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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

怪獣「ゴジラ」復活

2014-07-31 01:38:10 | 映画:日本映画
 「水爆怪獣ゴジラ現る」
 こういう見出しで書かれているのは、「昭和史全記録」(毎日新聞社刊)のなかの、1954(昭和29)年11月の事項である。(写真)
 この年の11月2日には、次のように記されている。
 「“水爆大怪獣映画”「ゴジラ」(東宝、監督本田猪四郎)公開。「水爆実験で200万年の眠りからさまされた丸ビル大の原始怪獣だ、口から怪白光を吐きすべてを焼きつくすという」
 映画のなかの一場面である写真は、東京の銀座に現われたゴジラである。国電の電車をわしづかみにし、食いちぎっている。後方左手に見えるのは、旧日劇(有楽町マリオン)で、右手に見えるのは、銀座4丁目の服部時計店(和光)である。
 丸ビルと比較されているゴジラだが、当時東京駅前の丸ビルは地上9階(地下1階)建てで、まだ今のように超高層ビルがない時代では、昭和30年代までは最も大きな建造物の象徴であった。
 現在大きさを表すのに、例えば東京ドーム何個分と言ったりするが、かつて長い間、丸ビル何個分と言っていた。

 ゴジラが誕生して60年という。
 第1作の映画「ゴジラ」(東宝)公開は、1954(昭和29)年である。
 新しいゴジラ映画「ゴジラ」(GODZILLA)が米ハリウッドで作られ、今、日本でも公開されている。ゴジラ映画はアメリカでは1998年以来2作目で、日米合わせて30作だという。いつの間にこんなに作られたのかと思う。
 私は子どもの時に見たゴジラの記憶を思い起こすと、最初のゴジラ登場の第1作と、ゴジラと闘うアンギラスが出てくる第2作「ゴジラの逆襲」(1955年)と、ラドンが出てくる映画で、そのあとはもう見ていない。
 阿蘇山の火口の地底から飛び立つ翼竜ラドンを覚えているが、この映画「空の大怪獣ラドン」(1956年、東宝)にはゴジラは登場しないので、同じ怪獣映画でもゴジラ映画のシリーズではないようだ。
 ゴジラとは、陸のゴリラと海のクジラの合成語である。

 *

 第1作目の「ゴジラ」(監督:本多猪四郎、特殊技術:円谷英二、音楽:伊福部昭、出演:宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬)のデジタル復刻版を見た。
 映画は、のどかな海を航海する船の上が映し出され、その船が突然閃光を浴びて燃えて沈没するという場面から始まる。当時行われていた水爆実験の被害にあったことを想起させる。
 その頃、日本の漁船が米国の水爆実験に巻き込まれて被曝した第五福竜丸事件が起き、そのことが、人々の脳裏に生々しく焼きついていた時代である。
 伊豆諸島先の太平洋沖での相次ぐ原因不明の船の遭難、事故に、日本国内は慌てふためき、すぐに調査が行われるが、謎と憶測が不安をかきたてるのであった。
 そんな時、遭難からたった一人生き残った男が、筏で島(大戸島)に流れ着き、息たえだえに「やられただ、○○(意味不明)に」とつぶやく。
 村の長老は、昔から言い伝えのあるゴジラのせいに違いないとつぶやく。その時は、誰もゴジラの存在など信じていなかった。

 しばらくして、島に調査に来た調査団の前に、ゴジラが姿を現す。調査に来た博士は、驚いた顔で、確かにジュラ紀の生物だと言う。
 博士は東京に戻った調査報告の席で、この生物を大戸島の伝説にちなんで、仮の呼び名でゴジラと呼ぶ。ゴジラが公になった瞬間だ。
 そして、何日か後に、ついに日本本土にゴジラは現われる。
 ゴジラ対策が検討され、その年、警察予備隊から保安隊、警備隊をへて自衛隊となった戦闘隊が大砲、戦車などでゴジラに応戦するが歯がたたず、ゴジラは次々と街を破壊する。
 ゴジラは、何かに怒り狂っているようだ。

