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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

イヴの総て

2010-10-23 02:35:04 | 映画:外国映画
 監督・脚本:ジョセフ・L・マンキーウィッツ 出演:アン・バクスター ベティ・デイヴィス ジョージ・サンダース マリリン・モンロー 1950年米

 スターは、どうやって生まれるのか?
 生まれ持っての才能、運、努力などが挙げられよう。そんな映画やドラマがいくつも作られてきた。
 努力の末に勝ち取った「スター誕生」のドラマはいくつでもある。最後は、涙のスポットライトとなる話は、安っぽくどこかしらじらしい。
 スターの、みんなに見せる笑顔。
 しかし、笑顔の舞台裏には、実は生々しい醜いものが隠されていたとしたら。
 この「イヴの総て」は、スター誕生の華やかな明かりの裏の陰に照明を当てた映画である。スター誕生の内幕ものと言っていい。
 1950年作の映画であるが、いまだ輝きを失っていない。

 映画は、舞台の大功労者に与えられる賞の授賞式で幕を開ける。受賞者は、大スター、ハリントン・イヴ。
 物語は、そのイヴの大スターになるまでの、総てである。大スターが生まれる裏を明らかにした、総てである。

 ハリントン・イヴ(アン・バクスター)は、ブロードウェイの片隅で、憧れの大スター、マーゴ(ベティ・デイヴィス)を見ている。貧しい彼女は、田舎からスターを夢みて都会にやってきたのだ。
 毎日マーゴの舞台を見続けていた熱心な姿がマーゴと彼女の友人に気に入られ、イヴは彼女の秘書役になる。
 すぐに、マーゴの取り巻きのプロデューサーや脚本家たちにも、イヴの誠実で行き届いた気配りが気に入られる。そして、突然やってきたマーゴの代役で、初めて舞台に立ち、一躍舞台俳優として脚光を浴びる。コラムニストのアディソン(ジョージ・サンダース)は、イヴを絶賛し、マーゴをこき下ろす。
 それを足がかりに、イヴは新しく主役の座をつかみ、スターが誕生する。

 ストーリーは、よくあるスター誕生の物語である。
 この一つひとつの粗筋が、すべて本人の巧妙で精巧な計算で作りあげられたものとしたら、どうだろう。
 謙虚さも誠実さも、実はすべて計算されたもの。女であることを武器に、巧妙な嘘も、あるときは真顔で、あるときは涙ながらにつくすべを知っている。そして大スターを踏み台に、機が来たらチャンスを作りあげ、確実に自分のものにする。
 打算にまみれたスター誕生であるが、なぜか憎むことが出来ない。それは、演劇界、映画界に限らず、誰にもイヴの持っている要素があるからだろう。
 映画を見終わった後、人間とはこういうものかと思い、重い気持ちになる。
 それでいて、イヴが愛おしくなる。
 物語の最後が、この物語をさらに深くしている。
 大スターの称号ともいえる賞を受賞した夜、イヴの前に、スターを夢みた新しいイヴが現れる。彼女も、情熱とともに、すでに嘘をつくすべを持っていた。

 イヴ役のアン・バクスターは、この映画で、不朽の女優になった。「イヴの総て」は、「アン・バクスターの総て」でもある。
 のちに、ブロードウェイのこの映画の舞台版で、かつての大スター、ローレン・バコールのあとに、マーゴ役をやっている。
 マーゴ役のベティ・デイヴィスは、美人ではないが名優である。彼女は、AFI(米国映画協会)の1999年発表の「最も偉大な伝説的映画女優ベスト50」で、2位を得ている。下に、参考までに20位までを記した。
 イヴを持ち上げた皮肉なコラムニスト、アディソン役のジョージ・サンダースは、65歳になったら自殺するよという予告通り、自殺した。
 遺書には、「世界よ、退屈だからオサラバするよ。もう十分長生きした。……」といったことが書かれていた。
 ジョージ・サンダースもベティ・デイヴィスも、4度離婚している。
 スターになる前のマリリン・モンローが、女優の卵の端役で出演しているのも愛嬌だ。彼女は、「最も偉大な伝説的映画女優ベスト50」の6位に入っている。

 *

 「最も偉大な伝説的映画女優ベスト50」(AFI)

