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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ 隠し砦の三悪人

2008-09-21 03:33:50 | 映画:日本映画
 黒澤明監督 三船敏郎 上原美佐 千秋実 藤原鎌足 藤田進 1958年東宝

 黒澤明監督初のワイド・スクリーンのシネマスコープで、娯楽作品を狙ったもの。のちに、ジョージ・ルーカスは、この映画から「スター・ウォーズ」を生み出したと語った。
 戦国時代、秋月家は隣国との戦いに敗れ、隠し砦に籠もっていた侍大将真壁六郎太(三船敏郎)は、姫(上原美佐)と国再興の軍資金200貫を持って友好国に脱出を図る。
 村を出て、何か一儲けはないかとうろついている農民の二人連れ(千秋実、藤原鎌足)を見つけた六郎太は、欲深い彼らを利用して、敵国の中央突破を実行する。
 農民に変装し、蒔の中に金を隠し、敵国に入っていく彼らに、様々な難関が待ち受けている。それらをくぐり抜けたかと思うと、そこに立ちはだかったのは敵国の大将田所兵衛(藤田進)であった。

 冒頭の、城から脱出する大衆の暴動シーンは、まるで「戦監ポチョムキン」を想起させる迫力だ。
 馬で逃げる敵の兵2人を、三船が刀をかざして馬で追い切り捨てるシーンは、まるで西部劇のようだ。いや、のちの「インディ・ジョーンズ」にも活用されている。
 三船と藤田の長い槍の決闘シーンは、一つの見せ場である。のちに「椿三十郎」での、三船と仲代の一太刀での決着との対極をなすものだろう。
 薪を馬に担がせて、村の火祭りに紛れ、村人に交じって姫も踊るシーンは美しい。
 捕らえられた六郎太と姫だが、敵将兵衛の前で、姫は、「この逃亡劇は、城の中から出たことがなかった身としては、楽しい体験だった。特に火祭りのことは。今は、潔く死ぬ覚悟はできている」と言って、火祭りの歌を歌う。
 「人の命は、火と燃やせ、牛の命は、火に捨てよ、想い思えば、闇の世や、浮世は夢よ…」
 男勝りの姫を演じた上原美佐は、当時女子大生で、この映画がデビュー作。すらりとした腕と足をむき出しにした、短いスリーブに短パンのような出で立ちは、時代劇とは思えない颯爽とした格好良さである。そのどこかエキゾチックな感じのする顔とスタイルは、本人が「自分は才能がない」と言って2年で引退するには惜しい存在感だ。
 三船敏郎も、彼の良さを最大限に発揮した映画だといえる。
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◇ 菊次郎の夏

2008-08-30 16:05:57 | 映画:日本映画
 北野武監督・脚本 ビートたけし 関口雄介 岸本加代子 吉行和子 細川ふみえ グレート義太夫 井出らっきょ 1999年

 母ものと言えば、「母をたずねて三千里」のごとく、遠く別れた母をたずねて旅する話が典型だ。この典型的な話を土台に、北野武が子どもを主役に作った映画である。
 「その男、凶暴につき」(1989年)で、一躍映画界の寵児となったビートたけしが、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝いた「HANA-BI」(1997年)に続く作品である。

 小学生の正男(関口雄介)は、夏休みになり、遊び相手もいなくて、やることがない。両親はいなく、育ててくれている祖母(吉行和子)は働きに出て、家には正男だけなのだ。そこで、写真でしか見たことがない母に会いに行こうと決心する。
 そんな正男を見た、お節介で人のいい近所のおばさん(岸本加代子)は、ぶらぶらしている自分の夫の菊次郎(ビートたけし)を、正男と一緒に旅に行かせることにする。
 こうして、正男と菊次郎の母を探す旅が始まる。
 旅行代を手にした菊次郎は、正男を連れてまず競輪場に行く。やみくもに言った正男の数字が大穴を当てることになって、思わぬ大金を手にし有頂天になった菊次郎だが、次の日は、当たるはずもなく結局スカンピンになってしまう。
 仕方なく二人は、ヒッチハイクの旅をすることになる。
 がらっぱちな菊次郎は、思うままに生きてきた子どもみたいな男だった。子どもみたいな大人と子どもの旅が始まった。
 
