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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

大人の見る絵本「生れてはみたけれど」

2013-02-13 02:44:11 | 映画:日本映画
 子どもには子どもの世界がある。
 そこには、いやな奴がいたり、自然と遊び仲間のグループができたりして、小さな世界での階級ができて、各々のスタンス、立ち位置が確立されていく。だいたいが、ケンカの強い者がボス的存在のガキ大将になるのだが、そこには他の要素も時折介入してきて、微妙な力関係で存在する世界はそれなりに揺れ動き、各自のスタンスは確固たるものではない。

 「大人の見る絵本、生れてはみたけれど」(1932年、松竹)は、小津安二郎監督の20代のときの、初期の作品である。出演、斎藤達雄、吉川満子、菅原秀雄、突貫小僧、坂本武ほか。

 腕白坊主の兄弟2人(小学校低学年の年齢、菅原秀雄、突貫小僧)一家は、都心から郊外に引っ越してくる。そこには、体の大きいケンカの強いガキ大将の男とそのグループがいた。兄弟は、ガキ大将が目の敵(かたき)にしているせいで、学校を休んだり、仕返しをしたりするが、やがて仲良くなる。
 そのグループのなかには、父(斎藤達雄)の会社の上司(坂本武)の息子もいた。一家が郊外へ引っ越してきたのも、父の上司の家の近くということもあった。
 そんなことはお構いなく、兄弟はグループの中ではガキ大将的な地位にいた。
 ある日、その父の上司の家で映写会をやるというので、子どもたちも喜んで見に行く。もちろんテレビなどなかった時代だから、動く映像を見る映写会は珍しかった。上司の家では、兄弟の父も含めて会社の部下が何人か集まっていて、子どもたちも集まって、8ミリ映写が行われた。
 最初は動物園の動物などが映り、みんな喜んで見ていた。そのうち、会社の社員の顔が映し出された。そして、兄弟の父が上司とともに映し出された。そこでは、家では厳格な父が、上司に媚びてペコペコお辞儀をし、おどけ顔を作ったりしているのだった。
 映像を見ているうちに、兄弟の顔がみるみる変わっていった。そして、そっと席を立って帰るのだった。
 偉いと思っていた父の大きな像が、急に崩れたのだった。
 兄弟は、家に帰ってきた父に何故あんな態度をとるのかと怒り、お父さんは偉くないのか、何が偉いのかと声をあげる。そして、2人はハンガーストライキを決意する。

 子どもが、大人の世界を垣間見た瞬間を、それをどう自分に納得させるのか、親はそれに対してどう答えるのか、映画は子供の世界から観る者に語りかける。
 語りかけると言ったが、この映画はサイレントで声が出ないので、実際は語りはしない。時折、字幕が出る(新版では字幕のところはナレーションも加えてある)が、見終わって、サイレントという印象はなく、騒々しくなぜか生々しく言葉が残っているのである。

 子どもが大人の世界を垣間見たとき、子どもの世界に大人の世界が入ってきたとき、子どもは世界の矛盾や真実、つまり現実を知ることになる。そして、その分だけ大人になる。その分だけ子どもであることを捨てるのである。

 小津安二郎といえば、「東京物語」をはじめ、家族の在り方を淡々と描いた戦後の作品が有名だが、ここでは子どもの世界が上手く描かれていて、当時の子どもの遊びを知ることができる。

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時代を疾走した映画監督、大島渚

2013-01-16 03:10:56 | 映画:日本映画
 大島渚が1月15日、死んだ。長い闘病の末だった。
 僕の学生時代、大島は映画監督の代名詞だった。1960年代から70年代にかけての政治の季節の真っ只中、ラディカルに社会的問題を映画を通して訴えかけたのが大島だった。
 映画に娯楽以外のものを見つけるなんて考えてもみなかった九州の田舎から出てきた若者にとって、映画に社会的意味を見出すことは発見で驚きだった。そこに政治や社会を投影するということは、映画へのもう一つの入口を示されたようだった。
 大島の映画に、僕らは意味を見出そうと努めた。この映画で、大島が言おうとしているのは、社会の矛盾と日本の貧困だ、などと僕らは大島の映画を見たあと薄暗い喫茶店で語り合った。
 それは、大江健三郎の小説に意味を見つけようとして読んだのに似ている。