 映画では、まだ戦後の風景が色濃い1954(昭和29)年当時の、日本および東京の状景が描かれていて興味深い。
 港で、遭難した船の安否を不安でもって海を眺める、島の人たちが映る。筏がたどり着く場面だ。場所は、太平洋上の大島あたりの海辺だろうか。海を見ている地元の人たちのなかに、何人か上半身裸の女性がいる。おそらく海女さんと思われるが、乳房も露出したままで海を見ている。誰もそれを不自然だとは思っていないのだ。
 時々、ニューギニアやアマゾンの奥地で原始的生活をしている人種のルポルタージュで、乳房を出した女性が映りだされることがあるが、日本でも戦後もまだ海女さんの生活はそうだったのだろうと少し驚いた。
 戦後の東京の街も映し出される。銀座の街も破壊されるし、国会周辺も瓦礫と化す。その火の海と化した瓦礫の先に、議事堂だけが残っているのが印象的である。
 実況放送をしているテレビ塔(電波塔)もゴジラの手によって倒される。東京にテレビ塔があったのだ。
 テレビ塔に代わって東京タワーができるのは、ゴジラの出現から4年後のことである。

 最後に、ゴジラは海の中で死ぬ。
 そして、博士の次のようなつぶやきで映画は終わる。
 「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が世界のどこかに現われてくるかもしれない」
 ゴジラは、理由があって怒っているのだ。
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多摩映画祭での、第14回「TAMA NEW WAVE コンペティション」決定

2013-12-04 02:56:52 | 映画:日本映画
 11月23日に始まった第23回多摩映画祭TAMA CINEMA FORUMは、12月1日に終わった。
 市民の運営による映画祭で、数多くある地方映画祭では規模も大きく、長く続いている。
 会場は東京都多摩市のパルテノン多摩(多摩センター駅)、ベルブホール(永山駅)、ヴィータホール(聖蹟桜ヶ丘駅)の3か所で、上映本数も多く、それに新人の発掘・登竜門でもあるコンペティションも行われているのも特色である。

 第5回TAMA映画賞の主な受賞作品、受賞者は以下である。
 ・最優秀作品賞
  「横道世之介」沖田修一監督、「さよなら渓谷」大森立嗣監督、
 ・最優秀男優賞
  松田龍平
 ・最優秀女優賞
  吉高由里子、真木よう子

 *

 11月30日、第14回「TAMA NEW WAVE コンペティション」がヴィータホール(聖蹟桜ヶ丘駅)で行われた。
 僕もこのコンペティションには、ここ数年一般審査員として参加している。
 今年は130本の応募作品のなかから5作品がノミネートされ、朝10時過ぎより休憩を挟み連続上映され、受賞作品決定・発表、授賞式が終わったのは夜8時過ぎであった。
 ノミネート上映作品は以下のとおりである(上映順)。個人的感想を付加しておいた。

□それからの子供
 •監督・脚本=加藤拓人 •撮影=風間太樹 •音楽=加藤拓人
 •出演=佐藤広也、細川唯、茅根利安、佐々木一夫
 「父の蒸発した一軒家に一人で住む主人公の男のもとに、ふと知りあった女が勝手に転がり込んでくる。そこに絡んでくる、会社の同僚のさえない男と近所の子ども。やがて家は、借金のかたに売りに出されることになる。
 仙台の街を舞台に、不透明な未来が描き出されていて、余韻を残した作品にまとまっている」

□あの娘、早くババアになればいいのに
 •監督・脚本=頃安祐良 •脚本=寺嶋夏生 •撮影=野口健司 •音楽=原夕輝
 •出演=中村朝佳、尾本貴史、結、切田亮介、尾崎愛、高橋卓郎
 「古書店を営む中年男の主人公はアイドルオタクで、高校生の娘をアイドルに育てようと懸命である。そこへアルバイトとしてやってきた元演劇女優と高校生の娘に恋している男子高生が絡んで、順調に進んできたはずの親子の二人三脚が揺れ動きだす。
 映画はシリアスな問題を含みながらも、コメディータッチに進展していく。台詞の節々にセンスが光り、ちょっと細部をリメイクすれば最も一般受けする映画となっている」

