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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ パッチギ

2007-05-19 01:30:35 | 映画:日本映画
 井筒和幸監督 塩谷瞬 高岡蒼甫 沢尻エリカ オダギリジョー 大友康平 2004年

 1970年前後は、日本が大きく変わっていった時代である。
 戦後、高度経済成長を続けた日本は、この頃からあらゆるジャンルで自立をし始め、輝きだしていく。ある意味では、日本が大人になっていく過程であった。
 音楽は、歌謡曲からGS(グループ・サウンズ)、フォークと、自分および自分たちの音楽に足を踏み入れていく。
 ファッションは、女性はパンタロン、ミニスカートと自己表現を加速化させ、男性は長髪、プリントシャツ、アクセサリーなどを付けピーコック革命といわれ、ユニセックス化していく。
 大学闘争は、全共闘の衰退とともに、内部抗争は激しさを増し、変容していく過程であった。
 社会主義社会は、いまだ夢と希望を消失させておらず、中国の毛沢東はヒーローの座にいたし、金日正の北朝鮮も幻想の彼方に存していた。
 しかし、わが国では、いまだ海峡の溝は埋められることなく大きく深いものであった。特に在日への差別意識は根強く残っていた。それゆえ、日本と朝鮮高校の諍いは絶えることなく続けられていた。

 GSのオックスとおぼしき公演から始まるこの映画は、そんな時代の物語である。
 当時、アイ高野の歌う姿に失神する女の子が続出した。いや、歌う本人も失神した。失神することで一体感を勝ちとる、個別的な共同幻想。
 そんなとき、人知れず朝鮮の歌「イムジン河」が流れた。日本で歌ったのは、フォーク・クルセイダーズ。
 朝鮮人の女の子を好きになった日本人の高校生が、この歌を通して彼らの社会に入っていく。
 朝鮮人の女の子は言う。
 「もし、私があなたとずっと付き合って、そして結婚するとなったら、朝鮮人になってくれる?」
 朝鮮半島南北統一の夢の歌は、日本と朝鮮(韓国)との友好の夢の話でもある。
それとは裏腹に、日本人高校生と朝鮮高校生の抗争は収まるどころか激しさを増す。そして、ついに死者を出すに至る。
 過度に情熱的で、悲惨な時代の物語である。
 しかし、この映画が重いテーマを背景にしていながら悲惨さがないのは、いや、むしろ明るささえ残るのは、この時代がいまだ夢と希望の時代だったからである。
 その夢と希望を抱いた若者の情熱は、今どこへ行ったのだろうか、と問わせるのである。

 清楚な朝鮮人の高校生役の沢尻エリカがいい。
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◇ コキーユ 貝殻

2007-04-11 00:36:34 | 映画:日本映画
 中原俊監督 小林薫 吹雪ジュン 益岡徹 金久美子 1999年

 私の耳は貝の殻
 海の響きを懐かしむ
         (ジャン・コクトー)

 若い昔の時にタイムスリップしたいと思ったことはありませんか?
 そんな時は、同窓会を開くといい。
 最初はおずおずと顔色を窺いながら話していた同級生とも、30分もたつとすっかり昔の仲間に返っているのだから。そして、最初はなんて老けているんだろうと思っていた同級生の顔が、みるみるうちに昔の小学、中学、あるいは高校生の顔になっていくのだから、これは一種の魔法である。
 そうなると、もう目尻のシワも、頭の白髪も気にならない。いや、気にすることはない。何せ、同級生なのだから。

 そんな同窓会で、昔恋心を抱いていた二人が再会したらどうなるのだろう。
 「友情」、「封印」、それとも「冒険」?
 当たり前だったら「友情」だ。「封印」だったら、つまらない。残るは……、危ない、「冒険」。

 郷里で平凡な家庭を持っている純朴なサラリーマンの男、浦山(小林薫)と、離婚して都会から郷里へ戻ってきた女、直子(吹雪ジュン)が、同窓会で再会する。
 女は男に、子どもの頃から好きだったと打ち明ける。男とて、まんざらではなかったのだが、当時は気がつかなかった。そういえば、思い当たる節があると、思いを甦らせる。
 そんな二人が、子どもの頃の、あるいは思春期の頃の想い出に耽りながら、その後逢瀬を重ねる。知ってか知らずか、「冒険」を選んでしまう二人。
 そして、段階を踏みながら、ついに、肉体関係を持つにいたる。
 彼女は呟く。「浦山君に会えて、よかった。だって、浦山くんと恋愛ができたんだもの」
 映画では、素朴で美しい田舎の風景の中で、中年のカップルのひとときの愛が描かれる。あたかも少年・少女の愛のように。
 それは、純愛なのだろうか、それとも、危険な不倫なのだろうか。