 公開からずっと後だが、どこかの名画座で初めて見た大島渚の「青春残酷物語」(1960年作品、松竹)は鮮烈だった。どこかに希望を含んだ日活の青春映画とは違っていた。少し投げやりな桑野みゆきが大人で、手の届かない女性に見えた。
 松竹から一方的に上映中止になっていた大島渚の「日本の夜と霧」(1960年)は、すでに伝説の映画となっていた。大学祭で上映すると聞いて、固唾を呑んで見たのだが、学生運動の全容がまだおぼろげだった僕には、映画そのものが霧の中のようであった。
 大島の実質的なデビュー作の「愛と希望の街」(1959年)は、当初大島が考えていたタイトルどおり、「鳩を売る少年」の物語だが、過激的な側面は抑制されていて、まだ揺籃のようであった。

 大島渚は、吉田喜重、篠田正浩などとともに松竹ヌーベルバーグの旗手と称せられた。吉田の「水で書かれた物語」(1965年)や、篠田の「涙を、獅子のたて髪に」(1962年)、「乾いた花」(1964年)は大好きな作品だけど、大島が自他共に認める時代のトップランナーであった。
 松竹ヌーベルバーグの若き監督たちは、女優にもてた。大島は小山明子、吉田は岡田茉莉子、篠田は岩下志麻という、当時の第一線の美人女優と結婚し、僕たちを羨ましがらせた。

 松竹を退社した後も大島渚は、同志で脚本にも参加した田村孟、石堂淑朗、俳優の小松方正、戸浦六宏らで独立プロの映画製作会社「創造社」を造り、刺激的な作品を意欲的に発表していった。
 「ユンボギの日記」(1965年)、「日本春歌考」(1967年)などの後、ATG(アート・シアター・ギルド)で、「絞死刑」(1968年)、「新宿泥棒日記」(1969年)、「少年」(1969年)など、大島の作品を見るたびに、僕たちは彼の映画を議論したものだった。
 新宿のアート・シアターで見た「新宿泥棒日記」で、不思議な雰囲気を醸し出していた映画初主演の横山リエは、僕の友人が劇団青俳の研究生だったとき同僚だった。彼女は「遠雷」(1981年)でも個性的な存在感を示していた。
 その後、新宿3丁目で妹とスナックをやっていたが、今はどうしているのだろう。
 「夏の妹」(1972年)では、今でいうグラビア・アイドルだった栗田ひろみの魅力を引き出した。大島がこんな映画を作るとは。僕の好きな映画だ。

 ハードコア・ポルノグラフィー表現として過激な性描写で話題となった「愛のコリーダ」(1976)以降、僕は大島の映画から関心が遠のいていった。
 「戦場のメリークリスマス」(1983)は、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしと異色の組み合わせで世界的に評価されたが、かつての大島を見つけることが難しかった。

 しかし、大島渚と聞けば、映画に目覚めていった映画青年だった時代、そして新宿のアート・シアターを喚起させる。彼は映画で社会に何かを投げかけていたし、映画で何かをやれると思わせる時代を走っていた。
 大島渚は、フランスのJ・R・ゴダールとともに、僕の青春時代の日本のヌーベルバーグ、新しい波だった。

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ストリッパーが主役の、日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」

2012-12-23 05:18:31 | 映画:日本映画
 「カルメン故郷に帰る」は、映画史を語るに記録に留めておかねばならない作品である。
 というのは、日本初の国産カラー映画だからである。
 戦後、映画は終戦の年の1945(昭和20)年から作られ、外国映画の輸入公開も翌1946年から始まった。廃墟と闇市の中でも、映画は作られ上映されていたのだから驚きである。
 まだ映画会社は、松竹、東宝、大映の3社だけであった。

 戦後国産映画の第1作は、1945年10月公開の、松竹の「そよ風」(監督:佐々木康)である。並木路子が歌うこの映画の主題歌の「りんごの歌」は大ヒットし、戦後の復興の象徴のように、その後も歌われ続けた。
 終戦の翌年の1946年には、国産映画は徐々に数を増やして作られていくが、やはりそれまでしばらく見ることのなかった輸入公開された海外映画に人々の関心は集まり、なかでもハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン主演の「カサブランカ」が大ヒットした。
 面白いことに、それまで軍事一色だった日本を文化の面からでも自由化、民主化しようと思ったのか、GHQは接吻映画も作れと指示したそうで、それに基づいてかどうか知らないが、この年松竹で作られた「はたちの青春」(監督:佐々木康)で大坂志郎と幾野道子による接吻画面が実現している。といっても、ちょっと口を合わせる程度だったが大きな反響だった。
 この映画が日本初のキスシーンの映画となっていて、のちに、この映画の公開日の5月23日をキスの日としている。
 しかしその年すでに、ガラス越しや口にセロファンをあてたキスシーンの映画はあったようで、実際のキスシーンも、この年作られた川島雄三監督の「追いつ追われつ」が、話題にならなかったが早かった。
 ガラス越しのキスシーンは、1950(昭和25)年の岡田英次と久我美子の「また逢う日まで」(監督:今井正)があまりにも有名だが、キスシーンの映画はすでに終戦直後に作られていたのだ。