□バクレツ!みはら帝国の逆襲-世界解放宣言-
 •監督・脚本=三原慧悟 •撮影=奥住洸介 •音楽=斉藤達也 
 •出演=三原慧悟、布施翔悟、酒井桃子、村上淳也、芋洗坂係長
 「ダア…としか言わない男、ゴリラのような言動をする男。言葉を失った男たちが、ある日、自分の言葉を手に入れ、世界に逆襲する。
 爆裂はどこまで轟き、誰彼に響いたのか? 若々しくも壮大なテーマが空回りした印象を残したのが惜しい」

□Dressing UP
 •監督・脚本=安川有果 •撮影=四宮秀俊 •録音・音楽=松野泉
 •出演=祷キララ、鈴木卓爾、佐藤歌恋、平原夕馨
 「父親と二人で暮らす中学1年生の女の子は、普通の女の子だ。その子がある日、いじめっ子の男の子に対して、普段見せない凶暴性を見せた。なぜ? そんな時少女は、それまで父が隠していた死んだ母親の過去を知ってしまう。
 現実と幻想が入り組んだやや難解な映画だが、完成度は高い。撮影当時小学6年生だったという主人公の存在感が際立っている」

□家族の風景
 •監督・脚本=佐近圭太郎 •撮影=星潤哉 •音楽=airezias
 •出演=池松壮亮、佐藤まり、中島茂和、園田光
 「都会で一人暮らしをしている男が、母親が骨折したとの知らせで帰郷する。実家は、平凡な会社員の父親と、少し口うるさいがおせっかいな母の二人暮らしだ。息子の帰郷で、久しぶりの親子の団欒のはずが、思わぬ諍いに発展する。
 家族を描いたまとまりのある映画である。大学の卒業制作作品というのに極めて完成度が高く感心させられたが、その分だけ若さに欠ける、つまり面白さに欠けるきらいがある」

 第14回「TAMA NEW WAVE コンペティション」の受賞作品は以下の通りとなった。
 ・グランプリ
 「Dressing UP」安川有果監督
 ・特別賞
 「家族の風景」佐近圭太郎監督
 ・ベスト男優賞
 池松壮亮 「家族の風景」
 ・ベスト女優賞
 祷キララ 「Dressing UP」

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楽しくも切ない、君の友だち「横道世之介」

2013-03-14 03:43:30 | 映画:日本映画
 その日の朝方、夢の中に世之介が出てきた。
 井原西鶴の「好色一代男」の世之介ではなく、そう、横道世之介がである。高良健吾の世之介である。
 夢の内容は、場所は野球場だった。その野球場は、外野がどこまでも遠く広がっているのに、内野のダイヤモンドが子どもの頃の原っぱでやった三角ベースボールのように極端に狭く小さいのだ。僕ら(数人いた)は「なんだ、なんだ」と言いながら、その狭い内野を拡げようと、なぜかバケツに水を汲んできて水をグランドに流しているという、夢らしく辻褄の合わないものだった。
 夢の中で、世之助は首を大きく振りながら、「うん、うん」と頷いていた。
 
 僕は、その日、映画「横道世之介」を観に行こうと思っていた。夜、布団に入ったまま「横道世之介」の本を読みながら、途中で眠ったのだった。
 まだ映画を観ていないのに、夢の中のその男が世之介だと知っていたのは、テレビで流れる「横道世之介」の映画宣伝を見ていたのと、数日前に観た映画「南極料理人」(監督:沖田修一)で、高良健吾が出ていて、この男が世之介を演じるのかと思って観ていたから、世之介イコール高良健吾と知っていたのである。
 それに、野球場が出てきたのは、最近WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の試合に熱中していたからかもしれない。
 世之介とWBC、よくできた夢とはいえ、われながら単純な潜在脳思考だ。

