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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

寂寥な、桜に雪

2020-04-01 19:44:45 | 気まぐれな日々
 今後、こんな桜を見ることがあるだろうか。
 全世界が不穏と不安の状態のなか、自然だけがいつものように息をしているように見える。
 桜は、東京で観測史上最も早い3月14日に開花し、22日に満開(靖国神社の標本木)を記録した。その後、寒い日があったこともあり、東京・多摩の桜も散らずに咲き誇っていた。
 その満開の桜の3月29日、東京で雪が降った。

 その日、朝9時に目が覚め、外庭のカーテンを開けると綿のような雪が降っていて、庭の土は一面真っ白で、垣根のカイヅカイブキも白い帽子を覆い被った状態になっていた。
 雪は昼過ぎになっても降り続いていた。
 1時過ぎ頃になると霙(みぞれ)に変わった。霙になると雪も溶けだすので、私は1時半頃に桜の咲いているすぐ近くの公園へ出向いた。
 外の道は雪に覆われて、10センチぐらいは積もっていた。
 公園の桜は、小さな雨と残った雪と一緒に煙っていて、奥の雑木林と相まって幻想的な雪景色だ。(写真)
 傘をさしたまま私はしばし霙に紛れる桜を見ていた。誰もいない公園の平地に、小さな雪だるまが置き去りにされたようにあった。子ども連れの親子か誰か午前中にでもやって来て、作っていったのだろう。
 この雪も、間もなく消えゆく。

 この日は、都心でも1センチの積雪とあった。
 桜が満開の時期に都心で1センチ以上の積雪を記録したのは、1988年以来32年ぶりとのことだった。その年は満開3日前の4月8日で、9センチの積雪とある。
 私はこの日のことをよく覚えている。
 その日、朝起きたら雪が降っていた。桜がほぼ満開のときだったので、雪のなかの桜が見られるとばかりカメラをバッグに入れて家を出た。
 当時会社勤めで、勤務先の市ヶ谷の外濠の周りには桜が咲き誇っていて、毎日見ていたのだった。市ヶ谷駅に降りたったとき雪はすでにやんでいたが、外濠の雪景色のなかの桜の写真を撮った。
 「雪月花」を意識した最初の「雪花」で、その1枚の写真はまだ手元にある。
 その後、多摩で1度体験したので、意識的な「雪花」は今度で3度目である。

 都心での桜の満開発表後の積雪は、1969年以来51年ぶりで、その年は4月10日満開発表で、4月17日の積雪2センチとある。
 地球温暖化か、桜が咲くのも早くなっているようだ。
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桜はリバーサイド

2020-03-30 01:56:40 | 気まぐれな日々
 *誰も知らない昼下がりが下がったとき
  町の角からひっそり家を出る
  老いた一人は夢中になることもなく
  不安を隠して花見の旅に出る

 いつもはこの季節、古い友人たちと皇居濠・千鳥ヶ淵に桜を見に行くのだが、新型コロナウイルスが浸透している折、今年は見合わせることにした。
 だから、3月26日昼すぎ、一人で近くの多摩の桜を見に静かに家を出た。

 まず、小田急・唐木田駅から多摩センターに向かったところの「鶴牧西公園」へ。
 ここは、ニュータウン前の多摩丘陵の名残りである雑木林や竹林と、後で植えられた様々な樹木が混在している、丘陵の高低差を楽しめる公園だ。
 桜も多くあり、特に樹齢200年という大樹の、ピンクの滝のような枝垂桜が例年目を潤してくれるのだが、今年は色も褪せて花弁も少ない。なんだが、老化が身につまされる。

 鶴牧西公園の西側には、北に向かって細い川が続いている。その用水路にも似た川が乞田(こった)川の源流水域である。
 この細い川に沿って北へ進み、小田急多摩線、京王相模原線の高架を抜けると川はやや東の方に向きを変え、ちゃんとした乞田川という形の川になる。
 この乞田川は多摩ニュータウン通り(東京都道158号小山乞田線)に並行して東北東に延び、多摩ニュータウン通りは永山あたりから鎌倉街道となり、乞田川は連光寺あたりで大栗川に合流し、多摩川に流れ込む。

