転勤話、四女妙子の男遍歴などが絡んで進んでいく。
 この4人のキャラクターの違いが分かるのが、衣装である。和服で揃ったとき、長女が藤(青紫)、次女が青、三女が薄青(白)、四女がオレンジ色である。

 時代は昭和13年となっているが、シーンのところどころに何気なく描写される、関西の上流社会のグルメぶりが興味深い。
 「音楽会のあと、船場の吉兆で食事をしましょうよ」
 「神戸の北京楼でどかんと奢ってやろうかと思って」「あんなすごいところで?」
 東京転勤が決まったとき、鶴子の夫(伊丹十三)が今夜は祝いに飲もうと、言う台詞は、
 「白ワインのバーガンディがある」「そりゃ、今どき貴重品やな」
 戦前から吉兆は一流だったのだ。船場の吉兆がこのような状態に陥るとは、思いもよらなかったかもしれない。神戸の北京楼は、分からない。戦前は有名店だったのかもしれない。バーガンディとは、ブルゴーニュのことである。

 世代が違う四姉妹は、役者としても当時の最高級の配役だろう。
 岸恵子は、戦後「君の名は」の大ヒットで国民的人気を博し、フランス人監督イヴ・シャンピと結婚し(後離婚)フランスへ渡った国際派女優だ。現在は、日本とパリを行き来し、物書きもやっている。
 佐久間良子は、「五番町夕霧楼」「越後つついし親不知」などの名作を残した、日本的な妖艶さを漂わせる美女である。和服が最も似合う女優の一人だ。
 吉永小百合は、日活青春映画から出発し、常に第一線で活躍している存在感のある美女である。いつまでも青春ぽさを失わないのは、彼女の生き方ゆえか。
 古手川祐子は、NHK連続テレビ小説「おていちゃん」で人気を博し、本格的に映画に進出していた彼女の溌剌とした時期である。その後作品に恵まれていないが、この映画ではおきゃんな末娘を活きいきと演じている。この映画が、彼女の代表作になったのではなかろうか。

 三女の縁談相手に、小坂一也(元ウエスタン歌手)、江本孟紀(元プロ野球選手・国会議員)、細川俊之、四女の男友達に、桂小米朝、岸部一徳など、個性的な男たちが物語にメリハリをつけている。
 子どものとき「マーブルちゃん」と言って、チョコレートのCMで人気になった上原ゆかりが、家の奉公のお手伝いさん(まだ少女だが)を力演している。
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◇ 麦秋

2008-07-13 15:42:10 | 映画:日本映画
 小津安二郎監督・脚本 原節子 笠智衆 東山千恵子 淡島千景 三宅邦子 杉村春子 二本柳寛 1951年松竹
 
 映画が公開された1951年といえば、昭和26年。戦後の混乱から、少しずつ日本が歩き出した時期である。
 そんな日本の鎌倉に住む老夫婦の家庭の物語である。
 もう隠居している学者夫婦(菅井一郎、東山千恵子)の家には、息子夫婦(笠智衆、三宅邦子)とその子ども二人、それに娘紀子(原節子)が住んでいる。
 老夫婦の今の悩みの種は、独身で28歳になる紀子の結婚である。縁談はあるが、仕事をしている娘はなかなかその気にならない。会社の秘書をやっていて、仕事に生きるというのでもないのだ。会社の上司も、縁談話を持ってくる。
 紀子(原節子)も、独身生活を楽しんではいるが、周りの縁談話にぼちぼち結婚も考えている。
 そんななか、医者である兄(笠智衆)の後輩(二本柳寛)が、秋田の病院に行くことになる。その兄の後輩の医者は、家も近所で妻を亡くした子持ちの男で、紀子もよく知っている男である。
 男が秋田に行く話が決まったとき、その男の母親(杉村春子)が、紀子に「怒らないで聞いてよ。もしも、あなたが息子のお嫁さんに来てくれたらと思ったりするのよ」と言ってしまう。それを聞いて、紀子は「ええ、いいです」と承諾する。
 その話を聞いた家の者は、青天の霹靂とばかり驚き、皆反対するが、紀子はこれでいいと決めてしまう。
 どうして彼に決めたの?という問いかけに、彼女は、「何か探し物をしていて、あちこち探すのだが見つからない。しかし、目の前にあるって気づくことってあるじゃない」と、答える。
 こうして、紀子は秋田へ行くことになり、これを機に、老夫婦は鎌倉の家を離れて本家の田舎の大和に帰ることにする。やがて、一家は離れ離れになる
 麦畑を見ながら老夫婦は、しみじみと語り合う。
 「離ればなれになったけど、私たちはいい方だよ。欲を言えば、きりがない」
 物語は、何かあるわけではない。それだけの話である。ここでは、戦争の悲惨さや貧困と闘う姿が描かれるのでもない。中流より少し上の中産階級の、普通の家庭のよくある日常である。
 しかし、家族というものが生まれ、成長し、解体・消滅していく姿がある。幸(結婚・結合)と不幸(別離・分離)が、裏表であることを滲ませている。
 このことは、おそらく避けられないことなのだ。