 1位 キャサリン・ヘップバーン Katharine Hepburn
 2位 ベティ・デイビス Bette Davis
 3位 オードリー・ヘップバーン Audrey Hepburn
 4位 イングリッド・バーグマン Ingrid Bergman
 5位 グレタ・ガルボ Greta Garbo
 6位 マリリン・モンロー Marilyn Monroe
 7位 エリザベス・テイラー Elizabeth Taylor
 8位 ジュディ・ガーランド Judy Garland
 9位 マレーネ・ディートリッヒ Marlene Dietrich
 10位 ジョーン・クロフォード Joan Crawford
 11位 バーバラ・スタンウィック Barbara Stanwyck
 12位 クローデット・コルベール Claudette Colbert
 13位 グレース・ケリー Grace Kelly
 14位 ジンジャー・ロジャース Ginger Rogers
 15位 メエ・ウェスト Mae West
 16位 ヴィヴィアン・リー Vivien Leigh
 17位 リリアン・ギッシュ Lillian Gish
 18位 シャーリー・テンプル Shirley Temple
 19位 リタ・へイワース Rita Hayworth
 20位 ローレン・バコール Lauren Bacall

 *伝説(LEGENDS)とあるので、必然的に古いスターが多くなっているのは仕方ない。
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インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国

2010-10-20 16:49:16 | 映画:外国映画
 製作総指揮:ジョージ・ルーカス キャスリン・ケネディー 監督:スティーブン・スピルバーグ 出演:ハリソン・フォード シャイア・ラブーフ カレン・アレン ケイト・ブランシェット 2008年米

 ジョージ・ルーカスも子どもの頃、冒険小説が大好きだったに違いない。
 「宝島」(スティーブンソン)や「十五少年漂流記」(ジュール・ベルヌ)や「ロビンソン・クルーソー」(デフォー)。それに、「アラビアンナイト」やアメリカの冒険小説、「ロビン・フッドの冒険」(ハワード・パイル)、「トム・ソーヤーの冒険」(マーク・トゥエイン)にも心ときめかしたに違いない。
 彼が好きだった映画が、「アラビアのロレンス」(監督デヴィッド・リーン、主演ピーター・オトゥール、1962年)というのもうなずける。
 ルーカスの盟友、スティーブン・スピルバーグが「007」シリーズの大ファンだったこともあって、ルーカスとスピルバーグによって、「インディ・ジョーンズ」が誕生した。

 インディ・ジョーンズの本名はヘンリー・ウォルトン・ジョーンズ・ジュニア (Henry Walton Jones, Jr.)。愛称が「インディアナ (Indiana)」で、略して「インディ (Indy)」。父親のヘンリー・ウォルトン・ジョーンズ(ショーン・コネリー)から、ジュニアと呼ばれるのを嫌ったことが、「最後の聖戦」でユーモアっぽく描かれている。
 インディアナは、ルーカスが飼っている犬の名前である。インディアナとは、アメリカの州の名にもなっているが、「インディアンの土地」の意である。元々の語源はインドであるから、インドが舞台の「魔宮の伝説」(1984年)は格好で、シリーズ最高の出来となった。 
 インディの父の友人にT・E・ロレンス(「アラビアのロレンス」のモデルといわれる実在した人物)がいて、インディも彼の影響を受けたということになっている。つまり、ルーカスが大好きな「アラビアのロレンス」も、秘やかに登場させているのである。
 主人公インディは、職業は考古学者。と言っても、単なる教室と図書館にこもる学者ではない。現場を最重視し、リスクを回避しないアクティブな学者である。
 彼は、まだ謎となっている宝や伝説の在処を求めて、どこへでも出かけていく。というより、出かけざるを得ないような状況が矢継ぎ早にやってくる。
 行く先は、ジャングルや砂漠や廃墟で、行く手には、予想もできない危険が待ちかまえている。宝が眠っている場所は、いつもこういうところなのだ。