 「乞田川」の本流に来たら、桜が目に入った。
 乞田川は両サイドに歩道があり、多摩センター駅の西から東へ向かった永山あたりまで、約3キロの桜並木となっている。桜はちょうど満開である。
 桜は吉野のような山桜もいいものだが、水辺の桜はまた異なった情緒を醸し出す。
 水に映える桜といえば、まず千鳥ヶ淵であるが、多摩の乞田川の桜並木も捨てたものではない。川辺に垂れ延びる桜のさまは、千鳥ヶ淵と比べるのは畏れ多いが、劣るとも勝らない景観である。(写真)

 時世柄か、行き交う人もめったにない乞田川の桜並木を歩き進み、多摩センター駅の先の上之根橋を超えたあたりの右(南)側に「吉祥院」がある。
 鎌倉時代初期の創建という古い寺で、都の天然記念物に指定された樹齢600年という驚きの枝垂桜があったそうだが、今は枯れて、その子孫が花を咲かせている。
 境内にはあちこちに桜を見つけることができる。
 護摩堂、鐘楼の裏手はなだらかな丘のような勾配があり、それに沿って墓が並び、上がったところに見事な白い花を鈴なりにつけた山桜が佇んでいた。

 吉祥院を出て、乞田川に向かう道に即して鳥居が建っていたので、中に入った。境内は駐車場になっている小さな「八幡神社」だった。
 八幡神社を出て、再び乞田川の桜並木に出た。いつしか、もう黄昏時だ。
 さらに川沿いの桜道を東の方に歩いていくと、川の向こうに、明かりのついたガラス張りの建物が見えた。レストランだ。

 *昼間のうちに何度も桜を見て
  行く先を考えるのも疲れはて
  日暮れに気がつけば腹をすりへらし
  そこで老人はネオンの字を読んだ
 
  レストランはリバゴーシュ
  川沿いリバゴーシュ
  食事もリバゴーシュ

 川沿いのその店は、ブーランジェリー「リバゴーシュ」だった。
 店のドアを開けたら、指を1本立てるだけ。
 洒落たテーブルはヨーロッパを思わせる木造りで、すぐにやって来たウェイターが窓辺の席に案内した。メニューを見れば、ディナーのコース料理もあるのだが、この店の売り料理だと思われる気軽に注文できるパスタのなかから、海鮮パスタを注文する。
 食後にゆっくりコーヒーを飲んで、店を出る。

 会計をしながら、主人と思わしき人に、意地悪に「リバゴーシュって何語ですか?イタリア語?」と訊いてみた。
 彼はにやけながら「フランス語ですよ。それが証拠に欧文ではリブゴーシュRive gaucheになっているでしょ」と、よくある質問だといわんばかりに言った。
 「乞田川の左岸にあるから、この名前なんですよね。だったら、どうしてリブゴーシュにしなかったのですか?」と訊き返すと、彼はまた笑い顔で「語呂がよかったから」と答えた。
 「ということは、フランス料理?それにしては、パスタが専門のようだが」とさらに訊くと、「肉もありますよ。しかし、最近はカジュアルなイタリアンっぽいかなあ」と笑った。
 フランス料理ともイタリア料理とも言えない「リバゴーシュ」は、店の名前のように国境がない、いわばEU料理なのだろう。