 あなたなら、どれを選びますか?
 「友情」、「封印」、それとも「冒険」。
 冒頭の詩は、二人を冒険に立ち向かわせるきっかけになる、少年・少女時代の想い出の詩。
 ロマンチックな詩は、冒険へ誘うのだ。そして冒険は、危険の裏に甘い香りを潜ませている。

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◇ 李香蘭 ② 東京の休日

2007-02-14 03:31:03 | 映画:日本映画
 山本嘉次郎監督 山口淑子 宝田明 小泉博 小林桂樹 上原謙 司葉子 久慈あさみ 八千草薫 1958年

 波乱の人生を送った李香蘭こと山口淑子は、終戦とともに中国人から、中国人のくせに日本の手助けをしたという漢奸(中国の売国奴・敵国協力者)罪の疑いで処刑されそうになる。しかし、1枚の戸籍抄本のおかげで助かり、1946年日本に帰国する。
 その後李香蘭の名前を捨て、本名の山口淑子で生きていくが、波乱は続く。

 戦後、山口淑子は東宝で、森雅之や三船敏郎などと映画共演。さらに、ハリウッドでシャーリー山口という名で主演映画に出たり、ブロードウェイでも主演するなどしているが、これらのことはあまり評価されていない。
 この間、ニューヨークで知り合った彫刻家のイサム・ノグチと51年結婚、北大路魯山人の鎌倉の邸に住むなど、驚くべき人生を辿っている。
 58年イサム・ノグチと離婚して日本人外交官と再婚し、映画界を引退する。
 その引退記念の映画が、この「東京の休日」である。
  
 僕は李香蘭の映画は見たことがなく、山口淑子の映画も初めてである。
 内容は、ニューヨークで一流デザイナーとして成功したメリー川口(山口淑子)が、日本に一時帰国する。それを聞いた人間たちによって、彼女のファッションショーを企画し、一儲けしようと、あれやこれやの人間模様が繰り広げられる。
 山口淑子を中心に様々な俳優が出演する、映画としてはたわいないラブ・コメディーである。
 ただ、出演者がすごい。当時の東宝のオールスター・キャストである。
 出演者は、上記のほか特別出演として、男優では、池部良、加東大介、三船敏郎、森繁久弥、有島一郎、平田昭彦、久保明、柳屋金吾楼、三木のり平ほか。
 女優では、青山京子、扇千景、淡路恵子、安西郷子、新珠美千代、草笛光子、宮城まり子、越路吹雪、雪村いづみ、団令子、中田康子、河内桃子、重山規子ほか。
 この顔ぶれを見ても、ほんの端役までスター出演である。

 山口淑子の人生は、これで終わったわけではない。
 芸能界を引退したあと、山口淑子から大鷹淑子に変わっても、業界がほっておかないのであろう。
 69年から、テレビに進出し、「3時のあなた」なるワイドショーの司会者となる。
 そして、さらに政界に進出する。74年に自民党より参議院選に立候補し当選、92年まで議員を務めている。
 一人で何人もの人生を生きてきたようだ。
 この人は、今すでにそうだが、歴史上の伝説の人となるだろう。まさに、波瀾万丈の人生だ。

 僕は、一度会ったことがある。いや、正確には見たことがある、である。
 あれは、何のパーティーだったであろうか。おそらく出版関係のパーティーであった。十数年前、彼女がまだ議員だった頃だ。立食で、僕はテーブルの前で業界の人と雑談をしていた。一緒に出席していた当時僕の上司が、僕に上目遣いに目で方向を指して、そっと囁いた。「山口淑子が来ているよ」。
 僕は、「えっ、あの李香蘭の…」と言ってしまった。
 彼女は、やはり誰かと話していた。意外に小柄だが、存在感がある。そして、薄いサングラスの下から覗く、目の強さに驚いた。刺すような目だ。
 僕は、「この人が李香蘭か」と、遠くからであるがまじまじと見つめてしまった。
 李香蘭は生きていた。いや、これからも、歴史の奥に幻のように生き続けるだろう。
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◇ なかにし礼と「赤い月」