 「男はつらいよ」シリーズでは、お寺の午前様をやった笠智衆が、原節子の兄の、まだ黒い髪をした中年男で出ている。
 笠智衆と宮口精二が碁を打つシーンがある。二人とも若い。宮口も「男はつらいよ」では、マドンナ吉永小百合の偏屈な父親役(作家)で出演していた、日本を代表する渋い演技派だ。二人とも、もういない。

 この映画は、小津映画の最高作といわれている「東京物語」の2年前の作品である。
 小津安二郎の映画は、分かりにくい。
 特に若いときは、どこがいいのだろう、何が言いたいのだろうと思う。
 しかし、そこには黒澤明のドラマチックさや社会性、溝口健二や小林正樹の日本の古典的エキゾチズムも出さずに、あるがままのその時の日本が、日本人の心が描き出されている。
 そのあるがままの姿は、日本の到るところで見受けられたであろう光景、心情風景である。見終わった後、なぜか田舎を思い出す。そして、静かな喪失感を伴った余韻が残る。
 戦後の日本の家族・家庭の一端が見える映画と言える。
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◇ 名もなく貧しく美しく

2008-07-11 16:55:40 | 映画:日本映画
 松山善三監督・脚本 高峰秀子 小林桂樹 原泉 草笛光子 加山雄三 1961年東京映画

 戦争末期から戦後の混乱・貧困の時期を生きぬいた耳の不自由な聾唖の夫婦の物語。戦後は、誰でもが貧困に喘いで、生きるのに懸命であったはずだ。なかでも、障害を持っているとなるとなおさらである。
 「私たち体の不自由なものは、一人では生きていけない。二人で力を合わせて、一生懸命生きていきましょう」
 こう誓い合って結婚した二人(高峰秀子、小林桂樹)は、周囲の反対を押し切って子供を生み、懸命に育てていく。
 夫は靴磨き、その後工場へ働きに出、妻は家にミシンを置いて服の仕立ての仕事をする。
 生まれた子供が耳が不自由でないか心配した二人だが、子どもは何事もなく丈夫に育っていく。しかし、小学校に入った頃から、両親のことで仲間にからかわれるのが原因で、外ではケンカばかりし、母親にも反抗的となる。
 しかし、中学になると、子どもも理解し、優等生に育っていく。
 
 この映画を見ていると、戦後を生きた日本の父や母は、曲がりなりにもこのような苦労をしただろうと考えさせられる。この物語の夫婦は耳が不自由が故に、人一倍その苦労を背負ってきたのだろう。
 最後近くのシーンに、子どもも大きくなり、「今まで、政治にも、誰にも文句も言わず、頭を下げて生きてきたけど、これからはもっといろんなことを知って、周りを見て生きていこう」と二人が語り合うところがある。
 戦後、日本人はひたすら働いて、懸命に生きてきたのだ。それが、高度経済成長をもたらした。
 大したものも食えず、ただひたすら明日を見て働くということは、その当時は大変だったであろうが、食べたいものが満ちあふれている飽食な現代からすると、逆に輝いて見える。
 懸命に生きるということは、美しいと感じさせる映画だ。今の時代、このタイトルの「名もなく貧しく美しく」という生き方は、おそらく見向きもされないが、このような生き方が輝いた時代があったのだ。
 