 川沿いのレストランを出たら、外はすっかり暗くなっていた。
 そして、川沿いの並木道を引き返した。
 今度は夜桜を見ながら、夜の長さを何度も味わった。

 桜はリバーサイド
 水辺のリバーサイド
 一人でもリバーサイド

    ――参考「リバーサイド ホテル」井上陽水

 *リバーサイド、追伸4.14

 あれから半月余。この日は、小田急多摩線・永山駅から多摩センターまで、乞田川の桜並木を歩いた。
 桜の多くは葉桜に変わっていたが、たまにまだ我慢強く花をつけている木があった。花の色が白いので山桜だろう。
 この日は、レストラン「リバゴーシュ」の対岸の道を歩いた。つまり、リブ・ドロワット(Rive droite)である右岸を歩いた。
 すると、リバゴーシュの斜め向かい辺りで、建物の塀から掲げられた白い小さな看板が目に入った。そこに書いてあったのは、「シャトー リバーサイド」。
 その建物の名前である。通りからは想像もつかない、1階の玄関に繋がる階段に鉢花が並んだ飲み屋(今は休業中)がある、3階建ての洒落たマンションだ。

 シャトー(お城)はリバーサイド
 川沿いリバーサイド
 向かいにはリバゴーシュ


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「ミシェル」、その名は?

2020-02-17 02:02:23 | 気まぐれな日々
 *「ミシェル、マ・ベル……」

 「ミシェル!」
 思わず口に出して叫んでみたくなる、僕の最も好きな名前である。
 その名を口に出そうとすると、いったんつぐんだ唇と唇をすぐに離し<ミ>、すぐさまそっと喉から息を吐くようにゆるやかに口を開き<シェ>、最後は下に置いた唇でそっと上顎を蹴るようにして<ル>、ミシェル……その軽やかで柔らかな響きがいい。
 ミシェルが最も好きな名前であるが、その名の女性に恋している、もしくは恋したわけではない。恋している時は、どんな名前でもその女性の名前が一時的にせよ最も好きになるので、客観的および情緒的に好きな響きの名前、ということである。

 フランスに住んでいる古い知人で、ポールという名前の女性がいる。
 もう何十年も前のことだが、初めてパリに行ったとき、彼女の兄を紹介された。彼がミシェルと名のったので、そのとき男性にもミシェルという名前があるんだと少し意外に思った。
 ミシェルは、フランスでは男性にも女性にもある名前である。彼の綴りは、「Michel」で、女性の場合は「Michelle」となり、発音は同じ「ミシェル」である。
 基本的にフランス語の場合、末尾にeを付けると名詞や形容詞は女性形となる。
 ポールも男性にもある名前だが、彼女の名の綴りは「Paule」であり、女性ということを示している。
 イギリス人であるが、ビートルズのポール・マッカートニーは「Paul McCartney」で、「Paul」とeは付いていない。
 
 そのポール・マッカートニーも、フランス語で歌っている。「ミシェル、マ・ベル……」と。
 Michelle, ma belle
 Sont des mots qui vont très bien ensemble,
 Très bien ensemble
 「ma belle」の「ma」は、「私の」という単数女性名詞に付く所有形容詞で、英語でいえば「my」である。「belle」は「美しい」という形容詞「beau」の女性形で、この場合は「美しい人」転じて「恋人」という意味の名詞となっている。
 「ミシェル、僕の恋人、その言葉はなんと美しい響きなことか」といったような意味である。
 イギリス人のポールは、この恋人への訴えをもちろん英語でも、というかもともとが英語の歌だから英語で歌っている。
 Michelle, ma belle
 These are words that go together well, My Michelle
 ここでは、「Michelle」(ミシェル)と「ma belle」(マ・ベル)が、言うまでもないが韻をふんでいるので、さらに美しい。

 想像するに、ポール・マッカートニーは、フランス人の友人あるいは知人が恋人に向かって「ミシェル、マ・ベル」と言った、あるいは囁いたのを聞いて、その言葉に音楽心を動かされて、この「ミシェル」という歌を作ったのに違いない。
 あるいは、お忍びでパリを歩いていたとき、どこからか発されたこの言葉がポールの耳に入り、心に残ったのかもしれない。
 おそらくきっと、「ミシェル、マ・ベル」の言葉の響きが、この歌を生んだのだろう。