2007-01-27 03:57:33 | 映画:日本映画
 なかにし礼原作 隆旗康男監督 常磐貴子 伊勢谷友介 香川照之 布袋寅泰 2003年

 「赤い月」は、満州を舞台にした、なかにし礼の自伝的小説の映画化である。
 満州・牡丹江で酒店を開いて成功した父と、女としての生き方を貫いた母。幼い著者の目を通して、父と母の生き様と当時の満州を描いたものである。
 著者の人間形成の原体験は、満州にあると言っていい。

 なかにし礼といい五木寛之といい外地引き揚げ者は、若くして颯爽とデビューした。何より、彼らの中の無国籍的感性(五木はそれをデラシネと呼んだ)が、僕は好きだった。

 満州から幼少時に日本に引き揚げてきたなかにしは、父の故郷である函館に住んだあと、東京に移り住むことになる。苦学しながらシャンソンの訳詞をしたことで、彼の才能は開花する。
 シャンソンから歌謡曲に足場を移したなかにしは、1966年「涙と雨に濡れて」でヒットを飛ばすや、その後は「知りたくないの」「霧のかなたに」「天使の誘惑」「花の首飾り」と矢継ぎ早にヒット曲を放ち流行作詞家となる。そして、70年「今日でお別れ」で日本レコード大賞を受賞。まだ彼が30歳前後の頃である。
 彼はそれまでにない歌作り手であった。僕は、なかにし礼のファンだった。

 77年には、すべて作詞・作曲による自分のアルバム「マッチ箱の火事」(フォーライフ)を、79年には「黒いキャンパス」(東芝EMI)を出した。
 「マッチ箱の火事」では、彼の歌謡曲では見せていない才能の側面を垣間見せている。このアルバムには、「時には娼婦のように」「白い靴」「マッチ箱の火事」など、文学的作品ともいえる名曲が散在しているが、特筆すべきは、このアルバムの最後に、「ハルピン1945年」を入れていることである。
 この歌で、彼は「あの日からハルピンは消えた、あの日から満州も消えた…」と歌っている。満州を、感傷的かつ哀愁を帯びて描いたこの曲は、彼の満州を舞台にした最初の作品(歌も小説も含めて)ではなかろうか。

 僕は最初から彼の歌の中に、他の作詞家にない文学性を見いだしていた。
 やはりと頷いたのは、71年封切られたドーデ原作のフランス映画「哀愁のパリ」のリメイク版が出版された時である。その翻訳をしたのが作詞家なかにし礼だった。彼を口説いたのが、当時角川書店の風雲児と呼ばれていた2代目角川春樹である。
 なかにしは、78年には日活で映画「時には娼婦のように」の原作、脚本、主演を演じた。この映画も、自伝的作品の名作である。相手女優は、鹿沼えりで彼は濡れ場も演じた。
 この頃の彼は何をやっても唸らせるものがあった。僕は天才だと思ったものだ。

 そんな彼に、僕は一度だけ会う機会があった。
1991年、僕が婦人雑誌の編集をやっていた時で、モーツアルト生誕200年ということで「モーツアルト」の特集を組み、彼にインタビューを申し込んだのだった。その頃彼は、歌謡曲から少し離れてクラシック、オペラに関する仕事を試みていた。いや、彼の中で歌謡曲の作詞の灯は消えていたのかもしれない。
 昭和から平成になった頃から、彼は小説へ足場を移し始めた。彼は、それまで歌の天使のような羽がなくなったといった表現をしている。

 なかにし礼は、若い時から「花物語」のような、本人にとっては習作のような小説は書いていた。しかし、意識的に小説家として書いたのは、自分の心臓発作のことを雑誌に発表したものが最初だろう(題名は忘れてしまった)。
 その後、98年、「兄弟」で直木賞候補になり、2000年「長崎ぶらぶら節」で同賞受賞。「赤い月」は、その翌年の作である。

 作詞家としては類い希な才能を遺憾なく発揮したなかにし礼だが、小説を見れば、僕としては文も構成も硬すぎると思えて、心地よく乗って読めない。歌では流れるようにメロディーに溶けこんだ天才的な詩(文句)が、小説では構成の技巧的作為が感じられるのである。何にもまして、歌で見られた彼の秀れた情緒性を、積極的に排除、排斥しているように見える。
 彼の小説の多くは、体験を元にしたものだが、その中でも、素直に描けているのは兄のことを書いた「兄弟」で、これが個人的には最も好きだ。