 ひたむきに生きる聾唖者を演じる高峰秀子の熱演が光る。
 このひたむきさに対して、少しおっとりしていて人のいい小林桂樹がいいバランスとなって、格好の夫婦となっている。
 高峰の母親役の原泉が、気丈な戦中戦後を生きた母親(おばあさん役)を演じている。
 その子どもの長女(高峰の姉)は、戦後米兵の相手をする売春婦から中国人の二号で銀座のママをやるようになるのだが、このしたたかな女性を草笛光子が演じている。彼女は、現在既に70代半ば近くだが、いまだその美貌を持続し現役で活動している、不思議で魅力的な女性だ。
 空襲の時、高峰が助けた赤ん坊が、立派に成長して、高峰の家に顔を見せにやって来る。その若者が、後の若大将加山雄三だった。
 
 名作「二十四の瞳」(木下恵介監督、1954年)で、この映画に主演していた高峰秀子は、この時助監督をしていた松山善三と、この映画のあと結婚している。
 この「名もなく貧しく美しく」は、松山善三の監督デビュー作で最高作である。
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◇ 若草物語

2008-07-04 17:42:14 | 映画:日本映画
 森永健次郎監督 芦川いづみ 浅丘ルリ子 吉永小百合 和泉雅子 浜田光夫 和田浩冶 杉山俊夫 山内賢 1964年日活

 「若草物語」といえば、4人姉妹の物語と決まっている。
 ルイザ・メイ・オルコットの名作で、南北戦争下のアメリカ東北部の田舎町が舞台。そこでの4姉妹の成長物語で、著者の自伝的作品である。
 アメリカ、イギリスでは何度となく映画・ドラマ化されてきた。1933年の3作目の映画で次女役のキャサリン・ヘプバーンがヴェネチア映画祭で最優秀女優賞を得ている。
 有名なのは1949年作られた4作目で、エリザベス・テイラー、マーガレット・オブライエンなどが出演したものだ。その後、1994年のウィノナ・ライダーの次女役の作品も話題となった。
 日本では、何度かアニメ化されており、1980年作られたものでは、吉永小百合がナレーターとして出演している。

4姉妹の物語といえば、日本では、谷崎潤一郎原作の「細雪」だろうか。
 こちらは、大阪船場の没落していく老舗の4姉妹の物語。
 こちらも、1950年に、轟夕起子、高峰秀子などで初の映画化されて以来、何度か映画化、ドラマ化されている。1983年の市川昆監督による映画3作目には、吉永小百合も岸恵子、佐久間良子、古手川祐子と並んで出演している。
 また、舞台も幾度となく上演されている。

 *

 日本の映画「若草物語」は、4姉妹の物語というだけで、オルコットの作品とは関係ない。
 芦川いづみ、浅丘ルリ子、吉永小百合、和泉雅子による、1960年代日活のゴールデン女優陣の共演である。
 松原智恵子が抜けているが、年齢的に吉永小百合と重なるので致し方ないところか。
 この映画が作られた1964年は、東京オリンピックが開催された年で、東海道新幹線が開通。銀座をふらつく若者みゆき族が話題になる一方、学生運動も活発になった時期である。
 日活では、人気のあった小林旭の「渡り鳥」シリーズが終わり、石原裕次郎も「赤いハンカチ」や「夕日の丘」など、ムード・アクションに移行し、高橋英樹が「男の紋章」シリーズでやくざ映画に転身するなど、アクション映画が模索を続けていた時代である。
 一方、男性スター中心のアクション映画から解放された女優陣は、活発な活動をしている。
 吉永小百合は、名作「キューポラのある街」(浦山桐郎1962年)「泥だらけの純情」(中平康1963年)以後、「伊豆の踊子」(西河克己1963年)、「潮騒」(森永健次郎1964年)、「愛と死を見つめて」(斎藤武市1964年)などの文芸もの、「悲しき別れの歌」(西河克己1965年)など青春ものを続けさまに撮っている。
 浅丘ルリ子は、小林旭とのコンビ解消後、名作「憎いあンちくしょう」(蔵原惟繕1962年)、「執炎」(蔵原惟繕1964年)、など、存在感のある女優に独立・成長していった。