 初めてのキスシーン映画公開の翌年の1947年には、初めてのストリップショーが東京新宿の帝都座で行われている。いわゆる「額縁ショー」と呼ばれるもので、大きな額縁の前で、乳房と上半身露出のモデル女性が静止したままで立っているというものだ。その後規制緩和とともに、ストリップはショー化して、大衆の淫靡な娯楽となっていった。

 *

 「カルメン故郷に帰る」は、1951(昭和26)年公開というから、まだ戦後6年しかたっていない貧しさの残っていた時代であるが、映画は急成長していた。
 前年日本で公開された「羅生門」(監督:黒沢明)が、ベネティア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞したのがこの年である。日本の映画が国際的に認められたとして、映画界は沸いた。
 そして、世界に遅れじとばかりに、国産のフィルムでもって作られた初のカラー映画が木下恵介監督による「カルメン故郷に帰る」である。

 「カルメン故郷に帰る」は、冒頭、子どもたちが歌う抒情的な主題歌が流れるなか、画面に絵本のような絵が映し出される。素朴でカラフルな絵である。絵を背景に、「カルメン故郷に帰る」とタイトルが出てくる。
 そして、「松竹映画30周年記念」、さらに「日本映画監督協会企画」と映し出され、「総指揮、高村潔」、それに続き、「富士写真フィルム株式会社、フジカラーフィルム使用」と大きな文字で映し出される。
 要するに、松竹の会社および日本映画界の期待を背負って、富士フィルムの多大な協力を得て撮影した、という主張が大きく出ているのである。
 物語の始まりは、牛が草をはみ、馬がいななく牧歌的な高原が映し出される。草原の先には白い煙を漂わせる緑の浅間山がそびえ、青空が広がる。空には白い雲が浮かんでいる。
 この風光明媚な村に、村を出て東京でストリッパーをやっている女性(高峰秀子)が、友だち(小林トシ子)を連れて久々に帰ってくる。
 1947年に東京新宿で「額縁ショー」として始まった日本のストリップは、4年後のこの映画が公開された頃には、全国に知られる存在になっていたのである。もちろん、都会にはその劇場があっても、地方の田舎ではまだ噂の段階でしかなかったであろう。
 この2人の女性が村に来たことで、村は色めきたつ。
 女はリリィ・カルメン、友だちはマヤ朱美と称して、ストリッパーであるが彼女たちは自分たちを素直に芸術家と思い込んでいる。この二人が、村に騒動を起こすのである。

 村にやってきた彼女たちのいでたちがハデハデしい。カルメンが真っ赤なワンピースに白いスカーフ、黒い手袋。それに、色とりどりの極楽鳥のような羽のついた帽子を被っている。連れのマヤは、黄色に黒の太いストライプのワンピース。まるで、虎かシマウマのような模様である。
 そして、2人が着替えてきた次のシーンでは、紺地に大きな白い水玉と、赤地に大きな白い水玉模様のワンピースである。さながら芸術家、草間彌生の世界だ。
 彼女たちは自然な風景と素朴な村人たちの中で、とりわけ目立ってハデハデしいが、かといって決してケバケバしいとは感じさせない。
 監督の木下恵介は、色彩をどう映すか、どう映るのかを意識したのであろう。
 当時のポスターを見ると、その力の入れようがわかる。(写真)
 「大松竹の壮挙!日本最初の総天然色映画」と銘打っている。そして、タイトルの「カルメン故郷に帰る」の文字は、すべて色を変えるという、まさに総天然色というカラーを意識した色使いだ。
 興味深いことは、2人の衣装の色である。映画の中での高峰秀子の赤いドレスが紺色に、小林トシ子の黄色地に黒のストライプが白地に赤のストライプに変えてあるということだ。タイトルを目立たせるため、少し落ち着いた色調にしたのだろう。
 撮影は、ほぼ全編が浅間山麓の高原ロケである。青い空と白い雲が、物語の展開にかかわらず、全体を清々しい雰囲気に演出している。