 旅先での風景や出来事に、日本らしさがよく描かれている。
 菊次郎が盗みに入ったトウモロコシ畑、村の祭り、村のバス停など、温かみのある風景が続く。そして、菊次郎が出会う人間も、社会から逸脱しているが人間味のある男たちである。
 北野武が映画で一貫して描いてきた、人間の内面の暴力性や死生観はこの映画では避けられていて、失われた子供の情緒が、大人の世界に紛れて描かれている。
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◇ 嵐を呼ぶ男

2008-08-02 03:37:22 | 映画:日本映画
 舛田利雄監督 井上梅次原作 渡哲也 芦川いずみ 藤竜也 太田雅子 深江章喜 宇野重吉 山岡久乃 由美かおる 1966年日活

 石原裕次郎の大ヒット作「嵐を呼ぶ男」(1957年)は、それまで、「狂った果実」や「太陽の季節」などで人気が出てきた裕次郎を、さらに本格的人気スターへ持ち上げた記念すべき作品である。
 そのリメイク版であるが、主演の渡哲也も、それまで裕次郎映画に助っ人的に出たり、「逢いたくて逢いたくて」などの歌謡映画に出たりで、いまだ中途半端なキャラクターを抜け出せないでいた。
 その助走期間をへて、日活が渡を本格的アクション・スターとして売り出そうとした作品で、渡がその期待に応えた映画である。
 その前に日活が裕次郎2世として、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎に続く、第4の男として売り出した和田浩二は、結局花開くことはなかった。渡も裕次郎の代表作で売り出すことになったが、渡はこれを自分の映画にしてしまっていた。
 裕次郎の映画より9年がたっているが、その後の渡の良さの片鱗を見つけることができる。ムードのあるアクション・スターとして、渡の開花した映画と言っていい。
 いや、乾いた裕次郎より渡には瑞々しさがあり、小林旭とは違った哀愁もあって、いい味を滲ませている。
 この後、渡哲也は、同世代の高橋英樹とともに、日活やくざ映画を担っていく。

 映画の内容は、ちょっと不良っぽい国分正一(渡哲也)は、敏腕マネージャーの美弥子(芦川いずみ)によってジャズ・ドラマーとして頭角を現わしていく。そして、ライバルであるチャーリー桜田と、ドラム合戦を行うことになるが、その前日トラブルに巻き込まれ右手を負傷させられる。
 それをおして出場した国分は、左手だけのスティックと歌で聴衆の心を掴む。
 そのシーンで、「おいらはドラマー、やくざなドラマー、おいらが怒れば嵐を呼ぶぜ……」という裕次郎の持ち歌「嵐を呼ぶ男」を歌うのであるが、渡のオリジナルと言っていいほど歌の心を掴んでいた。
 その後、渡は「東京流れ者」や「くちなしの花」など、歌でもヒット曲を出しているから、歌の方もなかなかのものである。

 相手役は、日活アクション映画のヒロイン、既にベテランの芦川いずみである。裕次郎映画では、その後結婚することになる北原三枝であった。
 渡に色目を使う、弟の女友だちに太田雅子が出ている。まだ主役級ではない太田雅子は、後に梶芽衣子と改名して侠客映画に出たあと、「野良猫ロック」「女囚さそり」シリーズでブレイクした。
 弟に藤竜也、母に山岡久乃、父に宇野重吉と、脇を渋く固めている。
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◇ 逢いたくて逢いたくて

2008-07-28 19:47:40 | 映画:日本映画
 江崎実生監督 白坂依志夫脚本 園まり 渡哲也 松原智恵子 和田浩治 太田雅子 小沢昭一 1966年日活