 「若草物語」は、父が後妻に若い女性を迎えたのに反抗した娘3人が、既に結婚して東京にいる長女を頼って家出をする。そこで、繰り広げられる恋に絡んだ人間模様が描かれている。
 長女が、既に結婚している芦川いづみ。次女が、幼友達を恋人に持つ恋に揺れ動く浅丘ルリ子。3女が、次女の恋を見つめている一本気な吉永小百合。4女が、奔放な性格の和泉雅子。
 次女浅丘の幼馴染みの恋人に、カメラマンの浜田光夫。仕事に忙しい浜田との恋が思うにまかせないのに苛つく浅丘の前に現れたのが、金持ちの息子和田浩治。揺れ動く次女浅丘の恋を見て、それでいいのと二人に訴えながらも、浜田に想いをよせる3女の吉永。吉永に想いを寄せる浜田の同僚、杉山俊夫。4女和泉と仲のよい山内賢。

 4人の性格が、彼女らのファッション、カラーに象徴されていたのは心憎い。
 まず4人が集まる居間での彼女たちの着ている服の色は、結婚している芦川は落ち着いた黒色、恋に焦がれ揺れる女の浅丘は赤色、ひたむきな吉永は水色、自由でまだ大人になりきれない和泉は黄色である。
 雨の中、恋人浜田を待っていた浅丘が、急に仕事が入ってデイトがふいになった浜田に向かって叫ぶ。「行かないで。私とどっちを取るの」と。
 そのとき、スポーツカーを乗り回す金持ちの男(かといってただの遊び人ではない)和田にプロポーズされていた浅丘は、浜田に自分を引き留めてもらいたかったのだ。そうしないと、別の男(和田)にいってしまいそうで、自分が怖かったのだ。
 仕事に向かった浜田の車を見つめる浅丘の持っていた真っ赤なビニール傘が、雨の中を転がっていく。
 浅丘の不安の通り、結局、彼女は浜田ではなく金持ちの男和田を取る。もう、渡り鳥旭を見送り涙する女ではなくなっているのだ。
 それを見た吉永は、浜田を追っていく。吉永は、あくまでひたむきで、純情なのだ。

 予想外の傑作だった。
 40余年前の豪華女優出演の正月映画だが、単なるスターを揃えた映画の域を超えた、現在でも通用する愛を絡めたモチーフである。
 出演者が、それぞれ持ち味を発揮している。
 日活の清純派を支えてきた芦川いづみは、やはり清純派を裏切らない役柄である。石原裕次郎、小林旭、宍戸錠など代表的な日活アクションスターの相手役を演じてきたが、個性を発揮することなく引退したのではないかと思えて、残念である。
 浅丘ルリ子は、「渡り鳥シリーズ」のヒーローを見送る女から脱して(これはこれでとても好きだが)、女の情念を発揮する姿を見せつけている。
 吉永小百合は、もうこの人しか演じきれない「私は誰のものでもない。私は私のものよ」と叫ぶ、真っ直ぐに生きる存在感のある女を演じている。
 和泉雅子は、後に北極冒険などで名を馳せたが、明るく健康そのものである。当初は、山内賢と青春コンビを組み、後には高橋英樹と「男の紋章」シリーズに出ている。
 華やかな女優陣に交じって、奮闘しているのが浜田光夫だ。
 吉永小百合の相手役という目で見られがちだが、ここでは抑えた大人の演技が見物だ。
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◇ 赤い蕾と白い花

2008-07-02 03:10:05 | 映画:日本映画
 石坂洋次郎原作 西河克己監督 吉永小百合 浜田光夫 高峰三枝子 金子信雄 1962年日活

 「北風吹き抜く……」という「寒い朝」のメロディが流れる中、この映画は始まる。曲は、その後レコード大賞「いつでも夢を」(吉永小百合、橋幸夫)などのヒット曲を生み出した、佐伯孝夫作詞、吉田正作曲のコンビによる、吉永小百合の記念すべきデビュー作である。
 