 *フランスで見かける、ミシェルの名前

 ミシェル(Michel、Michelle)は、フランスでは人の名前によく見られるが、頭にサン(Saint 聖)を付けた名前の建物や地名もよく見受けられる。
 パリには、サン・ミシェルの通り(Boulevard Saint-Michel)があり(写真)、セーヌ川にはサン・ミシェル橋(Pont Saint-Michel)も架かっている。
 サン・ミッシェル(Saint-Michel)の名の地下鉄(メトロ)の駅もあるし、鉄道のサン・ミッシェル=ノートルダム(Saint-Michel - Notre-Dame)駅もある。
 世界遺産で有名なモン・サン・ミシェル(Mont Saint-Michel)も、挙げていいだろう。頭に付いた「モン」(Mont)は、「山」である。

 *美人すぎる「ミカエル・ミシェル」の不思議

 なぜ、僕の頭に急に「ミシェル」が出てきたかといえば、である。
 最近、週に1度、近くの多摩のピューロランドの隣にある温泉に行っている。
 去る1月30日のことである。湯につかったあと、くつろぎのスペースで、そこで自由に見ることができるスポーツ新聞をながめていたら、次のような記事が目に入った。
 「美人すぎるジョッキー ミシェル満点騎乗」
 フランス人の女性騎手(24歳)が、前日の1月29日、地方競馬(川崎競馬)で初勝利をあげた記事なのだが、ほぼ裏一面の大々的な扱いである。大きな顔写真の横に、「この顔に恋をしました」、「短期免許で来日フランス人に」、「今度は日本中が恋をする」と見出しがある。
 僕がおやと興味を持ったのは、その美しい顔というよりも彼女の名前である。名前は「ミカエル・ミシェル」とある。
 「ミシェル」が姓で、「ミカエル」が名ということだ。

 「ミシェル」は、もともと「ミカエル」から派生した名前である。
 「ミカエル」(Michael)は、旧約聖書に出てくる大天使の名前で、西欧の各国でも人名のもとになっている。
 フランス語のミシェル(Michel)、英語のマイケル(Michael) 、ドイツ語のミハエル、ミヒャエル(Michael)、スペイン語・ポルトガル語のミゲル(Miguel)などがそうである。
 となると、僕は聖書や名前の専門家や研究家ではないので単純な疑問として、美人すぎる騎手の「ミカエル・ミシェル」は、同じ姓と名ということにならないかと思ったのである。
 「ミシェル」(Michel)は、もともと「ミカエル」(Michael)である。
 彼女の名前の綴りは、「ミカエル・ミシェルMickaëlle Michel」とあった。姓のミシェルは男性形だが、名前のミカエルの末尾にはeが付いて、きちんと女性形になっている。hがkにと微妙に綴りが変わってはいるが、大天使ミカエル由来の名前には違いないだろう。
 姓も名も、同じ大天使!?
 う~ん、不思議な気がするが、美しすぎるというより、畏(おそ)れ多すぎる名前である。

 僕には、ミカエルよりは、何といっても「ミシェル」の響きがいい。
 「ミシェル、マ・ベル、Michelle, ma belle……」と、口の中で歌ってみる。

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令和初のお節料理

2020-01-03 02:38:48 | 気まぐれな日々
 残り香に ゆくえ問えども 憂き身にて
      風に悩める 花も散りしや
              ――沖宿

 *雨に悩める海棠

 去年(2019年)の晩秋、小津安二郎監督の「秋日和」(1960年作)という映画(録画)を見ていたとき、ふとした台詞に引っかかった。
 この作品も、後期小津作品に欠かせない戦後を代表する原節子主演の映画である。
 僕は小津の映画にはまったく興味をもてなかった。若いときは、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォー、アラン・レネなどのフランス・ヌーヴェルヴァーグに酔っていたし、日本人の作品にしても大島渚、吉田喜重、篠田正浩などの映画が好きだった。
 小津作品に対しては、どうしてたいした事件も事故も起きないあんな映画がいいのだろうと思っていた。だいたいにして、タイトルからして「青春残酷物語」や「涙を、獅子のたて髪に」などの血が沸きたつようなのに比べて、何とも穏やかなものばかりだ。
 ところが、年をとると嗜好も少し変わるものである。血の滴るようなビフテキもいいが、秋刀魚の味もいいものである。そのうち、お茶漬の味もよくなるかもしれない。