 さて「赤い月」だが、小説を読む前から、僕の頭の中には彼の自伝にもとづいたものという前提が入っていた。だからかもしれないが、満州国、関東軍やソ連との関係、引き揚げといったダイナミックな歴史の波に母の恋愛が絡むなど、個人の自伝的小説としてはあまりにも物語的なので、読んでいる途中から小説より映画的だと感じた。
 映画では、常盤貴子が気丈な母親役を、香川照之が屈折した父親役を熱演している。
 ラストシーンの、敗戦のあとの芋の子を洗うような引き揚げ列車の中で、誰かが叫ぶ。
 「満州のバカタレ。何が王道楽土だ」
 ところが、母親役(主役)の常盤貴子は、一人呟く。
 「私は感謝するわ。ありがとう、満州」と。

 なかにし礼の満州を語ったものとしては、比較には不適切かもしれないが、個人的には、哀愁を帯びた「ハルピン1945年」の余韻のある歌の方が好きである。
 彼は愛惜を込めて歌った。
 「…幾年時はうつれど、忘れ得ぬ幻のふるさとよ」
 
 しかし、満州とは何だったのだろう。歴史の中で、蜃気楼のように現れ消えていった幻の国、満州国。
 僕の父も母も満州に生きた。
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◇ たそがれ清兵衛

2006-12-23 02:59:19 | 映画:日本映画
 山田洋次監督 藤沢周平原作 真田広之 宮沢りえ 大杉漣 2002年作

 「武士の一分」(2006年)、「隠し剣鬼の爪」(2004年)に先立つ、藤沢周平原作、山田洋次監督による時代劇第1作目作品である。
 
 幕末の庄内地方の小藩が舞台である。そこで、妻を病気で失い、男手一つで老いた母と子ども2人を内職しながら育てている、冴えない武士(真田広之)の話である。勤めが終わるたそがれ時に、仲間の誘いも断りさっさと帰ることから付いたあだ名が「たそがれ清兵衛」。
 この冴えない男が、ふとしたことで幼なじみの出戻り娘(宮沢りえ)を助けたことから、剣の達人だと知れることになる。そのことで、藩内のお家騒動に絡んだ、上意討ちの打ち手に指名される。
 急転直下、貧しいながらも平凡に生きてきた、そしてこれからもそうありたいと思っていた男に降りかかった、災難ともいうべき人生の転機。打つ相手(大杉漣)は剣の名手で、自分が死ぬかもしれないという状況を迎える。
 このような状況で、男は幼なじみだった娘に対する真の愛情を知る。

 江戸時代の後期にもなると、武士といえども殺伐とした雰囲気はない。300年近く戦のない時代で、「死ぬことと見つけたり」という武士道は、消え去ろうとしている。
 その貧しくもほのぼのとした下級武士の生活が、とてもきれいに見える。やはり、いつの時代でも平和はいいものだ。しかし、いつの時代でも、平和は長く続かない。
 美しく見えることの一つには、この時代にものがあまりないことが挙げられよう。
 現代のもので溢れている生活、もので覆われている環境からすれば、必要なもの以外ないシンプルな生活、必要なもの以外ない自然が、とても美しい。
 そう言う意味では、リアルな撮影に徹している。江戸時代の下級武士の生活は、こうだったのだろうと思う。そして、川や山は自然のままに近く、美しかったのだろうと。

 僕は、ある時列車の窓から外の景色を見ていて驚いたことがある。美しい山々と思っていた風景にあるものを見つけたのだ。それは、高圧線の電柱(鉄柱)である。それは、街から山へ、山から山へと繋がって立てられていた。一度目につくと、それが気になってすぐに目につくようになるものだ。山に、こんなに多く電柱が立てられていたのかと愕然とした。
 さらに、街に目をやると、道から道に、家から家にと、電信柱が立っている。今までも立っていたはずなのに、街の景色を見ても、山の景色を見ても、電柱などは目に入らなかった。
 何故だろう。おそらく、景色の中で不必要と思ったものは、見ない(見えない)ように無意識にしていたのに違いない。しかし、意識した途端、やたらに目に入るのである。
 そしたら、美しかった景色は一変するのであった。

 真田広之と宮沢りえの忍ぶ愛が美しい。
 ノウハウや情報が氾濫している現代からすれば、忍び耐える愛が美しいのは、もはや無い物ねだりの美しさなのだろうかとすら思えてくる。

 結局、男は明治新政府ができたあと、戊辰戦争で死ぬ。
 歴史に登場しないが、平凡を願った名もない武士にも、波乱は起こっていたのである。
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