 1960年代半ばは混沌とした時代であった。
 ベトナム戦争は拡大の一途をたどっていたし、中国では、人知れず文化大革命が始まっていた。
 64年、東京オリンピックのあと、日本は高度経済成長に拍車がかかり、一億層中流意識時代に入っていく。大学では、学生運動が精鋭化と大衆化の両極の波として広がっていった。
 サブカルチャーとしては、66年、ビートルズの来日公演を機に、エレキブームとともにやがてグループ・サウンドのブームがやってくる。
 この年、加山雄三の「君といつまでも」とともに大ヒットとなったのが、園まりの「逢いたくて逢いたくて」である。
 渡辺プロは、同世代の中尾ミエ、伊東ゆかりとともに3人娘として売り出しを図っていた。海外のカヴァー曲を歌ってデビューした3人だが、ポップスが似合わない園まりは2人に出遅れていた。
 中尾ミエは健康的な色気とパンチ力で、伊東ゆかりは若いのに歌唱力があり、既にスター歌手の位置にいた。一方、若いのにしっとりとした雰囲気の園まりは、ポップスを歌うには中途半端な存在であった。
 そんな彼女がヒット曲を出したのは、デビュー3年後の64年、ムード歌謡風の「何も云わないで」であった。ようやく園まりの色気と歌が一致して、その後中尾、伊藤を追い抜く人気スターになっていった。
 66年、この年の大ヒット曲「逢いたくて逢いたくて」は、既にザ・ピーナツの「恋のバカンス」、「ウナ・セラ・ディ東京」など一連のヒット曲を連発していた、岩谷時子作詞、宮川泰作曲のコンビである。

 映画は、このヒット曲にあやかって日活で製作された。
 共演は、売り出し中の渡哲也と吉永小百合に続く日活ヒロイン松原智恵子。それに、後に梶芽衣子と改名して有名になる太田雅子が出ている。
 内容は、大学に入学した新入学生の園まりたちグループ(園まり、太田雅子、和田浩治等)は、カンツォーネのサークルに入部するのだが、その部長(小沢昭一)は在籍7年で、楽器を質に入れているという、どうしようもない部であった。
 仕方なく、学生・園まりは、資金集めのため歌手の園まり(園まりの二役)の“そっくりショー”に出て、優勝する。それがきっかけで、病気になった歌手の園まりの代役をやることになる。
 歌手の園まりを取材している週刊誌カメラマン(渡哲也)と記者(松原智恵子)に、彼女は正体をつかまれそうになるが、最後は心を通わせるという話である。
 人気歌手の園まりの代役となった大学生が、難なく取材に受け答えし(しかも、こともあろうか外人記者に英語で受け答えする)、さらに誰からもばれることなく歌まで歌いこなすというシチュエーションは、どう見ても無理がある。
 さらに、見ている誰もが園まりに惹かれていると思った雑誌カメラマンの渡哲也が、最後にはあっさり同僚記者の松原智恵子と婚約するという結末は、あまりにも安易な落としどころである。
 しかし、歌謡映画に多くを望んではいけないのである。主演しているスターの微笑みと歌を聴ければ、それで満足としなければいけないのだ。
 ちなみに、渡辺プロの3人娘、中尾ミエも伊東ゆかりも歌手として出演しているし、ドリフターズもどさくさで出ている。
 それに、おそらく気鋭の脚本家の白坂依志夫は、よっぽど忙しかったのだろう。歌手の園まりを役者として活かすには、本人との二役が最も演じやすいと思ったのかもしれない。
 そういうストーリーのあおりで、その後主役に一本立ちする渡哲也も、既に青春スターでヒロインであった松原智恵子も、この映画では脇役に成り下がっていた裕次郎二世とまで言われた和田浩治も、まったく活かされていなかったのは、残念だ。
 園まりが、園まりを演じた、園まりのための映画である。
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◇ 東京物語

2008-07-21 18:22:51 | 映画:日本映画
 「東京物語」と聞いただけで、様々な情景が浮かび上がる。
 華やかな都会に憧れて、上京はしたものの、その大都会の上品な装いの裏の冷たさに心を痛める若者の姿。都会と地方の田舎のギャップに戸惑い、悩みながらも、都会に少しずつ馴染んでいく。それでも、慣れ親しんだと思ったらすぐに裏切るのが都会の持つ性格だ。
 高層ビルが聳えるその裏には路地があるように、ネオンの輝くその裏通りには違った人たちがいる、都会の夜。醜さを覆い隠すかのような、煌めく街の灯り。
 華やかな世界はすぐ隣にあり、いつかは、いやその気になればいつでも掴めそうな距離にありながら、その道にはバンカーがいくつもこしらえてあり、ハザードの大きさをいつしか思い知らされる。
 好きなはずなのに遠ざかっていく、かのようだ。まるで、男と女の関係のように、愛と憎の間で揺れ動く東京の街。
 それでも、自分の思いとは無関係に、都会は休むことを拒否しながら、生息を続けている。
 そんな東京のそこかしこで、大きくもあり小さくもある予期せぬドラマが待ちうけ、繰り広げられている。
 「東京物語」
 それは、東京という都会で起こった、私の、そしてあなたの、心にしまってある物語である。そのドラマは、今日もどこかで、作られている。