 「秋日和」は、原節子とまだ若い司葉子が共演するというので期待したのである。
 司葉子は、高校時代、当時の現代文と漢文の国語教師が「日本で最もきれいな女優は司葉子である」と、授業中も公言してはばからなかったので、僕らはその話題になると授業の内容も一時横に置いて、教室はざわめいたものである。
 戦後三四半世紀、幾多の美人女優が生まれては消えていったが、最近、演技は差し置いて、確かに司葉子は5本の指に入る美人ではなかろうかと、思うのである。

 この「秋日和」は、原節子は司葉子の母親という役である。映画公開時、原は40歳、司は26歳である。親子の年の差に無理があるが、原が落ち着いた雰囲気なので違和感はない。
 原節子は夫を亡くした未亡人で、会社勤めをしている年頃の娘が司葉子である。
 原の夫の七回忌に集まった、夫の学生時代からの友人、佐分利信、中村伸郎、北竜二の3人は談笑するうちに、原の年頃の娘の結婚を何とかしようということになる。
 しかし、娘の司は彼らの薦める結婚話になかなか乗り気にならない。そこには、同居している母親の原の存在を気にしてのことだったことがわかる。
 その中年男3人の、会話のなかのことである。
 年頃になった娘は、確かにきれいだ。そうはいっても、かつて彼らの憧れのマドンナであった母親の原の美しさも一向に失われていない、と3人はついつい嘆息するのである。そして、そのなかの一人が呟く。
 「…あんなのを言うんだね、雨に悩める海棠って」

 海棠(かいどう)は瑞々しい花である。細長い茎をもった大きな桜のような花びらが、少しうな垂れているように揃って咲いているさまは、奥ゆかしく謙虚なのだが美しさを隠せない美人を思わせる。
 九州の田舎の、山里の木々の茂みの中で初めてそれを見たとき、僕は立ち止まってしばらく眺めていた。家に帰って、すぐに植物図鑑をめくったのだった。

 男の何気なく呟いた「雨に悩める海棠」という言葉が、僕の心の中に立ちどまった。
 それが、冒頭の新年の歌のなかに、「風に悩める花」という言葉として残った。
 前文が長くなったが、それを言おうとしただけのことである。

 *令和新年のお節料理

 元号は数え年の計算だから、令和になって初めての正月だが、またたく間に「令和2年」である。だから、令和元(1)年の正月は存在しなかった。
 新年、起きたらいい天気である。
 新年、最初にかけた音楽は、ベートーベンのヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」。まずは、明るい曲で始めよう。明るい年になるとは限らないから。

 さて、令和になっても、いつものように「一人お節」を始める。
 まずは、正月にしか買わない「蒲鉾」、「竹輪」と鮭の「昆布巻き」を切って並べる。それに、「田作り」として、どうせカタクチイワシと同類だからと大きめのウルメイワシで。
 これで、何となく新年のお節の基礎ができたような気がする。
 これに、雰囲気をつけるために「茹で卵」(2個)を切って並べる。野菜類は、ホウレン草の「おひたし」と「カボチャ煮」で済ます。それに、ついでに「湯豆腐」を加える。
 恒例の「刺身」は、本マグロとクジラ肉。
 う~ん、料理らしいものは何もない。今年は、さらに手抜き料理となった。有田の器と生け花で、正月らしさを粉飾した。
 酒は、やはり正月しか買わない日本酒で、これもここ最近恒例の「越乃寒梅」で。「屠蘇」(とそ)を入れるのも、正月特例だ。
 手抜きついでで、今年は雑煮も抜きにした。いかん、いかん!