 去年のことだが、「横道世之介」が映画化されるという情報記事で、監督が沖田修一とあったのを見て、映画「悪人」(監督:李相日)では脚本に参加しているので、原作者の吉田修一が監督をやるのだと思った。というのは、吉田修一が実名では照れくさいので、一字変えた名前にしたに違いないと勝手に思ったのだ。れっきとした監督の沖田修一に失礼な思いをしてしまった。
 それにしても、原作、吉田修一、監督、沖田修一とは、よくできている。
 映画で、世之介が祥子に初めて会ったとき、「横道世之介」と名を名乗ると、祥子は「素敵なお名前、韻を踏んでらっしゃるのね」と爆笑する。原作者と監督も、祥子に倣えば韻を踏んでいる。

 映画「横道世之介」を観るにあたり、最初に原作が発売された時は本を手にしながら読まなかったので、急いで文庫本を買って原作を読み始めた。
 映画は、「新宿ピカデリー」に観に行った。新宿で映画を観るのは久しぶりだ。
 原作はまだ読み終わっていなかったので、新宿に向かう京王線の中で、最後の数十ページを読んだ。

 新宿駅東口を降りて、「ルミネ」の入っている駅ビルはかつて「マイシティ」と言っていたなあと思って歩いた。駅から伊勢丹方面に向かう途中、さっき読み終えた世之介のことで頭がいっぱいになったまま、新宿ピカデリーを探した。新宿ピカデリーは、新宿松竹会館のときと違ってまったくあか抜けていて、近くにあるテアトル新宿と間違えてしまった。
 1階の入り口からエスカレーターで3階の受付ロビーに行くと、待合所があり、何人もの男女が椅子に座って飲み物を飲んだりしていて、人がいっぱいだ。チケット売り場と、ドリンク・フード売り場がカウンター式に並んでいて、上映会場入口が別にある。何だか空港ロビーのようだ。
 10スクリーンもあるシネコンで、11階で観ることになった。

 *

 1987年春、横道世之介は大学入学のため、長崎から東京へやってくる。
 冒頭、新宿駅東口に出てきた世之介の前に、斎藤由貴のCM看板が目に入ってくる。彼女は、この時代のアイドルだったのだ。最初ちらと見たときまさかアイドルの本人が踊っているとは思わなかった世之介だが、実物の本人が踊っている。この何気ない情景に、世之介は長崎の地方と東京の違いを見る。
 「横道世之介」(原作:吉田修一、監督:沖田修一、出演:高良健吾、吉高由里子、池松壮亮、伊藤歩、阿久津唯、綾野剛)は、地方から上京した大学1年生の1年間の物語である。
 映画は原作に忠実に描かれていると言っていい。
 往々にして、映画より原作の方がイマジネーションがわくので、映画には物足りなさを抱くのが多いのだが、この物語に関しては原作の世之介と映画の世之介(高良健吾)があまりにもマッチしているので全く違和感がない。それどころか、彼以外にこの役に合うのはいないのではないか、吉田修一は高良健吾を頭に描いてこの主人公を描いたのではないかとさえ思うほどである。

 桜の咲く季節、武道館で行われた入学式。原作者である吉田修一の母校である法政大学が世之介が入学した大学だ。
 この入学式から、世之介の大学生活が始まる。会場で、偶然隣に座った倉持一平(池松壮亮)が話しかけてきたことで、最初の友だちになる。
 市ヶ谷のキャンパス。教室で、ガイダンスのとき、横に座った朝倉あき(阿久津唯)、勘違いから友だちになる加藤雄介(綾野剛)と、友好関係は広がる。
 なりゆきで倉持や朝倉と一緒にサンバサークルに入った世之介だが、自動車教習所通いやホテルでのアルバイトと忙しい学生生活を送る。貧乏な学生生活だが、世の中はバブル最盛期だ。
 そんななかで、謎の魅惑的な年上の女性片瀬千春(伊藤歩)に憧れる世之介だが、お嬢さまである与謝野祥子(吉高由里子)と付きあうことになる。

