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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ 甦える金狼

2008-06-13 17:28:59 | 映画:日本映画
 大藪春彦原作 村川透監督 松田優作 風吹ジュン 佐藤慶 成田三樹夫 小池朝雄 千葉慎一 待田京介 岸田森 真行寺君枝 1979年


 「最も危険な遊戯」や「処刑遊戯」などで村川透監督、主演松田優作でヒットを飛ばしていたコンビが、大藪春彦原作のハードボイルド・アクションに臨んだ第一弾。
 
 昼間は平凡なサラリーマンの男が、夜はボクシングジムに通い体を鍛えている。彼が狙うのは何か? 
 会社が不正に絡んで恐喝を受けているのを知った男は、逆に会社を乗っ取ることを企てる。
 この映画の魅力は、松田優作の鍛え抜かれた身体から繰り出されるアクションであろう。
 ここで繰り広げられるのは、近代アクションのはしりとも言おうか、かつての石原裕次郎、小林旭に代表される日活アクションや、高倉健に代表される任侠アクションとは違ったアクションである。
 勧善懲悪でも義理人情でもない、ドライな資本と欲望を至上とした人情を拒絶するアクションである。
 おそらく、それまでの日本のヒーローで、会社の株を乗っ取ろうとした男はいなかったのではなかろうか。そういう男たちを懲らしめるのが、ヒーローの役割であったはずだが、ここでは、ヒーローとヒール(悪役)が融合した人物像となっている。それに、平気で人を殺す。
 21世紀の資本主義社会のヒーローを先取りしているかのようだ。
 
 有り余る金と、社長の可愛い娘を手に入れた男は、カウンタックを乗り回し一人笑いをこらえる。
 一匹狼を象徴する、狼の仮面を被ったような男。
 女も金と権力で手に入れた男が、最後は女の情に刺される。
 もつれる足で空港に行き、飛行機に乗った男は、フライト・アテンダントの「何かお持ちしましょうか」というに言葉に、息も絶え絶えに言う。
 「ワインを。ジュブレ・シャンベルタンの、2001年を。僕の友人のナポレオンが愛用していたやつです」
 映画は1979年の作だから、当然2001年もののワインがあるわけがない。
 そして、男は気の抜けた顔で付け加える。
 「ジュピター、木星には何時に着くの」と。
 もうそこには、狼の顔はなかった。

 無機質な廃墟やビル跡でのアクションが、まるでモノトーンのようにコントラストを醸し出して美しい。
 一時期の鈴木清順監督の影響かもしれない。
 脇を固める俳優陣が個性派揃いだ。
 佐藤慶 成田三樹夫 小池朝雄 千葉慎一 待田京介 岸田森は、主役、準主役を張っていた男たちだ。
 また、ヒロインの風吹ジュンが、松田優作とのベッドシーンでは惜しげもなく裸を曝している。
 この映画は、松田優作の代表作となった。
 アクション映画は、最近はCGを駆使し、何でも可能な撮影技術になっている。可愛い女性が屋根をぴょんぴょんと飛び跳ねたり、回転しながらアクションをやったりするのは、現実味がなくかえって興味をそがれてしまう。
 やはり、アクションは生身の人間がたち振る舞うことに味がある。
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◇ 探偵物語

2008-06-11 16:54:36 | 映画:日本映画
 赤川次郎原作 根岸吉太郎監督 薬師丸ひろ子 松田優作 秋川リサ 岸田今日子 財津一郎 中村晃子 北詰友樹 坂上味和 1983年

 「野生の証明」でデビューした薬師丸ひろ子が、大ヒットした「セーラー服と機関銃」から2年後の作品。相手役は、人気俳優の松田優作。
 松田優作は、既に「甦える金狼」「野獣死すべし」などで、そのキャラクターが脚光を浴び、主演作が相次いだ時期で、彼が病死する6年前の作品である。
 薬師丸は少女から大人になる端境期の、松田は野卑さに渋さも加わった、二人とも絶頂期だといえる。
 原作も、当時のヒットメーカーの赤川次郎で、製作は出版界の風雲児と言われた角川春樹である。