 主演の高峰秀子は、このあと「二十四の瞳」、「浮雲」、「喜びも悲しみも幾歳月」など多くの名作に主演し、名女優となった。
 校長先生役の笠智衆が、その後の「男はつらいよ」シリーズの御前様のキャラクターを先駆けている。
 「君の名は」の二枚目、佐田啓二が、田舎の純情な先生役として初々しい。
 学校でオルガンの伴奏により、しばしば子供たちに歌われる主題歌の「わがふるさと」は、抒情的なメロディーで、浅間山の高原に溶け込むように流れる。
 翌1952年、同じく木下恵介監督、主演高峰秀子によって、「カルメン故郷に帰る」の続編「カルメン純情す」が作られた。

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多摩発の新人映画作家の発掘をめざす、多摩映画祭コンペティション

2012-11-19 04:11:28 | 映画:日本映画
 東京都多摩市の多摩映画祭TAMA CINEMA FORUMが始まった。
 今年で22回目となるからよく続いている。各地で映画祭が町興しの一環のように行われた時期があったが、持続するのが難しいのが現状だ。
 多摩の映画祭は、一般の映画愛好家が中心となって運営している映画祭で、最優秀作品から、話題作品、新人作家作品、はたまた日本のヌーベルヴァーグ作品などと幅広い内容だ。
 期間も11月17日(土)から24日(土)までと長い。上映館は、多摩センターがパルテノン多摩小ホール、聖蹟桜ヶ丘がヴィータホール、永山がベルブホールである。
 今年の最優秀作品・受賞作は、「この空の花-長岡花火物語」(監督:大林宣彦)、および「桐島、部活やめるってよ」(監督:吉田大八)。
 多摩映画祭のHPは、 http://www.tamaeiga.org/2012/

 *

 11月18日(日)に、新人映画人のコンペティションである第13回「TAMA NEW WAVEコンペティション」が多摩・聖蹟桜ヶ丘のヴィータホール行われた。
 僕は、ここ数年一般審査員として参加している。一般映画館では上映しない、若い作家の映画を観るいい機会でもある。
 朝10時過ぎから夜7時過ぎまで、応募120作品から選ばれた選考作品5本の映画を観た。
 上映のあと、ゲスト・コメンテーターとして、篠崎誠、鈴木卓爾監督が出席して、出品作品に関して感想を語った。

 今年は、質のいい作品が揃ったと感じた。
 出品映画の題名と簡単な僕の個人的感想を記しておきたい。(上映順)

○「ひねくれてもポップ」(監督:村松英治)
 主人公の女性は、人生の目的もなく、始めたアルバイトも遅刻と早退の繰り返しだ。ふとしたことから、食事する人間ばかりを撮っている変わった写真家と知り合ったことにより、彼女の心に少し波風が立つ。
 小品だが、今どきの若者の倦怠と窒息感が伝わってくる。主人公の女性のやるせなさと最後の表情の変化が味を出している。

○「大童貞の大冒険」(監督:二宮健)
 何の取り柄もない、女にモテない童貞の学生である主人公が、学内の美女を好きになり、彼女の所属する演劇クラブに入って熱烈純情アタック。ところが、現実は夢と化す。
 過剰な演技が目につくところがあるが、劇中劇、現実か空想かといったスケールの大きさを含ませ、学生らしい鋭敏な感覚が全体を覆っている。

○「かしこい狗は、吠えずに笑う」(監督:渡部亮平)
 不細工に生まれたと思っている目立たない女子高生の女の子に、同じクラスの可愛い女の子が、ある日から急接近する。全く正反対のような二人だが、瞬く間に親友と呼ぶような仲になるが、待っていたものは驚くべきことだった。
 思春期の親友という領域に深く入り込もうとする感性豊かな作品である。サスペンス仕立てを装っているが文学的な嗜好があり、現代の湊かなえの「告白」から、谷崎潤一郎の「少年」まで、SMの香りも漂わせる。
 主演の女子高生役の二人の拮抗が、映画に厚みを持たせている。