 どこにもないようで、どこにでもあるような学生生活。
 初めて体験する都会の華やかさと、ついこの前まで暮らしていた素朴な田舎とを行き来する、ほのかなバランス。
 確かに、あのように恋は始まったなあと思いだす、学生時代の切なさとあやふやさが織り交ざった恋。
 設計図など全くなかったそれまでの人生に、これから自分はどのような道を進むのかの蕾が生まれた十代の慌ただしく過ぎていく生活が、生きいきと描かれている。
 確かに学生時代は、このように生き生きしていたし、苦しくとも、おそらく楽しかったのだ。

 大学入学から16年後の2003年。
 みんな、30代のいい大人になっているし、各々違った道を歩いている。
 同級生の朝倉あきと「できちゃった婚」をした倉持は、娘の恋愛で悩んでいて、あきは「今日近くに行ったので大学に行ってみたら、大きなビルが建っていた」と驚く。そして、2人で、世之介のいたサンバサークルの清里合宿のことを思い出す。
 友人か恋人かと思える男とワインを飲んでいる同性愛者の加藤は、今日ふと雑踏のなかで世之介のことを思い出したと言って、語りだす。「あいつと知り合っただけで、だいぶ人生得してる気がするよ」と。
 長崎にいる世之助の母から、祥子に手紙が届く。そこには、「与謝野祥子以外、開封厳禁」と書いてある別の包みが同封してあり、開けると数枚の写真が入っていた。

 2003年の祥子は、発展途上国を飛び回ってNPO活動を行っている。
 友だちの娘から、初めて好きになった人は、と訊かれて、「普通。普通すぎて笑っちゃうぐらい」と答える祥子は笑いながら思い出す。そして、その帰り道、祥子は雑草の中で、ぎこちなく慌てふためいている2人の姿を見つけ出す。それは、スキーで骨折して入院していた祥子が退院した日に、松葉杖で世之介と初めてホテルに行く姿だった。
 その姿を見つめる祥子の目には、涙がたまっていた。

 世之介の大学生活に、ときおり現在である16年後の2003年の映像が挿入される。
 原作も映画も、すべて巧みに布石が打ってある。
 全編、楽しいのだが、それは哀しみに集約される。それは、青春とはそういう意味だからだろうか。
 ダルビッシュから筋肉をそぎ落とし、少し小さくしたような感じの高良健吾が、明るく前向きな学生、横道世之介にぴったりとはまっている。
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東京タワーが最も輝いていた時代、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」

2013-02-16 04:35:21 | 映画:日本映画
 テレビ時代を告げる東京タワーが完成した翌年の1959(昭和34)年は、皇太子(現平成天皇)の結婚パレードが華やかに行われ、多くの国民がテレビの前に釘づけにされた。銀幕(映画)では、日活の石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩二のダイヤモンド・ラインが勢ぞろいしていたし、翌年本格的に日活でデビューする吉永小百合はまだあどけない少女だった。
 この年、初めての少年週刊誌「少年マガジン」、「少年サンデー」が創刊され、漫画雑誌の新しい路線を開いた。そして、初めてのレコード大賞は、水原ひろしの「黒い花びら」だった。
 日本は、あらゆる面で急成長していた。