 吉永小百合は、1960年代のアイドル・スターであった。いや、アイドルという言葉はまだできていなかったので、光るスターであった。スターはあまた生まれたけれど、当時の若者にとっては、その中でも吉永は特別の存在だった。
 今でも、タモリに代表されるように、特別の存在であることを保っているという、希有なスターである。あれから40数年がたっているのだけれど、水面下では、声なきサユリストが相当数いると思われる。
 吉永小百合は、日活入社当初は、「霧笛が俺を呼んでいる」(赤木圭一郎主演1960年)や「疾風小僧」(和田浩二主演1960年)などの当時のアクションスターの相手役として出演していたが、浜田光夫と共演、主演した「ガラスの中の少女」(1960年)あたりから、青春映画路線を確立していく。
 そして、1961年には16本もの映画に出演している。
 その中には、石原裕次郎と共演した「あいつと私」(中平康監督)や、小林旭の相手役(最初にして最後の共演)となったアクション映画の名作「黒い傷あとのブルース」(野村孝監督)などが含まれている。
 その流れの中で、62年には不朽の名作ともいえる「キューポラのある街」(浦山桐郎監督)が生まれるのだが、この「赤い蕾と白い花」はその後の作品である。

 話の内容は、片親同士の高校のクラスメート(吉永と浜田)が、お互いの家を行き来している間に、親同士(高峰と金子)も恋愛めいたものが生まれ、それに反抗して二人は家出をするが、すぐに所在がばれて、またもとの仲良しになるという、他愛のないものである。
 吉永の母親(高峰三枝子)が当時隆盛を極めていた服装学校の院長で、浜田の父親(金子信雄)が個人病院の医師という典型的な上流階級の、1962年、つまり昭和37年とは思えないような生活様式であった。
 二人はいつもきちんとした私服(学生服でない)で、放課後だと思うが昼下がりはテニスをしているのであった。浜田は、教科書は鞄に入れず、当時大学生に流行ったブックバンドで留めていた。
 住まいは、お手伝いさんのいる洒落た造りの庭のある戸立てで、テーブルには高級ウイスキーが置いてある。場所も、典型的高級住宅地の田園調布である。
 映画が始まった最初は、二人とも大学生で、不良性を抜き取った優等生の石原裕次郎的映画かと思った。
 この映画では、日活アクションでは悪役をやった癖のある個性派の金子信雄が、何の変哲もない紳士的な親父である。妖艶で陰のある女である高峰三枝子が、これまた何の陰影も持たない女となっている。
 吉永と浜田が家出して二人で旅館に泊まるが、ラブシーンも際どい行為も行われない。最後にやっと頬にキスするシーンが無理やり作り出されるが、胸のときめきもない。
 
 今見れば、毒にも薬にもならない映画である。
 原作の石坂洋次郎作品が、数十年をへて本屋から消滅したのも頷ける。その後、吉永は石坂原作の「若い人」「青い山脈」「光る海」などに出演している。
 おそらく、今読まれているベストセラーも、流行作家の作品も、さらに生命は短く消え去るのだろう。生き残る文学も少ないのだ。
 「キューポラのある街」で、吉永は賞を総なめにし、青春スターから演技派へと開眼したはずだったが、会社の都合か、それを生かし切れない凡庸な作品が続いた。若い恋物語に、反逆性も社会性もないハッピーエンドに、何の意味や価値があろうか。
 それでも、翌63年に、身分の違うラブストーリーの名作「泥だらけの純情」(藤原審爾原作、中平康監督)を生み出している。

 この映画「赤い蕾と白い花」のストーリー性はともかく、見られるのは、吉永小百合のキラキラとした表情である。いつも前を見ている瞳である。
 このつぶらな(と言う古典的表現が当てはまる)瞳を見るために、当時の若者は映画館に通っていたものである。
 当時、吉永小百合はまだ高校生。
 若者は、吉永の前を見つめる延長線を見ていた。何かが生まれるに違いないという明日、今の自分ではない違ったあるべき姿の未来の自分、そういった夢を共有していたのだ。
 その共同夢想の中で、日本は高度成長していった。

 今、かつての吉永小百合のような、青春スターと呼ばれるスターはいるのだろうか。
 思いつくまま、あげてみると、
 堀北真希、上戸綾、長澤まさみ、沢尻エリカ、綾瀬はるか、蒼井優……
 ネットに載っていたある調査による、「学園ドラマに出演してほしい女優」ランキングは、
 1.新垣結衣、2.堀北真希、3.夏帆、4.成海璃子、5.北乃きい
 スターの中には、吉永小百合のようにいつまでも輝いている恒星もいれば、いつの間にか消えている流れ星もいる。
 
 夜空には、無数に星が出ている。これから、星の輝く季節である。

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