 「インディ・ジョーンズ」シリーズの「クリスタル・スカルの王国」(2008年)は、前作「最後の聖戦」(1989年)から、19年が経っている。
 ルーカスは、この映画を企画するときがもっとも楽しかったに違いない。それは、子どもの夢を託した、大人の冒険物語であるから。
 物語は、軍の車と若い男女が、荒野の中をカーチェイスする場面から始まる。
 それは、あたかも「アメリカン・グラフィティ」(1973年監督作)を想起させる。そう、これぞルーカスの青春像なのである。
 場所は、1957年のネバダ州。「最後の聖戦」の舞台が1939年だったので、やはり実際の年月と同じだけ過ぎていることになる。
 主人公のインディことハリソン・フォードも、それだけ年をとったということになる。

 謎の旧ソ連軍に拉致されたインディ(ハリソン・フォード)が連れて行かれたのは、ネバダ州の軍の秘密地域だった。ソ連軍は、超能力を研究しそれに異常に執念を燃やす、軍服に身をまとった美人のスパルコ大佐(ケイト・ブランシェット)に率いられていた。
 ネバダ州の米軍秘密施設で、隠匿されていた箱が開けられる。そこに現れたのは、不思議な遺体だった。それは、「宇宙人の遺体」と思えるものであった。
 ソ連軍から、その場を逃げたインディは、直後核実験に遭遇する。そこは、当時頻繁に行われていた核実験場だったのだ。
 かろうじて助かったインディは、失踪したオックスリー教授を探すために、やはり母を探す青年マット(シャイア・ラブーフ)とともに、ペルーのナスカから、エルドラドを探しに、マヤ文明のクスコへ向かう。
 そこで、インディは、オックスリー教授と元妻のマリオン(カレン・アレン)に会う。
 インディたちは、クリスタル・スカル、つまり、マヤで発見された水晶ドクロの謎を解くため、ニューメキシコの砂漠から、激流に流され、大滝とともに滝壺に呑み込まれながら、「その地」に行き着く。

 物語は、「クリスタル・スカル」、つまり「水晶ドクロ」が鍵である。
 マヤの伝説によると、13個の水晶ドクロが集まると共鳴し、謎が解ける、とされている。
 ここでは、水晶ドクロの頭蓋骨は後ろに長く変形されている。宇宙人、ETの頭のように。
 インディがネバダ州の米軍秘密基地で見た「宇宙人の遺体」とは、「ロズウェル事件」からのものである。
 1947年、アメリカ軍がアメリカのニューメキシコ州ロズウェル近郊で何らかの物体を回収したと報道された。それが、UFOが墜落したあとにあった宇宙人の遺体と噂されたが、のちに軍はこの報道を否定した有名な事件である。

 マヤ文明、エルドラド、水晶ドクロ、宇宙人、ナスカ、砂漠、ペルーのジャングル、イグアスの滝……それに、ネバダ州核実験、旧ソビエト連邦秘密軍。
 ルーカスとスピルバーグは、胸ときめかしながら構想を練ったことだろう。何度も脚本を書き替えたという。
 この物語で、インディの息子なるものが登場する。離婚した元妻マリオンとの間に生まれた男マット、シャイア・ラブーフで、インディをさらにやんちゃにした感じである。父親のインディでなくとも「学校には行っておいた方がいいよ」と言いたくなるだろう。
 もし「インディ・ジョーンズ」シリーズの次回作が、いつになるか分からないが、製作されるとなると、ハリソン・フォードの年齢(1942年生まれ)を考えて、息子を登場させておいたのかもしれない。
 インディも、この映画で元妻と寄りを戻して復縁したので、ぼちぼち隠居が待っているのかも。映画では、年齢を感じさせない、息子に負けないほどアクティブであったが。
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◇ アパートの鍵貸します

2010-07-17 01:38:48 | 映画:外国映画
 ビリー・ワイルダー製作・監督・脚本、I・A・L・ダイアモンド製作・脚本、ジャック・レモン、シャーリー・マクレーン、フレッド・マクマレイ 1960年米

 大会社の平凡なサラリーマン。
 特別才能もない男が、出世するにはどうすればいいか? 上司に取り入られるのが最も速い近道である。
 都心にアパートを借りているという地の利を活かして、夜、上司にラブホテル代わりに部屋を貸すということで、彼は出世の切符を掴む。
 その平凡なサラリーマンが好意を寄せているのが、同じ会社のエレベーターガール。
 そのエレベーターガールが、こともあろうか上司の愛人で、貸した自分のアパートが2人の情事の部屋になろうとは。
 しかも、彼の部屋で彼女が自殺未遂を計ってしまう。