 「ALWAYS 三丁目の夕日'64」は、昭和30年代の東京の下町が舞台の、「三丁目の夕日」シリーズの映画第3作目である。

 前作「ALWAYS 三丁目の夕日」から5年がたった1964(昭和39)年は、あらゆる意味で戦後昭和の日本を象徴する時代である。
 日本は急速な高度経済成長の過程にあった。東京オリンピックに間に合わせるように、羽田行きモノレールおよび東京・大阪間の東海道新幹線が開通した。また、首都高速をはじめとして、大都市圏で高速道路の建設が急ピッチで進められた。
 この年の東京オリンピックは、韓国ソウル・オリンピックより24年、中国北京オリンピックより44年先駆ける、アジア初の開催となった。
 学生が学生服を着る以外におしゃれにほど遠かった時代から、流行というファッションに若者が目を向き始めた頃だ。
 銀座には、新しいファッションを身につけた「みゆき族」と称される若者がたむろした。髪を短く七・三に分け、石津健介の「VAN」を愛用し、アイビー・ルックとも呼ばれた。
 そのような風潮に合わせて、若者向けの風俗をあしらった週刊誌「平凡パンチ」が創刊され、当時若者に読まれていた今日の社会問題や思想を中心とした内容の前衛的な週刊誌「朝日ジャーナル」と対比された。
 音楽に目を向ければ、若者が支えていたロカビリーからカヴァー・ポップスのブームのあと、エレキ・ブームがベンチャーズの到来とともに訪れ、彼らはビートルズをしのぐ人気だった。
 1964年のこの年、ポップスの香りを持った西郷輝彦が「君だけを」でデビューし、前年「高校三年生」でデビューした舟木一夫、さらに遡ること4年前に「潮来笠」でデビューした橋幸夫と、のちに云う「御三家」が誕生した。このころ、三田明、久保浩、梶光夫、安達明、高石かつ枝、本間千代子、高田美和などによって、「青春歌謡」の全盛をみた。
 成長の最中にあった時代そのものも、歌と同様青春だったといえよう。
 この年、僕は九州の田舎から上京した。

 *

 「ALWAYS 三丁目の夕日'64」(原作:西岸良平、監督:山崎貴、出演:吉岡秀隆、堤真一、薬師丸ひろ子、堀北真希、小雪、須賀健太、森山未來、2012年東宝)

 「ALWAYS 三丁目の夕日」の夕日町3丁目の商店街も、5年がたって1964年だ。
 街に「東京オリンピック」のポスターが貼ってあるように、この年、戦後最大のイベントとなる東京オリンピックに向けて、国も街も活気に満ちていた。
 5年前の前作では、街の食堂でテレビを買うと、商店街のみんなが集まってきて大騒ぎだったが、この年では、各家々が、ここでは小さな各個人商店だが、オリンピックをわが家でも見ようと、どこもテレビを買うまでになっていた。
 今のようにシャッター街となっていなくて、貧しくともどこの商店街も生きいきとしていたころだ。雑貨屋の茶川家でもカラー・テレビは無理でも、モノクロ・テレビを買うことにする。
 しがない作家を続けている茶川(吉岡秀隆)は念願のヒロミ(小雪)と夫婦となっていて、ヒロミはお腹が大きく、妊娠中だ。家は2階を建て増しし、1階では雑貨売りの片隅で、ヒロミが居酒屋をやって家計を助けている。引き取った淳之介(須賀健太)は、東大を目指して勉強中の高校生になった。
 向かいの一本気の旦那(堤真一)と人情家の奥さん(薬師丸ひろ子)がいる鈴木オートでは、淳之介と同じく高校生の一人息子の一平は自動車修理工の後を継ぐことを嫌っていて、エレキギターに夢中だ。
 集団就職で青森からやって来た住み込みの工員六子(堀北真希)は仕事も覚え、新入りの男の子を厳しく鍛えているが、もう年頃だ。

 鈴木オートの息子一平が、家でギターの練習をしている場面で、本棚に「平凡パンチ」が置いてあり、壁には加山雄三の「ハワイの若大将」のポスターが貼ってあった。一平は学校でベンチャーズのサウンズを弾くが上手く弾けなく、会場にいた女の子もあきれて部屋を出ていくという有様だ。この辺の音楽若者の状況を芦原すなおが「青春デンデケデケデケ」に描いている。
 六子がほのかに恋した男(森山未來)は医者だが、私生活の服装は軽い若者だ。髪は七・三に分け、当時流行のアイビー・ルックというファッションだ。誘われて銀座でデイトするが、今どきの若者として「みゆき族」がテレビに映し出されたなかに2人があり、六子が慌てるという一コマがある。
 新婚旅行に出発するという東京駅での場面は、できたばかりの新幹線の新大阪行きの、今は懐かしい芋虫のような最新型列車「こだま」が映し出され、結婚した2人はそれに乗って旅立つ。新婚の花嫁は、お決まりの丸いピルボックスの帽子を被っている。