 物語の内容は、金持ちの娘、大学生の薬師丸が父から依頼された探偵役の松田に尾行、ガードされ、それがやくざの殺人事件に絡んで、事件に入り込んでいくという話である。
 
 薬師丸は、その小さな身体の特長を生かし、塀や垣根やベランダをまたいだり、飛び越える光景が何度も繰り返し出てくる。もう既に大学生になったときだが、まだ少女のような身軽さで、ぴょいと塀をまたぐ。可愛いが、色気は感じさせない。そこが、薬師丸の魅力なのだろう。
 松田の元妻で、やくざと不倫しているときにその男が殺されるという女を演じているのが、秋川リサ。ハーフの秋川はモデル出身でスタイルもよく、この映画では濡れ場も平気で演じていて、それがサマになっている。
 やくざの親分(社長と言われている)の女に、歌手の中村晃子が演じている。「虹色の湖」の歌が67年大ヒットして歌手のイメージが強いが、もともとは俳優としてデビューし、映画出演も多い。身体は痩せていてメリハリもなく魅力に薄いのだが、雰囲気が色っぽいので、こんな役が多いのが惜しい。
 元アイドル坂上味和が、薬師丸の同級生で恋敵を演じている。意外であるがヌードも披露している。ラブホテルの排気口から女が出てきて、シャワーを浴びている男をナイフで刺すシーンがあるのだが、そのとき裸の女が彼女である。
 
 なお、この年大ブームとなったのは、NHK朝のテレビドラマ「おしん」であった。そのときの子役であった小林綾子は、すっかり大人になっている。
 「探偵物語」で、まだ少女が抜けきらない薬師丸ひろ子が、「ALWAYS三丁目の夕日」(2005年)で、お母さん役をやっているのも時の流れ、むべなるかなである。
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◇ NANA

2008-06-10 00:11:25 | 映画:日本映画
 矢沢あい原作 大谷健太郎監督 中島美嘉 宮崎あおい 松田龍平 成宮寛貴 平岡裕太 松山ケンイチ 伊藤由奈 2005年

 青春には別れがつきまとう。
 別れは恋の終わり。そして、何かの始まりだ。
 青春は、人生と置き換えてもいい。
 人生には別れがつきまとう、と。

 ごく普通の女の子、奈々(宮崎あおい)。
 ロックバンドで成功を夢みる女の子、ナナ(中島美嘉)。
 普通の女の子は普通の、ロッカーの女の子はロックな恋がある。
 偶然に出会った二人が、一緒に住むことになり、二人の人生がクロスする。そして、二人とも、各々に恋と別れがある。
 普通の女の子奈々の恋人は、ほかの女の子に心変わりして、別れがやってくる。
 ロッカーナナの恋人は、よりメジャーなバンドに引き抜かれ、別れる。
 
 青春は、残酷だ。自分のエゴのために人を傷つけるのを厭わない。誰もが、自分のために生きている。そして、恋人を傷つけ、自分も傷ついていく。
 そうして、大人になっていく。

 ロックで成功を夢みるヴォーカル、ナナの中島美嘉がロッカーの雰囲気を出していていい。濃い化粧と強がりな生き方が、彼女の雰囲気にマッチしている。
 恋人に寄り添って生きるのではない、自分のために生きる、と突っ張る。ロッカーとは、そういうものだ。
 痩せた肩に赤い蓮のタトゥーが、象徴的だ。
 それが、最後に元の鞘に収まり、麻雀をやりながらのハッピーエンドで終わったのでは、このストーリーも腰砕けの終わり方となった。
 それでも、青春の瑞々しさが伝わってくる映画だ。
 見終わった後、心がひりひりと痛い。
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◇ それでもボクはやっていない

2008-03-02 13:38:03 | 映画:日本映画
 周防正行監督 加瀬亮 役所広司 瀬戸朝香 山本耕史 小日向文世 2007年

 世に、濡れ衣、冤罪は多く存在するのだろう。
 やっていないのに、やったとされる。それで、逮捕されたとする。しかし、真実を裁く裁判では真実を分かってもらえ、裁判長は真実の判決を下してくれる、と誰もが思うに違いない。
 映画は、電車の中で女子中学生に痴漢行為をしたとして、警察に連行・逮捕された男性(加瀬亮)の、無実を訴えた裁判の記録である。
 この種の裁判では99.9%が有罪になると言う。いや、裁判になる前に、多くの人が犯行を認めて示談にして、早期に保釈を願う人が多いという。やっていようがやっていまいが、警察が、いや弁護士すらも、そのように持っていくのだと言う。
 この映画では、訴えられて逮捕された主人公は、身に覚えがないので、終始警察でも否認し続ける。たまたま被害者の女の子の後ろに立っていて、背広の裾が電車に挟まれてもぞもぞ動いたのが犯人と誤解されたようだ。
 警察では執拗に追求されるが、早く帰るために、やっていないのにやったと認めるわけにはいかない。結果、裁判になる。
 裁判では、検証が行われ、検事、弁護士のやりとりがある。証人の喚問もある。
 映画を見るものは、この裁判がどうなるのか、傍聴席で見ているような気分になる。彼は、当然やっていないのだから、無罪になると思う。いや、無罪であるべきだと思う。
 しかし、裁判では……
 
