花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

あれから5年が経ちました。私は・・・

2016年03月13日 | 日常の日記
先週は冷たい雨の日が多くて震えました。
そして今週の始まりも同じく寒くてしぐれています。ユーウツ


それでも、亡き夫が植えた我が家の庭の「ヒュウガミズキ」が咲きだしました。

姫孫のチァーダンスの発表会に遠くまで行ったり、父の三回忌に息子と出席したり
ストレッチ体操やコーラスサークル、写真クラブなどの趣味の会が続く忙しい第二週目でした。

そしてあの悲惨な「東日本大震災」が起きた5年目の3月11日を迎えましたね。

復興はいまだに道半ば・・・
原発事故の収集はいまだメドが立たずにいるようです。


2月中旬から咲きだしている我が家の「マンサク」はそろそろ終わりです。

この一週間、TVなどでも震災の特集番組か流れ・・・
それを観ては5年前を思い出し心が乱れて、涙ぐむ日々でした。
すっかり心がもろくなっています

5年前のあの時のショックは大きかったけど、当時私は今よりずっと気丈でした


夫が遺したたくさんの鉢植えの中から、「姫リュウキンカ」が真っ先に咲きだしました。
雨戸を開けるたびに目にして気づいていたのですが・・・

写真を撮ろうとカメラを持って庭に出た時は、すでに散っていました
ビタミンカラーのお花が、今年は5輪も咲いたのに

上の画像は5年前の3月29日に撮った「姫リュウキンカ」です。
大震災があったあの3月は春の訪れが遅かったのですね。

計画停電があり暖房が使えず、寒さに震えた覚えがあります。

先週は暇な時間を見ては、記録のために残した5年前の3月のマイブログを開いて読んでおりました。
(ご興味のある方はこちらこちらをどうぞ)

でもあの時は両親も生きていて、夫も元気・・・

未曽有の大津波や世界最高の危険レベルの原発事故に日本はどうなるのか、との不安は募り
物不足や電力不足に生活は振りまわされ途方に暮れましたが
淋しさや孤独感は無かった

今の私は、あの震災で愛する家族を亡くした方々の喪失感と癒えぬ悲しみが良く分かり
TVを見ながら涙します。

そして狭い仮設住宅から広くなった災害公営住宅に移った一人暮らしのお年寄りが
「以前のような隣近所の方々とのお付き合いができずに淋しい」と呟いていたTVの中での姿が
やがて来るかもしれない首都直下型の地震時の私の姿とダブります


ご近所仲間から「クリスマスローズ」をもらいました。
いつまでも夫が遺した花々に思いをはせていても前に進めません。
これからは少しづつ私の庭にしていかなくては・・・


「今年こそ転勤があるかも」と言っていた息子も、今回は移動がありませんでした
息子宅も大きめな物置を買い、水や災害用の品々を準備したそうです。

「親父は物をため込む人だったから、イザとなったら頼るつもりでいたけど」
「お袋一人ではアテにできないから、我が家で準備した」
「災害の時にはお袋が我が家に来ればいい」と言ってくれていますが・・・


地方に転勤で家族ともども居なくなった時に、首都圏直下型地震(今後30年で70%の確率とか)に
遭遇したら、歳とった私は一人でどうなるのぉ~

父の三回忌に弟一家と会食しましたが、その時「おばちゃんも今年70歳」
「お兄ちゃん(息子)が転勤で居なくて、私が一人の時に病気になったり災害に遭遇した時は助けてね」と
三十代独身の二人の姪に頼みましたよ。
(そのために大学卒業まで、誕生祝やお年玉を毎年せっせと渡していたのだわ)

「伯母ちゃんに何かあったら協力するけど、まずはご近所さんと親しくする事が大切よ」と
生意気にのたまう・・・

「私はお婆ちゃん(私の母)と違って、そこはバッチリよ」とは言ったものの
今後はご近所さんも皆高齢化して、自分の事で精いっぱいかも知れない

現に一番頼りにしている「元神奈川県警の刑事さん」だったのんちゃんのご主人が
心臓の手術で入院となりましたわ


地区センター祭りへ
先月の下旬、以前勤めていた地区センターのお祭りに行ってきました。
考えてみると、あの震災があった5年前の三月末で私はスタッフの仕事を卒業したのです


今回は日頃から親しくしているSさんが、我が家の夫が所属していた「男の料理教室」に
彼女のご主人を参加させたいということで、代表の方を紹介するのが目的でした。

男の料理教室の模擬店ですSさんと二人でカレーを食べました。


相変わらず手際が悪くて待たされましたが、私が居た頃からもう7~8年も続いている
男の料理のレストランです。

夫が亡くなった折には8人ものお仲間さんが我が家にお線香をあげに来てくれました。

1年半ぶりに会長に会いSさんを紹介し、改めてその節のお礼を言うと
80歳近い会長は「Iさん(夫)は我々の中では一番元気だっただけにいまだに信じられない」と・・・
そして「奥さん、今でも仲間だと思っているから何かあったら声かけて下さい」と・・・

私は涙がポロポロと溢れました。


舞台では各サークルの発表会が催されていました。

私がスタッフをしていた頃は華やかな「フラダンス」のグループが目立ちましたが・・・
(5年前の地区センター祭りの様子はこちらです)


私が以前所属していた「リメイク教室」の作品が並んでいました。
落ち付いたら又通ってみようかなぁ~とも思っていますが、講師の姿は見えませんでした。

以前出展していた「写真の会」の作品は見当たらない・・・
代わりに私の好きな「ユキワリソウ」の鉢が並んでいました。

「ユキワリソウ」愛好会趣味の会も少しづつ変わっている・・・


裏方仕事で忙しそうなスタッフさんも、顔見知りの方々は3人のみ
すっかり若返っています。

その中に、私より二ヶ月前に64歳のご主人を突然亡くしたNさんの姿がありました。
私と一緒にヨガ教室に所属し、会計をやってくれた後輩です。

今度地区センターの図書室が市の図書館とオンラインで結ばれることになりスタッフを増員
声をかけられ、今年になって舞い戻ったとのこと・・・

彼女はまだ62歳の未亡人、まだまだ若さも美貌もあります

「1年半以上も家で夫を偲んでボオ~と過ごしてきたから疲れて疲れて」
「まだ夜の図書担当が決まらないから、naoさんも戻ってきてよ」と言われ

「私の歳で雇ってもらえるはずないでしょう・・・」
「私も舞い戻った時が貴女と同じ62歳だったわ。仕事をしていた方が心身ともに良いから是非頑張って」
とエールを送りましたよ。

そして反面、もう声をかけられなくなった自分の年齢を痛感し淋しくもありました。
東日本大震災に遭遇した三月末に、仕事を卒業した私の心境はこちらで記しています。

あれから5年経って・・・
私の状況もすっかり様変わりしたことに愕然とさせらた一日でした。

今回の記事では5年前の三月の記事の紹介だらけになりましたが
私の人生の節目にもなった記録が「ブログという形」で残せて良かったと思っています。




コメント (18)
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