 やがて街には夕日が輝き、映画の始まりと同じく、そこには東京タワーがそびえている。
 東京タワーは、スカイツリーができた今後も、きっと東京の象徴であり続けるだろう。スカイツリーができたおかげで、東京タワーには品と哀愁すら漂うようになった。

 「雨の外苑、夜霧の日比谷…」と歌う「東京の灯よいつまでも」(新川二郎)が流れたのは、この年だった。
 「街はいつでも、うしろ姿の幸せばかり…」と歌う「ウナ・セラ・ディ東京」(ザ・ピーナツ)が流れたのも、この年だった。

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大人の見る絵本「生れてはみたけれど」

2013-02-13 02:44:11 | 映画:日本映画
 子どもには子どもの世界がある。
 そこには、いやな奴がいたり、自然と遊び仲間のグループができたりして、小さな世界での階級ができて、各々のスタンス、立ち位置が確立されていく。だいたいが、ケンカの強い者がボス的存在のガキ大将になるのだが、そこには他の要素も時折介入してきて、微妙な力関係で存在する世界はそれなりに揺れ動き、各自のスタンスは確固たるものではない。

 「大人の見る絵本、生れてはみたけれど」(1932年、松竹)は、小津安二郎監督の20代のときの、初期の作品である。出演、斎藤達雄、吉川満子、菅原秀雄、突貫小僧、坂本武ほか。

 腕白坊主の兄弟2人(小学校低学年の年齢、菅原秀雄、突貫小僧)一家は、都心から郊外に引っ越してくる。そこには、体の大きいケンカの強いガキ大将の男とそのグループがいた。兄弟は、ガキ大将が目の敵(かたき)にしているせいで、学校を休んだり、仕返しをしたりするが、やがて仲良くなる。
 そのグループのなかには、父(斎藤達雄)の会社の上司(坂本武)の息子もいた。一家が郊外へ引っ越してきたのも、父の上司の家の近くということもあった。
 そんなことはお構いなく、兄弟はグループの中ではガキ大将的な地位にいた。
 ある日、その父の上司の家で映写会をやるというので、子どもたちも喜んで見に行く。もちろんテレビなどなかった時代だから、動く映像を見る映写会は珍しかった。上司の家では、兄弟の父も含めて会社の部下が何人か集まっていて、子どもたちも集まって、8ミリ映写が行われた。
 最初は動物園の動物などが映り、みんな喜んで見ていた。そのうち、会社の社員の顔が映し出された。そして、兄弟の父が上司とともに映し出された。そこでは、家では厳格な父が、上司に媚びてペコペコお辞儀をし、おどけ顔を作ったりしているのだった。
 映像を見ているうちに、兄弟の顔がみるみる変わっていった。そして、そっと席を立って帰るのだった。
 偉いと思っていた父の大きな像が、急に崩れたのだった。
 兄弟は、家に帰ってきた父に何故あんな態度をとるのかと怒り、お父さんは偉くないのか、何が偉いのかと声をあげる。そして、2人はハンガーストライキを決意する。

 子どもが、大人の世界を垣間見た瞬間を、それをどう自分に納得させるのか、親はそれに対してどう答えるのか、映画は子供の世界から観る者に語りかける。
 語りかけると言ったが、この映画はサイレントで声が出ないので、実際は語りはしない。時折、字幕が出る(新版では字幕のところはナレーションも加えてある)が、見終わって、サイレントという印象はなく、騒々しくなぜか生々しく言葉が残っているのである。

 子どもが大人の世界を垣間見たとき、子どもの世界に大人の世界が入ってきたとき、子どもは世界の矛盾や真実、つまり現実を知ることになる。そして、その分だけ大人になる。その分だけ子どもであることを捨てるのである。

 小津安二郎といえば、「東京物語」をはじめ、家族の在り方を淡々と描いた戦後の作品が有名だが、ここでは子どもの世界が上手く描かれていて、当時の子どもの遊びを知ることができる。

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