○「月の下まで」(監督:奥村盛人)
 高知県のカツオ漁師である主人公は、腕はいいが知的障害を持っている息子を抱えてトラブルが絶えず、経済的にも逼迫している。純真な天使のような息子と、正面から向き合って生きていこうとするのだが。
 作品としては新人離れした完成度の高い内容、構成となっている。その完成度の高さゆえに、贅沢にも不満が残る。主人公の漁師役が、映画全体を引き締める演技をしている。

○「魅力の人間」(監督:二ノ宮隆太郎)
 工場で働く若者たちのなかにも友情やいじめがあるように、ふとした諍いは起こるものである。こうした働く若者の日常の出来事を描いている、かのように映画は進展していく。しかし、物語はそこにとどまらない。静かで孤独な男の、以前知り合っていた女とのふとした情事、女の家から出てきた先で出会った先輩の同情心に対する、男の暴力。この、ある夜の落とし穴のような出来事から、次の日、奇妙な仕返しの儀式が行われるのだった。
 監督のプレーイング・マネージャー、つまり演出兼主演ともいえる準主演である。平凡と見せかけた巧妙なトリックが仕掛けてある、心に棘を突き刺したような傷を残す、奇妙な作品である。

 審査の結果、第13回「TAMA NEW WAVEコンペティション」は、以下の映画および役者が受賞した。
◎大賞:「かしこい狗は、吠えずに笑う」(監督:渡部亮平)
◎特別賞:「魅力の人間」(監督:二ノ宮隆太郎)
◎ベスト男優賞:那波隆史 「月の下まで」
◎ベスト女優賞:mimp*β(ミンピ) 「かしこい狗は、吠えずに笑う」
○G・C男優賞:アベラヒデノブ 「大童貞の大冒険」
○G・C女優賞:北村美岬 「ひねくれてもポップ」

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銀幕のパールライン、「誘惑」

2012-08-30 02:19:35 | 映画:日本映画
 調布シネサロンでは、「日活100年への軌跡」として毎月、日活映画を上映しており、「銀幕のパールライン」と銘打って、先日「誘惑」(監督:中平康、1957年)を上映した。
 ここでいうパールラインとは天草のパールラインではなく、日活ファンの人は承知であろうが、ダイヤモンドラインに準じて作られた呼称である。
 ダイヤモンドに対して、ルビーやサファイアでなくパール、すなわち真珠とは、いささか控えめの感があるが、これがとてもぴったりとあっている。野村克也(元野球選手)の例えではないが、ヒマワリに対して月見草のような奥ゆかしさがある。
 では、パールラインには誰がいたのであろう。

 1950年代後半の日活映画は、文芸ものからアクションものに変換していく過程にあった。そして、1959年頃より、アクション映画を主とした石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治をもってダイヤモンドラインなるものが編成され、毎週この4人の誰かが銀幕に登場するようになる。
 しかし、61年に裕次郎のスキー場での骨折、赤木圭一郎のゴーカード事故死で、それまで助演者であった宍戸錠、二谷英明を主演級に昇格させる。だから、ダイヤモンドラインは、後半には変容している。
 アクション映画は、あくまでも男優のヒーローが主役であった。相手役の女優のヒロインは、やはり月見草の美しさである。
 パールラインは、ダイヤモンドラインのヒーローの相手役であるヒロインを呼称したものである。であるから、ヒロイン役を演じた北原三枝、芦川いづみ、浅丘ルリ子、笹森礼子、清水まゆみ、そう思っていた。
 しかし、小林旭の渡り鳥、流れ者、銀座旋風児などのシリーズでの浅丘ルリ子、和田浩二の小僧シリーズでの清水まゆみなど、シリーズものでは、ヒロインは不動であったが、石原裕次郎や赤木圭一郎主演のシリーズもの以外の単発もののヒロインは、さまざまであった。裕次郎は北原三枝と結婚したあとは彼女とはコンビは組まず、相手ヒロインは変わっていった。
 だから、パールラインとは、固定されていなかったと言っていい。
 それを物語るものとして、日活が発行していた「日活映画」なる雑誌の(昭和35年6月号)表紙には、座談会「日活パールラインのおしゃべりタイム」なる記事がある。僕はその内容を読んだわけではないが、その出席者は笹森礼子、吉永小百合、南里磨美とある。笹森礼子、吉永小百合はともかく、南里磨美という女優を僕は知らない。ダイヤモンドラインの相手役をやったという記憶もない。
 その後の芸能雑誌によるパールラインの記事を見ても、ダイヤモンドラインのヒロイン役とは限らないようで、日活が公開する映画のPR用に若手の女優を登場させていたようである。