 *初詣は、多摩の「白山神社」と、「川崎大師」へ

 日も暮れた頃になってしまったが、まずは多摩センターのサンリオ・ピューロランド近くの「白山神社」へ、地元の仁義として「初詣」へ出向いた。
 去年は明るいうちに行ったので、参道の階段下まで行列ができていたほどの人垣だったのだが、もう世間では夜なので、お御籤などを売っている神社の窓口も閉められていて、参拝客も寂しいほどいない。

 1月3日に(今日だが)、初詣という言葉が最初に使われたといわれている「川崎大師」に、参拝に行く予定である。初詣では関東では人気の寺で混んでいそうだが、初めて行く寺なので楽しみである。
 何か所行っても、初詣は初詣なのである。

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去り際の美学――フェルナンド・トーレスに見る

2019-07-08 01:01:16 | 気まぐれな日々
 「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」(Old soldiers never die; They just fade away)
 この言葉は、もともとは兵隊歌の一節だが、ダグラス・マッカーサー元帥(連合国軍最高司令官)が1951年に米国上下両院議会で行った退任演説の中で述べたことで有名になった。
 今では日本でも、辞任や退職などのときにしばしば用いられるように、気負いも衒いもなくさりげなく使われる格好の去り際の言葉となった。

 *サガン鳥栖、フェルナンド・トーレスの引退の意味するもの

 去る2019年6月21日、元スペイン代表でサッカーJ1サガン鳥栖のフェルナンド・トーレス(35)が、「私のキャリアが終わるときが来た」と、今夏限りで現役を引退することを表明した。

 僕はもともとサッカーには関心がなく、同じルーツを持つフットボールではラグビーの方が面白いと思っていた。
 そんなところに、ふるさとの佐賀県の鳥栖市にホームを置くサッカーチームの「サガン鳥栖」が、こともあろうか2012年にJ 1に昇格した。すると、新聞でもスポーツニュースでもメディアで大きく報道されることもあって、サガン関係のニュースから目が離せなくなった。
 佐賀に帰ったときには、JRの車窓から見える鳥栖駅近くのあの鳥の巣のようなスタジアムに観戦にも行った。何年か前だが、そのときは対FC東京戦だったのだが、鳥栖の選手がゴールを決め、試合に勝ったときには、思いがけずに熱くなって叫んでいたのには、われながら驚いた。それまで、冷ややかにしか見ていなかったサッカーなのに、だ。
 こんなサガン鳥栖に対する偏狭的ファンだから、試合を見るといってもサガン戦だけである。

 アビスパ福岡や大分トリニータ、V・ファーレン長崎など、他の九州チームもJ1に昇格してくるのだが、長く留まらずにすぐにJ2に降格するのに、サガン鳥栖は昇格以来ずっと8年間もJ1の位置を保ち続けている。
 去年の2018年は降格の危機的状況にあったのだが、そんなサガン鳥栖に途中からフェルナンド・トーレスが加入した。サッカーの知識に乏しい僕は、彼がどのくらいの人か知らなかったのだが、同時期、ヴィッセル神戸に加入したイニエスタとともに、元スペイン代表の世界的なスーパースターだった。
 フェルナンド・トーレスは、186センチの長身で、ゼントゥルマンであることの証しであるかのように、褐色の髪をヘヤクリームできっちり分けた、腕のタトゥーが不釣り合いなほど甘いマスクの男だった。
 このようなスター選手が、よく資金力もない九州の地方都市の鳥栖のチームに来てくれたものだと、驚きながらも喜んだ。

 そのサガン鳥栖は、去年2018年は最後の試合でようやくJ1に踏みとどまるという苦しい試合の連続だった。
 最終試合の後、フェルナンド・トーレスは、喜びの言葉として「ミッション達成!」と綴った。