 物語の舞台は、都心のアパート。日本でいえば、賃貸マンションである。
 映画の原題は「The Apartment」、「アパートメント」と素っ気ない。それを、日本では内容に即して「アパートの鍵貸します」と変えた。これで、何やらいかがわしい想像をはたらかせる題名に変容した。
 自分のアパートの部屋を、複数の上司に日替わりで貸してあげているので、アパートの住人からは女たらしと思われてしまう。大屋のおばさんには毎晩煩いと小言を言われるし、同じ階の中年の医師からは毎晩違う女性を連れ込んでいると思われているので、異常なまでの性豪と思われ、死んだら身体を献体させてくれと頼まれたりする。

 アメリカのアパートは、自由だ。だから、様々な物語の舞台になる。
 1階上の部屋にふらりとやってきた美女、マリリン・モンローに一目惚れした男は、家族が避暑のバカンスに出かけるのをいいことに、彼女を部屋に誘い(冷房が効いてるよと)、浮気の妄想を働かせる「7年目の浮気」。
 自由気ままな生活をしている女、オードリー・ヘプバーンの住む同じアパートに、これも気ままな若い作家が引っ越してきて、何となく仲よくなる「ティファニーで朝食を」。

 「アパートの鍵貸します」で主演しているのは、哀感のある平凡な男を演ずれば右に出る者がいない演技派、ジャック・レモン。
 ブロードウェイの舞台を経て、映画俳優に。「お熱いのがお好き」(1959年)ではマリリン・モンローを相手にコメディーを演じて一躍人気俳優になった。シャーリー・マクレーンとは「あなただけ今晩は」(1963年)で、再共演している。また、「おかしな二人」(1968,1998年)では、ウォルター・マッソーと絶妙な爆笑コンビを見せた。
 相手役のシャーリー・マクレーンは、味のある女優である。
 数々の映画に出演し、「愛と追憶の日々」(1983年)ではアカデミー主演女優賞を受賞している。
 しかし、彼女について最も彼女を印象づけ、決定づけたのは、映画ではなく「アウト・オン・ア・リム」(1983年)という、彼女が書いた本である。これは、彼女の体験をもとに、神秘な世界、今でいうスピリチュアルな世界を描いたものである。
 発売当時は、そのような風潮もあって日本でも話題になったが、不思議な精神世界の内容であった。

 「アパートの鍵貸します」は、この年のアカデミー賞を総なめにし、シャーリー・マクレーンは、この映画で、ヴェネチア映画祭で、主演女優賞を得た。
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◇ 月蒼くして

2010-07-14 02:13:38 | 映画:外国映画
 オットー・プレミンジャー監督 F・ヒュー・ハーバート脚本 ウィリアム・ホールデン、デヴィッド・ニーヴン、マギー・マクナマラ、ドーン・アダムス 1953年米


 分別も金もある中年男、加えて遊び人のプレイボーイが、若くて美しい、それも純朴な女性にふと手を出す。ところが、今までのようにはすんなりといかず、こんなはずではないと戸惑い、迷い、やがて我を忘れ、かえって女のペースにはまってしまうということがある。
 次第に男の遊び心が純愛に変化するという、映画によく描かれる物語である。

