井筒和幸監督 塩谷瞬 高岡蒼甫 沢尻エリカ オダギリジョー 大友康平 2004年
1970年前後は、日本が大きく変わっていった時代である。
戦後、高度経済成長を続けた日本は、この頃からあらゆるジャンルで自立をし始め、輝きだしていく。ある意味では、日本が大人になっていく過程であった。
音楽は、歌謡曲からGS(グループ・サウンズ)、フォークと、自分および自分たちの音楽に足を踏み入れていく。
ファッションは、女性はパンタロン、ミニスカートと自己表現を加速化させ、男性は長髪、プリントシャツ、アクセサリーなどを付けピーコック革命といわれ、ユニセックス化していく。
大学闘争は、全共闘の衰退とともに、内部抗争は激しさを増し、変容していく過程であった。
社会主義社会は、いまだ夢と希望を消失させておらず、中国の毛沢東はヒーローの座にいたし、金日正の北朝鮮も幻想の彼方に存していた。
しかし、わが国では、いまだ海峡の溝は埋められることなく大きく深いものであった。特に在日への差別意識は根強く残っていた。それゆえ、日本と朝鮮高校の諍いは絶えることなく続けられていた。
GSのオックスとおぼしき公演から始まるこの映画は、そんな時代の物語である。
当時、アイ高野の歌う姿に失神する女の子が続出した。いや、歌う本人も失神した。失神することで一体感を勝ちとる、個別的な共同幻想。
そんなとき、人知れず朝鮮の歌「イムジン河」が流れた。日本で歌ったのは、フォーク・クルセイダーズ。
朝鮮人の女の子を好きになった日本人の高校生が、この歌を通して彼らの社会に入っていく。
朝鮮人の女の子は言う。
「もし、私があなたとずっと付き合って、そして結婚するとなったら、朝鮮人になってくれる?」
朝鮮半島南北統一の夢の歌は、日本と朝鮮(韓国)との友好の夢の話でもある。
それとは裏腹に、日本人高校生と朝鮮高校生の抗争は収まるどころか激しさを増す。そして、ついに死者を出すに至る。
過度に情熱的で、悲惨な時代の物語である。
しかし、この映画が重いテーマを背景にしていながら悲惨さがないのは、いや、むしろ明るささえ残るのは、この時代がいまだ夢と希望の時代だったからである。
その夢と希望を抱いた若者の情熱は、今どこへ行ったのだろうか、と問わせるのである。
清楚な朝鮮人の高校生役の沢尻エリカがいい。
1970年前後は、日本が大きく変わっていった時代である。
戦後、高度経済成長を続けた日本は、この頃からあらゆるジャンルで自立をし始め、輝きだしていく。ある意味では、日本が大人になっていく過程であった。
音楽は、歌謡曲からGS(グループ・サウンズ)、フォークと、自分および自分たちの音楽に足を踏み入れていく。
ファッションは、女性はパンタロン、ミニスカートと自己表現を加速化させ、男性は長髪、プリントシャツ、アクセサリーなどを付けピーコック革命といわれ、ユニセックス化していく。
大学闘争は、全共闘の衰退とともに、内部抗争は激しさを増し、変容していく過程であった。
社会主義社会は、いまだ夢と希望を消失させておらず、中国の毛沢東はヒーローの座にいたし、金日正の北朝鮮も幻想の彼方に存していた。
しかし、わが国では、いまだ海峡の溝は埋められることなく大きく深いものであった。特に在日への差別意識は根強く残っていた。それゆえ、日本と朝鮮高校の諍いは絶えることなく続けられていた。
GSのオックスとおぼしき公演から始まるこの映画は、そんな時代の物語である。
当時、アイ高野の歌う姿に失神する女の子が続出した。いや、歌う本人も失神した。失神することで一体感を勝ちとる、個別的な共同幻想。
そんなとき、人知れず朝鮮の歌「イムジン河」が流れた。日本で歌ったのは、フォーク・クルセイダーズ。
朝鮮人の女の子を好きになった日本人の高校生が、この歌を通して彼らの社会に入っていく。
朝鮮人の女の子は言う。
「もし、私があなたとずっと付き合って、そして結婚するとなったら、朝鮮人になってくれる?」
朝鮮半島南北統一の夢の歌は、日本と朝鮮(韓国)との友好の夢の話でもある。
それとは裏腹に、日本人高校生と朝鮮高校生の抗争は収まるどころか激しさを増す。そして、ついに死者を出すに至る。
過度に情熱的で、悲惨な時代の物語である。
しかし、この映画が重いテーマを背景にしていながら悲惨さがないのは、いや、むしろ明るささえ残るのは、この時代がいまだ夢と希望の時代だったからである。
その夢と希望を抱いた若者の情熱は、今どこへ行ったのだろうか、と問わせるのである。
清楚な朝鮮人の高校生役の沢尻エリカがいい。