 *

 そして、今年2019年のサガン鳥栖は、開幕から不調が続き最下位まで落ちた。フェルナンド・トーレスもケガによる体の不調もあったのか、試合に出場することも少なかった。
 そんな矢先の6月21日の、突然の引退発表であった。
 「私は18年のエキサイティングな時をへて、私のキャリアが終わるときが来た」
 そして、6月23日の会見では、引退理由を次のように語った。
 「自身のレベルを設定しているが、ベストのレベルに到達していないという疑問点があった」としたうえで、
 「ベストなコンディションにもし到達できなくなるなら、今のレベルでサッカー人生を終えたいと思っていた」と語った。
 そして、おそらく最後になるであろう試合に、スペイン時代の旧友イニエスタやビシャが所属する8月23日のヴィッセル神戸戦をあげた。

 最初彼の引退発表を聞いたとき、僕だけでなく誰もが早すぎる決断だと思っただろう。
 そして、やがてその決断に、桜のような散り際の美学を感じた。花は、盛りのときに散ってゆくのが美しい。
 彼が言う「美しいものには、始まりと終わりがある」という理念の、自らの潔い実践なのであろう。

 *

 フェルナンド・トーレスの引退の言葉は、通算868本塁打を記録した王貞治が引退したときの言葉を想い起こさせた。
 「王貞治としてのバッティングができなくなったということです」
 このときの1980年の王の最終シーズンは、「30本塁打、84打点」という、決して引退を決意するほど悪すぎるとはいえない、今思えば立派な成績である。だから、誰もが彼のプロ意識と誇りに裏打ちされた、去り際の美学に胸を打たれた。
 ちなみに、この年の最多本塁打王は山本浩二(広島)の44本である。

 *

 残り香を漂わせて潔く去るのは、誰にでもできるものではない。
 その人に美学を必要とするからだ。
 
 引退発表の翌週の6月30日、地元鳥栖の「駅スタ」で行われた対清水エスパルス戦に7試合ぶりに先発出場したフェルナンド・トーレスは、2発のゴールを決め、全盛期を彷彿させる活躍を見せた。
 まだやれるという声のなかで、
 「まだできるという感覚の中で終えたい」
 そして、彼はこう呟いたという(スポニチ配信記事)。
 「近日中にサッカーをやめる。今日のような夜をいとおしく、懐かしく思う日が来る」

 僕らも、フェルナンド・トーレスという選手がサガン(佐賀の)鳥栖のフィールドにいたということを、懐かしく思う日がくるだろう。
 そして、誰もが、いつか、どこかで、どこかを、去る時が来るのである。

 <追伸>
 2019年8月23日、引退を表明していたフェルナンド・トーレス現役最後の試合であるヴィッセル神戸戦が、鳥栖市の駅スタ(駅前不動産スタジアム)で行われた。入場者は今季最多の23,055人。
 しかしトーレスは何度かシュートを放つもゴールは奪えず、チームも1-6で大敗し、この日の試合を飾れなかった。
 翌日の朝日新聞も見出しに「トーレス ほろ苦の花道」と、イニエスタとボールを奪い合う写真付きで、トーレスの最後の試合を惜しんだ。
 そして、彼の「良いときも悪いときも、努力を惜します、続ける姿勢は見せられた。好きなサッカーで仕事ができて恵まれていた」との言葉で結んだ。

 人生、すべて思い通りに行くものではない。誰もがそうなのだ。
 だからこそ、通り過ぎた道がしみじみと心に残るのだろう。

 *
 Jリーグ史上で、J2からJ1に初昇格して以降、1度もJ2に降格経験のないクラブは、2012年に初昇格以降J1にい続けるサガン鳥栖の1クラブだけである。
 現時点(2019年8月24日)24試合消化時で、サガン鳥栖16位=勝点24、7勝14敗3分、得点21失点40差-19。
 去年(2018年)同様、危機的状況に変わりはない。
 これから、フェルナンド・トーレスのミッションと、彼が残した教訓をどう生かしていくのだろうか。




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