 当時最も高いビルであったニューヨークのエンパイア・ステートビルの展望台で男が女に話しかけ、女がそれに応える。よくあるガール・ハントの風景である。
 男(ウィリアム・ホールデン)は世間ずれしたビジネスマン風。女(マギー・マクナマラ)は世間知らずのお嬢様風。男はショッピングをしていた女を見ていて興味を持ち、最初から誘うつもりで女のあとをついてきたのだ。
 声をかけると、会話は少しちぐはぐだが、弾む。女からは、男の思いもよらない返事が戻ってくる。女の話を聞いていると、純朴なのかすれっからしなのか分からない。キスだって、簡単にできる。
 男は、食事に誘い、すんなり承諾を得る。
 ところが、男の上着のボタンが取れてしまう。それを女が自分が持っていた針と糸で付けてやろうとするが、男の企みで針が失(な)くなる。それで、男のアパートに行ってボタン付けをすることになり、2人はタクシーで男のアパートに行く。男のアパートは台所も整った洒落た部屋造りだ。
 男には婚約者の女性(ドーン・アダムス)がいたのだが、昨晩別れたばかりだという。アパートのエレベーターで擦れ違った女性がその女で、このアパートの上の階に住んでいた。
 アパートに着いた2人だが、外は土砂降りの雨なので、女が料理を作るから、この部屋で食事をしようということになる。男は願ってもないチャンスの到来とばかり、それではと勇んで食材を買いに出る。
 男が買い物に出かけたところに、同じビルのアパートに住んでいる男の友人(デヴィッド・ニーヴン)が部屋にやってくる。その第2の男は、男の別れた女性の父親であり、やはりどうやら遊び人である。
 その第2の男も、女と話しているうちに、若い女性の純朴だが不思議な魅力に惹かれ、彼女に求婚までしてしまう。
 つまり、男(ウィリアム・ホールデン)には、別れた女性と新しく知りあった女性との三角関係が、女性(マギー・マクナマラ)には、知りあった男と、その友人の男との三角関係が、できあがってしまう。
 それで、物語の最初の愛の出合いは、複雑な展開になって壊れるかと思わせる。ところが、最後は、やはりうまくゆくという……アメリカ映画によくある話である。

 「月蒼くして」(The moon is blue)は、ヒット舞台の映画化で、映画では、誘惑や処女やセックスという言葉が、あけすけに出てくるというので、1950年代の映画公開当時は話題になったようだ。それにマギー・マクナマラが発した「職業的処女」(professional virgin)という言葉が流行した。
 しかし、今はどうという会話ではない。
 主演女優のマギー・マクナマラは、エリザベス・テイラーと、「恋愛専科」のスザンヌ・プレシェットから華(はな)を取り除いたような女性だ。
 この年のアカデミー主演女優賞にノミネートされたが、賞は「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンに持っていかれた。世間知らずのお嬢様を演じた似たような役柄であるが、映画の質的にも違いは明確だ。
 今日、映画史を紐解いても、マギー・マクナマラはすっかり忘れられた名前となった。

 若い女性をオードリー・ヘプバーンに、中年の遊び人をゲーリー・クーパーにすれば「昼下がりの情事」である。
 やはり可愛い女性であるオードリー・ヘプバーンが主演で、彼女に好意を寄せる男たちにウィリアム・ホールデンとハンフリー・ボガードとくれば、「麗しのサブリナ」である。
 純なコケティッシュな女にマリリン・モンロー、つかみどころのない彼女に戸惑う中年の遊び人にイヴ・モンタンを持ってくれば、「恋をしましょう」となる。

 遊び心と純愛(のようなもの)、アメリカ映画が好む典型的なラブストーリーである。

 映画の中でデヴィッド・ニーヴンが呟く、きらりとした味のある台詞があった。
 「中年の遊び人が若い娘を惑わすというか、遊び人だけが純真さをめでる才能があるんだ」
 遊び心における、教養ある中年男の自家薬籠的論理というか、下心の衒学的な言い訳とでもいおうか。
 なるほどと納得すれば、そこには陥穽(落とし穴)が待っている。
 
 

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◇ 翼よ!あれが巴里の灯だ

2010-06-22 03:23:11 | 映画:外国映画
 ビリー・ワイルダー監督 ジェームス・スチュワート バートレッド・ロビンソン 1957年 米

 ロマンチックなタイトルで有名な、大西洋無着陸単独横断の快挙をとげたチャールズ・リンドバーグの物語である。
 しかし、この「翼よ!あれが巴里の灯だ」という情緒的なタイトルは日本題であって、原題は「The Spirit of St.Louis」(セントルイスの心意気)という、どうということはない飛行機の名前である。
 1927年5月20日、ニューヨークのルーズベルト飛行場を離陸した「Spirit of St.Louis」号は、翌21日、パリのル・ブルジェ空港に約33時間後到着する。約5,800キロの旅であった。
 1903年のライト兄弟による初めての有人動力飛行、つまり飛行機による飛行から24年目のことである。
 当初、飛行機は軍事偵察機や郵便機として発達した。第1次大戦後、急速に発達するのであるが、まだ事故も多く、危険を伴い、飛行機は見せ物としても活動していた。
 リンドバーグも、郵便飛行士であったが、その頃、大西洋横断の初飛行を狙って、各航空機製造社と操縦士が競っていた。リンドバーグも大西洋横断を目ざし、熱い情熱でスポンサーを得た彼は、ライアン社の協力のもと、彼の望みの飛行機を造る。機体をできるだけ軽くし、その分燃料を増やすという構造の飛行機を造り、大西洋横断に飛び立つ。