 この映画は言う。
 裁判は、真実を明らかにするところではない。
 集められた証拠、材料によって、とりあえず有罪か無罪にする場所にすぎない。

 真実は神のみぞ知る、とよく言われる。裁判所、裁判官は神でないということを知らなくてはいけない。そして、神はどこにいるか分からないということを。
 明日は、自分が痴漢容疑で、いやその他の誤認容疑で逮捕されるかもしれない。

 主人公の純粋な若者を加瀬亮が好演している。人間味ある弁護士に、役所広司、瀬戸朝香がいい味を出している。小日向文世が、嫌みな裁判長を演じているのも適役だ。
 いい映画ではあるが、これが2007年の日本の映画賞を総なめしたとは、日本映画界が小粒になった感は否めない。
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◇ 武士の一分

2007-12-31 18:48:13 | 映画:日本映画
 藤沢周平原作 山田洋次監督 木村拓哉 檀れい 笹野孝史 坂東三津五郎 緒形拳 2006年松竹

 山田洋次監督による藤沢周平原作武士物三部作の一作。
 「一分」(いちぶん)とは、「面目」のことである。
 藩主の毒味役になった下級武士の主人公(木村拓哉)が、毒味によって失明する。妻(檀れい)は、失意の夫の自殺を留まらせ、上級武士(坂東三津五郎)に家禄の維持願いを相談に行く。そのとき、妻はその武士によって身体を奪われて、その後も関係を持たらされてしまう。
 そのことを知った主人公は、妻を離縁し、武道に励み、剣術の達人でもあるその上級武士に対して果たし合いを臨むという物語である。

 「目が見えないのに立ち向かうのは無茶です。どうしてそんなことを」と、思いとどまらせようとする家の下男(笹野孝史)に言う主人公の言葉が、「武士の一分だ」である。
 一分は、誰にでもあるものである。いや、持っていなければならないものである。それを失ったら自分でなくなるという存在証明と言っていい。
 この一分が、現代では失われているのであろう。
 政治家の一分、経営者の一分が、見当たらない。だから、品格が問われ、その名を冠した本がベストセラーに名を連ねている。

 妻を離縁し、無聊をかこつ主人公に、下男が「ゆっくり養生して長生きしてください」と言う。それに対し、主人公は荒々しく答える。
 「長生きして、何かいい事があるのか。毎日、お前のまずい飯を食い」
 この台詞がいい。
 失明して、武士としての役目をまっとうできずにいる武士に、いや誰かの手を煩わせながら生きて、何かいい事があるのだろうか。そもそも、人生を長く生きてどうしようというのだろうか。
 先日、テレビ番組で、将来、といっても2050年頃(40年先)には、人間の寿命は百才を超えるとあり、元気な老人の動く姿を映した。そして、寿命は金(医学や薬物)で買えると結論づけた。
 それを見て、何の取り得のないタレントが目を丸くして「私、長生きするのだったら絶対金で買いたい」とコメントしていた。

 「長生きして、何かいい事があるのか。毎日、お前のまずい飯を食い」
 映画では、主人公は死を決意して、妻を弄んだ上級武士に決闘を挑む。目の見えない彼には、武道の先生(緒形拳)が教えた「共に死する事をもって真となす」の心構え以外ない。
 「肉を切らして骨を切る」というより、相打ち覚悟の決闘に挑む。
そして、彼は相手の背後からの奇襲に、気配で勝つ。
 武士の一分は果たされ、死なずに、おそらく少し長く生きた彼は、下男のまずい飯ではなく、以前のうまい飯を食うことになる。妻も戻ってきたのだ。
 長生きして何かいいこととは、こんなことかもしれない。いや、こんな何気ないことが大切だといっているのだろう。

 下男の笹野孝史がいい。この人は若いときから老け顔で、このような役ははまり役である。
 召使の人生にも、長く生きて何かいい事があるのだろうか。この人は、いいことがあろうとなかろうと、といった役で、顔である。
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