 その後日活では、アクション映画の影で薄くなっていた青春映画が、アクション映画の衰退とともにクロスするように表舞台に出てくるようになる。
 吉永小百合は日活入社後、「拳銃無頼帖・電光石火の男」「霧笛が俺を呼んでいる」など赤木圭一郎主演のアクション映画などに脇役で出演していたが、1960年末の浜田光夫との「ガラスの中の少女」で初主演を飾る。ここに日活青春映画の萌芽を見ることになる。
 吉永は翌61年には、アクション映画の「黒い傷あとのブルース」(小林旭主演)などを交えながら、浜田光夫とのコンビで石坂洋次郎原作の「草を刈る娘」などによって、日活に青春映画を定着させ始める。
 そして、62年に「キューポラのある街」(監督:浦山桐郎)にて、日活の青春映画の開花を見る。この年の「赤い蕾と白い花」では、吉永は挿入歌の「寒い朝」をヒットさせ歌手の仲間入りも果たし、同年橋幸夫とのデュエット曲「いつでも夢を」では日本レコード大賞を受賞する。
 稀しくも、この年封切られた「渡り鳥北へ帰る」が、小林旭の渡り鳥シリーズの最後の映画となる。
 裕次郎は、61年「あいつと私」で事故より復活するが、その後不良じみたアクションとは無縁になる。 
 62年、赤木圭一郎の事故死により撮影中断していた「激流に生きる男」で初主演した高橋英樹は、吉永小百合、和泉雅子などと文芸ものに共演し、スターとなっていく。
 こうした機運を受けて、吉永小百合、浜田光夫、高橋英樹など若手を中心に、山内賢、和泉雅子などでグリーンラインが編成される。出演作からみて、吉永小百合、松原千恵子などは、パールラインとグリーンラインの両方にわたっていたと言っていい。
 ダイヤモンドライン、パールラインの自然消滅とクロスして生まれたグリーンラインであるが、日活の青春映画も、時代の波とともに衰退・変身を余儀なくされていく。

 *

 「誘惑」(1957年、日活)は、「狂った果実」で本場フランス・ヌーベヴェルバーグよりも早い出現と言われた、鬼才中平康の監督作品である。
 内容は、銀座通りで洋品店をやっていた店主(千田是也)が、2階で画廊を始める。そこで、学生によるグループ展をやらせることにした際の、画廊の店主、娘、店員、学生たちを絡めた淡いラブロマンスである。
 1957年作という時代を思えば、洒落た作品である。銀座もパリのシャンゼリゼのように映る。
 パールラインの一粒、芦川いづみ出演作である。といっても、主演は彼女ではなくて左幸子である。
 そして、芦川いづみの相手役は、ダイヤモンドラインの男優ではない。しいていえば、中年男の千田是也(俳優座)である。しかも、写真の宣伝ポスターにあるように、その千田是也との、寝ている状況とはいえキスシーンまである。裕次郎や旭とでも、キスシーンはなかったはずだが。
 左幸子は、アクション、青春映画が大手を振っていた日活において、「にっぽん昆虫記」(監督:今村昌平)、「飢餓海峡」(監督:内田吐夢)など優れた芸術作品で好演していて、もっと注目されていい女優なのだが。
 この映画で僕が注目したのは、葉山良二である。典型的な甘い二枚目で、日活がアクション映画に本格的に取り組む前の揺籃期に、文芸ものやメロドラマに主演していた。中平康は、この葉山が気に入っていたようで、彼の作品にはよく出演している。
 アクション映画全盛期にも、準主演級として出演していたが、どうしても石原裕次郎や小林旭などの個性には負けてしまい、次第に脇役になっていった。
 アクション映画で、助演や脇役で出演している葉山を見て、惜しいなあと思っていた。
 葉山良二が日活ではなく松竹にいたら、上原謙や佐田啓二の後継者として人気を博したかもしれない。

 本題のパールラインであるが、グリーンラインもそうだが、固定しなくて変動制であるなら、映画と連動させながら、新人の若手女優をどんどんマスコミに露出させればよかったのだ。
 そして、日活独自に人気投票などをして(日活映画入場者に投票権を与えて)、ランク付けをしたりする。今月のパールライン・ベスト10の、No.1は浅丘ルリ子、No.2は吉永小百合…などと、当時の雑誌「平凡」「明星」「近代映画」などとタイアップして発表したりして。
 う~ん、AKB48の先取りだな。

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