 *

 小津安二郎監督・脚本 笠智衆 東山千恵子 原節子 杉村春子 山村聰 三宅邦子 香川京子 大坂志郎 東野英治郎 十朱久雄 1953年松竹

 映画「東京物語」は、日本を代表する監督、小津安二郎の代表作である。
 しかし、これほど見る年代によって、理解と評価が分かれる映画はないだろう。 若いときは、この映画の良さが分からなかった。殆どの小津映画がそうであったように、見ても、まったく面白くなかった。それが、あるとき変わった。
 年を加え、自分がどの年代になったかによって、この映画の見方は変わるのかもしれない。

 田舎(広島県尾道市)で、独身の次女・小学校教師(香川京子)と住む老夫婦(笠智衆、東山千恵子)が、子どもたちが住む東京へやって来る。
 ところが、町医者をやっている長男(山村聰)も、美容院を営む長女(杉村春子)も、最初は歓迎するが、仕事が忙しくて父母の二人をかまってやれない。そこで、仕事を休んで二人を東京見物させたのは、戦死した次男の妻である未亡人の紀子(原節子)だった。かといって紀子とて、そう会社を休めない。
 長男、長女は二人をかまってやれないので、次の日二人を熱海に送り出す。熱海の旅館では、団体客が夜通し大騒ぎの宴会をやっていて眠れない夜を過ごした二人は、早々にまた東京の長女の家へ戻ってくる。
 そこで、どうやら邪魔者扱いされていると感じた妻(母)は、再び未亡人の紀子の家に、夫(父)は東京に出てきている昔馴染みと会って、酒場に行き泥酔してしまう。
 翌日、二人は田舎に帰ることにする。別に、二人は子どもたちに文句や愚痴を言うわけではない。息子も娘たちも忙しいから仕方がない、と二人は呟くだけである。
 田舎に帰った直後に、妻(母)が急死する。
 葬式に田舎に帰ってきた子どもたちは、法事が終わると、長女は母の形見分けを次女に申し込んで、他の兄弟たちと早々にまた東京に帰っていった。
 田舎に残っている次女は、そうした兄姉たちのふるまいに対する不満を、一人しばらく田舎に残ってくれた紀子にぶちまけるのだった。
 妻を亡くした夫(父)は紀子に言う。「あなたも、死んだ息子のことはもう忘れて再婚しなさい。今まで有り難う」と。そして、妻(母)の形見の時計を渡す。

 田舎を離れて東京へ出て行った子どもたち。
 子どもたちは、東京で何とかうまくやっているようだ。
 そこで、子どもたちに会いに行って、東京見物でもと思った老夫婦の東京物語である。
 ところが、やりきれない思いで東京を発ち、田舎に戻ることになった二人。二人にとって、東京はいい思い出にはならなかった。きっと、東京を思い出すときは、殺伐とした寂寥感がいくらか漂うことだろう。
 ただし、殺伐としているのは東京ではない。子どもたちとて、意地悪で親を邪険にしているのではない。やるせない親と子の関係の間に、東京があるのだ。
 映画では、もう少し東京にいる子どもたちの態度が何とかならないものかと思ってしまう。しかし、程度の差を問題にしてはこの映画の意味を見失うだろう。ある意味では、仕方ない情況でもあるのだ。おそらく、よく見られる親と子の風景なのだ。
 それをもたらしているのは、都会なのであろうか。

 昭和28年の作品であるが、ここには都会と地方、核家族の問題が予見できる。
 子どもたちは、地方から都会へ出て行く。この傾向は年をおうごとに大きくなる。
 そして、親と子どもの温度差、希薄になっていく親と子の関係が切ない。それは、都会がもたらすものなのか、そうとばかりは言えないものなのか?
 そして、いつかやってくる死。

 時代がたつごとに、内に孕んだ問題が鮮明になっていく映画である。
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