 勇躍、単独でニューヨークを飛び立ったリンドバーグは、眠気や機体の氷結など様々な障害に出合うことになる。映画は、その機体の中での、彼の思い出をフラッシュバックして、彼の半生を描く。
 バイクと飛行機を交換した話(多少のお金を足して)、軍隊でのおんぼろ飛行機を罵られた話、飛行しているときに別の飛行機に出合い、申し合わせて着陸後、その操縦士により、サーカス(曲芸)飛行に誘われた話など、思い出の数々のエピソードから、彼の飛行機との出合い、飛行機への愛情が浮かび上がってくる。
 睡魔に襲われながら、リンドバーグはいつしかヨーロッパ・アイルランド上空にたどり着く。イギリスを横断したあと、ついにパリの街の灯を見ることができたのだった。
 空から、つまり彼の乗った飛行機から見た、夜の凱旋門が、エッフェル塔が映しだされる。
 リンドバーグの大西洋横断が成功を確信した瞬間であった。
 しかし、このとき「翼よ!あれが巴里の灯だ」と、リンドバーグは決して言ってはいない。先にあげたように、これは日本だけのタイトル名なのだ。
 しかし、あたかもリンドバーグが発したような、作られた名台詞である。

 リンドバーグ役を演じたジェームス・スチュアートは、この役を熱望していたという。実際、スチュアートは第2次世界大戦中、爆撃機の操縦をしていた。リンドバーグが大西洋横断を成功させたときは25歳で、スチュアートが演じたときは48歳であったが、年齢を感じさせないものがあった。そこに、スチュアートの心意気spirit を感じさせた。

 *

 リンドバーグが乗った飛行機は、プロペラ単葉機である。
 現在、航空機はジェット機が殆どだが、僕は1度だけ、プロペラ機に乗った経験がある。操縦士も含めて4人乗りの小型機だった。
 1990年、雑誌取材でフランス・サヴォア地方を旅した。サヴォア地方は、フランスの中東部にあり、東にアルプス山脈を有し、スイスに接した風光明媚な地域である。
 名水のエビアンの街から、モンブランの街、シャモニーを経て、小さなメジェーブという街に行った。そこは牧歌的で、まるでお伽の国のような街(村)だった。

 *

 メジェーブの観光局に顔を出すと、小学校の校長のような感じの観光局の長の人が、面白い体験をさせてあげましょうと言った。
 この人に案内されて行ったところは、丘の麓の大きなグランドのようなところで、そこに機体に模様が描かれた、大きなプラモデルのようなプロペラ飛行機があった。近づいてみると、本物の小さな飛行機であった。機首にプロペラが一つの小型単発機である。
 その可愛い飛行機の前に来ると、威厳に満ちた顔をした観光局の人が、私の町のサービスですと少し誇らしげな面持ちで、さあ乗ってくださいと言った。(写真)
 パイロットと私たちを加えて四人乗りの飛行機は、丘の麓の村を飛び立った。そして、アルプスの山々を旋回した。メジェーブもシャモニーの街も、下に小さく見える。空を舞うメリーゴーランドのような気分だ。
 「おゝ、翼よ、あれがモンブラン!」
 私は、目の前の操縦席のコクピットを凝視した。速度計の針は、七〇キロだったり、一四〇キロだったりと思ったより速くない。自動車とそう変わらない。
 ゆったりとした空からのアルプス見学。子どもの頃に夢見た、空の冒険だ。
 「かりそめの旅」(岡戸一夫著)――第5章、森と湖のフランス・サヴォワ――より
 * 本「かりそめの旅」に関しての問い合わせは、 ocadeau01@nifty.com へ。

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